レッツ ブリリアント 2015/07 第61号
発行者
精神障碍者社会復帰施設
特定非営利活動法人(NPO法人)ブリリアント 施設長 内田 貴士
住所 〒 441-8145 豊橋市駒形町字坂口56番地
TEL 0532-46-0033
FAX 0532-46-0163
URL http://brilliant-gh.sakura.ne.jp/
吉川武彦先生のお別れ会に参加して
去る3月21日にブリリアントの産みの親でもある吉川先生がお亡くなりになり、そのお別れ会が5月9日、東京の品川のホテルで行われて私は母と参加させていただくことができました。
300人か400人くらいの人で会場は埋め尽くされ、さすがに吉川先生のご交流の広さにびっくりいたしました。参加して本当に良かったと思うのは、吉川先生のご活躍のいろんな分野を知ることができたことです。精神医学だけにとどまらず、人を治すから幸せにするという視野にまで軸を移し、普通の人々の心に寄り添う「精神保健医療福祉」の地平を広げることに力を注いで下さいました。
また、水泳の方では日本泳法水府流太田派の泳ぎを極められ、多くの青少年の育成に励んでこられたようです。
それから、東京都知的障害者育成会にも関わられ、「働く青年の旅」に24年間で国内外63回におよぶ旅をされ、団長として活躍され、“翼を持った青年たち”を生み育み続けられました。
お別れ会は、最初から最後まで吉川先生への感謝の言葉で満ちあふれていたような気がします。慈愛にあふれ、バイタリティーにあふれ、多くの仕事を成し遂げられ、足跡を残された吉川先生、「本当にありがとうございました!! お疲れ様でした!!」
心からお礼を申し上げ、ご冥福をお祈りしたいと思います。
大切なこと
最近相談があり、子供さんの困りごとでした。3歳になる子供さんが一緒に遊ぶ子供に噛みついてしまう、と言う事でした。どうしたら良いのかという相談です。それには親がしっかりした態度をとられる、事ではないかとお答えしました。この原稿を書いている時、ふと中日新聞の一面に国会議事堂の側で繰り広げられた安全保障関連法案反対する抗議行動に、作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが参加した。「良い戦争は絶対無いすべて人殺しだ」この日も、反戦を訴える弁舌は衰えをみせなかった。約5分のスピーチをおえると、参加者たちは「ありがとう」と声をあげた。やはり悪い事は悪いと自覚して相手の親に子供をつれて、謝る。これを子供がどう受け止めるか見る。これしかないのではとお答えしました。何度となく謝るうちに噛みつきが減った。とお答えがありました。噛みつくと言う事では随分と痛い思いをしましたので、直ぐに答えは出ました。
今では30歳を過ぎた女性の方ですが、何度となく噛みつかれて、なぜそんなことをしてしまうのと、一緒になって考えてみました。そうしているうちに噛みつく事はなくなりました。彼女もネグレクトのため不安定の中で安定し、こういった行動に出たと思います。つい最近の事だったと思いますが。、育児放棄のため、幼い二人の子供たちを餓死させてしまった女性の生立ちは、親子3代にわたる育児放棄だと書いてありました。
やはり子供は親の脊中を見て育ちます。どう生きるのかと言う問いは一番大切なことであるとおもいます。最後にマザーテレサが初来日のとき、「豊かそうに見えるこの日本で、心の飢えはないでしょうか。だれからも必要とされず、誰からも愛されていないという心の貧しさ」この言葉を思い出します。ありがとうございました。
サミゾチカラコレクション総会の手伝いに協力して
サミゾチカラコレクション総会の手伝いになっちゃんも協力していただけないでしょうかと、この総会の主役である佐溝力さんから当日(5月16日)の3週間前から電話がありました。その時私は電話に応えられなかったため、代わりに奥さんが受け取りました。頃合いが着いた時に奥さんから話を聞きました。
どんなことをするかというと、懇親会のティータイムにお祝いでサミゾチカラコレクション友の会の方々が総会を盛り上げようと、いつもお世話になっている佐溝力さんたちを喜ばせようと準備したお菓子やコーヒーなどをみんなに平等に行き渡るように分量はどのくらいにしようか手伝いを経験している人に相談して、自分の頭で考えて決めて実行することです。
私は驚きました。信じられない気持ちでいっぱいでした。だが、私もブリリアントで毎週木曜日に行われているお話し会の前の夕食の手伝いを優先しているし続けられるようにしているし、佐溝力さんもサミゾチカラコレクション友の会に入られている方々も私が来ていただけることを楽しみに待っていたし、私のことを信じているし裏切らないから、私はわがままは言えませんでした。文句も言えませんでした。そしてお菓子とコーヒーをいただくためだけにお邪魔するのも総会を主催する佐溝力さん、ログハウスの持ち主である國澤さんに対して失礼だから。彼等にいつもお世話を受けてもらうばかりだけを続けるのは彼等にとっても迷惑だから。
やっぱり私も恩を返すことにいたしました。
途中で気を散らせたくなりました。逃げたくもなりました。目上の人に向けてグチや泣き言、文句だってこぼしたくなりました。しかしここで気持ちを切り替えなかったら、みなさんは私のことを信じなくなってました。裏切ってました。あいそをつかされてました。ミニコンサートも楽しめるどころではなくなってました。いい思いをして帰れるどころでもなくなってました。
みなさんも私も。
富士山の旅行
6月の6日・7日で私を含めた寮生5人と世話人さんと一緒に富士山へ旅行に行って来ました。といっても富士山のまわりの観光です。ブリリアントを出発し、豊川インターから東名高速道路に入り三ヶ日JCTから新東名高速道路に入り新富士インターを抜けて、浅間神社で参拝し、昼食に浅間大社のすぐ近くのお宮横丁へ向かいB級グルメで話題の富士宮焼きそばをいただき、坂をのぼった途中の白糸の滝で滝を観に行きました。ミルクランドは牧場で牛の乳搾りを体験できるところです。牛だけではなく馬や羊さん、山羊やうさぎさんにも会いました。売店でみんなでソフトクリームをいただきました。時間があまっていたので養鱒場へ足を運び、池で泳いでいる鱒に餌をあげるのを見たり、周辺をぐるりと歩きました。
養鱒場を抜けてすぐ目の前の民宿・水口屋に泊まり、この民宿は前にも2回ほど行って泊まったところです。1泊の料金は7,300円です。
旅行2日目。水口屋を後にし、富士の花鳥園でフクロウさんやミミズクさん、この施設のイベントだったバードショーも鑑賞しました。次に道の駅朝霧高原でお土産を買い、お昼ご飯をいただきました。それから本栖湖で遊覧船に乗り、船が進んだところで富士山の一番てっぺんの部分を見ることができました。その後、富士山レーダーの記念館に行き、国道138号線を経て、御殿場インターから新東名高速道路に入り、三ヶ日JCTから東名高速道路に入り豊川インターで抜けて、一般道路を通って帰路につきました。
鱒づくしの一泊旅行
今年の一泊旅行は富士山周辺でした。まず富士宮の浅間大社をお詣りしました。大社の隣の湧玉池では、こんこんと湧き出す流れの中に、大きな虹鱒がゆうゆうと泳いでいました。地元の人がパンをちぎって与えていましたが、どの鱒も奪い合うようにしてパンの切れ端を食べていました。虹鱒は、体の側面を走る紅色の模様がとてもきれいでした。
次に訪れた白糸の滝は、歩道橋が架け替えられて新しくなっており、だいぶ洗練された印象になっていました。滝壺には、黄色の体色をしたアルビノ(突然変異)の大物虹鱒が泳いでいるのが遠目からでもはっきりと見えました。僕は渓流釣りが好きなので、こんな光景を見ると、心臓がドキドキしてしまいます。
ミルクランド、田貫湖のあとに訪れた静岡県営の富士養鱒場では、おそらく何十万匹という数になるであろう虹鱒が養殖されていました。受付で売っていた養殖用のペレットを池に投げ込むと、水しぶきを上げて我先にと群がってきて、とても迫力のある光景でした。また、アルビノの鱒だけを集めた池もあり、地味な色の普通の虹鱒とはだいぶ雰囲気が異なっていました。一度でいいからここの池で釣りをさせてもらえないかなぁなどと思ってしまいました。養鱒場の中を流れる渓流では、食べ頃サイズの虹鱒を釣らせてくれる釣り堀もあるのですが、ちょっと料金が高めだったので、今回はあきらめました。
さて、富士養鱒場のすぐ前が、今回の旅の宿、「水口屋」さんです。夕食には宿のおやじさんが腕をふるった鱒料理が僕たちを喜ばせました。まずは鱒の塩焼き、切り身のフライ、大物鱒の刺身、鱒のアラの味噌汁と、とりどりの鱒料理に寮生一同心から感心していただきました。次の朝のメニューは、鱒の甘露煮でした。
鱒の見学から料理まで、二日間にわたって鱒づくしの一泊旅行でした。
ツタンカーメン
エジプトの王様の名前をした豆のお話。カサデルーセ(ブリリアントの離れの建物)とフェンスの間に冬の寒い頃に種を蒔いた。つるが20㎝位に伸びたところでフェンスにひもで縛る。つるは北風に飛ばされないように、フェンスにしがみついていた。フェンスの高さは約1mである。地上60㎝くらいの所でひもで縛る。時々特製の液肥を与えて見守る。フェンスの上のあたりで花をつけはじめた。色は青紫でとても美しかった。形はエンドウ豆によく似ていました。あまりにも大きくなり過ぎて、隣の畑へ倒れ込んでしまった。実がしっかり実ったのでよかった。ご飯に入れて食べました。赤飯のようでした。
初夏から盛夏に咲く花
6月から8月頃に咲く花もきれいです。
今の時期はあじさいが咲きます。花言葉は冷たいあなたです。種類はカシワバアジサイ、ガクアジサイ、タマアジサイ、ヤマアジサイがあります。
他にもアメリカフヨウ(花言葉は華やかな性格)、アロエ(花言葉は壮健)、アラマンダ(楽しい追憶)、アンスリウム(花言葉は尽くす愛)、カンナ(花言葉は美涙沙女)が咲きます。カンナは真っ赤な色の花です。
キンモクセイ(花言葉は官能美)は咲くと甘い香りが漂います。ケイトウ(花言葉は狂愛)は花は大きな房になるため群植すると楽しめます。コスモス(花言葉は美麗)は可憐で可愛い花が咲きます。サギソウ(花言葉は神秘的な愛)は鳥のサギに似ているから名付けられました。ダリア(花言葉は豊かな愛情)には咲き方がいろいろあって、シングル咲、ボール咲、ピオニー咲などがあります。トルコギキョウ(花言葉は誠実な恋)は花びらに色が付き、紫色できれいです。ヒマワリは花が大きくて花びらは黄色で中心部の色が焦茶色できれいです。夏には欠かせない花です。
鍼灸こそはアジアの医術か!?
現代の日本において「東洋医学」といえば、中国医学のみのように思われているがその医学はアジア地方全域にわたる共通性がある。インド医術、チベット医学、アーユルヴェーダ医学及びエジプト医術も根本はヨガの研鑽の範の中だ。
これらの医術は、学問的に発達したものではなく生活の知恵と生存の集積として経験的、直観的に発達したものである。漢方と呼ばれている中国医学を理解すると、インド医学もわかってくる。それはほとんど類似しているからである、という。
人間(生命)そのものを対象にした、自然法則に従うという共通原則は三つの方向に向かって発展した。医術(鍼灸・漢方薬)、武術(太極拳・気功・導引)、修業法(道教)として、である。これら、生理学上哲学的な考えに急所、いわゆるツボがある。
ヨガの根本は、神経とホルモン重視と捉えており、その流れを“ナディース(川の流れ)”といい経絡に相当する。神経叢(神経を束ねる処)をツボ、チャクラは“腺”といいホルモン分泌腺のことで、そのポイントは現代医学的に合致している。
人間の体内に病的興奮が起こると、その部にマイナスの電位が高まり、それと連絡のある皮膚にプラスの電位が高まるのであるが、内部におけるマイナスの電位の高まりは神経系のみならず、筋肉においても血管においても血液においても起こる。これら内部の諸器官の電位変化の反応が、皮膚上に現れる。皮膚表面のもっともうっ血しやすい所、弱点のあるところを辿って現れる。その弱点を経穴といい、弱点を連ねた腺を経絡という。うっ血は去りがたくよほど強烈な刺激でないと、皮下血管の神経の覚醒が起こらない。そこで強烈な熱刺激と鍼の痛刺激を兼ね合わせたものが必要なのである。鍼灸指圧と漢方薬を併せた考えがここにある。それに運動、食物が一体となって工夫されての東洋医学である。
ヨガ道場に入門したのが30数年前、その時に一緒だった方が金沢で“能登”鍼灸院を開設している。いまでも賀状を頂いているが、もう十年も会ってない。難病奇病を扱ってらっしゃるが、疲れると仰っていた。刺した鍼の頭から邪気(毒気)が、灸を据えた百草からは毒煙が出ているので、これを吸ってはひとたまりもない、目と耳をやられてしまうので注意が肝要だ。
人の生命に触れる施術者は、その人徳により病気をもらってしまうから絶え間ない修業が必要だとは師のお言葉だ。能登院長も独自の工夫で、服気法(気血に空気を薬にする)して気の巡りを行っていると聞く、ご自愛を祈るばかりです。
私が子供だった頃
「オギャー!!」と私が生まれた時、家族は「でかした!でかした!」と喜んだ。それは私が三代目にして授かった女の子だったからだ。普通は男の子に対して「でかした!」だが、我が家は女の子が宝だった。そんな訳で私は幸せな子供時代を送った。
小さな頃の思い出をたどると、私のそばにはいつも祖母がいた。祖母は身体が弱くいつも縁側に布団を敷いては日なたぼっこをしていた。「おばあちゃん、今日は桃太郎のお話して!」と私がねだると「むかしむかし。あるところにおじいさんとおばあさんがおってな。おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。」と昔話が始まる。
祖母はどんな物語も知っていた。「かちかち山」「さるかに合戦」「一寸法師」等々。日替わりでいろんな話をしてくれた。
絵本もよく読んでくれた。私の持っていた絵本は1ページに2つの物語が描かれていて真ん中が線で区切られていた。上段が一寸法師なら下段は桃太郎というように。今でもその絵があざやかに浮かんでくる。
それから歌もよく歌ってくれた。昔の童謡は全部祖母が教えてくれたものだった。時々「あなたのくれた帯留めの~だるまの模様がチョイと気にかかる~」なんて流行歌も混じっていた。それからあやとりやお手玉も皆おばあちゃん仕込みだった。だから私はどこのおばあさんもこういうことをしてくれるものだと思い込んでいた。
祖父は働き者だった。祖母が働けない分、言うならば3人分くらいの仕事をしてきた。祖父は、百姓は身体が大変だからと途中から養鶏に切り替えた。なぜならば祖母はそれがもとで身体をこわし、一生寝たきりの生活になってしまったからだ。
しかし忙しい祖父も私をとびきり可愛がってくれた。どこかへ出かける時には必ず私を連れて行った。清水に長沢さんという取引関係の知り合いがおり、そこにはよく一緒に行った。みかん狩りも、清水の港祭りもよく覚えている。そして帰る時にはいつも長沢さんが駅の売店で大きなマリをお土産に買ってくれるのだ。だから私はきれいなマリをいくつも持っていた。
また私たち兄弟を海に連れて行くのも祖父の役目だった。海に入ってうつぶせては「こうしたら水に浮くんだよ」とよく実演してくれたものだ。そして海の家でかき氷を食べる時にはいつも持参して行ったみかんの缶詰が乗っていた。一度弁天島で海水浴をしたとき、兄たちと乗ったボートが流されて沖に出そうになったことがあった。祖父が真っ青い顔で「そっちに行っちゃダメだ!!」と怒鳴ったのを今でも覚えている。いざという時の祖父はとても恐かった。
「生長の家」の講師もしていた祖父は、よく浜松の本部にも行っていて、お土産はいつも甘納豆だった。孫には優しいおじいさんだった。
そんな祖父が若い頃、着物姿で流しでバイオリンを弾いていたなんて.....。想像できるだろうか? 子供の頃、どういう訳か古い小さなアコーディオンがあった。誰がそんなものを弾いていたのか・・・・・・。ずっと疑問だったのが今になるとそれも納得。そういえば木琴で「荒城の月」を教えてくれたのも祖父だった。結構遊び好きというか粋な男だったのかもしれない。
私は父の働いている姿をあまり見たことがない。身体が弱かったからだ。母が嫁に来た頃は畑に行っても、遠い山並を眺めては詩を書いたり、歌を詠んでばかりいたらしい。
私が覚えている父は、いつも縁側の片隅の机で本を読んでいるか、何か書き物をしている姿だった。趣味は写真を撮ることだったらしく、おかげで私たちの子供の頃のモノクロの写真はたくさんある。
父は私によく本を買ってくれた。幼稚園の時には一年生向けの本を、一年生の時には二年生の本をよく読ませた。日本の昔話もあったが今でも忘れられないのは「愛の学園」という本だ。若草物語に出てくるジョーが大人になって、孤児院を開いた物語である。園長先生の愛で不良がかった男の子が素直な人間に変わっていく、何だか今の私と重なる部分があって、ブリリアントの仕事ができるのも父のおかげかなと思ったりしている。
父の私に対するかわいがりようは特別だった。私が一番父に似ていたからかもしれない。高校生の時、美術クラブにいた私は油絵をよく描いた。額縁は買うと高いので、文化祭の時父は私の描いたキャンバスに日曜大工で額縁を作り、それをリヤカーに乗せて近くのペンキ屋に持って行き、白く塗ってもらっていた。そして出来上がった絵を今度はトラックに乗せ学校まで運んでくれたりした。10号から30号くらいまでたくさん描いたが、父の応援も大変なものだった。
習字も好きで、よく私を文房具屋に連れて行き、筆や墨を買ってくれた。
そんなわけで祖父、祖母、父、母からいっぱい愛情をもらって育った私。今度は私が愛を振りまかなくては。子供、孫、寮生達に。それが一番の恩返しだと思っている。おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、天国から私を見守っていてね!! 応援してね!!
行事報告 平成27年4月~6月
4月
4/4 (土)畑の仕事、お花見(駒形神社)
4/7 (火)太鼓の練習(さくらピア)
4/11(金)ブリリアント慰問(たけのこ)、呼吸法サークル(文化会館)
4/12(日)駒形神社お庭草、春祭り、もち投げ
4/19(日)誕生会:天ぷらパーティー
4/21(火)太鼓の練習(さくらピア)
4/25(土)畑の仕事(竹やぶ草刈り)
4/26(日)曽我先生勉強会、カウンセリング
5月
5/2 (土)畑の仕事
5/3 (日・祝)砂取り(小島の浜)
5/4 (月・祝)果樹購入、植えつけ
5/5 (火・祝)夏野菜植えつけ
5/9 (土)吉川先生お別れ会(TKPガーデンシティー品川)
5/16(土)サミゾコレクション総会(県民の森、ログハウス)
5/17(日)誕生会(藤田、伊藤、兵藤)
5/23(土)ブリリアント慰問(椰子の実)、畑の仕事
5/26(火)太鼓の練習(さくらピア)
5/30(土)畑の仕事
5/31(日)ゴミ0運動、曽我先生勉強会、カウンセリング
6月
6/6・7(土・日)1泊旅行(富士山方面)
6/9 (火)太鼓の練習(さくらピア)
6/12(金)市役所で会議
6/13(土)畑の仕事(竹やぶ草刈り、サツマイモの苗植えつけ)
6/15(月)ブリリアント慰問(あかね荘)
6/23(火)太鼓の練習(さくらピア)
6/27(土)畑の仕事、ブリリアント総会、曽我先生カウンセリング
ブリリアントにご協力いただいた方々
北川藤良様、井上浩様、山口京子様、澤田竜弥様、杉浦依和夫様、曽我洋秀様、佐溝力様、菅谷君男様、立岩清様、森下昌洪様、金原康純様、豊橋善意銀行様、カリオンビル様、豊橋社会福祉協議会様、東海有機(株)
ブリリアントにご寄付下さった方々
大石郁子様、山口京子様、立岩清様、レスポワール様、金原光昭様、北川藤良様、曽我洋秀様、兵藤昇様、藤井様、佐羽男様、大須賀良子様、椰子の実様、井上浩様、金原宏樹様、赤岩荘様、吉川文子様、生田尚子様、杉浦豊作様、安部智子様、金原康純様、山口勝代様、田中稔様、円山大高様、内田佳伸様、鈴木和子様、佐溝力様、豊橋善意銀行様、豊橋市社会福祉協議会様、東海有機(株)
いろいろとご協力、ご支援ありがとうございました。
毎週木曜日の夜6時30分から、「お話し会」を行っております。どなたでも参加できますのでどうぞお気軽にお越し下さい。
編集後記
野菜ジュースは体に良いと思い込んで通販で箱買いをして、夜寝る前にゴクゴク飲んでいたら、体重が1kg増えてしまいました。思わぬカロリーがあったようです。(泣)
今年のブリリアント旅行で訪れました富士ミルクランドで、私は乗馬を体験させていただきました。トランポリンで飛び回りました。私の別の一面をみんなに披露しちゃいました。
吉川先生のお別れ会に参加させていただき、あらためて先生の遺された功績の偉大さに驚かされました。素晴らしい会でした。