レッツ ブリリアント 2017/10 第70号

発行者
精神障碍者社会復帰施設
特定非営利活動法人(NPO法人)ブリリアント 施設長 内田 貴士

住所 〒 441-8145 豊橋市駒形町字坂口56番地
TEL 0532-46-0033
FAX 0532-46-0163

URL http://brilliant-gh.sakura.ne.jp/

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平成29年10月1日発行

誕生会 & ブリリアント祭りのお知らせ

施設長 内田貴士

 9月は誕生日を迎える人が3人。それも私の母(内田里枝)と私、そして長男の高太郎と、内田家の家族が3人も揃うのです。このあいだ1歳の誕生日を祝った高太郎ももう4歳です。早いものです。彼は誰の誕生会の時でもいつでも主役で、ハッピーバースデイの歌の後、ケーキのロウソクを吹き消す役を買って出ます。まるで自分の誕生日のように嬉しそうに誕生日の人といっしょに「フーッ」とロウソクを吹き消します。そして誕生日の人の名前の書いてあるチョコレートを狙っています。今回は自分の誕生日なので大いばりです。大はしゃぎでロウソクを吹き消し、チョコも美味しそうに食べました。平和なブリリアントの1シーンでした。

高太郎君は4歳になりました!

高太郎君は4歳になりました!

 さて、今年もブリリアント祭りが近づいてまいりました。11月12日(日)です。去年のようにお天気にしたいものです。今年も昨年同様盛りだくさんの出し物を用意しております。子供さんからお年寄りまで皆さんに楽しんでいただけるお祭りにしたいと思っています。毎年大人気のウズラの燻製卵まきもありますので、皆様どうぞ大勢のお友達を誘ってお越しください。

死を見つめて生を生きる

曽我洋秀(世話人:鍼灸師)

先日亡くなられた日野原重明先生がNHKの番組で話しておられた言葉です。医療者として多くの人を看取ってこられこんな言葉が出てきたと思います。僕も同じ医療者として多くの人を看取ってきました。

日野原先生の創られた言葉に生活習慣病と言うことがあります。僕がこの道に進んだ時には成人病と言う言葉でした。成人になると誰しもこれらの病気になると言う様に捉えられていました。しかしまだまだ、生活習慣で病気なると考えている人が少ない様に思います。先頃亡くなられた、小林麻央さんは、乳がんで亡くなられましたが、若くしてガンになられる人には、年単位の大きなストレスがあります。彼女にも大きなストレスが幾つも有りました。しかしそれを触れておられた人はいませんでした。僕自身病気の患者さんを見つめてきたおかげで、悪い生活習慣をしない事で、心身共に健康でいられることに感謝しています。

最後に、人が生涯積み重ねた経験は、つくりあげた財産よりもはるかに貴重です。日野原重明先生の言葉で締めます。ありがとうございました。

なんでも うれしい

位己光児(支援者)

 自然の範囲には、ここからここまでという範囲がありません。

 宇宙の果てまで自然です。

 だから、自然の全てを知り尽くすことは永久にできません。

 それにも関わらず人間の意思や意識を超えて自然は宇宙の全てを生かしています。

 わたしもその自然の働きで生かされています。

 しかも自分が考え望む以上に、わたしが生きる上での全てを自然は、与えてくれています。

 だから、わたしの生活には特別に夢や希望がなくても毎日が新鮮で無条件に「よろこび」が湧いてきます。

 そこで、自然に対する感謝を込めて「なんでも うれしい」と常に唱えています。

豊障連納涼祭までを歩んで

兵藤なつき(寮生31歳)

 今年の8月26日(土)に豊障連(豊橋障害者(児)団体連合協議会)納涼祭が国道1号線沿いのさくらピアで行われました。それまでの出来事を振り返りたいと思います。

 19日(土)の若菜荘での慰問が成功できて、急いでさくらピアへ太鼓の練習に向かいました。練習拠点のボランティア室に入って、私もすぐに新・鬼祭り総踊り用の楽譜をびっくりしながらいただいて、いつも練習している曲以上に難しそうだと思いました。実際練習したら手強さを感じました。そして1週間後は本番だからこんなタイミングで大丈夫なの?って怪しがりたくなりました。鬼祭りのために自分を追い込み続けたら投げ出したくなりました。バチの使い方も自分でアレンジしちゃって・・・。

 話は外れてXデーの26日(土)の午前中は作業所へ行くことになりました。今後も平日に暴風警報が正午まで解除されなくてお休みになったら土曜日に行くんだ。天気が荒れている時でも通えるようになるまでは。

 話を納涼祭に戻します。昼食を済ませて16時まで時間に余裕を持って浴衣の着付けと髪型のセットを行い、下駄を履いてブリリアント号に乗ってさくらピアへ向かいました。盆踊りまでの間菅谷さん、太鼓グループ希望の皆さん、豊川市2人の職員さんと私たちブリリアント一同は3Fのボランティア室で太鼓をセットしてから新・鬼祭りの特訓をしました。

 去年まで1Fの体育室でゲームコーナーに参加していたけど断念しました。振り返ったらいっぱい楽しんだんですね。

豊障連夏祭りの太鼓

豊障連夏祭りの太鼓

 盆踊りで太鼓を叩き始めるまで、頭も体も慣れなかったし、今ひとつ波に乗れなかったけど・・・。そして振り付けも。菅谷さんから希望の皆さん、豊川市職員さん、踊りのリーダーを務めたあやめ会の皆さんの温かい支えを受けたから私たちは納涼祭を成功させることができました。私たちができる時は、よろしくお願い致します。

訪問交歓グループ「ブリリアント」の活動

伊藤 剛(寮生55歳)

 今回は、訪問交歓グループ「ブリリアント」の活動について書いてみます。このグループは、ブリリアントの寮生、世話人、そして支援者の皆様から成る一座でして、多い時には皆で8~9人ほどになります。活動内容は、豊橋や田原にあるいろいろな福祉施設におじゃまして、コーラス、ソロの歌、和太鼓演奏、民謡、シャンソン、昭和の懐かし物品の紹介コーナーなどを演じさせていただいております。ほぼ月に一回、多い時には月二回のペースで活動しています。

 活動は、本番のだいたい一ヶ月ほど前に、ご依頼の電話を頂くことから始まります。私たちの都合の良い土曜日の午後にセットしていただくことが多いのですが、場合によっては水曜日の午後になる時もあります。本番の一週間前になると、座長兼舞台監督でもある世話人の内田里枝さんがプログラムを考えて決定します。毎年お呼びいただいている施設ならば、昨年のプログラムを見返して、演目が繰り返しにならないように調整します。お年寄りの皆さんが利用されているデイサービス・グループホームなどを訪れる場合、懐メロ歌謡曲、軍歌、童謡などを中心にプログラムを組みます。若い方もみえる身体・知的障碍の皆さんの施設に伺う時には、アニメのテーマソングや比較的新しい歌謡曲、フォークソングなどを取り入れます。お年寄りの方々に喜ばれている戦後の懐メロのレパートリーは、長らくご指導いただいた故杉本龍夫さんがパソコンの作曲ソフトで作って下さった、ノリの良い音源を今も活用させてもらっています。

お客さん達に楽しんでいただけたかな?

お客さん達に楽しんでいただけたかな?

 寮生による演目に加え、ブリリアントの長年の支援者である豊川市の佐溝力さん、岩倉市の森下昌人さんのご都合が付けば、それぞれホーロー看板を中心とした昭和の懐かしグッズのミニ講演や、シャンソン歌謡がプログラムに入ります。ほぼ60分の時間内に収まるよう、スタート時間と各演目の所要時間をパソコンで計算し、取捨選択をしてプログラムを考えています。

 プログラムが決まると、夕食と体操を終えた後に母屋の隣の音楽室「カサ・デルーセ」に皆で集まり、練習を行います。ミニディスクに録音されている音源やカラオケの楽曲をプログラムの順にステレオで鳴らし、それに合わせてコーラスの練習をします。綺麗な合唱になるように、監督から頻繁にチェックが入ります。また、新人の寮生でソロに挑戦したい人は、自分でカラオケから曲を選び、皆の前で練習します。しかし、監督の厳しい指導とダメ出しがあり、誰でも本番で歌えるとは限りません。練習では上手く歌えても、大勢の前ではアガってしまうこともよくあるので気が抜けません。大体3ヶ月から半年ほど練習しないと監督からOKが出ません。皆真剣です。先月は深田さんがソロデビューして、吉幾三の「酒よ」を立派に歌うことができました。

 和太鼓の練習も行います。レパートリーは「太鼓ばやし」と「龍神太鼓」の2曲ですが、前田君と深田さんも、和太鼓グループ「希望」さんの練習に参加して、菅谷先生に指導していただくようになったので、ブリリアントでも練習しています。締め太鼓は監督が担当し、他のメンバーで大太鼓を叩きます。

和太鼓を披露しました。

和太鼓を披露しました。

 監督は、見応えのあるステージにするためにいろいろな工夫を凝らします。迫力のある和太鼓をオープニングに持ってきたり、歌ばかりが続いてしまう時には太鼓演奏をプログラムの中ほどに移したりします。北島三郎さんのヒット曲「まつり」のコーラスでは、若衆役の前田君が手作りの大漁旗をお客さん方の前で振り、他のメンバーは大小の祭りウチワで盛り上げます。

「まつり」のコーラス、手作りの大漁旗がシブイ!

「まつり」のコーラス、手作りの大漁旗がシブイ!

 また、ザ・ドリフターズが歌った「いい湯だな」では、両手を前に出して左右にリズムを取りつつ、派手なタオルを頭に載せたり首に掛けたりして合唱します。この歌には、“ここは○○、△△の湯”という歌詞があるのですが、それを訪れる施設に合わせて替え歌とし、♪~ここは豊橋、大清水の湯~♪などと歌います。先日の南部デイサービスセンターでこう歌ったところ、会場の利用者さん、職員さん達にとてもウケたので、非常に嬉しかったです。


 本番の二日前には、プログラムに沿ったカラオケ音源をミニディスクへ録音・編集し、本番用のMDを作ります。いよいよ本番の日が来ると、午前10時に最終リハーサルを行い、それから機材一式をワゴン車「ブリリアント号」に積み込みます。全部書き出すときりが無いのですが、大型スピーカー2本、スピーカースタンド2脚、ミキサーアンプ、MDデッキ、マイクとスタンドを6セット、譜面立てを5ヶ、各種ケーブル、大太鼓と締め太鼓のセットなどなど。ワゴン車の荷台一杯になりますが、寮生も慣れてきたので20分ほどでバラして運んで積み込みます。そして昼食をいただいてから午後1時頃出発し、大体2時から3時頃にかけて行われる本番に向かいます。

 お招きいただいた施設に着くと、挨拶をしてさっそく会場に機材を搬入します。重い大型スピーカー等は台車を借りて運搬し、他は手分けして運びます。すぐにセッティングに入り、やはり20分ほどで組み上げてから監督の指示の元、マイクスタンドの位置の調整や伴奏の音量・マイクのテストなどを行うと、いざ本番です。初めて伺う施設ではちょっと緊張しますが、始まってしまえばあとは度胸と勢いで進みます。

 一時間のプログラムを全て終え、会場の皆さんの嬉しそうな笑顔を見るひとときが僕たちの励みと幸せです。

 訪問交歓活動の詳しい内容は、こちらのページにも載せてありますので、ぜひご覧下さい。また、“ブリリアント 訪問交歓活動” と検索しても出てきます。スマホ・タブレット・パソコンで見ることができます。また、電話 0532-46-0033 に連絡していただければ、喜んで伺います!

ブリリアントの畑

白井千雄(寮生72歳)

今年のブリリアントの畑は、春に近所の水道工務店「備工」さんが、小型のユンボを使って深く耕してくれたので、とても助かりました。ナスやトマト、オクラ、キュウリ、イモ等が採れました。今年の特徴はカボチャとトウガンの勢力が強くて畑全体に広がってしまった事です。スイカ、黒ウリ、メロンが見えなくなってしまいました。

 今年はショウガを初めて植えました。10月に収穫の予定です。秋ナスに肥料を入れたので、当分の間収穫できそうです。

土曜の朝は畑の仕事を皆で頑張ります!

土曜の朝は畑の仕事を皆で頑張ります!

 9月10日に再び備工さんが畑の半分くらいを小型ユンボで耕してくれたので、寮生で石灰、粉ぬか、うずらの肥料、モミガラ等を撒いた後、耕運機でさらに細かく耕して、うねを作って冬野菜を植える準備をしました。

今の日常

前田武志(寮生21歳)

 僕はブリリアントに入ってすぐに「うずらの里・内田ファーム」で働かせていただいています。

うずら農場の光景

うずら農場の光景

 会社ではその日にとれたうずらを捌いて出荷をしたりしています。知っている方も多いと思いますが、僕が働いている会社は、今は卵ではなく肉の方がメインなのですが、毎日仕事がある日は自転車で会社まで行って仕事をするのが今の日常です。

私の24年

佐伯 誠(岡崎市在住 59歳)

 私が精神病院に行くようになってから24年を越えました。始めは、このまま私はどうなってしまうのだろうか、と生きて行くのがとても恐かったです。その時は悪い方に考えてしまいました。しかし、2度目の入院の時、私の気持ちを変えてくれたのが当時の看護婦さんと入院先で知り合った人達でした。それ以来私は自分の気持ちに負けないため、ボランティア活動をして、人はなぜこの世に生まれてくるのか、私なりの信念で私なりの生き方をしてきました。

 私の一番の心の支えは家族です。一緒に生きていく人がいるだけで越えられないと思う事も越えられてきたから、今があると私は思います。ブリリアントの皆様は、その人がなぜこの世に生まれ、何を学んであの世に帰るのか、その中の考えの中で絆を大事に考えて生きていると私は学ばせてもらいました。偶然の出来事、縁はないと私は思っています。ブリリアントの皆様との縁が私を成長させてくれました。まだ私は小さな人間です。これからも出会うべくして出会った人達から、人生を多く学んでいきたいと思っています。

たけのこの盆踊りに出てみて

深田和央(寮生59歳)

 私は、今年はじめて、グループホームたけのこ の盆踊りに参加しました。私は踊らなかったけど、とても楽しかったです。踊りの最中に雨が降ってきて、みんな濡れながら踊りました。

立派な櫓が出来ました!

立派な櫓が出来ました!

 来年も、機会があったら参加したいです。

2人で過ごした7年

宇野和男(元寮生51歳)

 私は現在統合失調症の51歳です。病歴20年です。主な症状は薬が切れると壁の模様が生き物の顔に見えてきて恐怖心がどうにも抑えがたく異常におびえて心拍数が激しく上がります。一日の中では夕方5時が危険時刻です。

 万が一を考え薬は財布の中にいれ持ち運んでいます。発病はもともと私が精神的に弱いところもあり会社の仕事の責任の重さに耐え切れず、病気にかかってしまいました。

 私の略歴を言いますと高校卒業後、新聞配達と集金で稼ぎ、自力で名古屋の国立大学の電気科を卒業しました。そして仕事は巨大な2台の溶鉱炉からステンレスを一貫生産することで有名な日新製鋼株式会社の堺製造所 設備部 制御技術課の正社員となり、連続亜鉛めっきラインの改造、改良などをしてました。具体的には工場内現場調査と改造シーケンス図面の設計です。

 毎日朝4時まで働き、入社一年目で社長表彰をもらうまでの功績があり、係長が課長へ、部長が2階級特進で取締役への昇進がありました。28歳のことでした。私が一番輝いていました。

  それから精神病院に6年間入院しましたが、両親がすでに他界しており、引き取り手がないこともあり、あきらめの入院暮らしをしてました。もしもと思って入社のときに3つの生命保険に入っていて入院生活が金銭的に困ることはありませんでした。 双子の兄の勧めで平成13年3月に精神障害者 社会復帰施設 グループホームブリリアントに入所、世話人 内田里枝さんの母親のような愛情溢れる暖かさと厳しい共同生活の10年を過ごし、向精神薬を飲んでいても落ち着き、なんでも自分でやることをもう一回学んで独立し、6畳一間のアパートを借りました。これは生活保護が礼金、敷金、引越し代などを払ってくれたため可能となりました。そこへ妻が遊びに来るようになり、これが馴れ初めとなりました。

 生活は2人で過ごして7年がたちますが実際は今でも新鮮な気持ちで持ちつ持たれつというところが現実です。

 買い物は2人で行きます。食材はヤマナカとかマックスバリューでは無くて、少しでも安いものをと、遠くても業務用スーパーへ行きます。食材5日分¥6000くらいでやっています。妻が歩いて買い物を進め、私が電卓を持って税込価格を足し算して行きます。一例をいいますと新鮮な豚こま1kgで850円くらいで買ってきます。これを100gごとラップに包み冷凍します。

 料理の本が5冊ほどありまして、毎回見ながら作ります。食事は今では2人で協力して作るようになりました。

 ハンバーグは合い挽き肉とたまねぎのみじん切り、卵、パン粉で私が作ります。またスパゲッテイのミートソースはカットトマトとひき肉から妻が作ります。とてもおいしいです。米炊きは5合ですが、炊き上がりを茶碗より小さいタッパーに小分けし、冷凍保存します。熱い米が手について大変です。これも交替でやってます。洗濯は7.5kgの洗濯機を使ってます。洗濯の物干し、取り込みも二人で共同作業です。

 生活費は障害年金と生活保護と工賃です。障害年金は妻が2級、私が3級です。生活保護費は¥26000、工賃¥20000 一ヶ月全額¥184000くらいです。アパートの部屋代が¥45000、食費は¥36000、スマホ代が2台で¥10000、電気¥7000、ガス¥6000、水道¥2000です。大きな買い物をしないようお金はすべて1000円札に両替し、一か月を2週間ごとに区分しパソコンのエクセルで計算し、使途の目的別に管理してます。

 病状では、私は薬さえ飲んでいれば安定していますが、体調を崩すのは妻のほうが多く、躁鬱ですので気が大きくなって私なんか工賃安いじゃないかとか、車が無いじやないかとか、暴言を吐いてけんかをしかけてきたり、鬱の時にはまったく動けず何日も布団の中にこもります。そのときは病院に行けないので症状を文書にまとめて私が代理で病院へ行き、薬をもらってきます。喧嘩が原因となって妻が精神的に不安定になり短期間入院もすることもありました。

 しかし状態が良いときもありそのときにはとても幸せです。最近ではよい状態が続くようになりましたのでお楽しみデートの日を月一回決めました。私は、発病前後でヒトとして生きる価値観の姿勢が社会的能力重視から人間的生活重視へと180度変わったので社会的な輝きはなくても、また、妻との間に多少問題があっても自信を持って私は今が一番幸せです。

 私の場合健常者のときが有ってそのときに金銭管理、調理、掃除など、生活の基本が出来ていたので結婚してより磨きをかけた形ですが、全面的に親御さんが面倒を見ていらっしゃる場合は最もスムーズに行くのは、施設入寮だと思います。施設にもケースワーカーの役をする人がいて金銭管理やいろんな悩みを相談できると思います。障害者年金は当事者だけのものであって大切にしてください。作業所へ通えば月1万~2万円になります。それでスマートフォン代になります。日中の生活の場が毎日B型作業所でも楽しいと思います。一度作業所の見学をお勧めします。作業所では出来ない仕事は無理してやらせることはありません。別の出来ることをやっていく形になります。体調の悪いときは自由に休めます。

“お大事に”は禁句

杉浦 依和夫(ヨガ講師・60代)

 「しっかりせい、傷は浅いぞ!」と抱き起こされた武士は、ガクッと首を落とし、息を引き取った。「お主の死を無駄にせぬ。必ずや仇を取ってやろうぞ・・・。」と、まあ、こんな時代劇や、戦争シーンでのひとコマがある。

 満州事変のさなか、次々と野営に運び込まれる血だらけの傷兵、先ほどの言葉を浴びせるが皆死んで逝った。その軍医は初めての戦場であったため冷静に看取れなかった。しかし、ふと疑問を持った。ホントにごく浅い傷でも死んでいってしまう兵士が多いことに気付いた。で、改めた、「傷は深いなぁ」と尋常の声音で、つづけて「こんなんで死ぬ奴はいない」、「まぁー放っといても、生きたいと思えば大丈夫・・」だとボソボソっと兵士に聴こえるか聴こえないかで抱き起こした。それからというもの、傷の深い浅いに拘わらず、また相当な重傷の死んでもおかしくない兵士も全員助かったのだ。その軍医こそ「野口整体の創始者・野口晴哉先生」である。

 先生は病気に対するには、無意識に働きかけなければその潜在意識に働きかけることが治癒にはかかせない。自然治癒力~自然良能作用~生命力を喚起させることこそが人生を全うさせる。それを“全生”と唱えた。潜在意識講座を開いて、お弟子さんの育成、また一般人も門徒拡げて説いた。

 私の師と仰ぐヨガ導師も野口先生とは入魂の間柄で、その治療の骨子はメソッドの違いこそあれ相通じている。先の私の投稿で「余命一週間といわれた方」が治ったことを記したが、ヨガ導師は「お前は助かりたいのか、どうしたいのだ、どうなりたいのか~」話しかけて生命力を喚起させていた。よく先生は、医者は“慰者”でなければならないと、医学博士、漢方薬剤師などに講演しておりました。まさに“患者を”慰める“言葉で生命力を掻き立たせていることが必要なのだろう。施術者は病気をみてのみの治療は本当の治療法ではない。なぜなら、病人というのは必ずや心の面まで病に犯されているのであるから、心の面をも治療しておくことが再発の防止、慢性病に移行させない療法だからである。

 医者の度量には上医、中医、下医とあって、下医は薬剤を処方するもの、中医は薬剤と問診を行い、上医は言葉で治す医者とある。病症状はホルモンと神経の異常である。そうなる原因はその条件下で起こるがそれは人それぞれである。直接的にはホルモンと神経に働きかければ、物理的、化学的、電気的でも、また言葉でも療法になる。その人が一番治癒力を発揮できるようにしてやること、免疫を落とす障害となっている原因を取り除いてやることが“療”の意味である。患者に触れずして薬剤を用いずして治す医療こそ窮極の医術である。

 患者に「ガンバレ、お大事に、病気なんか気にすんなよ」と掛けるほどに、シュンとなり、治癒力は失い、症状が気になって気になってしまう。治す意欲を失う潜在意識への働きかけである。・・・・・・つづく・・・・!

「山桃狩り」

森下昌洪(まさひろ) (支援者69歳)

 七月の初旬、七夕の頃は、山桃が食べ頃になる。

 今年初めて山桃ジャムを作った。毎朝歩きながらシャンソンを唄うコースに、立派な山桃の木がある。数年前から気になっていた。持ち主に了解してもらって、いただける事になった。

 この山桃は大木で一般に見られるような、小粒でなくて立派なものだ。この種類は、今まで色々な所で探していてもなかなか無い。

 だいたいツユ時に完熟するので、毎日よく見て歩いていた。

 こんな山桃の情報を友人に伝えたら、是非採りに行きたいと云われた。五人グループの山桃ツアーが出来た。木に登ったりして採っていた。僕は木を揺らして完熟した実を拾った。

 山桃ジャムのレシピは簡単で、ただ種を抜く作業が手間だ。鍋に300個以上入れて煮詰める。スーパーの中双糖でよい。

 かなり時間を掛けて煮詰め過ぎて、アメの固さになってしまった。やや、柔らか目で火を止めたら、翌朝冷えた状態がちょうどよくなるだろう。

 市販のジャムと違って、余分な物は入っていないから安心だ。みんなに山桃ジャムを作って欲しい。ポリフェノールが果物の中でも一番多いらしいので健康によい。

 この山桃の木が、歩道に半分出ているので持ち主は、いつも掃除していた。つぶれて落ちた実は道を汚す。ある時、迷惑だから木を切ってしまいたいと云っていたのが、気になる。

 来年も「山桃狩り」ツアーが出来るように祈っている。

☆~生かされている自分と生きている自分~☆

 わたしはこの頃、歩くのが好きになった。両足の親指に力を入れて、大地を踏みしめて歩く。自然とお腹に力が入って、肩の力も抜けて背筋が伸びる。

 わたしは今、歩いている。まっすぐ前を向いて歩いている。自分の足で一歩一歩大地を踏みしめて歩いている。着実に、目的地に向かって歩いている。

 こうして大地を踏みしめるたびに思う。「わたしは今、生きている。生きているんだ」と。こうして意識をすると、生きていることを実感し、その喜びを味わうことが出来る。そして、思う。「わたしはしあわせだなぁ~」と。

 今日も歩く。一人で 自分の足で 一歩一歩 大地を踏みしめて。

こうして歩いていると、わたしの人生の旅路が見えてくる。振り返ると、でこぼこした道が見える。涙を流し、歯を食いしばり歩いた道が見える。歩き疲れてよたよたになって歩いた道が見える。もう歩くのを辞めたいと思った道が見える。自分では歩けなくて、たくさんの人に助けられ、わずかながらも休みながらも、引っ張られて歩いた道が見える。自分を守りぬいた道が見える。明るく笑い飛ばして必死に歩いた道が見える。

 そうして、今、わたしはここに立っている。先にはまっすぐに続く道が見える。永遠に続く道が見える。明るい陽ざしに照らされた道が、遥かかなたまで見える。そして、「生かされている自分と生きている自分」をしっかり感じる。おのずと力が湧いてくる。確かにわたしは「生かされている」「生きている」。この感覚を忘れないでいたい。しっかりと覚えていたい。 

 両足を大地につけて、自分の足で立つ。歩く。目標から目を逸らさずにまっすぐに歩く。わたしの道を、わたしの歩き方で~。わたしは今日も歩く。明日も歩く。時には涙を流しながらも歩く。ひとやすみしながらも歩く。生かされているかぎり、わたしは歩き続ける。確実に着実に目的地に向かって~。

 たった一つのわたしの命。与えられたその日から歩き続け、卒業するその日まで、わたしはわたしらしく、あるがままに生きてゆく。

                            By えくぼ

秋の色 秋の匂い 秋のやさしい陽ざしに包まれて、心地よい風に吹かれて、空気をい―――っぱい吸い込んで、気づかされました。

~秋はとってもやさしいんだ~。秋をこれほどまでに好きになれたわたし。

四季と共に、一年 一年、こころもからだも移り変わってゆく。それでいいんだな~その方がいいなぁ~と。そんなことを思う、今年の~秋~です。

鋤本 惠美~☆(*^_^*)

趣味人間

理事長 内田里枝

 亡くなった主人が、生前よく言っていました。「お前は趣味人間だ。」と。「このブリリアントもお前の趣味だ。」と言われ続けてきました。グループホームの世話人は食事の支度と寮生達の世話をすればそれで十分なのかもしれません。ましてや一つ屋根の下で生活を共にしている所などどこにもありません。

 ブリリアントではいろいろな行事を行っています。毎週木曜日の夜はお話し会。これは誰でも自由に参加でき、毎週テーマを決めて皆で話し合いをします。アルコール依存症の人達が行っている断酒会の催しから学んで取り入れたものです。

 それから慰問活動です。月に1回程度ですが、老人関係の施設や知的・身体障碍者の施設等におじゃましてコーラスやソロ、和太鼓などを披露しています。

 さらにこの機関誌です。年に4回、寮生や支援者の方々の作文を載せ、発行させていただいています。

 1番大きな行事として、毎年行っているのがブリリアント祭りです。寮生達のコーラスや様々なアーティストの方々に出演していただいています。それに加え模擬店やフリーマーケットも大人気で、いろんな方達に出店していただいています。

 一年の最後を飾るクリスマス会も最近は町内の人達が大勢参加してくださり、嬉しいかぎりです。

 そんな忙しい毎日を送っている私ですが、お話し会で言いたいことをしゃべり、慰問活動で歌ったり踊ったりして発散し、ブリリアント新聞で思っていることを吐き出し、ストレスが溜まるということがあまり無いのが現状です。

 仕事であり社会のためであり、自分のストレス発散の場であり、一石何鳥かの生活。まさにこれは主人が言っていた趣味人間たる私の業なのかもしれません。

「ブリリアントは明るく楽しい所でなくては。」これはグループホームを始めるに当たって私が掲げたモットーです。魅力の無い所には誰も集まりません。

 というわけで今日もワクワクしながら仕事をしている趣味人間の私です。

行事報告 平成29年7月~9月

7月

7/1 (土)畑の仕事、太鼓の練習(さくらピア)
7/2 (日)ふれあい講演会(カリオンビル)
7/8 (土)畑の仕事、呼吸サークル(文化会館)
7/12(水)「ブリリアント」慰問(珠藻荘)
7/15(土)畑の仕事、太鼓の練習(さくらピア)
7/22(土)畑の仕事、花火大会
7/23(日)海水浴(女ヶ浦海水浴場)
7/29(土)畑の仕事
7/30(日)曽我先生勉強会、カウンセリング

8月

8/5 (土)畑の仕事、太鼓の練習(さくらピア)、呼吸サークル(文化会館)
8/12(土)畑の仕事
8/15(火)盆踊り大会(グループホームたけのこ)
8/19(土)畑の仕事、「ブリリアント」慰問(若菜荘)
太鼓の練習(さくらピア)
8/26(土)畑の仕事、豊障連納涼祭(さくらピア)
8/27(日)曽我先生勉強会、カウンセリング

9月

9/2 (土)畑の仕事、太鼓の練習(さくらピア)
9/6 (水)誕生会(世話人・貴士さん・高ちゃん:醍醐)
9/9 (土)畑の仕事、呼吸法講演会(アイプラザ)
9/13(水)「ブリリアント」慰問(南部デイサービスセンター)
9/16(土)畑の仕事、太鼓の練習(さくらピア)
9/23(土)畑の仕事、「ブリリアント」慰問(和)
9/24(日)磯辺校区体育大会(磯辺小学校)、曽我先生カウンセリング
9/30(土)畑の仕事


ブリリアントにご協力いただいた方々

稲村絹代様、立岩清様、北川藤良様、鋤本恵美様、澤田竜弥様、杉浦依和夫様、宇野和男様、位己光児様、森下昌洪様、曽我洋秀様、佐溝力様、山口京子様、ふれあい様、井上浩様、菅谷君男様、位己光児様、豊橋善意銀行様、カリオンビル様、豊橋市社会福祉協議会様、(株)うずらの里内田ファーム

ブリリアントにご寄付下さった方々

生沼雪子様、立岩清様、曽我洋秀様、佐羽尾様、河合きほ様、河合邦明様、金原光昭様、宇野和男様、金原博昭様、円山高大様、佐伯誠様、佐藤様、藤田一夫様、七森尚代様、山本良美様、山口京子様、藤井武弘様、稲村絹代様、黒木陽子様、レスポワール様、大橋善孝様、兵藤昇様、北川藤良様、深田ヤスノ様、石井一幸様、宮原洋子様、井上浩様、グループホームたけのこ様、デイサービスセンター和(なごみ)様、豊橋善意銀行様、豊橋市社会福祉協議会様、(株)うずらの里・内田ファーム


いろいろとご協力、ご支援ありがとうございました。

編集後記

 だいぶ涼しくなって来たので、自転車通勤とウォーキングに精を出しています。でも、食欲が増してきて、体重も増えてしまいそうです。頑張ってダイエットを続けます!

伊藤 剛

 9月6日(水)に誕生会が行われました。当日私の母の誕生日だったので天国にいる母も空の上から見ていたと思います。嬉しくなったし感謝もしたと思います。

兵藤なつき

 今年のブリリアント祭は11月12日(日)に決まりました。大勢の方のご来場をお待ちしております。それからボランティアでご協力・お手伝いしていただける方がみえましたらぜひお願いいたします。TEL0532-46-0033まで。そして少々気が早いようですが、クリスマス会をお知らせします。12月16日(土)17:30より、駒形公民館で行いますので、皆様ぜひお越しください。

内田里枝
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