レッツ ブリリアント 2019/02 第75号

発行者
精神障碍者社会復帰施設
特定非営利活動法人(NPO法人)ブリリアント 施設長 曽我洋秀

住所 〒 441-8145 豊橋市駒形町字坂口56番地
TEL 0532-46-0033
FAX 0532-46-0163

URL http://brilliant-gh.sakura.ne.jp/

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平成31年2月1日発行

明けましておめでとうございます。

曽我洋秀(施設長・鍼灸師)

 昨年は、皆様方のご支援、指導を頂きありがとうございました。今年も宜しくお願い致します。心を整えることが大切だと前回より書いて来ましたが、やはりその言葉を考える時に思い出すのが、安保徹先生がおっしゃった「患者さんの生活を整えてあげなさい。」と言う教えを思い出します。失った時間は戻って来ないが、今からどうするかと、前にも書いていますが、生まれて1年ぐらいまでに脳の神経細胞は枝を最大限伸ばして、それから3歳になるぐらいまでに枝を減らしていきます。そしてより早く色々な事ができるようになる。私の孫も11人いますから勉強になります。最近になって胎児が生まれる瞬間に活躍するオキシトシンには安心や信頼の感情を増す作用がある事がわかって来ています。お乳が出る時にもこのホルモンが出て、母子共に安定させることが分かって来ています。霊長類のオキシトシン細胞は複雑に枝分かれし、親の養育行動に大きく影響する事が分かって来ています。3歳ぐらいまでに色々な感覚器は臨界期を迎えます。その時期に生活環境が安定している事はすごく大切でしょう。虐待やネグレクトなどは、もってのほかでしょう。オキシトシンは大人になってからでも触れ合いによって分泌します。お預かりしたかなり問題のある方も半年くらい会うごとにハグして、今では父親のように約束を守る様になり。逸脱行為が無くて来ています。

 8年が過ぎてしまいましたが、心を整えると言う事ではセロトニン神経も欠かせません。朝起きて散歩すると言う事は、セロトニン神経を強くするためには欠かせません。3カ月は続けて欲しい。やはり寮生でも続けている人は安定しています。来年からはほとんどの人は一般就労につきます。一人でも多くの人が自立して行かれることを望みます。 ありがとうございます。

映画「夜明け前」を観て

伊藤 剛(寮生56歳)

 僕は20歳の時に初めて躁うつ病を発症し、24歳の時(1986年)に13ヶ月にわたり最初の入院をしました。その病院の閉鎖病棟の小さな本棚にあった精神病に関する本(書名は忘れてしまいましたが)の冒頭に、

「我が国十何万の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸の外に、この国に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」

 という言葉が引用してありました。僕は、その言葉を何度も読み直しながら、

『そうだよなぁ....きっとそうだろうなぁ....』

と、まだ外国に行ったことも無かったのに、そう思って深く感じ入ったものでした。

 この言葉が、日本の精神医学の黎明期に大きな貢献と業績を残した呉秀三先生のものだと知ったのは、ずいぶん後のことです。昨年12月、呉先生の偉業をたどるドキュメンタリー映画「夜明け前」が名古屋のシネマテークで上映されることが朝日新聞の記事に出ていたので、これは!と思い観てきました。

 呉先生は1865年(元治2年)広島藩医呉黄石(くれこうせき)の三男として東京に生まれ、帝国大学医科大学の助教授になった後、1897~1901年(明治30~34年)にかけてオーストリアとドイツに留学し、先進的な精神医療を学ぶとともに、ベルギーの地方都市ゲールにあった精神病患者を治療するための里親制度などを見学した後に帰国されました。帰国後は教授に就任、東京府巣鴨病院医長に嘱託されました。この病院では、就任後さっそく患者さんたちへの拘束具の使用を禁止したり、築山や池を作る作業を患者さんたちに行ってもらうといった、作業療法を取り入れて治療にあたったそうです。そして、1918年(大正7年)に、大勢のスタッフたちとともに全国的・大規模な調査を行い、私宅監置という処置、いわゆる「座敷牢」に閉じ込められていた精神病患者の実態を調べ上げ、『精神病者私宅監置ノ實況及ビ其統計的觀察』という本を発行しています。あの言葉はこの著書の中で述べられていたのでした。

 「夜明け前」の映画では、このような呉先生の生誕から医学を志した経緯、留学生時代の受講記録、古い時代の拘束具、私宅監置の悲惨な記録写真などが淡々と紹介され、呉先生の投げかけた言葉は、現代でもそのまま通用するのでは?という問いを投げかけていました。

 僕はその後、33歳の時(1995年)に再入院し、5ヶ月ほどを病院で過ごしました。そして、1999年からニュージーランドへ留学し、2002年の2月頃、またしても病状が悪化し、地元ハミルトン市の精神病院に入院しました。この病院では一ヶ月ほどの短い入院期間でしたが、ハミルトンの病院では、主治医が患者を診察するのみならず、看護師さん達が患者の日常生活を観察し、その情報を主治医の先生と共有して治療に活かしていました。主治医のルーシー先生から、

「あなたの病気は躁うつ病なのですよ。」

 と初めて自分の病名を知らされました。日本での二回の入院時には、主治医の先生は病名も、どんな薬を処方しているかということも教えてくれなかったのです。そのため、どうして自分がこんな悪い状態になるのか?悪化の原因は何なのか?どうやったら治るのか?入院中も退院後もとても不安で出口の見えない状況でした。

 ニュージーランドからは病気のために学業は断念してやむを得ず帰国しましたが、自分の病気は躁うつ病なのだということがわかり、いろいろな本を読んで、病気の初期症状や悪化の経過、体験記など、この病気と付き合って行くための知恵や知識を得ることが出来ました。今では自分で調子の悪くなってきたことが判りますし、それに応じて薬を調節することも学びました。

 呉先生が『精神病者私宅監置ノ實況及ビ其統計的觀察』を発行してから去年で100周年となりましたが、32年前、僕が初めて入院した当時の精神病院は、現在とは比較にならないほど劣悪な環境でした。今ではどこの病院も綺麗に建て替えられましたが、多くの病院で長期にわたって入院されている患者さん達がいますし、地域での受け皿となるグループホームなどもまだまだ不足していると感じられます。

「精神病者の救済・保護は実に人道問題にして、我が国目下の急務と謂わざるべからず。」

 心の病を持つ人たちばかりでなく、いろいろな障碍を持つ人たち、少数者たちのことを皆が思いやることができる国づくりが現在も強く求められていると思います。

結婚生活を維持すること

元寮生 宇野和男(54歳)

 経済的には生活保護と障害者年金(2人分)、B型作業所での工賃でまかなっています。年金などを中心に一ヶ月を2週間ごとに生活費を分割しパソコンのエクセルで予定をたてます。季節など変わってくると例えば電気代よりガス代のほうが高くなる、それも具体的にこれくらいかなと去年の実績からお金の分割をします。ですから月末にお金がなくて困ることがありません。

 最近では30分位で分割計算がすんで封筒にお金を「前期ガス代OO円」とか書いて小分けしています。

 買い物は少しでも安くということで業務スーパーへ行きます。レジ袋がただで何枚もくれるし、モヤシ¥19、豆腐¥34鳥モモ¥49/100gなど物価も違います。一回7000円くらいの買い物をします。多分マックスバリューでは1万円を超えると思います。2週間で3回行きます。電卓で消費税込みで計算し、ギリギリまで買います。

 今は冬なので夕食は鍋物をよくします。料理は朝、昼は個人個人別々の時間に食べていますが、夕飯は妻が作り、私が片付けます。2018年からあいトピアで料理教室があり、夫婦で参加しまして、私がひき肉とホールトマトからミートスパゲッテイのソースも作れるようになりました。

 ゴミ出し、肉、卵の保存期間の管理、などそういった細かいものも協力して確認してます。

 僕は学生のとき掃除屋も経験していて普段はほったらかしですが、妻が悲鳴を上げるとスイッチが入り徹底的に丸一日かかってとても落ち着きのある空間にします。

 毛布、カーテンの洗濯など、洗濯機を7.5kg洗いのを買っといてよかったです。

ガスレンジの換気扇をはずして漂白剤で洗ったり、エアコンや加湿器のフィルターの水洗いもやります。さらに押入れの中の紙箱類をまとめていらないものを包丁でばらばらにして燃えるごみに出しました。

 2018年はいろんなものが壊れてきて出費がかさんだ年でもありました。耐熱ガラス蓋のつまみがとれたり、炊飯器を買い換えました。またトイレのタンク内排水機構も全換えしました。これからの数年間は大型家電が次々と寿命を迎えるのでつましく暮らすことになりそうです。

 でも時々美味しいスイーツとつまみ、お酒を買ってきて少しは贅沢しないとつまらなくなってしまいます。まあそんな感じで二人で暮らしています。今年で8周年です。これからも力を合わせいつまでも二人で協力し合って仲良く生きて行きたいです。

 精神障害者だから、発達障害だからヘルパーさんに頼んで、掃除、料理を頼むなんて絶対イヤです。一般家庭に負けないぞの意気でがんばっています。

運動不足だけはどうしても解消できないのが現実で、服のサイズが1ランクあがりました。

 妻が図書館でベルサイユのバラ愛蔵版上下2冊1800ページを借りてきたので私も深夜まで集中してまとめて一気に読みました。

 私はオスカルとアンドレにすごく引き込まれました。今頃ですけどオスカルファンクラブに入りたいくらいです。そこで出てくる愛の深さと唯一性と絶対性はものすごく感動しました。そこで僕もこの僕らの結婚について考えました。

 結婚とはもちろん成人した男女が愛し合ってなければ成立しえませんが、実際の生活では、片方の一方的な献身で生活が成り立つものではなく、双方の助け合いの中で育み合っていくものでなければならないと思います。また、毎日通う作業所にかわいい子やハンサム人がいても好きになっちゃいけないし、責任が重いです。結婚と言う枠は。一夫一婦制の厳しさをこんなに感じたことはありませんでした。2018年は結婚を根底から覆しそうな大事件が何回も起きました。問題ばっかりで申し訳なく思います。しかりつけたり、見守ってくれたり助言をしていただいたたくさんの方に多大なご迷惑をおかけしましたことを心からお詫び申し上げます。大変申し訳ありませんでした。ごめんなさい。2018年に出しきった膿を捨て去り、2019年からはもう一度やり直すことにしたいです。また力を貸してくださいお願いします。

新年にあたって

白井千雄(寮生74歳)

 明けましておめでとうございます。平成最後の年となりました。新しい年号の年でもあります。

 体力と気力を充実して良い年にしたいと思います。

 今年のごぼうを植えて、根菜類を上手に育てたいと思っています。

塩尻発「平和の種をまく会」

杉浦 依和夫(支援者・ヨガ講師)

 古稀を迎えるにあたり、中学校の最後の同級会を10月に催した。4~7、8年間隔で回を重ねてきたが、話す機会がなく通り過ぎてしまったという人らがいた感があり残念に思っていた。 そんな中で自己紹介にて、「こんな人がいたなんて」と声をかけてくれたのが、家がさほどしか離れてない(もっとも話して分かったことだが)、小・中学校で一度も話した記憶がない子であった。彼女は現在塩尻市に住み、健康指導のある資格を取得し支援しているという。

 塩尻市で美容院を開設しながら原発反対など環境を主軸に健康を願う活動を行っている。彼女に謂わせれば、長野県は健康に気遣う運動・活動とその施設は国内一だという。

 そんなわけで、私にヨガ指導をしてくれないかという。まずは、隔月数回、少人数スタートでやってみて教室として開始するか判断するというものだ。まずは、導引法・呼吸法、食養そして断食などを解説したい。久方ぶりの講座指導させていただくご縁を大切にしたい。塩尻までは3時間弱の行き来、旅を愉しみたい。

 彼女らは、「平和を希い、平和を語り、平和のために力を合わせる」をコンセプトに集い "平和の種をまく会" を立ち上げた。環境問題では原発の恐ろしさ、食糧事情では子供・妊婦胎児への影響を、地球環境、そして憲法改正の是非を問うている。

 隔月発行の「ニュースレター~平和の種」誌は、購読料|1000/年・B5版30ページで500部の発行で、投稿は原則、どんな内容でも自由である。一部手許にあり、読んでみるとその内容は、教育勅語から道徳教科、憲法の説明、子供の権利~民主主義と権利の教育などの正面からもの、そして子供に読ませたい本の紹松介など。

 末尾には、情報広場として2ヶ月間に長野県下で行われる行事が30数箇所分記載されている。福島原発の報告会、戦争と平和ゼミ、LGBT啓発、犯罪被害者支援、お産に見る性教育、ガンと栄養(信州大学医学部)、食と農薬講座などで、他に障害者らの現実を舞台化したもの、韓国民主化闘争映画などである。

 こうしてみると実に多士済々の活気をみるが、どうも豊橋はそのうねりがないように思う。グローバルにもっともっと発信してもよいのではないか。彼らは "緑の党" が掲げている原発反対に賛同しており、セッションを行いながらその啓発をヴァージョンアップしていることは政(まつりごと)に一石を投じているといえまいか。彼らの願いは、もっと政治に参加して、そして本当の政治家を輩出しようではないかと訴えている。

 発刊誌に、私にも投稿してほしい旨、依頼がありましたゆえ、レッツ・ブリリアント誌にダブらないよう書こうと思う。

はじめてのリーダー

兵藤なつき(寮生33歳)

 昨年12月に入るところでした。先輩が月末でほいっぷ(医療関連施設)の外回りの清掃活動員の仕事を退職することに伴い、私が新年からリーダーに就くことになりました。私は昨年4月から12月末まで毎週火・木・金の午前中3時間同じ場所でお仕事をさせていただいていましたが、今年から水曜日も働かせていただくことになり、週4回というスケジュールとなりました。

 決まった瞬間、私は先輩が爽やかに仕事を納められるかと思いながら毎週金曜日に中庭などを掃除しました。掃除は終わった、でも最後のあいさつがある。私はここで息をつけたら私も爽やかになれない、来月がしんどくなる。そんな心でいっぱいでした。

 そして新しく入る人に教えるときにゴミの捨て方や場所、ハチの巣や毛虫をみつけられたら警備員さんに伝えることを忘れないか感じています。

 教える立場になってからも日数が増えてからも信頼されるか感じています。今月1ヶ月スケジュールを達成できるか?そう思っています。新しく入る人に仕事が楽しいと思われてその気持ちが大切にできるかそう考えずにいられないのかな?

 ☆ 月訓カレンダー ☆ 「お念佛から はじまる 幸せ」

鋤本恵美(支援者)

 新しい年です。どうか今年も 仏さまに見守られて 過ごせますように。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 新しい年も かわることなく時をきざみ、お寺から始まる一日。

 お寺も かわることなく 静かに 時が流れていきます。

 お日さまの光をあびてこの場所で、一日のはじまり~はじまり~。

 日めくりカレンダーの音もピリッと気持ちいい。

 今年も毎日が この場所からはじまる。

幼い頃、父母に連れられて教会に~☆ いつも、あたたかなまなざしをくださった、牧師先生の奥さまのお顔を思い出す。「光の子らしく歩みなさい」

そして人生の半ば過ぎた頃、ご先祖さまと出会いお寺に~。優しさときびしさで生きる姿を間近で見せてくださった尼僧さまを思い出す。

 「誰もが心の中に光がある。このことを忘れないでください」と和尚さんのお話。

 雨上がりの朝、どうだんつつじが光をあびて輝いていました。

「人間はここから離れては生きてはいけないものです」と、お空を指さしてお話をしてくださった恩師の輝いたお顔を思い出す。

    こころの中のひかり。 ひかり と わたし。

    どんな暗い道も ひかりとわたしが 常に向き合う。

    それが安心 あんじん それが真のしあわせ。

 「まっすぐ行けよ! 行けばわかるさ」

 亥年の父が あちらで熱燗を飲みながら ぼそっとつぶやいている。

 「だいじょうぶ だいじょうぶ」

 やさしいまなざしで にっこりにこにこ。誕生日が同じ、母と祖祖母。

    生まれてくる時に、神さまからの贈り物〝よく笑う″

    わたしがわたしであるために、たった一つの贈り物。

    今年も大事に 大事にしていきたいなあ~(*^-^*)

こんなことを思いめぐらす新しい年の初め。楽しい心地よい時間。

優しさと あたたかなふれあいの中で、いのちが輝き 笑顔の花が咲く~🎶

笑顔の花がたくさん 咲きますように~。

しあわせが たくさん たくさんありますように~。       

ことしも みなさまと共に~よろしくお願いいたします。

2018年をふりかえって

渡邊茂治(寮生37歳)

 2018年をふりかえってみるといろいろな事が思い出されます。夏はすごく暑い日が連日続きました。熱中症にならないようにと気を付けていました。とにかく暑かったです。

 大型台風がいくつか上陸しました。はじめて大停電というのを経験しました。いろいろな所で困りました。元にもどった時はあらためて電気のありがたさを痛感しました。

 今は寒いです。朝起きて布団から出にくいです。常に体をあたたかくしています。夏は熱中症や夏バテにならないように気を付けていましたが今はあたたかくして風をひかないように気を付けています。他の人たちも十分体をあたためて風邪など体調管理にはすごく気を配ってほしいと思います。健康第一です。

妻の本分

宇野晴美(支援者・41歳)

 学生時代、車掌の本分と言う小説を国語の授業で学んだことがある。

本分とは本来の立場というイメージが残っている。

 妻の本分を果たしていなかった私は夫を怒らせてしまい、素直にもなれずに、実家に帰って別居することになった。夫は少しも暴君ではなかったが今回は実家でも離婚ムードになり私もいい気でいた。夫婦間のトラブルは夫婦で解決することが健常者の間では常識となっていても障害者ではそうはいかない。

 過去、精神病院へも2度ほどとりあえずモラトリアム入院したことがあるが、もう夫婦間トラブルで入院は認めないと言われてしまった。なんて冷たいんだろう。

 信頼の置ける相談員に話を聞いてもらい何が悪かったのだろうかはっきりさせた。離婚という話も出たがそこは慎重に考えなければならない。

 今回の件では家事の下手な私が何でもかんでも夫に頼りすぎてしまったことが原因である。

 私は発達障害と医者から言われていて家事は得意ではない。土曜日の夕飯に冷凍コロッケをあげるだけではだめだと言われてしまってはどうしようもない。今は冬なのでよく鍋料理を作っている。牛肉を買えばすき焼きだ。しかしわりしたは夫がやってくれる。2人で料理教室にも行っているのでそこで学んだレシピもレパートリーに入れたい。

 今回の離婚騒動は私が毎日夕食を作るよう努力することで決着がついた。これから先どうなるか分からないがヨロヨロしながらも支えてくれる人に感謝しながら歩んでいこうと思う。

 相談した人の一人、夫が9年入居していたことで夫をよく知っている、グループホームブリリアントの世話人:内田里枝さんからは「感謝」と言う言葉をいただいた。本当にそうだと思う。これからもお互い「感謝」を忘れずに、死に別れるまで歩んでいきたいと思う。

ばぁばの願い

内田里枝(理事長・世話人)

 息子が亡くなって早いものでもう1年が過ぎてしまいました。あっという間の1年。でもいろいろな事がありました。

 嫁は仕事を辞め、子育てに専念し、おかげで2人の孫達は明るく元気に過ごしています。

 息子がいなくなったことで私と嫁はお互いに寄り添うことができ、かえって以前より風通しが良くなり、仲良くなりました。お休みの日には家族4人でよく出かけます。息子が亡くなった代わりに娘ができたという感じです。私には女の姉妹もいないし娘もいなかったのでこれはとても嬉しいことです。孫も嫁もかわいくてなりません。

 しかし、なんと言っても孫は5歳と2歳、成人するまでにはまだまだ年数がかかります。それまでこのバァーバが元気でいられるかどうか...。何としても頑張らなくてはなりません。健康管理をし、長生きし、孫の成長を見届けなければね。

ブリリアントにご協力いただいた方々

立岩清様、北川藤良様、鋤本恵美様、澤田竜弥様、杉浦依和夫様、宇野和男様、森下昌洪様、曽我洋秀様、佐溝力様、山口京子様、井上浩様、高柳利道様、菅谷君男様、豊橋善意銀行様、カリオンビル様、豊橋市社会福祉協議会様

ブリリアントにご寄付下さった方々

グループホーム和(なごみ)様、澤田竜弥様、木下様、山口京子様、伊東信子様、大橋温様、稲垣常彦様、鈴木人日様、近藤様、デイサービス寄りあい様、吉田様、森下博香様、佐藤様、金原康純様、金原光昭様、金原博昭、伊藤洋様、円山むつ子様、下田正男様、渡辺信子様、兵藤昇様、佐溝力様、藤井武弘様、天野裕子様、畔柳様、花井様、鈴木みどり様、梁川様、金原志郎様、豊田愛里様、立岩清様、曽我洋秀様、鈴木静子様、北川藤良様、大橋善孝様、河合邦明様、河合きほ様、豊橋善意銀行様

いろいろとご協力、ご支援ありがとうございました。

行事報告 平成30年10月~平成31年1月

10月
10/6 (土)ブリリアント臨時総会、曽我先生カウンセリング
10/7 (日)内田秀司7回忌
10/13(土)「ブリリアント」慰問(和)
10/20(土)ちいきカフェ(たけのこ)、太鼓の練習(さくらピア)
10/27(土)「ブリリアント」慰問(つつじ荘)
10/28(日)曽我先生カウンセリング

11月
11/3 (土)駒形神社お庭草、ふれあい講演会(あいトピア)
11/4 (日)防災講話(南陽中学校)、駒形神社秋葉様
11/10(土)太鼓の練習(さくらピア)、呼吸サークル(文化会館)
11/17(土)「ブリリアント」慰問(寄りあい)
11/24(土)曽我先生カウンセリング

12月
12/2 (日)ライオンズバザー(ココニコ)
12/15(土)ちいきカフェ(たけのこ)
12/18(火)「ブリリアント」慰問(豊生ライフ)
12/24(月)クリスマス・イブ、誕生日会
12/29(土)大掃除
12/30(日)曽我先生カウンセリング

1月
1/2 (水)金光寺お参り、新春カルタ大会
1/19(土)ちいきカフェ(たけのこ)
1/20(日)故内田貴士一周忌
1/26(土)佐溝力さんと行く好奇心ツアー(四日市市立博物館など)
1/27(日)曽我先生カウンセリング

編集後記

 佐溝力さんをはじめ、友の会の皆さん。私たちを四日市市へご招待いただきまして、ありがとうございました。

兵藤なつき

 ここまで何とか風邪を引かずにきたので、このまま春まで健康で行きたいです。

伊藤 剛

 新しい時代の幕開け、今年も皆様のご支援・ご協力を頂きながら頑張って行きたいと思いますので、よろしくお願いします。

内田里枝
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