レッツ ブリリアント 2015/10 第62号

発行者
精神障碍者社会復帰施設
特定非営利活動法人(NPO法人)ブリリアント 施設長 内田 貴士

住所 〒 441-8145 豊橋市駒形町字坂口56番地
TEL 0532-46-0033
FAX 0532-46-0163

URL http://brilliant-gh.sakura.ne.jp/

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平成27年10月10日発行

第22回ブリリアント祭り 11月8日(日)

施設長 内田貴士

 今年もブリリアント祭りが近づいてまいりました。

毎年雨にたたられ、野外コンサートが出来ない状態が続いています。今年もわかりませんが、お祭りは盛大に行う予定です。

 和太鼓演奏やスターダストの合唱・ソロ、詩の朗読、オカリナ演奏、フラメンコギター、フラメンコダンス、シャンソンなど楽しい出し物がいっぱいです。

 模擬店ではウズラの焼き鳥の他、おいしいものをいろいろ取り揃えて皆様をお待ちしております。又フリーマーケットも予定しています。毎年好評のウズラの卵まきを今年も行いますので皆様ぜひ一人でも多くのお友達をお誘いしてお越し下さいますようお願い申し上げます。

他人の意見を聞かない人

曽我洋秀(世話人)

 この原稿を先週頼まれて、読み直している本がある。精神科医 片田珠美の今年3月に出版された、「他人の意見を聞かない人」である。

 他人の意見を聞かない人がいて困る、という話を最近耳にすることが多い。そういう人が私自身の周囲にもいて閉口したことがあるのだが、最近その真骨頂ではないかと思えるような人物を目にした。我が国の安倍晋三首相である。

安倍首相は、2014年11月に衆議院を解散した後、選挙戦の間中「この道しかない」とアベノミクスの正しさを訴え続けた。おまけに、某テレビ番組に出演した際、「景気回復の実感」に関して、「景気がよくなったとは思わない」「全然アベノミクスは感じてない」といった街の声がVTRで紹介されると、「おかしいじゃないですか」とまくしたてた。・・・「はじめに」から引用

 この時は余り気にもしていなかったが、最近になって皆さんご承知のように、安全保障関連法の裁決であります。又しても安倍首相の暴走である。

 普段、精神や引きこもりの人たちと接することが多いので、妄想や強迫観念を抱いているせいで他人の意見を聞けず、様々な症状や問題行動が出現している人を見かけます。

 3月頃あった相談を思い出します。何故か夫婦の関係が上手くいかない。良く聞いて見ると、他人の意見を聞かずに全てにおいて自分を押しつけてくる、という訴えで何かの病気ではないかと言うダンナさんとその家族の相談でした。先ず其れは病気ではなく性格の問題であると説明しました。その答えとして片田珠美の「プライドが高くて迷惑な人」を読むように勧めました。

他人の意見を聞かない、自己中心的な人が増えている。職場や家族の中で、なぜ自分の都合ばかり押し通す人が増えているのか。「自分の意見が正しい」と思い込んでいる人の精神構造を分析し、対処方法を探っていく。其れが一番の処世術と思われます。

 いつも患者さんに言うのは病気と闘うのではなく、上手く付き合って行くことだと説明します。ガンでも標準治療を受けたくない。鬱も薬を止めたいという相談などがあります。

クオリティーオブライフを良くすることが一番の条件だと思われます。その為に勉強会を開いて8年になりますが、自分自身を知ることが大切です。ありがとうございました。

高ちゃん、二歳になりました!

伊藤 剛(寮生53歳)

 施設長さんの息子さん、内田高太郎君が、9月8日で満二歳になりました。お誕生日祝いは、9月26日にケーキを食べました。

高ちゃん、二歳になりました!

高ちゃん、二歳になりました!

最近の高ちゃんは、プラスチックでできた野菜の形をしたオモチャと、鍋とフライパンとガスレンジのオモチャで料理ごっこをするのがお気に入りです。フライパンをガスレンジにかけて、そこに野菜を入れます。ナス、白菜、トウガラシ、ピーマン、などを入れてフタをします。フタをするのが高ちゃんは大好きなのです。フタをしたら、戸棚の扉を開け、フライパンを中に入れて、扉を閉めます。僕が、「ブーンブーン、チーン!」というと、高ちゃんは扉を開けて、フライパンを取り出します。その時高ちゃんは、「アッチッチ」と言いました。それを見て、僕と奥さんは大笑いをしてしまいました。大人が電子レンジを使うところを本当によく見ていて、観察しているものだと感心しました。

 また、食後のみんなのラジオ体操の時間には、僕たちのやるところを見てすぐにまねして、高ちゃんなりの体操をやっています。得意なのは、肩をすくめてからストンと落とす脱力の体操です。さらに、スクワットもまねして出来るようになりました。

 高ちゃんのボキャブラリーは、日増しに増えています。ナイナイ(片付け)、ブウブ(お風呂)、カタイ(外れない)、ペッタン(マグネットクリップ)、などなど。大人の言うことを聞いて、すぐさま口に出します。来年の誕生日の頃は、どんなにおしゃべりになっていることでしょう。今からとても楽しみです。


【精神障碍者は社会の迷惑か?】

犀星陽気(精神障碍者)

 かつて心ない言葉をかけられて猛烈な怒りを感じたことがある。

精神科でもらう薬が体に合わなくてろれつが回らなくなる時があった時だ。

何年続いたか?何年何ヶ月で治ったのか?もう思い出すこともできないほど昔の話になる。

 まず、副作用を抑えるクスリを飲んでさえいるのに

「何をしゃべっているか?まずわからない。だから相手は非常に同情したり、困惑したりする」

 まるで日本に観光にやってきた「片言の日本語しか話せない」外国人が日本のどこかにやってきて、接客している人がなんだなんだ?と困惑するかのようだ。

 あるいは、ちょうど酔っ払って普段しゃべる言葉遣いがまるで聞き取りづらく、言っている本人もこんな言葉遣いでは意思の疎通を図るのは難しいと外国人だって自覚はしている。

 私は音楽教室に通い、歌のレッスンを受けていた。

「舌を動かすには、相手に何を歌っているのかちゃんと分かってもらうためには?」

 どのような舌の訓練をすればよいのか?

 先生は聴き手に聞き取りやすく歌えるように最大限の配慮で母音と子音と日本語をどのように発音すればよいのか等優しい気持ちを加えながら私に教えてくれていたのだ。

 そんな私の趣味すら知らない私の知人がいた。知ったかぶりの知人は私がうまく話せないのを聞いたので彼なりの親切心で、北原白秋の作った詩を朗読する「発音練習」の本を携えて私に訓練するように勧めてくれた。よく演劇部でびっくりするくらいの大きな声で声をだす「あれ」である。学生時代あの練習を聞くと実に奇妙な気持ちになった。あ・え・いう・えお・あお・か・け・き・く・けこ・かこという「あの練習」である。

 決して親切な気持ちを持ち合わせる私の知人が、当時の私のしゃべり方に気の毒な気持ちになったのだろう。今思えば彼なりの配慮に感謝こそすべきだったのかもしれない。

 しかし知人は酔っ払っているのか私にこう目の前で、私の滑舌悪い様子を、

「そんなしゃべり方は社会の迷惑になるぞ!」

この言い方には正直驚いた。私と付き合いの長い知人の言葉とは信じられないほど耳を疑い、怒りが湧いた。

 私が心の病気にかかっていたことはすでに話してある。そして私が何をしゃべっているかわからない原因はおそらく薬の副作用であることも知っている。それでいて彼は私のしゃべり方が「社会の迷惑」と言い放った。

 歌の教室で懇切丁寧に指導してくださった先生。毎週のようにレッスンを受けていた私でも一向に滑舌の悪い様子は改善していかないのだ。そんなことできやしなかった。くも膜下出血で倒れた言語療法士にかかろうとしたり、保健所にどうしたら、この気の毒なしゃべり方を克服できるのか救いを求めてさえいた。

 私の周りの人たちは、あれこれ私がどうしたらかつてのような「普通の滑舌」を取り戻す方法を調べてくれさえいたのだ。なお、現在のところ私は北原白秋の詩を毎日練習する必要すらない。

 さらに歌のレッスンで受けた母音と子音の発音練習をすることもなければ、アナウンサーが毎日欠かさず行う発音練習すらしなくても、普段しゃべっている人と変わらず、むしろ他の人が早口言葉で舌を噛むような複雑な発声すらできるようになる。

 薬の副作用であることも原因ではあっただろう。体に負担になる精神科のクスリも、ストレス次第では毒にもクスリにもなる。

一般的な日常風景のある場面。大量の処方を与えられた精神障碍者が話している様子を耳にして、なるほど「精神障碍者らしい」と思う場面も多いだろう。

逆に「この人が精神障碍者なんて?まるで分からない?」そういう場合も多い。

人は見かけによらぬものかもしれない。私も精神障碍者らしくて、何をしゃべっているか聞き取れず、「昼間から酔っ払っているような滑舌の悪い状態」はいつ再発するかサッパリ分からない。

 私に「アエイウエオアオ、カケキクケコカコ。ナネニヌネノナノ何度に滑って何ぬめる?」などと勧めた知人。

 今ならその知人以上にはっきりと話すことができるようになりさえするから不思議なものだ。何がきっかけで薬の副作用が消えたのかも分からない。お前の今の様子は「クスリをもらい服用し療養しているだけであろうと『社会の迷惑』になる存在なんだぞ!」そう酔っ払って言い放ったあの知人の無神経さを一生恨むだろう。それは私の心には劇薬となって作用しているのかもしれないが…。

精神科で処方されるクスリで副作用のないものなんてない。ただし、副作用の出方には個人によりマチマチだ。私は一生クスリを飲むことになっていて、精神障碍が改善する劇的に心の病気を全快させてくれるような魔法のクスリさえ今のところ存在しない。しかしこれだけは言っておきたい。いくら効果のあるクスリを飲んだところで周囲に理解のある人がいるかいないか?でクスリを飲んでも効かない場合もあるのだと。

 それだけで優れたクスリは心の病気を早く回復させてくれるだろう。

思いやる気持ちほど病院でもらえるクスリを効果的に作用させるものはおそらくこの世にはないのではないかと思うようになった。

 私の滑舌の良さの回復を紙面でお伝えできず残念で仕方がない。周囲の人が驚いたほど回復に成功した。それだけは言っておこう。ただし、知人が私を社会の迷惑になるという「言葉の刺(とげ)」だけは、一生抱えて生きていく。

 老いたり、病んだりすることで意思の疎通の測りづらい人たちは、同じ障碍を抱える仲間でもある。

 上から目線で「奇妙な発声をする気の毒な人」とさえ憐れむ場面はまだまだ多いことだろう。むしろ増えていくのかもしれない。

『何が原因でクスリを飲むのか?そしてクスリを飲んで何を治療するのか?』

精神障碍者の周りの人はほとんど意味など分かっていることなどない。わかろうともしない。

 自分の責任で、周囲との人間関係の摩擦でクスリを飲まざるを得なくなったかわいそうな人たちくらいにしか見えていないのかもしれない。そんな人に限って病んだ時に「クスリを処方されたせいなのか?これが自分の滑舌なのか?」

と気がついたその時になって初めて愕然とし、不自由な発声をせざるをえない境遇がどのような心理になるのか?初めて気づくのかもしれない。

障碍者に関して社会の迷惑になるなんていう人に、あなたはどのように感じているのか?ブリリアントにぜひ声を伝えてもらえたらと思う。

日常生活

大石春子(寮生67歳)

 私は毎日(午前中のみ)矢車草へ通っております。日々、消化器内科・整形外科・外科に行っています。(かかっています。)

 毎日平凡な日々を送っております。いずれ寮を出なければなりません。

 今回はあまり書くことがありません。体調があまり良くありませんので元気を出して暮らします。

避難所生活を体験して

兵藤なつき(寮生30歳)

 9月19日(土)の夜から20日(日)の朝まで私はさくらピアの行事の避難所体験に参加しました。

 チラシに書いてあった通り開催日時の1ヶ月前から受付が始まり、私は今回の参加はやめて来年以降にしようかな?っていたけど、そんな弱気になってないで思いきって参加しようよ、とても貴重な経験だよ、日にちも近いことだからとの後押しを受けて参加を申し込むことにしました。

 19日(土)。パジャマ・スリッパ・寝袋等を準備して夕食を済ませて付き添いの人とブリリアント号でさくらピアまで向かいました。障がいのある人を持つ家族や健常な人を持つ家族の方々が一斉に集まってました。豊橋市外から来た人もいましたが、名古屋市から参加した人もいました。

 私と世代も境遇も環境も異なる人たちが参加していたので、私から先にコミュニケーションをとるのに戸惑いました。かといって自分を変えれば、私は人の気持ちが察せられなくなるし、踏みにじっちゃうし・・・。何も勉強が出来なくなるし・・・。何も分からないくらいがちょうどいいかもしれません。

 今回もし参加を申し込まなかったら、突然地震や豪雨に見舞われていのちが助かったとき、全くケガをしなかったとき、なにをしていいかわからなくなって現実を受け入れて準備も出来なくなったし、ひるんだり、避難を余儀なくして、大勢の人たちで寝泊まりすることが大きなストレスに感じていたかもしれません。

 やっぱり来年以降も参加を断念したら、それほど覚悟をしていないけど、さっき書いた通りの事態に遭っちゃうのかな?

 今回私はこの「レッツブリリアント」の原稿を書くことにひるんでいました。そうしたら、ブリリアントの世話人さんの内田里枝さんから、「せっかくだから避難所体験のことを書いたら?」と私に提案がありました。私も少しずつ書こうかな?って気持ちが湧きました。内田里枝さんありがとうございました。

ブリリアント菜園

白井千雄(寮生70歳)

 暑い夏が終わり、実りの秋がやって来ました。

 今年の夏野菜は主にトマト・キュウリ・ナスなどでした。台風で柵が倒れてしまったので杭を打って修理をしました。カボチャはフェンスに巻き付いて5~6個実りました。今年のカボチャはひょうたんのような形をしていました。味のほうは美味しかった。スイカはカラスに突かれた最後の一つを皆で食べた。芋は今年マルチを使って紅はるか・安納芋等を作り焼き芋が楽しみです。

私の生きる道

藤田一夫(寮生66歳)

 今年も月日がもう少なくなりました。早いもので死ぬのが近づいて来ます。でも私の人生は、今ふりかえっても幸せでした。どういうわけかいやなことも忘れてしまいます。幸せなことだけが思い出されます。私のいやだなと思うことはたくさんあるんだけど、それと同じか、その後に幸せなことがいつもついてくるのです。私の生まれついた宿命みたいなことがあるかと思います。このままハッピーエンドで終われば良いのですが、まだあきらめていません。夢をあきらめるな、の教えが身にしみて来ます。

鍼灸の作用と効果

杉浦 依和夫(ヨガ講師)

 前回のつづきで恐縮である。

 経絡上で、とくに皮膚上から感知しうる点、刺激を与えやすい点が経穴である。したがって、それは全て筋肉の裏目、骨の陰、関節部、窩状部、腱部などにある神経、血管の幹部に合致したところであるから、手探り、目探りで分かってくる。この経絡と経穴が分かれば、完全な指圧ができるわけで、指頭によって経絡のコリ、あるいは力の抜けたところを探り、コッたところは強く、弱ったところは弱く長く揉み圧することが基本である。これを鍼、灸に応ずる転調作用でもって療法せしめるのである。

 「病気」を治す薬はあっても「病気になりやすい体質」を治す薬は、西洋医学的なものにはないが、その点、鍼・灸のような「転調作用」(体の調子を変える作用)のある療法はよくよく吟味して利用すべきであるが。

①体重の増減 -太りすぎの人が痩せ、痩せた人が太ってくる、
②感情の変化 -憂鬱症、精神の錯乱などが落ち着いてくる、
③不眠症 -自律神経失調症を改善して治ることが多い、
④月経不順 -ホルモン系の失調が回復するために不妊症にもよい、
⑤便通が良くなる作用ほか、
⑥マヒを直す作用では、脳卒中の後遺症、言語障碍などの回復が早く、また顔面神経マヒで特発性のものには鍼がよく効くのである。

 適応症として非常に効果あるもの、かなり効果、やってみてよいもの、対症療法としてやっているものとしているが、やってはいけないものはないといえる。

 この症状にはこのツボ、経絡に作用点としているが、必ずしも効能とはいかないようである。なぜなら、ツボは3000~4000があるといわれ、体表のほとんどがツボで覆われており、その全てが解明されてはいないからである。

 ヨガをはじめ、導引、太極拳などの修養法はそのポーズ・体位を摂る、過程でのツボ刺激が病症療法の眼目である。

 肝臓病を治すポーズは、肝臓の経穴・経絡を刺激し、肝に直接血行を働きかけ圧力をかけるのである。また、顔面神経痛にもいろいろな原因があるが、意外と背中部あり、その部のコリとか、内臓(腎臓・副腎など)にある場合は、そこに刺激をするポーズで治ることもよくあるといえる。ヨガの講演会など伺ったことで、私も教室では参考に指導させていただいている次第です。ただ、鍼灸・指圧の施術を受けたら12時間は入浴・運動は避けるべきである。コリを取った部がコリ、力が抜けたところを締めた部が弛んでしまい効果が消えるからである。

アメリカの友人 キャロルさん

理事長 内田里枝

 キャロルさんとの付き合いは、もうかれこれ30年以上になる。

 息子が小学校1年生の時、英語サークルの人達から旅行のお誘いがあり、シンガポールとマレーシアに家族ぐるみで参加することになった。それには英会話を少し勉強したほうがいいだろうということになり、近所の人が紹介してくれた先生についてレッスンを始めることになった。その先生がキャロルさんである。彼女には生まれたばかりの女の赤ちゃんがあり、その育児の片手間に教えて下さった。御主人は日本デンソーで働く日本人の久保田さんで、彼がアメリカの日本デンソーで働いていた時キャロルさんと知り合い、結婚されたということである。

 キャロルさんとはすぐ友達となりお付き合いが始まった。私たちは月謝を払って英語を習ったが、彼女は私たちと付き合うことでどんどん日本語を覚えていった。たとえば私が電話で「チョッと待ってね!」と言うと、次の時には彼女が「チョッと待って!」を連発していた。そうして無料で日本語をモノにして行った。彼女は私といっしょに友人の家で押し絵を習ったり、和紙の小物を作ったり、日本人より日本人らしい人であった。心も言葉もまっすぐでウソが無く素晴らしい人だった。しかし、息子が小学3年生の時、久保田さんの仕事の関係でアメリカに行ってしまったわけだ。

 息子が4年生の時、私たち家族はアメリカのキャロルさんの家に遊びに行くことになった。子供の夏休みを利用して20日間の旅行だった。成田からノースウェストの飛行機に乗って13、4時間かかったと思う。ノンストップでシカゴの空港に着いた。シカゴは都会で高いビルが並び立ち、日本とのスケールの違いを感じさせられた。シカゴから車でバトルクリーク(ミシガン州でカナダに近い所)まで走りやっとキャロルさんの家に着いた時は夜になっていた。車で4,5時間走ったわけだ。びっくりしたのはホタルが辺り一面飛び交っており、手を伸ばせば手で掬えそうな程だった。この辺りはクリーク(小川)が多いのでホタルがたくさんいるのであろう。地面も落ちたホタルで一面光っていた。フットボールのようなひょろ長い大きなスイカをいただいてその日は終わった。

 私はゆっくり朝寝をした。目が覚めると敷地3700㎡の広い森の中に家があった。家の前には川が流れており、池もあった。アライグマがチョロチョロっと木に登ったり、時折シカも出たりするそうである。主人と息子と久保田さんは朝早くから船でミシガン湖にサケ釣りに出かけたらしい。あとで話を聞くと、主人は時差ボケと船酔いでフラフラになり船底で寝ていたそうである。しかし、おみやげには大きなサケを2、3本持ってきてくれた。さっそく庭で料理し、卵(イクラ)はしょう油漬けにした。アメリカ人はイクラを捨ててしまうのでもったいないと久保田さんが言っていた。

 私たちは毎日、近場の観光地「ホーランド」(小さなオランダの村)や、アーミッシュ(今も電気も水道もなく、自動車の代わりに馬車が走る昔ながらの生活をしている村)を見て回ったり、息子は地元の小学校のサマースクールにも参加した。アメリカは広く、走る先には地平線が見える。行けども行けども広い土地、畑。ハンドルは動かさなくともスピードを設定しておけば車は勝手に走ってくれる。

 カナダは美しい国だった。至る所に花がきれいに植えられていた。しかし、ナイアガラのスケールの大きさにはビビッた。カッパを着て滝壺の近くまで船で行ったが、思わず吸い込まれそうな感覚に落ち入りすごい迫力だった。

 主人が一番気に入ったのはターキーファームだった。七面鳥の農場がありそこが観光地になっていた。七面鳥の料理を出してくれるレストランがあり、私たちはそこでターキーサンドイッチをいただいた。七面鳥の肉はとても柔らかくておいしかった。そのほかおみやげ物のお店もたくさんあり、クリスマスツリーだけの専門店があったりした。今の日本で言うショッピングモールのような所で、1日中いても飽きないだろうなぁと思った。私と主人は「うずらでこんな観光地ができたらいいね。名前は“うずらの里”だね」と夢をふくらませていた。その夢は、今は息子が受け継いでくれている。

 そんなこんなで10日間はアッという間に過ぎ去り、主人が日本へ帰る日が来た。主人は最後にシカゴの穀物商社に寄りたいと言い、私たちはバトルクリークから飛行機に乗って1時間、シカゴに向かった。穀物取引所を見て、商社に寄った。その商社は日本人がいなくて、英語ばかりが飛び交っていた。

 私たちは近くのホテルに一泊し、その朝主人はシカゴから日本へ帰って行った。

 私と息子は商社の女性社員にシカゴの駅まで送っていただいた。アムトラックという電車でまたキャロルさんのいるバトルクリークに帰るためである。駅の中を歩きながら私は、「何か息子に朝食を食べさせなくては」と考えていた。思いきって、「Can I eat something this place now?」(今ここで何か食べられますか?)と英語で言ってみた。自分はいいけれど息子がお腹をすかせたらかわいそうとの親心である。女性社員は「OK,OK!」と、私の英語の流暢さにビックリした様子だった。しかしこれにはわけがある。キャロルさんの4歳になる娘、リサちゃんが毎日、「Can I eat something?」(何か食べるものない?)を連発していたからである。幼児の英語はゆっくりで簡単で、いつしか私の頭に焼き付いてしまっていたのだ。私の流暢な英語はリサちゃんのおかげによるものだった。女性社員は英語で何か言ったが、どうもここはおいしくないからおいしいお店に連れて行くとの意味のようだった。アチコチ歩き、やっとレストランに到着したら黒人のウェイトレスが出てきた。私は「フライドエッグ」と言った。目玉焼きぐらいしか英語で言えなかったからだ。ところがウェイトレスは首をかしげ、手のひらを上にしたり下にしたりして私の方をうかがう。私は何の事かわからずモジモジしていた。ウェイトレスはその動作を繰り返しながら、どうしても通じないとわかるとあきらめたらしく、しばらくして料理を持ってきた。あとでキャロルさんに話すと、目玉焼きには片面焼きと両面焼きがあって、ウェイトレスはどちらかを聞いていたらしい。結局は両面焼きが出てきたのだが…。

 さて無事に朝食をすませ、電車乗り場に着いた。女性社員は真っ黒に黒光りする車掌さんに何か話していた。きっとこの人達はバトルクリークに行くのでヨロシクとでも言っていたのだろう。

 アムトラックという電車に乗って3時間半でバトルクリークに着く予定なのだが、しばらくすると通路を人がゾロゾロと歩いている。何か食べ物を手にしている様子である。そうか、もう昼食の時間だ。私はいいが、息子には何か食べさせなくては、とまた親心が騒ぎ出した。どこかに食堂車があるにちがいないとウロウロと歩くと、それらしきものを見つけた。ハンバーガーと飲み物を売っていた。「ハンバーガーツー、コーラツー」と私は必死に言ったが、全然通じない。食べ物が出てこない。「なぜ?」と私はまたイライラした。あれこれ英語を並べたあげくの果て、「ツーコーラ、ツーハンバーガー」と言ったら、「OK!」でやっと食べ物を手にすることができた。ヤレヤレ…。

 3時間半だからまだまだと思って乗っていると、あの真っ黒に黒光りする車掌さんがポンポンと私の肩を叩いた。もうバトルクリークだという合図のようだった。「エッ」と思ったが、そう言えば時差が1時間あるというのを忘れていた。ということは、もう着いたということか。バトルクリークの駅にはキャロルさん一家が迎えに来てくれていた。嬉しい!私はほっと胸をなで下ろした。

 キャロルさんが「白人はアムトラックには乗らないよ。黒人ばかりで危ないから。白人は車だよ」と言っていた。キャロルさんも一度も乗ったことがないそうである。私たち、すごい体験をしたんだとその時思った。そう言えば乗っている人は黒人ばかりだったなぁ…。

 あとの10日間は生地屋さんに行って布地(アメリカのコットンは撚りが強くってしわになりにくく、色も落ち着いていて素敵)を買って、アメリカのパターン(型紙)で服を縫ったり、キャロルさんが英語を教えているアメリカ在住の日本人の奥さんたちの英語の授業に参加したり、いっしょに食事会をしたり。私もサラダ寿司を作ったり。また、近場の動物園での音楽の演奏会を聞いたり、アッという間に過ぎてしまった。その中でも印象に残っているのは、アメリカ人一家を招いての食事会だった。パパとママと子供が二人来られた。食事をしながら英語が機関銃のように飛び交っている。早すぎて何だか分からないが、時々自分の知っている単語が出てくる。ああそうか、そういうことか、じゃ私もと思って英語で組み立てているうちに話題は通り過ぎてしまっていた。しょうがないからわかったふりしてニコニコしているだけでパーティーは終わってしまった。そういえばキャロルさんの御主人もすみの方でコックリコックリ居眠りしていたっけ…。

 楽しかった20日間もアッという間に終わり、私と息子はシカゴまで久保田さんに送っていただいて、ノースウェストの飛行機で日本に帰ってきた。ノースウェストは日本人のスチュワーデスがほとんどいなくてハラハラドキドキの旅だった。成田の飛行場に着いた時思ったことは、目と口があれば、日本語の通じる所ならどこへでも行ける、ということである。やっと地に足が着いた感じだった。しかし同時に日本人のマナーの悪さ(人を押しのけてでも自分が)が目に飛びこんできてガッカリした。アメリカ人はマナーがとても良く、「我先に」という人はいなかった。それに我が家に着いた時にビックリしたのは、私の家ってこんなに狭く小さかったのか、ということだった。キャロルさんの家の居間はそれだけ広かったのだ。日本の家がうさぎ小屋と言われるのも納得した。

 それからもキャロルさん達が日本に来たり、私たちがアメリカに行ったりで交流は続いている。しばらく会っていないが、キャロルさんは先生の資格を取り、自分の学校を立ち上げ、校長先生をしているということである。頑張り屋のキャロルさんに私たちはいまでもエネルギーをいただいている。

行事報告 平成27年7月~9月

7月

7/4 (土)畑の仕事
7/7 (火)七夕まつり
7/11(土)畑の仕事
7/14(火)太鼓の練習(さくらピア)
7/15(水)精神障碍者の支援に関する研修会(さくらピア)
7/18(土)畑の仕事、花火大会
7/20(月)呼吸サークル講演会(文化会館)
7/22(水)ブリリアント慰問(珠藻荘)
7/28(火)太鼓の練習(さくらピア)

8月

8/1 (土)畑の仕事
8/2 (日)海水浴(女ヶ浦海水浴場)
8/8 (土)畑の仕事、呼吸サークル(文化会館)
8/11(火)太鼓の練習(さくらピア)
8/16(日)たけのこ盆踊り大会
8/22(土)ブリリアント慰問(若菜荘)、畑の仕事
8/25(火)太鼓の練習(さくらピア)
8/26(水)東海テレビ(スイッチ)出演(東海有機)
8/29(土)豊障連夏祭り(さくらピア)
8/30(日)曽我先生勉強会、カウンセリング

9月

9/5 (土)畑の仕事
9/6 (日)ふれあい映画会(あいトピア)
9/8 (火)太鼓の練習(さくらピア)、共同生活援助事業連絡会(豊橋市役所)
9/12(土)畑の仕事
9/19(土)畑の仕事
9/20(日)磯辺校区運動会(伊藤剛長縄跳び参加)
9/26(土)畑の仕事、ブリリアント慰問(和)、誕生日会
9/27(日)曽我先生勉強会、カウンセリング

ブリリアントにご協力いただいた方々

北川藤良様、井上浩様、山口京子様、澤田竜弥様、杉浦依和夫様、曽我洋秀様、佐溝力様、菅谷君男様、立岩清様、森下昌洪様、金原康純様、豊橋善意銀行様、カリオンビル様、豊橋社会福祉協議会様、東海有機(株)

ブリリアントにご寄付下さった方々

河合きほ様、佐羽尾様、円山様、黒木武秀様、山根嘉子様、内藤得也様、藤井様、鋤本恵美様、稲村様、岡本様、兵藤昇様、曽我洋秀様、大橋温様、若菜荘様、今井様、大橋善行様、花王石鹸様、立岩清様、金原光昭様、金原康純様、山口勝代様、金原博昭様、珠藻荘様、妙徳寺様、ピュアオフィス矢車草様、豊橋善意銀行様、豊橋市社会福祉協議会様、東海有機(株)

いろいろとご協力、ご支援ありがとうございました。

毎週木曜日の夜6時30分から、「お話し会」を行っております。どなたでも参加できますのでどうぞお気軽にお越し下さい。

編集後記

 9月20日に磯辺校区の運動会、長縄跳びに参加しました。今年は1ヶ月あまりの練習の成果があり、救急車を呼びたくなるような激しい息切れにはなりませんでした。来年もがんばろうと思います。

伊藤 剛

磯辺校区の運動会、長縄跳び


 私も磯辺校区の運動会の競技の中間の盆踊りに参加いたしました。磯辺音頭の振り付けがいまひとつ分かりませんでした。でも勉強になってます。振り付けを教えていただいた先生、ありがとうございます。

兵藤なつき

 今年のブリリアント祭はぜひとも良いお天気にして、野外コンサートを行いたいと思っております。皆様どうぞたくさんのお友達を連れてお越し下さいませ。

内田里枝
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