レッツ ブリリアント 2016/01 第63号

発行者
精神障碍者社会復帰施設
特定非営利活動法人(NPO法人)ブリリアント 施設長 内田 貴士

住所 〒 441-8145 豊橋市駒形町字坂口56番地
TEL 0532-46-0033
FAX 0532-46-0163

URL http://brilliant-gh.sakura.ne.jp/

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平成28年1月20日発行

明けましておめでとうございます
   今年もよろしくお願い申し上げます

施設長 内田貴士

 ブリリアントのお正月は、新春カルタ大会から始まります。夕食のおせちをいただいたあと、リラックスルームでのカルタ大会、ホットカーペットの上で丸く輪になって行います。理事長が毎年歌を読む係です。

「田子の浦に打ち出でて見れば真白にぞ」「ハイッ!!」「富士の高嶺に雪は降りつつ」有名な歌は上の句を読めばすぐに取れますが、ホトンドが下の句を読み切らないと取れません。ワーワー言いながら今年は誰が一番多くとれたか、高さを比べ合います。百人一首が終わると次は「ぼうずめくり」です。姫が出るともらえますが坊主が出ると持っている札を全部出さなければなりません。たくさん札が集まっても、最後に坊主が出てしまえば何もナシです。最後まで勝負がわからない所がおもしろいです。これは何回やってもあきがこないので不思議です。こうして皆子供に帰って大笑いします。家族が多いっていいですね!!ブリリアントの正月は楽しいです!

安心

曽我洋秀(世話人)

 明けましておめでとうございます。毎年末のお話し会では、来年の目標として色紙に言葉を書いて頂いて発表してもらいます。正月早々に高校の同級生から電話を頂き40分程話しました。ちょうど1956年生まれなので60歳になり「還暦」で同窓会が開かれるけど最近は集まりが悪いので、いつも来ない人を連れてこようって言う話しになって、彼は米子市に在住で名古屋の同級生を車で拾って、ついでに私を拾って行くから、おまえも誰か勧誘しろと言うものでした。

高校時代は男女共学の全寮制のミッションスクールで、彼は2年生後期私が寮長を務め彼には、副寮長をお願いした仲です。電話で話しているうちに彼がおまえも変わらんなーって言われましたが、この頃から良い加減に生きているから変わらんと返事をしました。この頃から何の為に生まれて来たのか、どのように生きるのかと言う問いを持って来ましたから、最近答えが出たように思います。

 話しは変わりますが、3代にわたって治療を受けて頂いていて、昨年社長に就任された方から、「社長としてどうしたら良いか」と言われ、答えとして時間のある限り社員全員と面談することが大切だと答えました。彼の素晴らしいところは就任してすぐ面談を始められたことでしょう。今年末挨拶を受けた時、下期は売上が伸びたと言われ、今迄は社員や役員を管理することが会社を経営することだと思われたが、社員とコミュニケーションを取る事と安心を与えることが社長の務めだとわかったとおっしゃっていました。

 やはり精神障碍者や引きこもりの人の自立支援をさせて頂いて分かることは、子供の頃から不安を与えられ、その中で安定してしまっている事です。

 今年も私の仕事として安らかな心を傾けることができるようにしてまいりたいと願います。そして皆様方の暖かいご支援をお願い申し上げます。ありがとうございました。

機関誌レッツ・ブリリアントができるまで

伊藤 剛(寮生53歳)

 今回は、この機関誌レッツ・ブリリアントがどうやってできるかをご紹介します。まず、原稿ですが、パソコンのワープロで書く寮生と、手書きの寮生がいます。また施設長の内田貴士さんと、世話人の内田里枝さんは手書きです。手書きの原稿は、編集委員である兵藤さんと伊藤が手分けをしてワープロで清書します。さらに、支援者の方々から、電子メールでいただく原稿もあります。これらの原稿は、最終的にワープロソフトで編集し、体裁を整えて印刷されます。

 原稿の印刷が終わると、里枝さんがイラストの本の中から適当な絵を選んで、原稿の余白に配置していきます。イラストは、施設長の奥さん、一恵さんが手書きしたり、支援者の高井さんから郵便で送られてくるものもあります。写真を入れたい時は、デジカメの画像を加工してから写真用紙に印刷し、それを貼り付けます。これにページ番号を貼り付けて原稿の完成です。

 完成した原稿は、印刷用紙と共にカリオンビル内にある豊橋市民センターに持ち込まれ、白黒印刷を行います。かなりの枚数を印刷するので、市民センターさんには本当にお世話になっております。印刷は里枝さんが主に担当しています。印刷が終わると、ブリリアントに持ち帰って寮生全員と世話人さんとで夜なべ仕事で製本を行います。テーブルの上に順番に並べたばらばらの機関誌を、順番に手で取って重ねる人、それを受け取ってホチキス留めする人、流れ作業で出来上がって行きます。発行部数約600部を製本するのにだいたい2時間半ぐらいかかります。このごろは寮生も作業に慣れてきて、だいぶ手際がよくなりました。作業が終わるとジュースとお茶菓子が出て、みんなが楽しみにしている団欒の時間です。

 次の夜は、封筒の宛名印刷と機関誌の封筒詰めです。宛名印刷はパソコンで出来るのでとても楽になりました。時間はそれなりにかかりますが、手書きよりははるかに楽で早く正確です。この時、後納郵便のマークも同時に印刷します。機関誌は三つ折りにして送り状と共に封筒に詰め、セロテープ係の人が封をします。封筒に入った機関誌は、愛知県内と県外とに行き先で分けて、郵便局の人に集荷してもらいます。ここまで出来るとまたお茶の時間です。

 ワープロの原稿は、パソコンで少々加工するとホームページの原稿になるのでそれをインターネットで読めるようにすると新聞作りの作業は全て終了です。

 皆様から時々いただく機関誌への感想が、寮生にとってはとてもうれしく、次回への励みになります。どうぞ感想をお寄せください。ブリリアント一同心からお待ちしております。

ブリリアント祭り

兵藤なつき(寮生30歳)

 なぜ私がブリリアント祭りについてひたむきになったか、まずはそこから始まりました。

 昨年の8月あたりにNHKのど自慢を奥さんが見ていて、私も一緒に見ていて、その時でした。女性の出場者でキロロの「未来へ」を歌っているところを奥さんは、オーラを感じたのか、私に「今度のブリリアント祭りで歌ってみりん。若菜荘に向けての慰問の練習が終わったらカラオケでどのくらい上手に歌えるか試してみりん」と勧めてきました。私はまだピンときませんでしたが、奥さんの方針に任せました。

 実力で歌いました。しかし奥さんから「何その歌?それで通れると思っているんだ。」と評価を受けました。私は奥さんからバカにされたり侮辱されたように感じて受け取って悲しくなりました。機嫌も悪くなりました。次の日を迎えてもヤケをしたくなるくらいに。奥さんが「せっかくなっちゃんに良い所を伸ばさせてあげたいのに、私の言うことに従わなかったら、私は教え甲斐を無くしちゃう」と嘆いても。

 私は機嫌が悪くなったり状態がおかしくなったりすると言うことを聞きたくなくなるし、奥さんの言っていることが通じなくなります。直る時期が来なかったり、逃したり、潰しちゃうと。心境も変えないと。これまでこんなことさらけ出さなかったけど。出したほうが親切になるのかな?読んでいる人にとって。

 いつの間にか私は、奥さんにメールで「私が愚かでした。」と伝えました。認めたくなかったら、私は苦しんだかもしれません。そこから「未来へ」が入っているCDをパソコンに取り込み、マイクロSDにコピー・貼り付けして携帯電話に挿入して、そんなに急がなくてもいいけど、できそうな時期に再生して、聴いて歌い込んで、つつじ荘の慰問で、祭りのリハーサルといった形でお年寄りの人達に披露しました。

 和太鼓も休憩時間を利用して自主練習に励んだり、コーラス曲「あの素晴らしい愛をもう一度」の振り付けも朝散歩をしながら練習も急にやりたくなってやってました。

 本番を迎えられるかどうかわからなかったけど、練習をやっておいて損なことは、ありませんでした。

 大した病気やケガにかからないように自分に注意をしたから、祭り前日と当日の準備の時も。だからブリリアント祭りに参加できたのかもしれません。

キロロの「未来へ」

キロロの「未来へ」

 私は、参加者や支援者の人たちとは、後の世代に生まれた人間なので、懐かしのものがよくわからなかったけど、「勉強になります!」と声をあげたことで、うらやましさや悲しさや情けなさが断ち切れて爽やかな心でブリリアント祭りが楽しめたような気がします。あいにく天気はふるわなかったりなっちゃんコーナーも出せなかったものの、おかげで祭りが成功したように思えます。

今年の目標

白井千雄(寮生71歳)

 今年の目標は、ありがとうと言われるように、言うように。一年を通して頑張ります。昨年は豆のクレオパトラが多く収穫できました。畑で作ったニンニクを発酵させて食べたら甘くて美味しかったので今年も栽培しています。他の作物も丹精込めて作りたいと思います。春先にはアスパラガスの収穫が楽しみです。

私の素直な心

藤田一夫(寮生66歳)

 もうじき私の父が亡くなった年齢に近づいた歳になってきました。その当時それにしても死ぬには早いなぁと思っていたのですけど今思うとお父さんにとってそのほうが幸せだったのかと思うようになりました。亡くなる少し前に父が蒲郡温泉に行こうと言うように言いました。蒲郡温泉は食事はないのですけど大勢の人が温泉に来ていつ来ても満員でした。もしかして私の父は生みの親ではないと思うようになりました。私の父は顔がよく似た三浦雄一郎ではないかと思っています。それについてはあまりふれない方が良いと思います。そういうことを含めて父を尊敬しています。母もです。今思うと母にとって親不孝な息子だったかもしれません。私の小さい時いつでも私のそばにいました。そして父はその逆で仕事と言っていつも出稼ぎと言って家にいませんでした。そのせいか父と遊んだ思い出が少なかった様に思います。ある日父に野球のグローブをねだった時が有りました。スポーツ店に行きグローブを買ってくれた時が有りました。そのグローブは指が六つもあったのでした。その時は何も知らずに私の同級生から指が六つあると言われてからかわれていました。この時思いました。私も意味も知らずに多数の人が言うのが正解だとそれが違っていたと思うようになったのは20歳になった時でした。少数意見が正しいということもあるのだと私自身も普通の人と違うんだといつも恵まれていて心は満たされていました。幸せでした。私の家は貧乏でしたけど大変幸せでした。当時の私の性格は素直で何でも「はい」と言う子だったと思います。その方が幸せだったからです。今思うと両親も幸せだったのではなかったのではないでしょうかと思うようになりました。私のおじいさんもお父さんも私同様チャレンジャーだったのです。これからも小さい時の素直な心を忘れずに生きていきたいと思います。

ブリリアントのクリスマス会(感謝祭)

理事長 内田里枝

 ブリリアント祭りが終わり、ホット一息つくともうクリスマス会。一年間ブリリアントを支えてくださった地域の皆様、支援者の方々、またボランティアの人達に感謝とお礼の気持ちを込めて行う行事である。

 一人でも多くの方々に来ていただきたい、喜んでいただきたいと、寮生も私も朝から会場作りやごちそう作りに大わらわ。

 ごちそうの定番はサラダ寿司。毎年これが楽しみで来て下さる方も多い。あとは息子の出番でウズラの焼き鳥、フランクフルト、フライドポテト、揚げたこ焼き等々…。チョッと変わりダネは、今年は鴨汁が登場した。焼鳥屋さんにいただいたとかで、息子が毎晩鴨の毛をむしっていた。(これが固くてなかなかの骨折りだった)小さい鉄砲の弾が肉のアチコチに入っているとかで、当日肉を細かくきざむのに苦戦した。私も鴨の肉は初めてだったが何とかタイ料理のトムヤンクン風に仕上がった。

 夕方5:30お客様がゾロゾロとお見えになった。まず受付でクリスマスの変装グッズを渡される。サンタの帽子もあればトナカイのつのもあればチョンマゲスタイルのかつらもある。それぞれ好みのものをかぶり、席に着いていただく。

 施設長のあいさつ:「実は今日の料理の鴨汁の肉の中にひょっとして鉄砲の弾が入っているかもしれません。入っていた人は当たりが出たと喜んで下さい。」

 曽我先生の乾杯の音頭でパーティーがスタートした。バイキング形式なのでそれぞれ好きな料理を取りに行く。この日、寮生達は接待する側なので、ワンテンポ遅れてのスタート。結構家族連れで来て下さった人達が多く、小さい子ども達のはしゃぎまわる声がアチコチから聞こえ、とても賑やかなパーティーとなった。私の孫も遊んでいただいて皆に負けじと飛び回っていた。

 ひとしきりごちそうを食べ、お腹がふくれた頃、寮生達のクリスマスソングが始まった。会場のお客様もいっしょに歌って下さり、パーティーもいよいよ盛り上がってきた。

 次は佐溝力さんの詩の朗読、クリスマスにふさわしいおごそかな気分を皆味わった。そして北河さんのすばらしいハーモニカ演奏。お年寄りから子供まで喜ばれる歌を次々と演奏して下さり、会場のお客様も大きな声で歌っていた。その後はハーモニカとゲーム体操(グーチョキパー)のコラボで、皆幼い子供の頃に帰って大笑いしながら遊んだ。

 最後の出し物は、善意銀行さんから毎年来ていただいている矢田さんのマジックショーだ。毎年お願いしているのに同じ手品は無く、いつも感心する。聞いてみると矢田さんは部屋中マジックの小道具でいっぱいなんだって。

 楽しい時間はアッという間に過ぎ去り、最後のビンゴゲームになった。司会も担当している寮生の剛君が数字を読み上げるたびに“ワー”とか“アー”とか声が上がり、そして「リーチ!」「ビンゴーッ!!」の声がアチコチから飛んできた。「おめでとうございます!!」ビンゴになった人から舞台の前に飾られた商品を持って行く。早い者勝ちだ。ため息と興奮のうちにパーティも終わりの時を迎えた。おまちかねのケーキタイム。

 その前に、クリスチャンでもある曽我先生からクリスマスのお説教があり、聖書を読んで下さった。聖書を聞き、清らかな心になった所でクリスマスケーキのろうそくに火が灯された。

 北河さんのハーモニカの伴奏で、皆できよしこの夜を合唱した。ケーキもおいしかったが、皆が喜んでくださっている顔が何よりのごほうびだった。残っている料理はお客様のおみやげとなった。「また来年もよろしくお願いいたします。」心の中で私はそう念じつつ、昨年最後の行事を締めくくった。

生きる

岡本貴広(寮生53歳)

 去年、母親が脳梗塞で倒れ、死ということを最近四六時中考えています。幼い頃の思い出や青年期、結婚をし孫が生まれた時喜んでくれたことなど、幸せなことだけが思い出されます。約5年施設に入居していて年齢も85歳になる宿命といえばしかたがありませんが、一日でも長く生きてほしいものです。

江戸の粋な生活

杉浦 依和夫(ヨガ講師 六十代)

 地球温暖化や有機農法なる言葉が言われるようになって久しいですが、この二つのキーワードは食育、食事養生論に切り離せない。食からの健康には昔ながらの生活法が自然に近く、今の不自然生活よりよい。文化生活イコール不自然生活のかで、どういうふうに自然生活を取り入れていくかも健康への道でもあると思っている。

 江戸が十八世紀初頭には百万人の人口を擁する世界最大の都市であったのはよく知られているところだ。捕り物時代劇を見るような段ビラを振り回すようなものでなく、きわめて快適な社会を築いたためであるという。その理由は、食糧の安定的供給などであるが、一番は公衆衛生のレベルの高さであった。そのときには江戸は水道システムがあって、井戸の水は水道から汲み上げるものであったというから、驚きである。

 大都市の衛生上の問題は厖大な糞尿の処理である。これぞ日本が誇る循環型の走りで、農村に運び肥料にしていたのだ。

 そして今の時代、「低炭素社会」あるいは「循環型社会」に突入した。その社会型の見本として「江戸」が研究対象となっているのも頷ける。今でもブランド野菜である「練馬大根や小松菜」が豊富に作られたのも下肥が確保できたからであるという。

 余談であるが、栄養価の高いものを食べていた武家の糞尿は高価で取引されていたらしい。現代での健康食にも通じる粗食論から、美食や喰いすぎは、栄養を無駄に吐き出すばかり、本当に己の胃を肥溜めのカメにするばかりだ。

 「三里四方」という言葉は、半径三里の間で栽培された野菜を食べていれば、健康で長寿でいられることを意味します。

 身土不二とは、食事養生論から出た言葉だろうが何方が申したか出所は知らないが、己の身体も土地と切り離せない。我々はとどのつまり土の化け物である。野菜・野草が土の栄養分を吸収し、それを頂く、そして家畜がその野草を喰い、その家畜を我らは食す、海のものも陸の栄養を負うところがあるわけであるからどこまでいっても土の化身である。食事養生論では半径30キロメートル以内を基本とし、嗜好品などは60キロ以内がよいとしている。勿論、路地物限定でハウス物は論外である。しかし昨今は、遠い海外から野菜・果物をはじめ嗜好品も氾濫している。また、異国の土地に住みながら日本の食を取り寄せて食べるのもまた考えものだ。

 であるが、その環境で食べても己に適した食べ方調理があるものである。

行事報告 平成27年10月~12月

10月

10/3 (土)佐溝コレクション好奇心ツアー、呼吸サークル(文化会館)
10/10(土)畑の仕事、ブリリアント慰問(つつじ荘)
10/12(月)ガン講演会(公会堂)
10/17(土)畑の仕事、豊橋祭り、総踊り
10/18(日)豊橋祭り
10/20(火)太鼓の練習(さくらピア)
10/24(土)畑の仕事
10/25(日)ゴミ0運動
10/27(火)太鼓の練習(さくらピア)
10/31(土)畑の仕事、駒形神社お庭草

11月

11/1 (日)駒形神社秋祭り もち投げ・甘酒、曽我先生カウンセリング
11/8 (日)ブリリアント祭り(駒形公民館)
11/10(火)太鼓の練習(さくらピア)
11/14(土)畑の仕事
11/15(日)防災訓練(磯辺小)
11/18(水)保健所から見学ツアー11人
11/21(土)畑の仕事、避難訓練(ブリリアント)、呼吸サークル(文化会館)
11/29(日)曽我先生カウンセリング

12月

12/5 (土)畑の仕事、呼吸サークル(文化会館)
12/6 (日)駒形神社下草刈り、ふれあい講演会(カリオンビル)
12/12(土)感謝祭・クリスマス会(駒形公民館)
12/13(日)秋葉様もち投げ
12/19(土)畑の仕事
12/26(土)佐溝コレクション(蒲郡)
12/27(日)曽我先生カウンセリング
12/29(火)大掃除
12/31(木)駒形神社初詣・甘酒

ブリリアントにご協力いただいた方々

阿久津健一郎様、阿久津サト様、中島勝美様、長尾喜吉様、太田英子様、北川藤良様、稲村絹代様、管辺衣里様、鋤本恵美様、鈴木みどり様、柴田百合子様、北河重春様、大橋善孝様、大村守様、瀬尾正幸様、北島康成様、田中操様、森下昌洪様、井上浩様、山口京子様、澤田竜弥様、杉浦依和夫様、曽我洋秀様、佐溝力様、菅谷君男様、立岩清様、森下昌洪様、金原康純様、矢田栄次郎様、サルビア様、横山様、國澤様、ポケットの皆様、希望様、ふれあい様、豊橋善意銀行様、カリオンビル様、豊橋市社会福祉協議会様、東海有機(株)


ブリリアントにご寄付下さった方々

金原博昭様、たけのこ様、山本小夜子様、レスポワール様、北川藤良様、木下真男様、大橋温様、伊東信子様、七森尚代様、國澤様、梁川美根子様、立岩清様、井上浩様、田中操様、大沢良江様、鈴木静子様、山本良美様、森芙佐子様、中西寿彦様、兵藤昇様、白井順子様、藤井武弘様、ふれあい様、大橋善孝様、大須賀良子様、鋤本恵美様、大石郁子様、内田佳伸様、佐羽尾様、山口京子様、圓山高大様、稲村絹代様、曽我洋秀様、ウララ様、伊藤洋様、安間道貞様、山口勝代様、金原裕樹様、黒木武秀様、太郎串様、ピュアオフィス矢車草様、豊橋善意銀行様、豊橋市社会福祉協議会様、東海有機(株)


いろいろとご協力、ご支援ありがとうございました。

毎週木曜日の夜6時30分から、「お話し会」を行っております。どなたでも参加できますのでどうぞお気軽にお越し下さい。

編集後記

 初詣で豊川市の砥鹿神社(とがじんじゃ)へ行ったら、居合道の演武を見ることができました。テレビでは見たことがあるのですが、生で見るのは初めてだったので、新春から身の引き締まる思いでした。

伊藤 剛

 今年の元旦に高塚農場から富士山を眺めることが出来ました。良い年始めを切れたような気がします。

兵藤なつき
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