レッツ ブリリアント 2011/09 第46号

発行者
精神障碍者社会復帰施設
特定非営利活動法人(NPO法人)ブリリアント 施設長 内田 貴士

住所 〒 441-8145 豊橋市駒形町字坂口56番地
TEL 0532-46-0033
FAX 0532-46-0163

URL http://brilliant-gh.sakura.ne.jp/

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平成23年9月15日発行

今年もブリリアント祭りがやってきます

施設長 内田貴士

 夏も過ぎこの時期になるといつも「今年のブリリアント祭りは?」の声が聞こえてきます。私が施設長になって初めてのブリリアント祭りです。

 父は今、名古屋のがんセンターで療養中です。だいぶ経過は良いようですが、留守を守る身としては何としてでもブリリアント祭りを成功させなければなりません。ブリリアントのメンバー、それから支援者の方々のご協力があってこそのお祭りです。寮生はこの行事に参加することで自信をつけ、地域のお客様には彼らのことを理解していただき、また支援者の方々には福祉の世界の重要さと楽しさを味わっていただければと思っています。

 開催は11月13日(日)で、場所は毎年行っている駒形公民館です。今年は特に、芸術の秋にふさわしく、素晴らしいオブジェの展示を予定しています。もちろん毎年恒例の楽しい音楽、バザー、また美味しいメニューもいろいろ取りそろえて皆様のお越しをお待ちしておりますので、一人でも多くのお友達をお誘いくださいますようお願い申し上げます。

主人を襲った突然の災難

理事長 内田里枝

「もしもし、どうだ? 変わった事はないか?」

「ブリリアントは皆元気でがんばっているから安心して!!」

 毎朝このモーニングコールで一日が始まります。そうです、主人は今、名古屋のがんセンターに入院して闘病生活を送っているのです。

 主人の病気がガンだとわかったのは6月の下旬でした。3月頃から歯が痛いといっては歯医者に通っていましたが、痛みは止まらず痛み止めを飲んでいました。そうこうするうちに今度は頭が痛くなり、救急で市民病院に行きCTを撮ってもらいましたが、それでも原因は分からず、やはり痛み止めでしのいでいたのです。

 本当のことが分かったのは市民病院の耳鼻科にかかった時のことです。「交通事故をやりましたか? 顔の右の部分の骨が無いのですが......」主人は交通事故でケガをしたことはありません。びっくりして大急ぎで検査が始まったのです。全身麻酔で顔の細胞を取る手術を行った結果、悪性(ガン)だということがわかったのです。「もし手術を行うとしてもこれは大変な手術になります。右目も摘出しなければいけないかもしれません」主治医の先生の説明を聞いただけでも体がガタガタ震えました。「私は全力を尽くすつもりですが、他の病院で手術したければそれでもいいですよ」と、やさしい先生のお言葉でした。主人と息子と三人で相談した結果、症例数の多い名古屋のがんセンターに入院することにしたのです。

 7月5日に入院し、すぐ手術前の抗がん剤の治療も受けましたが、主人は体があまりに衰弱してしまったため2日だけで終わりました。そして体調を整え7月27日、大がかりな手術をしていただいたのです。顔の右半分の腫瘍を取り除くのにあたって右目も失うことになりました。そして脳を支える床の部分がガン細胞に冒されている恐れがあるということで頭も切開したのです。だからスタッフも、脳外科、頭頸部外科、形成外科と大勢の先生方がチームを組んで関わって下さいました。朝9時に手術室に入って終わったのは夜の10時半でした。13時間半もの手術でした。そのあと主治医の先生の説明があり「手術は思った通りです。成功しました」とのお言葉でした。しかし主人は体中管だらけ、気管も切開されたので言葉も話せず顔はフランケンシュタインのようにすごいことになっていました。しかし私は感謝しかありませんでした。13時間もの間、ガン細胞と闘って下さった先生方、終わった時はグッタリと疲れ切ったご様子でした。大変な重労働です。「ありがとうございました!!」ただそれだけしか言葉が出ませんでした。

 このがんセンターは別世界でした。先生方はじめ看護士さん達が本当に立派でやさしいのです。イヤな顔一つ見せずテキパキと任務をこなしてくださいます。私は今の乱れた世の中に、ここだけは神聖な場所のような気がしました。常に死と直面している患者さん達と接しているからでしょうか? そういう教育が徹底しているのでしょうね。

 今はもう、手術してから一ヶ月以上がたちました。主人はもう話すこともでき、食事も普通食が食べられるようになりました。病院の中だったら一人でどこでも行かれます。あの大手術からここまで快復することができたのも先生方の並々ならぬ熱意と看護士さんたちのやさしさのおかげです。本当にこの病院はよりすぐりのエリート達の集まりのような気がしました。

 今は毎日、同級生や友達やいろんな方がお見舞いに来て下さいます。その方達とお話しをするのが主人の一番の楽しみとなっています。

 最近は息子と仕事の話でケンカまでしています。ここまで良くなったんだなぁ.....とつくづく思います。

 退院したらアレもしたいこれもしたい旅行もしたい同窓会にも行きたいと話し出したらきりがありません。これだけ前向きだったらきっとまた実生活に復帰できると思います。

 主人の命を救って下さった先生方、看護士さん達、また、主人を支えて下さった同級生の方々、そしてブリリアントを助けて下さった支援者の方々、本当にありがとうございました!! 皆様のおかげで何とか主人も生還できるでしょう。11月のブリリアント祭りの頃には、きっと元気な顔をお見せできると思いますよ。心から皆様に感謝です。ありがとうございました!!

現代の危機について

森下昌洪(支援者)

 田原総一朗さんの、「デジタル教育は、日本を滅ぼす」を読んだ。

 現代の子供達は、完全にデジタル化されている。すべてボタン一つですぐ結論が出せることが恐ろしい。人として、じっくり時間をかけて、色々な考え方がある事をわからなくさせている。

 携帯電話とインターネット、パソコンがあれば全世界の情報まで、簡単に手に入る世の中になった。もうこれ以上、教育界にまでこのような機器は、導入すべきではない。

 人が生きて行く上で必要とされる情報は、そんなに多くはない。欲望のままに取り込み、頭の中がパニックになり、人として一番大事な、必要とされる情報がわからなくなる。

 よく電車の中、マクドナルドで、三、四人が無言でゲームに熱中している子供をみると「ぞっと」してしまう。一度そういう完全な「画面人間」と、面談してみたい。おそらく人間としての機能は、無いだろう。ロボットと話しをしているようなものだ。会話の基本である、目と目が合わせられず、どこに焦点があるのか、みものだ。会話は、質問に関しては、答えに無駄がない。表情、身振りがないから、これは人間ではない。

 マクドナルドでは、ケータイで注文出来るので、余分な会話はしなくてもよい。もう完全に精神を冒されているので、ウツ状態の時には、しゃべらなくてもよいのでこの注文は、便利だ。

 人は毎日毎日生きて行く上で、人と話さなければ生きて行けない。 これ以上、デジタル機器を発達させては、いけない。自己中心的人間を増やさない為に!

 僕は、デジタル人間だけには、絶対成りたくない。

彼女が欲しい

藤田一夫(寮生62歳)

 私はまだ長生きしたいと思っています。まだ私の人生を振り返るのは早いが、自分の人生をきびしく考えると、父にずいぶん苦労をかけたなと思っています。父の晩年に畑仕事をさせてしまって、私もずいぶんわがままに生きて来たことを反省しています。畑で父が衰弱した体をむちうって生きてきて、72歳で早すぎるほどの早死にしている。天国の方がいごこちがよかったのかとも思っています。私の仕事についても独身者の私に有利な賃金闘争で勝ち得た賃金を今思えばもらいすぎだったのかと思い、今その分お金で苦労をしています。人生ってだれとも公平に出来ているんだなぁと思いました。私は仕事一筋に生きてきて、女に目がくらみばちが当たったこともありました。でもまじめに生きてきたごほうびがすこしはあっても良いと思っています。まったくないと、これからの人生さみしい限りです。私のこれまでの経験を活かし、もう二度と失敗を繰り返さないように生きてゆきたいと思います。自分のことをやさしいとうぬぼれていたのかと心の隅で思ってきて、その弱みにつけこまれたのかと今頃わかりました。

 今、仕事をして稼いで生きていくことがこんなにも苦しいことかとつくづく痛感しています。これからの私の人生、どう生きていったら良いのか前方が見えません。私は幸せになりたい。そのためにはどうしたら良いのか全く見えません。だれでも異性のパートナーが一人はつくのに、私が好きな人はいるのだけど思うようにいきません。こんなネガティブな気持ちで幸せになれるわけがありませんね。日本のどこかに私を待っている人がいるような気もするのだけどどうしたら良いのでしょうか。私はこんなに弱い人間なんだったと思い知らされました。これからもっと落ち込むのか先が思いやられます。まじめにやって来た人がばかをみる世の中にしてはだめだ、障碍者になったことで働いても一筋の光も見えてこないなんて、生きる生きがいがない。でも私は私なりにこの性格をつらぬくしかないのか。このまま老化して夢も捨て死んでゆくのか。むだな時間は過ごしたくありません。彼女が欲しい~。

私の生い立ち

兵藤なつき(寮生)

 本当のことを言います。私は自分のことを文章で書くのが不得意です。言葉を話すのも不得意でした。そのため教育センターに通いながら幼稚園に通いました。集団で遊ぶのも不得意でした。「遊んでー」と誘われても結局逃げてしまい先生たちが私の事をよく心配しました。

 私が通っていた中学校で日誌を配られても何を書いていいか分かりませんでした。結局ほとんど書きませんでした。心の相談センターというのもありましたが、そこまでやろうとも思いませんでした。

 何か興味津々なものがあるとそっちへ走って、結局自分と向き合うことは後回し。私も自分で逃げ道を作っていたかもしれません。

僕とオートバイ

高井 宏(寮生46歳)

 僕とオートバイが、仲良しになったのは、今から、そう、約三十年前の事です。

 当時、高校三年生だった僕は、通学に、国道一号線を渡らなければいけませんでした。自転車にまたがり、冬の寒い中、信号待ちをしていると、西の方角から、「ズドドドドドド・・・」と腹にひびくような、オートバイの排気音がして来ました。きっと暴走族だろうと思って、知らぬ顔をしていました。

 ところがその二人乗りのオートバイは、僕を見るなり、ピースサインを送ってきました。

「ふーん、中には、気の良さそうなオートバイ乗りもいるんだな。」

 何か今までのオートバイ観が変わりました。それからというもの、オートバイが好きになりました。

さざなみ憩いの家(作業所)の仕事内容

安間道貞(寮生25歳)

 僕の仕事内容は、ロープ巻きと金具曲げの二つですが、僕以外の金具通しの人員配置は他に6名以上が居ます。ロープ巻きの人員配置は9人以上居ます。でも、みなさん通院やデイケアに通っているために、みんなが揃うことは少なくて寂しいのです。金具曲げの人員配置は4人ぐらいで、僕一人になって作業することもあります。金具を機械で曲げる作業は計4時間かかるので、金具一個につき10グラムで、40キログラムの場合は4000個くらい入るので、並べる人はいつもの二人です。金具曲げの材料が来ない時には僕がロープ巻きをします。もう一人の人は箱折りをします。それぞれ分かれています。さざなみ憩いの家の食事や掃除(トイレも)の当番表は3班なので、男子は僕を入れて9人で当番をします。女子は7人で行います。帰りの出勤簿は日替わりで、僕を含めて4人で行います。朝礼などの点呼当番は、3週間毎で、3人で行っています。

 この9月で、さざなみ憩いの家の仕事は2年目になります。仕事はとても楽しいです。僕は火曜日から金曜日まで、週に4日通っています。

知られていなかった親鸞

杉浦 依和夫(ヨガ講師・60代)

 ついぞ前に世に云う“お東さん騒動”が勃発していた。大谷派の内紛で、金銭の出し入れによる兄弟喧嘩に受け取れたが・・・。そんなことで、大谷家の三男でしたか、飛び出して本願寺派を起こし、その後その三女が法主(ほっす:座主に相当する)に就いている。浄土真宗はじまって以来の女性法主の誕生だそうだ。

 江戸幕府により、真宗は東西に分断されて東本願寺派、西本願寺派と別れた。東本願寺派は“お東さん”とも大谷派とも呼ばれ、親鸞の末裔にあたるらしい。二大宗派の他に、三重県多度津を本山とする高田派、福井にある正興寺派などと本願寺派を合わせて十一派が存在している。親鸞もここまで継承されるとは想像だにしなかったでしょう。いっとき“一向宗”などと呼ばれては、いたが・・・。大正時代にようやくにして親鸞の存在が知れることとなり、名無しというわけにはいくまいと附せられた宗教名が“浄土真宗”だったという。

 思えば親鸞の苦難のはじまりが、後鳥羽上皇の新興仏教である浄土宗への厳しい弾圧からで、時は十三世紀初頭であった。後鳥羽上皇は歌人であるが政治への執着が強く、倒幕を企て“承久の乱”を起こし、隠岐に流される陰惨を舐める。

 一方、法然、親鸞は念仏さえ唱えれば誰でも阿弥陀様に救済されると説き、浄土宗として庶民の間に信仰を広げていったいわば信仰仏教の指導者でした。厳しい修行と戒律を中心に確固たる世界を築いてきた真言密教などの旧仏教の側から見れば破戒僧にも等しい行状だったのだ。

 そんなことで後鳥羽上皇は法然を四国に、親鸞を越後へと流罪にしました。この時の弾圧は非常に大規模で、多くの法然門徒が流罪になり、高弟二人は断罪されました。処刑に際して二人は高らかに経典を唱え「迫害するものは地獄に堕ちる」と叫んで果てたそうだ。

 ところでこの法難は新興仏教徒と旧仏教及びそれを母体とする権力との確執の結果であると・・・。

 通例、熊野詣は二十日ほどの日程で多くの女御たちを従えての旅になるようですが、法然の弟子たちがその留守居の女房たちを説いた罪、というのが直接的な原因でもある。

 法然が赦されてその四年後、親鸞も赦免されるのですが、やがて妻の恵心尼とともに常陸の国へ移住します。

 常陸で二十年間布教に努め多くの信者を集めますが、還暦のころ弟子を一人も伴わず再び京都に戻ってきます。この弟子を捨てた親鸞という特異な姿勢もよく知られているところであるが、これも後々のことではある・・・・。

 仏道一筋のゆえかどうかわからないが、弟子を捨て子供を勘当し教団をもたない親鸞ではあるが、僧侶で初めて妻をめとったのも親鸞である。

 教団をもたない親鸞は乞食坊主同然の身であるがゆえに宗祖なぞ名乗りようがなかったのである。

シロちゃん物語

理事長 内田里枝

天国に旅立った「シロ」

 ブリリアントのアイドル猫「シロ」も先日、天国に旅立ちました。10年という年月をブリリアントの寮生達といっしょに過ごしたシロ。何か一つの歴史が幕を閉じたような気がします。

シロはなかなかのできぶつ

 私は猫は飼わない方針でした。魚や肉をコソコソと来てはシッケイされると困ると思っていたのです。ところが2月のある寒い日に寮生の一人が小さな白い猫を抱えてきて「奥さん、この猫を飼って下さい。お願いです。名前はシロです。」ともう固い決心をしての発言でした。言い聞かせても無駄といった顔だったので、仕方なく私はOKを出しました。飼ってみるとシロはなかなかのできぶつでした。魚も肉も食べません。食べるのはカリカリのキャットフードだけです。私はフッと胸をなで下ろしました。しかし、ケーキのクリームやまんじゅうのあんこを、ペロペロとおいしそうに食べるのにはチョッとビックリ。おかげでシロは歯がだいぶ悪かったです。

集中力抜群のシロ

 シロはいつも天井にいるガを狙っていました。何とかして捕ろうと一晩中でもジャンプをしていました。しまいには目に涙さえ浮かべてピョンピョン跳ねていたものです。かなりしつこい性格の持ち主でした。しかし、それにしては一生涯で二羽のスズメしかしとめられなかったということは、チョッとなさけない話ですね。

シロも寮生の一員だった

 ブリリアントでは以前、寮生が午後4時頃作業所などから帰ってくると、駐車場の広場でラジオ体操をしたものです。丸く輪になって体操をしていると、いつのまにかシロも来て輪の中に加わるのです。そのあと寮生達は列をなして畑の道を散歩に出かけます。すると必ずシロもその御一行に加わり散歩を楽しんでいたものです。とうもろこし畑の中のトンネルを出たり入ったりして道草するものだから、散歩はなかなか終わりませんでした。

シロは接客係

 ブリリアントでは毎週木曜日の夕食後に「お話し会」という行事を行っています。するとどこからともなくシロがやってきてピョンとテーブルの上に乗り、目指すのは・・・・新人さんです。どういう訳か初めてのお客様が好きで、必ずその前に座り、できれば膝の上に抱かれようとチャンスを狙っています。しかし、結局シロは誰にでも愛想をふりまく八方美人だったのかもしれません。

シロの子育て

 シロは雄ネコでしたが子育ての経験もあります。6年くらい前に寮生が竹藪の中から生まれたての赤ちゃん猫を拾ってきたことがありました。まだ毛も生えておらず、手のひらに乗せると鶏の卵くらいの大きさでした。哺乳瓶も飲めないほど小さかったので、獣医さんからいただいた注射器で猫用のミルクを飲ませました。その猫は「ジュン子」という名前です。「ジュン」はシロをお母さんと思い、足でお腹をフミフミしてはシロのオッパイを吸うのです。でも、いくら吸ってもオッパイは出てきません。いつのまにかシロの乳首は赤く腫れ上がって血がにじんでいました。それでもシロはジッとしてジュンに吸わせていました。それどころか夜になって誰もいなくなるとジュンの身体をなめまわして毛づくろいをしているのです。そしてジュンは温かなシロのお腹にスッポリと包まれて眠っていました。ジュンはシロのおかげで立派に育ったのです。今では筋肉リュウリュウで、病弱なシロに比べたら2倍くらいの大きさになりました。

シロの二代目 ジュン

 シロがいなくなってジュンに異変が起こりました。外へばかり遊びに行っていて、ほとんどブリリアントにはいなかったジュンが、どこにも行かなくなったのです。毎日「ニャーニャー」とけたたましく鳴いてシロを捜しているのです。それは見るからに哀れでした。お母さんを失った子猫のようでした。しかしシロが天国に行ったことを悟ったのか最近は、ジュンの指定席でグーグー昼寝をしています。そして、食事時ともなると食堂にやってきて「ニャーニャー」とうるさく鳴くのです。「私はここにいるよ。」とばかり自己主張をし、撫でてもらったり愛想を振りまいたりしています。シロのあとがまを務めているのかもしれません。

「シロ! 安心して天国で暮らして下さい。あなたの二代目はちゃんと育っていますから。」私はそうっとシロに話しかけました。

シロのいない夜

伊藤 剛(寮生49歳)

 夏の暑くて寝苦しい夜、少しでも風が通るように僕はドアを開け放して寝ます。夜、寮生が寝静まると、ヒタヒタと足音が近づいて来ます。猫のシロです。いったん部屋に入ってきたシロは、押し入れの中に入って一周偵察を行い、それから僕のベッドに上がり込むと、いつでも一番良い場所を取ってしまいます。いっしょに寝てもいいのですが、身体のどこかを寝違えたりしても困るので、シロを横にどかしてから寝ます。ベッドの脇に追いやられたシロは、

「も~せっかくいい場所を取ったのに.....」

 とでもいいたそうな顔でこちらを見ます。トイレに起きて戻ってくると、またシロが真ん中を占拠しています。懲りないネコです。困るのは、大事にしている羽毛布団の上に好んで居座ることです。だいぶ汚されました。シロは鼻が弱く、くしゃみをするたびに鼻水をまき散らすのです。足跡も付けます。

 シロは人なつっこい猫でした。お話し会では話の途中でテーブルに上がると、必ず新顔の人を見つけては、その人の膝に座り込みました。お話し会のおやつのケーキやお饅頭などが出ると、クリームや餡をペロペロとなめて、甘党の猫でした。世話人さんと寮生とが集まってブリリアント新聞の折り込み作業なんかをしていると、必ず現れて、手伝いたいなぁというような顔をしていました。

 シロが逝ってしまった夜、廊下を歩いてくる足音はもう聞こえないのだなぁと思うと、思わず泣けてきました。もっと親切にしてやるべきだったと思いました。今頃は天国のみっちゃん(鈴木光雄さん)といっしょのベッドに眠っているでしょうか?

 シロよ安らかに眠って下さい。

行事報告 平成23年7月~8月

7月

7/2(土)お米の仕事、研修生コロナ
7/3(日)研修生コロナ
7/9(土)研修生コロナ
7/10(日)研修生コロナ野菜販売一旦終了
7/13(水)「ブリリアント」慰問(珠藻荘)
7/16(土)お米の仕事、花火大会
7/17(日)社長お見舞い(名古屋がんセンター)
7/24(日)曽我先生カウンセリング
7/26(火)太鼓の練習(さくらピア)
7/30(土)松崎病院納涼祭
7/31(日)海水浴(女ヶ浦)

8月

8/6(土)お米の仕事
8/7(日)七夕祭り
8/9(火)太鼓の練習(さくらピア)
8/16(火)盆踊り大会(たけのこ)
8/20(土)お米の仕事、誕生会(高井)
8/21(日)いきいきフェスタ(ライフポートとよはし)
8/27(土)「ブリリアント」慰問(若菜荘)
8/28(日)曽我先生カウンセリング

ブリリアントにご協力いただいた方々

今泉良美様、万久商店様、白井四郎様、菅谷君男様、佐溝力様、水谷様、井上浩様、大須賀良子様、曽我洋秀様、位己光児様、佐溝力様、北川藤良様、北川伸枝様、マダム芳江様、清水伸太郎様、森下昌洪様、白井千雄様、稲地扶美子様、金原康純様、レスポワール様、豊橋善意銀行様、豊橋社会福祉協議会様、ゆうきデリバリーサービス様、東海有機(株)

ブリリアントにご寄付下さった方々

今泉良美様、大須賀良子様、曽我洋秀様、金原康純様、金原光明様、中西寿彦様、内田知様、内田佳伸様、清水伸太郎様、黒木武秀様、マダム芳江様、北川藤良様、兵藤昇様、山口京子様、白井千雄様、金原博昭様、万久商店様、佐羽尾様、河合きほ様、牧様、岡林園様、藤井様、河合邦明様、田中稔様、中西寿彦様、木下真男様、溝口こたけ様、内藤得也様、藤岡様、金子一郎様、岸谷笙子様、五十嵐裕子様、林恭子様、牧吉弘様、山本美和子様、上島様、佐藤様、夏目義久様、圓山源作様、生田久子様、稲村様、筒井電機様、矢車草様、豊橋善意銀行様、豊橋社会福祉協議会様、ゆうきデリバリーサービス様、東海有機(株)

いろいろとご協力、ご支援ありがとうございました。

毎週木曜日の夜6時30分から、「お話し会」を行っております。どなたでも参加できますのでどうぞお気軽にお越し下さい。

編集後記

 最近ジュンが食事中に魚や肉をねだってテーブルに寄ってきます。私がリラックスルームでくつろいでいるとスリスリしてきます。人なつこくなりました。

兵藤なつき

 台風が去り、空は秋空、風も秋風が吹き渡っています。近所の畑も冬物野菜の準備にとりかかり、すっかり模様替えをしました。食欲の秋、読書の秋、皆様はどのように過ごされますか?

伊藤 剛

 ブリリアントの寮生は毎週土・日には駐車場や畑の草取りをし、主人のいない留守をしっかり守っています。豊川の畑も夏野菜が終わり、冬野菜の準備を進めています。みんな一丸となって頑張っています。

内田里枝
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