レッツ ブリリアント 2024/09 第92号

発行者
精神障碍者社会復帰施設
特定非営利活動法人(NPO法人)ブリリアント 施設長 曽我 洋秀

住所 〒 441-8145 豊橋市駒形町字坂口56番地
TEL 0532-46-0033
FAX 0532-46-0163

URL http://brilliant-gh.sakura.ne.jp/

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令和6年9月5日発行

ブリリアント祭りとお知らせ

施設長 曽我洋秀

 今年度もブリリアント祭りの時期がやってまいりました。10月27日(日)の13~16時、駒形公民館で開催いたします。昨年あいトピアで開催いたしました、30周年記念ブリリアント祭りでは、大勢の皆様のご参加やご寄付ありがございました。今年は時間が短く演目も少なくなってしまいますが、ご参加を心よりお待ちしております。もちろん最後のうずらの燻製卵まきも行います。

 昨年も来ていただいたプロのピアノニスト、鎌田浩史さんの演奏もあります。いつものように皆様のご参加と感動をお届けしたいと思います。

 さて、ここで一つ残念なお知らせがあります。31年間続いてまいりましたグループホームブリリアントを今年いっぱいで閉じることとなりました。私自身も19年間関わることができた事を大変ありがたく思っております。その間、多くの卒業生を社会に送り出す事もでき、とても勉強になりました。

 なお、毎週木曜日の夜に行っておりましたお話会は、金曜日の夜に、これからも続けてまいります。どうぞ皆様お越し下さい。

 なお私事になりますが、治療師としての仕事と保護司の業務、傾聴ボランティア等も続けてまいりますので宜しくお願いいたします。

31年にわたる皆様方のご協力とご支援大変感謝しております。ありがとうございました。

掌編(しょうへん)小説 『月とチョウチョ』

兵藤日菜子(寮生)

 それはとても月のきれいなある夜のことでした。草原は人間たちが出入りする昼間の時間とはうって変わったように静まり返っておりました。鈴虫たちの鳴き声があちらこちらから聞こえて来るのみです。私は昼間の花の蜜の味をうっとりと思い出していました。今日の蜜は今までにはないほどに美味しかったな、と。あんな花にあたることはめったにないことだと私は思いました。申し遅れましたが、私は ウスイロ ヒョウモン モドキ という名のチョウチョです。なかなか面白い名前でしょう。そしてとても数の少ないチョウチョでもあります。仲間はどんどん減っていって、私の周りには親戚がいるだけになってしまいました。何だか寂しい話です。人間たちはこれはいけないとばかりに、今は私たちのことを守る活動をしているのだそうです。でも私たちはやがていなくなる運命なのだと、私は思います。周りの様子を見ていると分かるのです。ぽつりぽつりと友人たちはいなくなっていきました。

 一人寂しい夜は、私はこうやって月を見て過ごします。月の光はみんなに等しく降り注ぎます。森の皆にも、草原に住む私たちにも。そして見ているとなんとも面白い。日ごとに形が変わっていくのです。真ん丸になったかと思えば、ものすごく細くなってみたり。これはどういうことなのでしょう。考えても分かりません。きっと人間たちには分かるのではないでしょうか。

 私は月にそっと話しかけます。私たちがここからいなくなる日がきても月はずっと月のままなのでしょうね、と。そんな私に月はそのままの姿でやさしい光を届けてくれます。

 金のひかり ふるよ森に さらさら

 金のさち  ふるよ草原に しずしず

 何とか月まで飛んで行けないものだろうかと思いましたが、自分のこの弱々しい力では無理だなと止めておきました。私はとても悔しい気持ちでその場に留まっておりました。そんな私になんと月の方から話しかけてきたのです。

「こんばんは。いつも一人ぼっちだけれど、寂しくないかい」

「こっ、こんばんは。一人はとても寂しいからこうやってあなたのことを見ています」

「ははっ、いつも熱いまなざしを感じていたけど君だったのか」

 月はにっこりと微笑みました。私は何だか緊張してしまって、次の言葉が上手く出てきません。私は月に尋ねます。

「私達みたいな力のない種族もいつか幸せに生きることができるでしょうか」

 月は応えます。

「難しい問題だね。私みたいに長く生きていると、絶滅してしまった種族も数多く見てきたから」

「はい」

 私はうつむき気味に応えます。こんな幼稚な質問を、月みたいな永遠を生きる方にしてしまうなんてと。

「でもあなたは今を生きてる。明日も生きよう。それを私は見届けるから」

 月はそう言って優しく微笑むのでした。

「はい」

 その夜、満ち足りた気持ちでチョウチョは眠りについたということです。

暑い今年の夏

佐々木茂 (寮生)

 暑い夏、自分の体も心配ですが90才の母の体が心配です。

 次に行くグループホーム、「ステップ豊橋」でみんなとうまくやっていけるか心配です。

ブリリアントの時間の流れ

宇野和男(支援者)

 久しぶりに支援者としてでなく人間としてブリリアントに関わった。僕自身もレッツブリリアント第一号は匿名(とくめい)にしてとの願いがあるように情けないことを平気で書いてるが、始めは人間のことなんて頓珍漢分だったがそのことでお叱りを受けたことはいまだにない。30年息づいてきたブリリアントの時間の流れは心の病気を一点突破で根本治療するではなく、まず愛情で包み込み、どんな人間でも愛があるから変われるようなゆっくりした時間の流れが厳然とある。これは石ころと大河の関係と似ている。取り合えずその人その人のいいとこ見つけて愛情をたっぷり注いで行くことが治療のスタートだ。致命的欠陥があってもそのこと自体をどうかする、というよりも日々の生活を整えていくということを通じて内部変革として自分からどんどん大人になってくような流れである。

 この歴史のある流れはゆったりと静かに大きく流れているのだ。そして利用者に簡単に接したりあきらめたりせずひたすら日々生活者として受け入れていききる、この積み重ねで寮生はだんだん一人前になる。こんな充実した手厚い支援を受けられる今のグループホームがあるだろうか?

 ブリリアントの寮生にしてみれば管理される側として文句の一つもあるだろうが、ほかのホームへ移っても単に生活はできるが、ブリリアントでやってた自己変革という人間の人間たる証明を求めることは不可能であろう。

晴美語録

宇野晴美(支援者)

晴美の手帳からスクラップ

 なんでも自分の性格のせいにしておけばある意味楽です。改善も努力もする必要がない。でも人は変わることができるし、習慣を変えることもできます。

 思考を変えなければ、家の中は片付かない。

 自分の人生は自分が主役だから、年齢にとらわれずに好きなことを突き詰めたらいい。この一年も健康で楽しく過ごしましょうね。

 目で見えるものだけじゃなくてもっと本質的なことを見ることができる人

        質実剛健

          ↓

 中身が充実して飾り気がなく心身ともに強くたくましいさま。

 必要以上に食べてしまうのは、リソースのムダづかい。顔はそんなに変わらなくても、お手入れと生活習慣と気持ちで。人生の後半は見た目年齢の差がつく時期。

小さな努力もしたいです。

   感謝できることを探して生きていく。

   人は困難に遭(あ)えば遭(あ)うほど強くなる。

   幸せは外にではなく、心のうちにある。

   幸せの青い鳥 チルチル

「ありがとう  心かよわす  愛言葉」

食事法での大本のこと

杉浦 依和夫(支援者 ヨガ講師 76歳)

 ヨガでは、修業・修行・修養のことを学ばせていただきましたが、そんな中で食事法についても斬新な内容を学んだ。かなり古い講義文や教本などを時々読み返せば、ハッとするようで嬉しく楽しい。ここでは、その根本的なことを採り上げてみたい。

 食事とは宇宙エネルギーを食べることという~

 それは天地に育まれた植物を介して栄養素ミネラル等をわが命に置き換える儀式でもある。

 食べ物そのものには生きる力も生かす力もない。死人にとって、食物が栄養とならないのと同じである。同じものを食べても心身の自然な要求がなければそれは栄養にならないばかりか、不味いと食べたらそれは害になる。栄養力とは、食物とそれを栄養とする生命力が関係するときに生まれるのである。

 世はグルメ時代、造る方もあの手この手でそそり、食欲を煽り大食いを強いている。そもそもいくらでも食べられるや、何でも食べられることを健康の証拠だと捉えられがちであるが、これは神経や内臓の失調であるとも言えるのである。栄養力の失調しているときには、それは毒物になることさえあるのである。

 栄養物とは食べ物、そして酸素とチャクラを指す内分泌物(ホルモン)だ。一つでも欠ければ分解、吸収ができない。内分泌物は生命を守るためにある薬である。食物とは、天のエネルギー、つまり日光と空気の成分と、地のエネルギー、つまり水と鉱物は変形したものである。

 次には、出すこと、吸うことより吐くこと、摂取より排泄を優先~

 栄養として摂取し活力が出るのは、生命が喜ぶことである。それは消化・吸収・中和・排泄能力が高まっていることである。また、生きるエネルギーは得てして滞ると、それは過剰、残留エネルギーとして己の体を蝕む元になる。それだからこそ、運動、労働に勉学に出し切ることのバランスが必要だ。

 そして時間で食べるのではなく、唾液が出だしたらその時期、また興奮が高ぶった気持ちのときは異常食欲に駆られるからちょっとの瞑想(冥想)をするとよい。心静かに対峙すれば自ずとゆっくり口に運べ、咀嚼回数も多くして唾液分泌も活性化しより多くの効能を受け取れるものだ。

 何をどう、どれくらい食べると健康になるのか~

 食べた物が、血液や体液や筋肉や骨、つまり体そのものをつくっており、それは心にも関連している。落ち着いたり高ぶったり、力がついたり弱ったり、恐怖心が強くなったり、愛情が深くもなったりする食べ物、食べ合わせがある。

 しかし、万人に敵った食べ物はない。自分に良いものと悪いものは知っているのは自己自身である。自然食、菜食主義の人は玄米がいいという。確かにいいことはいいが、そればかり食べていては、害になる人も中にはいるのである。これは玄米を食す原則と言っていい。それはMg:マグネシウムが多く含まれており、Ca:カルシウムを破壊排泄する性質があるので、“ゴマ塩(特に黒ゴマ)“ を振り掛けてミネラル同士のバランスをとらなければならない。

 全人に共通な食事の原則があるとしたら、

①満腹を楽しむより空腹を楽しめ。

②自分に合った食べ物は、空腹感を見つめることが必要 → 断食や自然食をして食の悪習慣を除くこと だ。

 食事が自分に叶ったものかは、翌日の朝方に現れるものである。口中はさわやかか、排泄はスムーズか、気分もさわやかか、目覚めはいいかなどが尺度になるものである。特にアルコールは食欲を異常にさせるから少飲にしなければならない。飲酒をすると眠れるからというが、肉体は緩むが交感神経は昂るため質の良い眠りはできず目覚めも落ちるので、“酒は百薬の長”とばかり間違った解釈は考える必要がある。どうぞ皆さま健康長寿のために、適量の飲酒を研鑽あれ!いやー、これは私への戒めでもあるのですが……!?

飼い猫

小柳津昇久(寮生64才)

 猫の名はクロといいました。子供の頃、納屋があって、農機具が置いてあるので猫の住処になっていました。季節が寒くなると、自分たちの家の中に入っ来て、僕の寝ている布団の中に入っ来て寝ました。となりに弟が寝ていて、「クロが入って来ていいね」といわれました。

 お腹が空いている時は、屋根裏に行ってネズミを取って食べます。

 12月31日に、ブリリアントを卒業し、出ることになりました。6年9ヵ月の間ブリリアントで慰問旅行、納涼夏祭り、その他良い思い出をたくさん有り難う御座いました。

心臓に悪い夜の釣り

伊藤 剛(支援者62歳)

 先日、市内某所(極秘)に夕方から釣りに行ったのですが、ちょうど辺りが暗くなり始めた頃、橋の照明の下で、無数の小魚が水面でピチピチジャバジャバ!と、跳ね始めました。『これなら、あいつらを餌にしている大物が居るに違いない!!』と、慌てて釣り鉤を結び始めました。しかし、肝心の老眼鏡を忘れてしまったので、何度繰り返してもしっかり結べず、釣り糸がすっぽ抜けてしまいます。悔しいったらありません。

 その間も小魚の跳ねる音は途切れず、たまに大物が小魚を食べるときの「ボフッ」という捕食音が聞こえてきます。いい歳をして、幼い男の子のように心が焦って、もう心臓発作が起こりそうです。あれほど興奮したのは人生でも数えるほどしかありません。

 おまけに日中の酷暑で炙られたコンクリートブロックは夜になっても焼けるように熱く、それに座っているとお尻が低温火傷をしそうです。ちょっとは涼しくなるかとスニーカーを脱ぎ、靴下で釣っていました。これで、もしも謎の大魚が掛かって川に引きずり込まれた時には、世を憂いての身投げと間違えられないように、スニーカーは岸辺にキチンと揃えずに、わざと乱雑に脱ぎ捨てておきました。でも、靴を脱いでいた方が、泳ぐには楽でしょうね。

 願わくば、翌日、あるいは数週間後、どこかで哀れな土左衛門となって発見された時には、死んでも離さなかった釣り竿の先に、1.8メートルくらいの大ナマズが喰いついたままでいて欲しいです。(笑)

「ボランティアでの選曲について」

森下昌(まさ)洪(ひろ) (支援者)

 僕は、30数年ほどシャンソンをフランス語で唄っている。

 ブリリアント祭りでは、常連になった。

 10月27日のブリリアント祭りに唄う曲を考えている。

 ここ6ヶ月前から、小牧の老人施設と昭和区のディサービスで唄っている。お年寄りを前にして選曲を考えて、フランス語のシャンソンは、なるべく唄わないようにしている。

 ディサービスでは、わかり易く言葉がはっきりしている「モンパパ」がウケている。さだまさしさんの「案山子(かかし)」もいい。中には、涙ぐんで聴いてくれる人もいる。そういった、笑いと、じんと来る唄がいい。

 最近は、皆様と唄う曲、「上を向いて歩こう」を唄っている。

 みんなで唄う曲は小原孝さんの作詞作曲の「逢えてよかったね」を練習している。東日本大震災、心の復興支援曲です。三好女声コーラスの伴奏を小原孝さんがしていた。彼から楽譜をもらって、ピアニストにカラオケを作ってもらい練習しています。

 コーラスのような、みんなで声を出す事がお年寄りには、いいと思われる。

 ブリリアント祭りでは、定番になっている「オーシャンゼリゼ」をみんなで唄います。シャンソンはどちらかと云えば一人一人の個性を中心に表現する唄だから「枯葉」をみんなで合唱するのとは違って、みんなが自然に体まで動かしたくなる「オーシャンゼリゼ」とか「モンパパ」のような曲がいいと思う。

 これからは、リズム感を感じる選曲と、みんなで唄う曲を中心にボランティア活動をして行きたい。

♡ 佐溝 力さん ありがとうございました ♡

鋤本 惠美 支援者 (ボランティアグループ “ふれあい” 代表)

傾聴ボランティア講演会 「語ること」と「聴くこと」の意味 第1回

講演者 佐溝 力さん「ボランティア活動 50年を振り返って~今思うこと」

☆佐溝 力さんの人生ストーリー☆

 幼い頃の思い出~少年時代。 ボランティアをしていたお隣のおじさんとの思い出がきっかけで始めたボランティア活動~。

 外の世界に興味があり、常に前へ前へ~と歩いてきた。好奇心旺盛で、考えてから走る。ではなく、走りながら考えた佐溝さん。自分のコントロールが効かなくなるほど。

 失敗だらけの人生だったけど、失敗ではなく、ひとつひとつが必要な学び。ボランティアというより、同じ目線で人と出会い、人とのお付き合い。出会いから学ぶたくさんのこと。自分を磨く自己啓発の日々。

 やる気になったらやる、答えはあとからついてくる。失敗は経験、教訓。

 自分に正直に向き合えば佳き人に出会い自分を磨くことにつながる

 ひとつひとつ 場が変わり、事も変わっていく。それは終わりではなく、ずーっと流れていくということ、先へ先へ進んでいるということ。

「こんな場で、たくさんの方の前で話をするのは初めてです。初めは緊張していましたが、話をしていくうちに、いろいろなこと、情景を思いだしました。皆さんに聴いていただいて、嬉しい時間でした。自分を知ってもらうことは大切ですね~」

 ☆ひとつひとつの出会い 人、事、物。それぞれの背景を視て丁寧に向き合っていらした佐溝さん。お身体が不自由になられても歩み続けていらっしゃる。

 佐溝さんのゆったりとした、おだやかな声、なごやかな表情に、暖かなやさしさの輪が広がりました。生きること、生ききること、生きる意味、生きる姿勢を見せていただけたことに、心から感謝します。ありがとうございました。

☆~参加された方の感想~☆

・ボランティア→おつきあい。同じ目線で! 勉強になります。

・好奇心旺盛な少年時代のお話、興味深く聴かせていただきました。

・脳梗塞から回復されたことにも導きがあったのかと思います。

・自転車旅行、ヒッチハイク、入梅時の野宿すごいですね~

・看板、広告集め~ひとつひとつに、その時代の世相が表現されているのですね。「グリコ」「仁丹」など。ひとつひとつに歴史がありストーリーがあるのですね。とても懐かしく楽しいお話をありがとうございました。

・現代美術にスンナリ入れたのは、造形パラダイスの経験が大きかったのではないでしょうか~

・脳梗塞を経て、なお元気にお話される佐溝さんに元気をもらいました。

・人生いろいろ。興味、好奇心、体験.....大変参考になりました。

・”自分に正直に向き合い生きれば、良き人に出会い、感性が磨かれる”

よい言葉をいただきました。

・失敗談はじめ行動したことでたくさんの思い出となって、生きていく力になるんだと思いました。できること+好きなこと=人生 ですね。

・わたしもこれから、同じ目線で、お付き合いだと思って、いろんな方と出会ってたくさんの思い出を作っていきたいです。

・なんて、精力的な人生でしょう。人生で色々な経験を積まれている方なので全く意気消沈している感もなく素晴らしいと思います。

・”走ってから考える" で充分ですね。

♡~佐溝 力さん ありがとうございました~♡

 傾聴の姿勢を大切に歩んでいるボランティアグループ “ふれあい” にとって、とても大切なこと、ボランティアの心得、より良い人生を歩むために何が出来るか、何が大切かを確認し合うことができました。佐溝さん、今後ともよろしくお願いいたします。

~昨年度第3回 鎌倉利光先生のお話より~

 傾聴ボランティアは、その人の生きているところを支える存在。人と人との間に在り、はじめて人間になる。役職がないフリーな人間がただそこにいる。人生には正解はない。

「一期一会」その時が正解。共に場を共有し、共に想いを共感しあえる人との出会い。回りに聴いてくれる人がいると精神的に安定する。人生を振り返る時が必ず訪れます。

★傾聴ボランティア講演会 第2回 10月13日(日) 13:30~16:30
             会場 あいトピア★

講演者 松本紀久江さん (田原市 傾聴ボランティア "みどりの会"代表)

「みどりの会の歩み」 *チラシ参照

ブリリアント この30年の歩み

理事長  内田里枝

 この頃、回りの人達からは「30年よくがんばったね。」と言われるが、私にとってはアッ!という間の30年だった。

 福祉のことなど何も知らない私が、ただ、主人の「グループホームをやるからな。」の一言で「ハイ。」と返事をしてまった。しかし、知らないから始められたのかもしれない。海とも山ともわからない世界。経済的にもやって行かれるかどうかもわからないまま、産みの親である吉川先生の励ましのもと、私達は出発し、いろいろな事をやってきた。幸い、支援者に恵まれていた。

 毎年行なってきたブリリアント祭りも、善意銀行のボランティアさん、主人の同級生の方々、それから主人の会社の人達、地域の皆さん達のお手伝いがあったからこそ、できたことである。また、お祭りに出演してくださったアーティストの方々も出演を快諾して下さり、ただただ感謝しかない。

 毎週金曜日(以前は木曜)に行なっているお話し会、これもブリリアントが産んだ行事である。断酒会に通っていた、初代寮長の鈴木光雄さんが「どうしてもブリリアントにも取り入れたい!」と、始めたのがお話し会である。自分を語る、心の中のウミを出す。そこから快復が始まる。

 今はもう20年近くブリリアントに関わってくださっている曽我先生が、お話会を通じて精神面・健康面でのアドバイスをしてくださる。東洋医学・西洋医学、さまざまな観点から発言されるので勉強になる。誰でも自由に参加できるので毎週いろいろなゲストが来られ、賑わっている。お話し会は、ブリリアントがグループホームの業務を終えてからも続けますので、ぜひこれまで同様、気軽に遊びにいらして下さい。

 そして私には夢があった。ブリリアントの寮生達でコーラスグループを作り、いろんな施設に慰問に行って、皆さんを慰やしてあげたい。私はこの夢を、10周年ブリリアント祭りの時のビデオの中で語っていた。それを見た主人の同級生の杉本さんが「よーし! 立ち上げてやろうじゃないか!」と手を上げてくださり、慰問活動が始まった。彼はプロのギタリストである。寮生達が2、3ヶ月の特訓を受けた後、慰問活動が動き出した。お年寄り、身体・知的・精神の障がいを持つ人達の施設等、訪問する場所によって演目を変えた。懐メロ、中メロ、ポップス等、それらの歌のカラオケ音源はみんな、杉本さんがパソコンで作ってくれた。すごい人である。

 慰問のオープニングは、賑やかな和太鼓の演奏で始まる。太鼓の指導は支援者の菅谷さんが担当して下さった。今でも慰問以外に、ブリリアント祭り、さくらピア納涼祭、近所にあるお年寄りのグループホーム「たけのこ」の盆踊り大会等に参加させていただいて、皆さんに喜ばれている。

 それから杉本さんの親せきの佐溝さんも、慰問団に加わってくださった。彼はホーロー看板では全国有数のコレクターで、TV番組の「何でも鑑定団」に何回も出演している人である。コレクションの琺瑯看板を見て、施設のお年寄りがどんなに喜こんだことか。また、回想法で、お年寄りの皆さんの頭の回復にもなる。さらに佐溝さんの歌も、何とも言えない絶妙の味わいがある。

 そして、寮生達にも恵まれていた。みんな歌が大好き。コーラスはもちろんソロも歌えるのだ。司会は本職まがいの出来ばえの寮生がおり、音響はプロ並みの寮生がいた。あの頃はブリリアントの黄金期、月に1,2回は慰問があり、本当に充実していた。お客様の拍手が寮生達に自信を与え社会復帰の基盤となった。しかし、コロナの波が押し寄せ、慰問活動も消えてしまった。

 この機関紙「レッツブリリアント」も、始めてからもう20年になる。最初はパソコンではなく手書きだった。イラストも寮生の手書き、封筒の宛名も1通1通手で書いていた。これまでは年に4回発行し、全国に読者がいる。機関誌の何が大事というと、折々の自分の想いを文章に残すと、自分の成長の過程が読みとれることにある。「え! 昔はあんなこと考えていたんだ」とビックリする。また、反省し、成長の足がかりとなる。寮生はもちろん、卒業生・支援者、いろんな方が寄稿して下さり、毎回楽しみにして下さっている人も多い。

 しかし、何を隠そうブリリアントの活動は、全部私の色に染めてきたのだ。こんな多彩な活動をしているグループホームはどこにもない。

 だから、主人が「ブリリアントはお前の仕事じゃない。趣味だ」とよく言っていたが、本当にそうかもしれない。私は事務仕事は得意じゃない。かといって現場で働く体力もない。でも音楽が好き。文章を書くのも楽しい。賑やかなお祭りが大好き。ただそれをやってきただけなのだ。私が寮生の世話をしたというより、この30年間寮生達に遊んでもらったというのが正しいかもしれない。仕事のストレスはあったかもしれないが、同時にストレス発散の場でもあった。だからお礼を言うのは私の方である。私はいつも言っている。寮生も家族、卒業生も家族、これからもずっと。みんな私の大切な宝物なのだ。

 この30年間、お世話になった皆様、地域の皆様、ブリリアントを暖かく見守ってきて下さって、本当にありがとうございました。

ブリリアント 一泊旅行の思い出

2024/6/1 浅間大社参拝

2024/6/1 白糸の滝

2024/6/2 田貫湖展望デッキ 富士山、まったく見えず。(泣)

行事報告   令和6年5月~8月

5月
5/1(水)  封筒づめ
5/2(木)  お話し会
5/3(金)  畑の仕事
5/5(日)  畑の仕事
5/9(木)  お話し会
5/12(日) 畑の仕事・ふれあい心のケアコンサート(あいトピア)
5/16(木) 誕生会(剛、晴美、なつき)、曽我先生カウンセリング
5/18(土) たいこの練習(さくらピア)
5/19(日) 畑の仕事
5/23(土) お話し会
5/30(木) お話し会

6月
6/1(土)  1泊旅行(富士山方面)
6/2(日)  1泊旅行(富士山方面)
6/7(金)  お話し会
6/9(日)  畑の仕事
6/14(金) お話し会
6/15(土) たいこの練習(さくらピア)
6/16(日) 畑の仕事
6/19(火) 理事会
6/21(金) お話し会
6/23(日) 畑の仕事
6/28(金) お話し会
6/29(土) NPO法人ブリリアント 定期総会
6/30(日) 曽我先生カウンセリング

7月
7/5(金)  お話し会、畑の仕事
7/7(日)  佐溝さん講演会(あいトピア)、駒形神社枝払い作業
7/12(金) お話し会
7/14(日) 畑の仕事
7/19(金) お話し会
7/20(土) 花火大会
7/21(日) 畑の仕事
7/22(日) 防災訓練
7/26(金) お話し会
7/28(日)  畑の仕事、曽我先生カウンセリング

8月
8/3(土)  豊障連納涼祭(さくらピア)
8/4(日)  畑の仕事
8/7(水)  七夕祭り
8/9(金)  お話し会
8/11(日) 畑の仕事
8/16(金) お話し会
8/17(土) グループホーム「たけのこ」盆踊り大会
8/18(日) 駒形神社掃除
8/23(金) お話し会
8/24(土) 歌の練習
8/29(土) ブリリアント見学(田原より)
8/30(金) お話し会

ブリリアントにご協力いただいた方々

ボランティアグループふれあい様、稲村絹代様、北川藤良様、鋤本恵美様、澤田竜弥様、杉浦依和夫様、森下昌洪様、曽我洋秀様、菅谷君男様、佐溝力様、山口京子様、井上浩様、豊橋善意銀行様、カリオンビル様、豊橋市社会福祉協議会様、伊藤剛様、宇野和男様、宇野晴美様、兵藤なつき様

ブリリアントにご寄付下さった方々

大橋様、豊田愛里様、天野裕子様、曽我洋秀様、鈴木静子様、井上浩様、北川藤良様、藤井武弘様、伊藤剛様、梁川美根子様、佐溝力様、金子孝雄様、兵藤なつき様、中尾よし子様、

いろいろとご協力、ご支援ありがとうございました。

編集後記

 グループホームブリリアントの生活も残り少なくなりました。何か淋しい気持ちにもなりますが、これからも寮生や卒業生達に寄り添って行くことに変わりはありません。何か楽しいイベントの館になるといいですね。

内田 里枝

 この原稿を書いているのは 8/30(金)の夜 9時過ぎです。折しも大型の台風10号が迷走しつつ接近しており、夜の窓から強い雨音が聞こえています。皆様の地方で被害が無いことを祈っております。また、被害に遭われた方々には、心よりお見舞い申し上げます。

伊藤 剛
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