レッツ ブリリアント 2016/10 第66号

発行者
精神障碍者社会復帰施設
特定非営利活動法人(NPO法人)ブリリアント 施設長 内田 貴士

住所 〒 441-8145 豊橋市駒形町字坂口56番地
TEL 0532-46-0033
FAX 0532-46-0163

URL http://brilliant-gh.sakura.ne.jp/

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平成28年10月1日発行

ブリリアント祭り 11月13日

施設長 内田貴士

 暑かった夏も終わり、台風が次から次へとやって来るようになり、もう自然界も秋へと様変わりを始めています。ブリリアントの農園もこの間、夏野菜をすべて抜き取り冬野菜の準備をしました。

 野菜さん達、この夏はよくがんばってくれました。ナス、キュウリ、トマト、ピーマン、カボチャ、冬瓜、スイカ、落花生、黒ウリ、すべてが豊作でした。しかし、その陰には寮生達の毎日の水やり、そして土曜日ごとの草取りと、多大な努力があったことを忘れてはなりません。よくやってくれました。

 今度の冬野菜もとっても楽しみです。畑の土壌にウズラの糞と石灰は毎年入れるのですが、今年はそれに加え、竹炭と籾殻も入れてみました。さぁ、どんな野菜に育ってくれるのか、乞うご期待!!

 さて今年もいよいよブリリアント祭りが近づいてまいりました。11月13日(日)です。今年こそ良い天気にしたいと思っています。

 今年のお祭りは今までの出し物に加え、フラダンスショーが加わります。とてもにぎやかなイベントになると思います。また、子供さん達にも楽しんでいただけるものも用意しようと思っております。毎年大人気のウズラの燻製卵まきもありますので、皆様どうぞ大勢のお友達を誘ってお越し下さいませ!!お待ちしております。

生前葬

曽我洋秀(世話人・鍼灸師)

 この仕事を続けていると色々な依頼があるものだと感心します。8月に、生前葬をしたいのでそれまで何とか保たせて欲しい、という依頼でした。癌の末期で腹水や胸水まで溜まっている状態でした。しかしお話しを伺うと、障碍者の支援をする活動や色々な会を開催していた方のようで、色々な仲間と最後にお別れをしたいという話でした。2週間程の間でしたが、無事式も開け、その様子も翌日には一緒に拝見できました。ふと、何年か前にブリリアントにいた鈴木光雄さんの事を思い出しました。アルコール依存症でこの寮にいらした方ですが、肝臓癌になり市民病院で治療を受けて、寮に帰って来られてから腹水が溜まってしまい、3ヶ月程毎日のように治療に来たのが、昨日のことのように思い出されます。治療をしながら今までこんな事をして来たとか、こんな感じで亡くなって行くんだろうとか、話し合ったことを思い出します。それまで家族から疎遠になっていることを心配しておられましたが、葬儀の時に断酒会の皆様のお話を家族が聞かれ、世の中の役に立っていたんだと理解され、僕自身ホットしたのを覚えています。

 今回の依頼を受けてふと、こんな生き方ですが間違いなかったのでしょうか?と聞かれ、「そうですね」としか答えられませんでした。もともと彼女の自問自答だと思われたので。しかし病院まで治療に伺うと必ず大勢の友達が訪れておられました。腹水のために苦しいと思うが、そういう所は一切見せずにおられたのは感心しました。

 どのように生きてどのように死んでいくのか、という問いは人生の課題と思います。そのような課題を患者さんに寄り添い、考えて行こうと思います。

 最後にアドラーの言葉を思い出したので、書いておきます。「自分だけでなく、仲間の利益を大切にすること。受け取るよりも多く、相手に与えること。幸福になる唯一の道である」

 もうすぐブリリアント祭りがあります。皆様のお越しとご協力をお願いいたします。ありがとうございました。

ダイエットと体力増強を始めました!

伊藤 剛(寮生54歳)

 さる9月3日に、山奥に渓流釣りへ行き、重いリュックを背負って林道を往復5時間も歩いたら、膝と股関節を痛めてしまい、体重過多と体力不足を痛感させられました。いっしょに釣りを楽しんだ大学時代の同級生は、何とも無かったのです。そこで、9月5日からダイエットと体力増強を始めました。

 何はともあれ食事のコントロールです。ご飯を減らし、主なおかずも、量が多い時には食べないようにしています。食事をする順番ですが、まず野菜、次に発酵食品、そしてタンパク質、最後に炭水化物という順序で、しっかりとよく噛んでいただいています。これまでどうしてもやめられなかった夜8時半の夜食(食パン一枚)もきっぱりやめました。お腹が空いたら、水を飲んで眠ることにしていますが、慢性的な空腹感があります。毎回の食事がとても美味しく感じられるようになり、あまり好きでは無かった野菜も、たいへん「愛おしく」食べられるようになりました。お弁当のおかずを残すことも無くなりました。

 次に体力増強ですが、これまでは15~20分程度ブラブラとしていた、「散歩」を、30分以上の「ウォーキング」に変えました。両手を大きく振りながら早足・大股で歩くと、太腿が疲れ、Tシャツがうっすら汗ばみます。毎朝のコースの終わりには、駒形神社の階段登りを取り入れています。ウォーキングの前後には、入念に準備体操をします。アキレス腱のストレッチ、膝と足首の回転、股関節の柔軟体操、腰の運動などを行います。あまり使っていなかったICレコーダーに、パソコンからCDアルバムをたくさん取り込み、ウォーキング時のBGMとしてイヤホンで聴きながら歩いています。見慣れた風景も、お気に入りの音楽を聴きながら歩くと、まるで別世界のようです。おかげで長く歩いても退屈しなくなりました。さらに毎日夜にはスクワット50回と、寝たまま足の踵を20cm上げて20秒間そのままの位置で保つ腹筋運動を3セット行っています。

 おかげさまで以前は85kgを越えていた体重が、9月19日時点で、81.0kgまで減りました。毎朝食事の前に体重を量り、一覧表に書き込んでいます。毎日の変化が目に見えるのでやりがいがあります。

 来年の今頃には、体重75kgになることを目指して、安保徹先生の言われるとおり、「無理せず楽せず」を守って続けていきたいと思っています。

精神系グループホームの運営について、私の考えること

宇野和男(元寮生51才)

 私は平成13年3月から22年3月までグループホームブリリアントにお世話になり、今では結婚して普通の市井に住み、B型作業所に通う生活をしています。

 今、いろんな精神障碍者向けにいろいろな施設がグループホーム設立の話をしています。中には「食事だけ何とかすればいいんだけだねと」言ってる方がいますが、私はそれはとんでもないと思います。私の場合退院して1週間目から作業所に通いました。そこで古株のおばさんからいじめられてとても精神不安定状態になりました。2,3日のうち1回は相談員の内田さんと就寝規定のPM9:00より大幅に時間をとっていただき12時まで慰めてもらったことが、ありましてそれは最初の2年間は続いたと思います。簡単に言うと週に2回は特別タイムがあったことになります。話題は古株さんのこと以外にも僕の生き方についてとか、考え方、アイデンテティまで実にさまざまでした。相談員対個別計画の宇野君といった形ではなく実のお母さんになってくれました。退院直後の精神患者は自己の基盤がとても弱く「弁当だけ準備できれば」なんて暴言です。悔やんで自殺未遂または自殺をすることが考えられます。ブリリアントでは2階に6人の部屋があり同じ湯で風呂に入ります。また寮生同士のふれあいが頻繁にあって家族のように性格的に、人格的に化学変化していきますし、食事は一階の大部屋で一緒にとります。ここから寮生同士の仲間意識が発展します。これは皆がみんなを愛することです。いいことばかりではなく一階二階の廊下の掃除当番とか裏の畑の水まき、夕食後にみんなで健康にいいと思われる体操はすべてやりました。また近くの神社の清掃に6人全員で出かけて、精神障碍者はわけのわからないおかしな人種という悪いイメージを払拭するいろいろなことを、町内活動でしました。これらの共同活動を通じて初めて世間の人にブリリアントの皆は普通人だと認識していただいているのです。弁当だけ何とかすれば・・・・個別支援計画の中での規定に対し問題なければ通過点としてのグループホームはなんとかなる・・・・なんてとんでもないと思います。ブリリアントでは平成14年から2週間に1回歌の慰問の活動もしています。こんなに忙しいのもないと思いますが、本番のために一週間は体調管理をしっかりとしなくてはならず、ちょうど新聞屋さんが朝刊を配るのに夜更かししないとかと同じ体調管理です。それもブリリアントの世話人さんを中心とするブリリアント軍団とでもいえるかもしれない。とにかく忙しく自分のことを考える暇がないのが実情でしょう。このようにグループホーム運営は形だけ作っても何にもならないばかりか、だらけてだめ人間に近づくと思います。特にマンション借り上げ型のが一番悪いです。なかなか人材不足なのもわかります、また資金不足もわかります。でも私はブリリアントの形が一番いいと思います。ただ、悲しいのは内田里枝さんは後継者を作れなかったことです。これは金銭的に仕方がなかったのだけどこのまましぼんでしまうにはあまりにももったいない・・・何とかならないか? 今グループホームをやろうとしている方は仮入居してこの文化を引き継いでいってほしいと思います。

入寮して半年が過ぎました

岩瀬雅則(寮生55歳)

 私はブリリアントに4月1日に入寮しました。これまで色々なことを注意されながらも少しずつ前に進んでいます。入寮以来、寮生としてまだ認められない点が多いので、勉強しながら1コずつやりたい思いです。まず畑の草取りから順に始め、自分の部屋の片付け、身の回りの整理・整頓を重点的にやります。できるだけ無理の無いように、自分のできる順番でやろうと思います。

ニジマス釣り

兵藤なつき(寮生31歳)

 寮生で寮長のIさんの提案で私は豊田市下山地区の野原川観光センターへニジマス釣りに出かけました。8月の最初の日曜日がちょうど、予定が空いていたのでその日に行くことに決まりました。

 当日の早朝、私はIさんがレンタカー屋さんで借りた車で国道1号線で岡崎市の本宿まで行って国道473号線を北東へ進んだところに新東名高速道路の高いバイパスが現れました。新東名のインターを越えて、国道473号線を延々と進んで私は気持ち良くなったか眠りにつきました。目を覚ますと豊田市の下山地区にある野原川観光センターに着きました。

 受付では障害者手帳を見せたら料金が普通の料金から200円割引になりました。対象になっていてありがたくなりました。受付を終えると、このセンターの職員さんがいけすの付いた軽トラックでニジマスを養殖場から運び、区切られた川の区間に放流していただきました。

 私は、今まで川釣りに挑んだことがないため川釣りに詳しいIさんにコツを教えていただきました。

 川の流れが太陽の光で反射して魚がどこに泳いでいるかつかめなくなるのでIさんが私に貸していただいた偏光サングラスをかけて魚釣りに挑みました。

 えさはイクラで釣りました。美味しそうに見えて食べたくなりました。

 糸の先についた釣り鉤にえさのイクラを付けてから川の流れに振り込みました。

 なかなか魚がえさを食べてくれなかったり、どこに魚が泳いでいるか見えなかったり、魚がえさを食べた瞬間にさおを立ててあわせることが難しかったです。そうこうしたらさおを引っ張るのが遅くなったことで魚に逃げられてしまいました。

 魚を釣った時私は喜ぶあまり後ろへひっくり返って服を濡らしたり、石で頭を打って大ケガをしてしまうところでした。釣り上げた魚は、水を張ったバケツに入れておきました。

 休憩時、私は、橋を渡って林道へ散歩へ行きました。途中でシイタケの原木を見かけました。季節を迎えると、シイタケ食べ放題で林道がまた盛り上がるのかなと想像しました。

 川へ戻る門限を忘れていたら、私は本宮の湯へ行くことも、ブリリアントへ帰ることも、楽しい思い出をつくることも、できなくなったのかなと、今はその時を振り返って思います。

 結局魚は約12匹放流したうちの5匹しか釣れずにその日は釣りを終えることになってしまいました。私は5匹のうちの3匹を釣りました。

 釣った魚はIさんが本宮の湯に向かう途中のコンビニで氷を買ってクーラーBOXに入れて魚を冷やしました。そうしなかったら、月末のカウンセリングの日の夕食で食べることができませんでした。

 Iさんありがとうございました。

ブリリアントの畑

白井千雄(寮生71歳)

 今年の豊橋は8月末まで台風が来なかったので暑い日が続きました。畑の水まきが大変でした。ナス、キュウリ、ミニトマト、カボチャ等、多種類に渡って、多く収穫できて良かった。

 今年は落花生とズッキーニを新たに植えました。北川さんから藁をもらって下にひいたので作物が良く育ちました。9月17日(土)寮生で夏野菜を採って、耕運機で耕して、冬野菜の種まきをしました。

お盆のお墓参り

藤田一夫(寮生67歳)

 8月15日のお盆にお墓参りに行ってきました。朝、農協で果物セットを買って妹の家に寄り、果物を御仏前に供えてお参りしました。両親と妹のだんなのお参りをしました。妹のだんなは55歳で亡くなり、その後に妹が家を1500万円でリフォームし、今年の7月末日で妹は勤めていた蒲郡競艇場をやめ、隠居しました。私と二つ違いで、よく長年勤めたと思います。だんなが亡くなった年は妹の3女が短大在学中で、翌年に卒業しました。

 お墓は兄弟姉妹全員でお金を出し合って買うものだと聞いたのですが、私1人でお金を出して建てました。妹・弟はお金を出しませんでした。長女の家はお墓に近いのでいつも寄って来ます。お昼ご飯をよばれました。おみやげにインスタントコーヒーゴールドブレンドを2ついただいて帰りました。

 私1人豊橋に住んでいて仏壇は弟が守っています。藤田家の土地は長男が継ぐものだと言って、両親から長男である私がもらったのですが、その土地に弟が家を建てて住んでいます。

しゃばの暮らし

理事長 内田里枝

 小島町のウズラの試験場で、開拓者みたいな生活をしていた私達だったが、そこで息子を授かり、1歳8ヶ月の時に彼のために中野町の自宅に帰ることにした。友達を作るためだった。そして2歳半から幼稚園へ通うことになった。私もママ友とのお付き合いも始まり、趣味の時間も少しずつ持てるようになってきた。しゃばの暮らしが始まったのである。

 主人の兄が病気で亡くなり、主人の実家も米屋を廃業した。会社を助けるために主人の1番上の姉夫婦が東京から戻ってきてくれていた。姉は生け花の先生をしており、芸術的な感性がすばらしかった。私は姑といっしょに毎週生け花のお稽古に行った。生け終わるとスケッチして絵の勉強にもなった。「お花はお洋服にどんなアクセサリーを付けるといいかって、そんな感じで生けるのよ。」今でも覚えている。彼女から教わったことは数え切れない。


どこに出しても恥ずかしくないおふくろ

 主人はいつも、「俺のおふくろはどこに出しても恥ずかしくない。」と言っていた。確かに頭が良くて、でも頭が低くて何でもでき、トンチもある。私はいつも姑にはかなわないと思っていた。尊敬はしていても、どこか遠い存在の姑だった。

 しかしある時を境にそれは一変した。私の実家の父が脳溢血で倒れ、11日間意識不明の後亡くなった。その間泊まり込んで主人と息子の世話をしてくれたのが姑だった。おかげで私はずっと病院にいて、父の最後の看病をすることができたのだ。こんなことは、普通はあり得ないことだ。私はあまりにありがたくて、お葬式が終わりすべて片付いて帰って来た時に、「お母様、本当にありがとうございました!!」と言ったと同時に涙があふれ出て止まらなかった。そんな私を見て、姑も「あんたは本当にお父さんの通りの人だね。」と私の手を取って泣いてくれた。それは嫁いでちょうど10年目のことだった。それから姑は私の1番身近な大事な人となった。黙っていてもお互いの気持ちが分かり合える仲、主人のグチさえも言い合える存在となったのだ。

 今思えば、昔姑にキツイことを言われたこともすべて私のために言ってくれたことだということを悟った。今の私があるのも姑のおかげだと思う。感謝の念しかない。


福祉活動の始まり

この頃ウズラの飼育の方は景気が良く、試験場どころか1会社として実績を上げていた。農場も小島から高塚農場、七根農場と増え、人手不足に悩んでいた。そんな時、精神科の病院から、「うちの患者をリハビリとして院外作業で使ってくれませんか?」という話があった。それじゃあ、とお願いしてみると、皆一生懸命働いてくれる。それ以後、いろんな精神病院から患者さんが入れ替わり立ち替わり働きに来てくれるようになった。そうこうするうちに病院の方から、「内田さん、グルーホームを作ってくれませんか?彼等は病気が治っても家では受け入れてくれないし、かといってアパートにはなかなか入れないし、もう20年、30年と入院している人達がいっぱいいるんです。」 その頃会社も景気が良かったのか、主人は「よっしゃ~!!」という一声でグループホームを建ててしまったのである。

 その陰には、今は亡きブリリアントの産みの親、精神科医の吉川武彦先生のご尽力も多々ある。吉川先生は“理想のグループホーム”としてブリリアントのことを全国に講演して歩いて下さった方で、亡くなるまでブリリアントを可愛がって下さっていた。吉川先生のお力が無ければブリリアントの存在は無かったと思う。主人も私も精神の病気のことはまるで無知。しかし、何も知らないから始められたのかもしれない。

 平成5年の秋、ブリリアントは開設された。その頃寮生は皆ウズラ農場で働いていた。私は昼間は東海起業(飼料会社)の事務仕事をし、夜はブリリアントの世話人をするというような毎日だった。「ブリリアント」という名前は、主人の友人であり、アメリカのワシントン大学の教授、井上さんが付けてくれた。英語のブライトという「輝く」よりも、もっと光り輝くのがブリリアントなんだそうだ。(ダイヤモンドのブリリアントカットという言葉、ご存じでしょう?)主人の頭の輝きも素晴らしかったので、それをもじったのかもしれない。

 と言う訳で、ブリリアントは今年でもう23年目になる。私もだいぶ年老いてきたが、まだまだ体を鍛えてあと10年はがんばるつもりである。皆様、今後ともご協力よろしくお願い致します。

薬の必要性と役割り

杉浦 依和夫(ヨガ講師)

 「なぜ人間だけが病むのか」を、生活の影響、心の影響、環境の影響についてヨガ医学は解説している。

 人間生活というのは動物と違って文化生活をしているからである。文化生活とは不自然生活であり、これはとりもなおさず保護生活で、無理になる生活であるから発病するのは当たり前である。どだい病まない生活なんてなしえない、が、適応性を拡大し調和維持能力を高める訓練をしていく条件を行ってことこそが人間として生きる道である。

 さらに動物と違って精神的なものの影響が非常に大きなウェートを占めている。一つ一つのことに、適切なバランス維持の心が働けばいいのであるが、どうしても偏った受け取り方や考え方をしやすい。心理作用といえども神経作用とホルモン作用を中心にしたものであるから、そのまま生理作用に影響するのである。

 また、一切の生物はそれぞれ環境を作り出しているのであるが、影響を受ける病原菌は人間環境が発生、生存条件を作っている。自分で生み出した毒に自分が冒されているのである。しかし、これも訓練すれば病原菌も健康刺激品に変えることが可能である。

 健康で生きるためには、健康を生み出すような身心の訓練及び生活環境の改善する以外に方法はないのである。

 治病として逆刺激を与えると調子がよくなり健康に戻ったかにみえるが、修繕された、病因を移行した域は出ない。根本を治し強化することが真の治病法である。

 とくに、人は慢性病に移行しやすいものであるが、急性病から発展と捉えてもいるが、そもそも、急性病といえども、病原性とかウィルスなどを除いたものは、発病するまでのエネルギーが蓄積されて急に深い症状としてでてきたものといえる。脳溢血や心不全などで昏睡などに陥ることも突然襲ってくるようにみえるが、深く病因が潜行しているはずであるが、体自身が気付いてくれなかった。生命自身は早いうちから異変を察知して“気絶”を促してくれなかったからである。気絶することによって、死を免れる知恵や保護作用が治癒力に具わっているのである。

 慢性病は気質、体質病であり、しかも体より心の影響を強く受ける。体質病を体で体を治そうとするが、また一般には薬物に頼るが、却って方向性を間違う。

 薬自身が治すのでなく、治るまでの保護作用であり、回復作用であり、援護作用である。その意味で使うならば乱用はないが、誤ればその害を受けなければならない。

行事報告 平成28年7月~9月

7月

7/2 (土)畑の仕事
7/3 (日)傾聴ボランティア(カリオンビル)
7/9 (土)畑の仕事、呼吸サークル(文化会館)、太鼓の練習(さくらピア)
7/16(土)畑の仕事、花火大会
7/23(土)畑の仕事
7/27(水)「ブリリアント」慰問(珠藻荘)
7/30(土)海水浴(浜名湖女ヶ浦)
7/31(日)曽我先生勉強会、カウンセリング

8月

8/6 (土)畑の仕事、呼吸サークル(文化会館)、太鼓の練習(さくらピア)
8/7 (日)七夕祭り
8/11(木)誕生日会
8/13(土)畑の仕事
8/15(月)グループホームたけのこ盆踊り大会
8/20(土)畑の仕事、「ブリリアント」慰問(若菜荘)
8/27(土)畑の仕事、納涼夏祭り(さくらピア)
8/28(日)曽我先生カウンセリング

9月

9/3 (土)畑の仕事
9/10(土)畑の仕事、「ブリリアント」慰問(和)、呼吸サークル(文化会館)
9/11(日)誕生日会
9/17(土)畑の仕事、太鼓の練習(さくらピア)
9/18(日)曽我先生カウンセリング
9/24(土)畑の仕事、避難所体験(さくらピア)

ブリリアントにご協力いただいた方々

北川藤良様、鋤本恵美様、澤田竜弥様、杉浦依和夫様、曽我洋秀様、佐溝力様、山口京子様、井上浩様、菅谷君男様、ふれあい様、豊橋善意銀行様、カリオンビル様、豊橋市社会福祉協議会様、東海有機(株)


ブリリアントにご寄付下さった方々

杉浦豊作様、珠藻荘様、曽我洋秀様、有馬様、佐羽尾様、河合きほ様、河合邦明様、河合かずこ様、金原光昭様、金原博昭様、デイサービス和様、山口京子様、藤井武弘様、稲村絹代様、立岩清様、高橋聡子様、天野佑子様、レスポワール様、大橋温様、花王石鹸(株)様、大橋善孝様、ピュアオフィス矢車草様、

豊橋善意銀行様、豊橋市社会福祉協議会様、東海有機(株)


いろいろとご協力、ご支援ありがとうございました。

ブリリアントでは、毎週木曜日の夜6時30分から、「お話し会」を行っております。ココロの悩みのある方、精神福祉に関心のある方、どなたでも参加できますのでどうぞお気軽にお越し下さい。夕食もご準備できますのでご一報下さい。

編集後記

 ダイエットを始めて3週間。一日2回、朝と夜に体重計に乗ってチェックすることが日課となりました。お話し会で出されるお茶菓子をじっと眺めては、体重計のことを考えて、手を出さずに我慢しています。減らすぞ!体重!

伊藤 剛

 8月27日(土)の豊障連夏祭りで私の通っている作業所のメンバーの女性2人と会い、一緒に盆踊りを楽しみました。ありがとうございました。

兵藤なつき

 ブリリアント祭りが近づき、頭の中はお祭り一色になっています。“どうか良いお天気になりますように”ひたすら祈るばかりです。

内田里枝
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