レッツ ブリリアント 2016/04 第64号

発行者
精神障碍者社会復帰施設
特定非営利活動法人(NPO法人)ブリリアント 施設長 内田 貴士

住所 〒 441-8145 豊橋市駒形町字坂口56番地
TEL 0532-46-0033
FAX 0532-46-0163

URL http://brilliant-gh.sakura.ne.jp/

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平成28年4月1日発行

ブリリアントの食卓

施設長 内田貴士

 ブリリアントの食卓には季節感があります。

 正月はおせち料理に始まり、七草がゆ、小豆がゆ、2月3日の節分には、寮生も自分の恵方巻きを作ります。毎年作っているのでとても上手になりました。

 3月3日のひな祭りにはちらし寿司に舌つづみを打ちます。この頃はつくしが顔を出しはじめ、つくしの卵とじが登場するようになりました。はかまを取るのがチョッとめんどうですが、皆でやればアッという間に終わります。それから畑の水菜の花が咲き出すと菜の花のおひたしが出ます。少しほろ苦い春の味です。

 5月の末になると、近くの所有の竹やぶから竹のこ(ハチク)がニョキニョキ出ます。ブリリアントでは毎朝散歩をしていますが、こんな収穫物を持って帰るのも楽しみです。となりのお宅からはワラビをいただいたり、秋にはきのこも届けていただいたりしています。

 こんな自然豊かな生活に私はとても満足しています。

生きる希望

藤田一夫(寮生67歳)

 私の父は72歳という若い歳で他界しました。この年齢が私の人生を決めているようです。

 私も72歳まで働こうと思っています。まだこのことは決定したわけではないのですが一応の目的としております。何事も前向きでいきたいと思っております。私は学力もあまり出来ていませんので働くことを見つけ細く長く生きてゆきたいです。働くことが苦痛と思えない仕事というものを見つけるのはなかなか難しいと思いますが楽な仕事というものはありません。ただ私が思っているのは働く気がいつまでも続くかどうかということです。気力があれば、だいたいはついていけると思います。同じ寮生で70歳になった人がいます。その人の話を聞いていますと70になったとたんガクッと体力が落ちるのがわかるそうです。私は小学校の時から死ということを先生に教わりました。その時の平均寿命がまだ60ぐらいだったので1人の寿命というものを60とするとあなたたちはこの辺にきています。あとこれだけですと聞かされた時は何と寿命の短いことと思って死ぬことが恐くなってそれ以来死ということの恐さというものを思い知らされました。私は長生きしたい今思うと生きているだけではだめだ。悔いのない人生を送らなくてはといつも思っていますが私の青春時代のことを振り返って見ますと何をやっていたのだろうと反省する毎日です。確かに今思い出されることは良い思いでばかり頭の中に有ります。だけどその時の時間は一瞬のごとく過ぎています。変な話ですが、初恋が2人いたような気がします。1人目の人と同じくらい愛していました。いまだに名前も知らない人です。この頃に1人の夢を見ていました時この続きが見たいと目が覚めた時声を出してお願いしたら1日おいて3日目に続きが見られました。私ってこういうことを入れますとものすごい恵まれているのだなぁと思いました。私がこの世に生まれてきた喜びを感じた時でした。

 人にはいくつの時が青春なのかと決めつけることが出来ないと思うのです。私の春はあきらめていません。現実は春になると花粉症で悩んでいるうちに春が終わってしまうんですよね!!これからも私の幸せを作っていきたいと思っております。素敵な女性が私に声をかけてくれないかなぁと思っております。

高ちゃん、「ひつじのショーン」に夢中

伊藤 剛(寮生53歳)

 施設長さんの息子さん、内田高太郎君(2歳6ヶ月)は今、NHKテレビで放映している「ひつじのショーン」が大好きです。保育園から帰ってきて夕食まで時間がある時には、インターネットのYouTubeで見ています。夕食後は、リラックスルームのテレビで、毎週予約録画してあるのを楽しんでいます。以前までは、じーっと画面を見ているだけでしたが、最近は面白い所でケタケタと笑って見ています。高ちゃんと見ているうちに、僕もだいぶショーンに詳しくなりました。ちょっと抜けた所のある農場主と牧羊犬のビッツァー、主人公のショーンと羊の仲間達、意地悪猫や、やんちゃなブタ三匹、アヒル、ヤギ、雄牛、雄鶏、雌鶏、ピザ屋のお兄ちゃん、ハンドバッグを振り回すおばあちゃん等々、いろいろな登場人物が出てきて楽しませてくれます。子供向けの番組ですが、細部に至るまでよく作り込んであって、僕が見ても面白いです。製作にはとても時間と手間がかけられているようです。

 高ちゃんは、夜9時になってもパソコンでショーンを見ていたいとだだをこねる時があります。9時は寮生の消灯の時間なので、その時は、僕が高ちゃんをパソコンから離すと大泣きをしてしまい、とても困りました。また明日見ようねといっても聞きません。ついにはパパとママに叱られてしまいました。

 高ちゃんは今、同じ放送を何度見ても飽きていませんが、そのうち違うのが見たいと言い出すのでしょうか?

安静しました

兵藤なつき(寮生30歳)

 2月25日(木)の朝。まずはじめに洗濯をしている時でした。急に体が寒さを感じて、動くのが精一杯になって、目の前がハッキリ見られなくなって。胃がムカムカになって。朝食も楽しんで食べられなくなってしまって。

 電話で奥さんに「今日、体がだるくなってしまって。作業所を休んでいいですか?」と尋ねて弁当のおかずを用意していただくことを断りました。

 私は、自分がどうにも重症なときでも「弱音を吐いちゃダメ!調子が悪くても我慢して働いている人がいるんだから!」と返事をするのかと思っていました。「外に出るのがイヤでズル休みしようとしてるんでしょう。」と私を疑おうとするのかと思っていました。

 しかし奥さんは「今日はゆっくり休みなさい。冷やさないようにして休みなさい。たけのこの慰問に参加できなくなるで。」と私に返事しました。

 やっぱり私は仮病じゃなかったんだ。私は本当に体調を崩しちゃったんだ。落ち込みました。しかし奥さんから「今日は休みなさい。」と一言いってもらって嬉しくなったし、安心したような気がします。大きな病気にかかった時となると通常なら安静すれば回復する病気にかかったことで悲しんだり心配したり慌ててパニックを起こしてもね。

 普段から心を穏やかにしていなかったり、お風呂で湯船に浸かった後にすぐに体を拭いたり、体を冷やさないような格好に着替えなかったり、すぐに布団に入られるようにしなかったから(スキンケアや髪の毛をドライヤーで乾かしてそれからトイレで用を済ませてからだけど)体温が平常時より下がってそれで体調を崩してしまったのかもしれません。

 奥さんからお風呂から出たらすぐに寝てね。と私に言ったのに私が自分のやり方を見直して実行しなかったから、それで安静にせざるをえないほどになったのかもしれません。

 体調を崩したのを期に自分がこれまでやらなかったことできなかったことを普段から克服しないとさまざまなイヤなこと苦しいことから自由になれない。新しい自分にも生まれ変わることもできない。

 できなかった自分が情けなくなるし、悔しくなるし、将来に希望が持てなくなりたくなるけど、自分に自信が持てなくなりたくなるけど、努力することから投げ出したくなるけど、負けないようにがんばりたい。

 そうすれば、読んでいる人も嬉しくなるし喜ぶんじゃないかな?

 答えがその逆だったら、つらい。安心しない。落ち着かない。

 この記事でハッキリ言わなかったら、誰もが大変だ。私も大変だ。

生活のリズム

岡本貴広(寮生53歳)

 ブリリアントに入寮して半年が過ぎました。日々の生活は朝食をいただき、散歩をし、作業所に半日通っています。生活環境が整わないと私の病気は再発する恐れがあります。規則正しい生活を行っていこうと思います。

春が来た

白井千雄(寮生71歳)

 暑さ寒さも彼岸まで。今年の冬は寒かったために畑の草を取らなかったので、ブロッコリーの葉が鳥につつかれて葉の先がギザギザになってしまったことに気が付きませんでした。ブロッコリー全体が小さくて、もうこれ以上大きくなれないまま終わってしまいそうです。じゃがいもを植えたので大事に育てたいと思います。にんにくが冬を越して育ったので収穫が楽しみです。発酵黒にんにくにして食べます。

僕のささやかなゆめ

森下昌洪(支援者)

 名古屋の栄にあるオアシス21に毎週土曜日市が立つ。非常にマニアの間で人気がある。すでに10年位続いている。生産者の顔がみえるので安心して買う事が出来る。僕は仕事が無ければ毎週通っている。

 ある日フランス人のジェラールに声を掛けられた。彼は有機栽培の米など野菜に関してかなり詳しい。気に入りの店でしか買わない。本山のアリアン・フランセーズ(フランス語の学校、フランス政府公認)のとなりに小さなアンティークの店を構えている。知り合ったその日に訪ねたら非常に喜んでくれ、3時間話をした。京都出身の奥さんと娘さんと八事に住んでいる。17才年下の奥さんとは奈良の骨董市で知り合った。30年前だそうだ。彼は世界をヒッチハイクしたりしていた。元々ジャーナリストで世界の情勢に詳しい。奥さんの影響から日本の伝統食も食べているようだ。日本人の食の乱れ、子供の教育、環境問題、趣味の事など日本人以上に日本人らしかった。

 フランス語の勉強をしている僕は、フランス語をもっと使って欲しかった。つい最近、パリののみ(・・)の市へ買い出しに行って来たそうだ。出身はニースで僕が

12年前に行った所だ。彼の実家は農家で主にカーネーションを作っているらしい。実家の現在は、大量生産の品種に押されて昔のようなカーネーション農家は、厳しいらしい。幼少の頃は、ヤギ、ニワトリ、牛、ウサギと一緒に生活していたと言っていた。僕は、その頃の話を聞いていつかジェラールの実家にお世話になりたいと思った。

 南仏ニースも近代化が進んで昔のイメージは無いかもしれない。かたくなに昔の生活を守っているお年寄りはいるはずだ。彼等はローフード的生活者だろう。このような情報をジェラールからしっかり聞いて、いつかニースへの一人旅をしたい。最低2週間滞在して、時期は5月頃。きっと一生の想い出になるだろう。

心の病いはいろいろ

杉浦 依和夫(ヨガ講師)

 従姉が数年前からうつ病になって食欲も細くなったときいて心配していたが、血色はよく見えたが・・。また、同級生のいくらかはそのような病いに冒されて、仲間たちは何であいつが罹るんだと口々に語っていた。

 脳梗塞の後遺症、突然の難聴になどが原因だと言えるものは、体の変調に悲観して、心の落ち込みが起因し神経、ホルモンバランスを狂わしてしまう。こういうものは、心理的からカウンセリングしても快癒はない。「それにしても男って奴はちょこっとの障害で右往左往する。その点、女は生理的からこういう形ではうつにはなり難い生き物だ」とは、ヨガ導師のお言葉である。で、カラダの障害以外のものはなかなか原因がはっきりしないといって、精神薬を服用することになるが全治は難しい。

 心の病も実はカラダから起因しており、身心の両面から総合して治療していかなければならない。人は老化すると、筋肉は硬くなり、姿勢が猫背になり、背骨が歪みそれに沿う自律神経(交感/副交感神経)はその本数を減じていき、ホルモン分泌腺に異常をきたす。それがカラダの病に、心の病にとその人の業といえる方向に症状をつくっていく。

 私がヨガ道場での断食行を研鑽していたおりには、相当数の男女の精神病の方が来ておりました。話す機会があって、それが、症状いろいろ、まちまちで発症は人それぞれだと感じた。ここでは、軽い人は先生の指導でなんなく治ってしまう人や、日常に社会復帰できるまでなる人も多かった。また、子供の自閉症も先生は上手に治してしまい、多くの精神科医から、見学の申込や講演会、対談に招かれた。医者からはなんでこんなに簡単な方法で治るんだろうと不思議がられた。

 森田療法についても、ここではいいにくいが辛口で精神科医の質問に答えていた。

 『昔なら「気が小さすぎる」、「心配性だよ」、「物事に囚われている」、「まだ人生を知らないネ」で済んだものが、学名らしきものが与えられて市民権を得ているものがこのノイローゼである。広義に解釈すると、心の緊張だけでなるものを言う。潰瘍、内臓下垂、消化不良、便秘、無力症などなどである。狭義に解釈すると。心の混乱と緊張が、肉体的には、内臓緊張、筋肉緊張、脳緊張となって現れるものをいう。例えば、ヒステリー、神経衰弱、妄想症状、恐怖症、躁鬱症等等である。』-ヨガ導師講義より

 ことの他避けて通れないこととして、性がある。性エネルギーは感情にも生理作用にも変化して心理を乱す。調えるには四国巡礼にヒントがある・・・・・。

青春の宝物

理事長 内田里枝

 高校を卒業して私は本当は美術大学に行きたかった。しかしあの当時「女は花嫁修業、大学なんか行くより洋裁でも習った方が良い」という祖父の意見もあり、私の大学行きは断念された。しかしこんな田舎の封建的な家にいてはどうにもならんと判断し、親せきの洋裁学校の先生の助言もあって、東京の洋裁学校にいくことになったのだ。洋裁を勉強するならデザイナーになりたいと思っていた。

 東京は文化の中心、何でも手に入る。ファッションショー、音楽会、歌舞伎、能、クラシックバレー、私の好奇心は高まっていった。体中にアンテナを張り巡らせて新宿の町を毎日飛ぶように歩いた。見るもの聞くもの、今こんなのが流行、こんな新しいのが出た。すべてをチェックするのが私の日課だった。

 家から生活費が送られてくるとまず私は服を買いに行った。その服を着て次の日学校に行くと、担任の先生が「皆さん金原(旧姓)さんをごらんなさい。あれが今年流行の服です。」そんな私だった。だからお金はすぐなくなってしまう。1日1食しか食べられなくて病気になったこともある。だから実家に帰った時はよく先にお米やインスタントラーメンを送っておいたものだ。

 東京へ行って先輩がまず連れて行ってくれた所が歌声喫茶だった。新宿にある「カチューシャ」、楽しかった。歌手の卵がいっぱい集まっていて、アコーディオンを弾くおじさんが「○○ちゃん出てらっしゃい!!」というと彼が皆の前に出て美声をふるう。ロシア民謡、カンツォーネ、オペラ等、私たちもいっしょに歌った。「かんぱいの歌」や「しゃれこうべの歌」等、とても懐かしい。

 私は東京に行ったらフラメンコダンスをやろうと思っていた。しかしある人から「フラメンコなんて日本人じゃ無理だ。スペインに生まれて小さい時からそのリズムが体に染みついていなければ踊れるものではない」なんて言われてしまってアッサリあきらめてしまった。あの当時からやっていれば今頃相当うまくなっていたと思うが……。元来踊ることが好きな私はソーシャルダンスに夢中になった。毎日のようにクタクタになるまで踊っていたのを思い出す。

 そしてあの当時はグループサウンズの全盛時代でもあった。毎日新しいグループが出来ていた。私も友人に連れられてよくゴーゴー喫茶(今でいうディスコ)に行った。ガンガン鳴り響く音、狭い部屋に若者がいも洗いのようにひしめいて音楽に合わせて体をゆすっていた。しかし通ううちにイモ(田舎人)が行く店と通が行く店とがわかってきて、ナマイキにも私は通が行くという店に当時としては500円もの大金を払って通っていた。そこは生バンドではないが、イギリス直輸入の最先端のレコードがあり、最先端のステップがあった。

 前の方でジャニーズのようなイケメンのお兄ちゃん達がカッコ良く踊っていた。最初は後ろの方にいるが、何回も通っているうちに前の方で踊れるようになる。何十人もの若者がいっせいに同じステップを踏むのはチョッとした光景だった。

 クリスマスが近い頃にはアルバイトもした。デパートの洋品売り場の寸法直しである。1日千円と交通費を出してくれるというのはあの頃としては悪くない話だった。地下3Fが仕事場で、毎日クリスマスソングを聞きながらミシンを踏んだり、アイロンをペタペタ当てたり、仕事は結構楽しかった。この現場で学んだこともたくさんある。10日ほどで1万円の収入になった。生まれて初めて働いて得たお金だった。交通費は歩いて通えたのでかからなかったが、一番遠い所から通っているとウソついていただいた何千円かの交通費は、お世話になっていた友人に御礼としてあげた。寮ではアルバイトもできないのでアルバイト中は友達のアパートに転がり込んでいたのだ。

 年末実家に帰った時、仏壇に1万円のアルバイトのお金を上げたら家族は皆ビックリしていた。お金を使わずに持って帰るなんて誰も考えられなかったらしい。

 そんなこんなで私の青春はキラキラ輝いていた。そんな青春があったからこそ、今じっくりと福祉の仕事ができているのかもしれない。あの2年間は私の宝物、大事な大事な宝石なのである。

行事報告 平成28年1月~3月

1月

1/1 (金)初詣(駒形神社)、新春カルタ大会
1/2 (土)金光寺お詣り
1/3 (日)砥鹿神社初詣
1/9 (土)呼吸サークル(文化会館)
1/11(月)誕生会、春子さん送別会(ステーキガスト)
1/23(土)太鼓の練習(さくらピア)
1/30(土)「ブリリアント」慰問(豊橋ケアセンター)
1/31(日)曽我先生カウンセリング

2月

2/3 (水)節分、恵方巻き作り、豆まき
2/6 (土)カラオケ作り(駒形公民館)、呼吸サークル(文化会館)
2/11(木)誕生日会(曽我先生)
2/20(土)太鼓の練習(さくらピア)
2/24(水)岩瀬さん体験入寮
2/27(土)「ブリリアント」慰問(グループホームたけのこ)
2/28(日)曽我先生勉強会、カウンセリング

3月

3/3 (木)ひな祭り
3/5 (土)梅見(向山梅園)、呼吸サークル(文化会館)
3/6 (日)駒形神社掃除
3/12(土)畑の仕事、「ブリリアント」慰問(田原福寿園)
3/19(土)太鼓の練習(さくらピア)
3/24(木)こころの健康フェスティバル会議(東三河県庁)
3/27(日)曽我先生勉強会、ふれあい講演会(カリオンビル)、カウンセリング

ブリリアントにご協力いただいた方々

北川藤良様、鋤本恵美様、澤田竜弥様、杉浦依和夫様、曽我洋秀様、佐溝力様、菅谷君男様、立岩清様、ふれあい様、金原康純様、豊橋善意銀行様、カリオンビル様、豊橋市社会福祉協議会様、東海有機(株)


ブリリアントにご寄付下さった方々

レスポワール様、北川藤良様、大橋温様、七森尚代様、立岩清様、兵藤昇様、藤井武弘様、大橋善孝様、鋤本恵美様、佐羽尾様、山口京子様、曽我洋秀様、伊藤洋様、石川道子様、鈴木和子様、金原光昭様、河合きほ様、河合邦明様、豊田愛里様、平尾清様、グループホームたけのこ様、ピュアオフィス矢車草様、豊橋善意銀行様、豊橋市社会福祉協議会様、東海有機(株)

いろいろとご協力、ご支援ありがとうございました。

毎週木曜日の夜6時30分から、「お話し会」を行っております。どなたでも参加できますのでどうぞお気軽にお越し下さい。

編集後記

 今日犬のジェニーと散歩に行ったら、ブリリアントのすぐ西の駒形神社の桜が一輪咲いていて嬉しくなりました。この機関誌が皆様の手元に着く頃には桜は満開を過ぎてもう散っているでしょうか?

伊藤 剛

 今年一番寒かった日に、すぐには復旧できないほどの停電でドライヤーが使えないときに、髪の毛を洗っていたら、風邪を引いたかもしれません。

兵藤なつき

 裏の畑の脇にあるサクランボの桜が満開に咲いていました。毎年網をかけてサクランボの成るのを楽しみにしているのですが、どうしても小鳥が来て食べられてしまいます。今年はどうなるでしょうか?

内田里枝
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