レッツ ブリリアント 2018/03 第71号

発行者
精神障碍者社会復帰施設
特定非営利活動法人(NPO法人)ブリリアント 理事長 内田 里枝

住所 〒 441-8145 豊橋市駒形町字坂口56番地
TEL 0532-46-0033
FAX 0532-46-0163

URL http://brilliant-gh.sakura.ne.jp/

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平成30年3月10日発行

悲しいお知らせ

理事長 内田里枝

皆様に悲しいお知らせをしなければなりません。

ブリリアントの施設長 内田貴士は去る1月22日インフルエンザによる高熱がもとで肺炎となり最終的には呼吸不全を引き起こし亡くなりました。42歳でした。

 父の後を継ぎ、ブリリアントの施設長として頑張っていた矢先のことでとても残念です。しかし、悲しんでばかりいられません。ブリリアントは支援者の皆様と力を合わせこれまで通り運営を続けていきますので今後ともご支援、ご協力をよろしくお願い申し上げます。

在りし日の内田貴士

在りし日の内田貴士

さよなら、貴士さん

伊藤剛(寮生55歳)

1月の23日の晩、僕は入院していた可知記念病院の病棟からブリリアントへ、面会日の調整をしてもらおうと思って電話をかけた。「ああ、奥さん、今度いつ面会に来てもらえます?」「それどころじゃないのよ!貴士が死んじゃったのよ!!」「死んじゃったって、どうして?」「インフルエンザをこじらせてね....。」あとはもう2人とも何も言えなかった。沈黙が長く続いた。「気をしっかり持って、病気を早く治してね。」と奥さんが言って電話が切れた。人間、あんまり悲しい時には涙も出ないということをこの時知った。翌晩、葬儀などの日取りが決まったか訊ねるために翌日再び電話をすると、「伊藤君はまた悲しいことがあって病状が悪化するといけないから、病院で拝んでいてね」と言われたので、通夜にも葬儀にも参加せず、葬儀の行われている時間帯に散歩に出て、葬儀場のあると思われる街の中心部の方向を向いて手を合わせて拝んだ。

 家族のために働いて、働いて、インフルエンザを悪化させて亡くなった貴士さん。満面の笑顔でうずらの焼き鳥を焼いていた貴士さんのことは、いつまでも忘れません。天国から皆のことを見守っていて下さい。合掌。

畑の仕事

前田武志(寮生21歳)

 僕は今、ブリリアントの畑で、だめもとではありますが、ナスを一年越しで収穫できるかどうかの実験も兼ねて試しています。今の感じでは、98%失敗している気がしていますが、ここからどうなるのかが楽しみです。

 もう一つ、昨年アスパラガスを畑の真ん中から隅の方に移植しました。今の所は順調に育ってくれているので、暖かくなって来てからが待ち遠しいです。

ココニコのバザーに参加して

兵藤なつき(寮生32歳)

 去る12月9日(土)。私はブリリアントの仲間と一緒に“夢のかけはしフェスティバル2017”の会場こども未来館ココニコへバザーの売り子として参加しました。

 一人でも多くのお客さまを集めることは出来るか、用意した雑貨や前日に準備した10個入り1パックのうずらの卵を買っていただけられるか、来たお客さまを大事にできるか私は考えました。

 他の福祉施設さまも一生懸命で私たちも負けていられませんでしたが会場内の明るい雰囲気も保ちたいと思いました。

 ステージでは、お楽しみジャンケン大会に参加しました。せっかく参加しにきたお客様は出来ることに喜びを感じたかったので私も分かち合いたいと思いました。

 ダンス教室の先生が次に立って私も参加していいかな?と思いながら流れた曲と先生のお手本にのりながら踊りました。

 先生や子どもたちの明るさに私も元気とパワーをいただきました。持続させたいです。

 まんだらアートのコーナーにも参加しました。となりにいた子供が色を塗ることを楽しんで主催した先生も一緒に喜んで私もその雰囲気に浄化されたいと思いました。

 ここで得た愛を持つことを持続し生かしたいです。

 私が他のバザーを見に行ったところで叔母夫妻とお孫さんと会いました。嬉しかったです。次回会う時も私は元気であることを伝えたいです。喜ばれたいです。

運転免許

白井千雄(寮生73歳)

 昨年の12月21日に車の運転免許の書き替えに、豊川の運転免許試験センターに行って来た。76歳まで車に乗れる事になったので、内心ほっとしました。大晦日は前田君と二人で駒形神社にお参りに行って帰りに甘酒を飲んで来ました。正月2日に寮生と奥さんと一緒に金光寺さんへ行って和尚さんの講話を聞きました。1月中旬に風邪を引いて寝込んでしまった5日間くらい休養して風邪が治ったのだが。貴士さんが風邪を引いて胸に入ってお亡くなりになってしまった。貴士さんの冥福をお祈りしています。

ブリリアントに入って

渡邉茂治(寮生37歳)

 ブリリアントに入ってまだ日は浅いですけど、自分なりに何とかがんばっているつもりです。でも色々とまわりの人に迷惑をかけることが多々あり申し訳ない思いです。ここの規則に慣れようとがんばるのが正直精一杯です。

 他の人と見ているとみんなしっかりしているなーすごいなーとただただ感心します。自分はまだまだだなーと思いつつもできるかぎり努力して迷惑をかけることなく充実した日々を送りたいと思います。

久しぶりのブリリアントに・・・・

宇野和男(元寮生52歳)

今年1月10日に大清水デイサービスセンターにて歌の慰問活動に参加した。実に7年ぶりです。

軍歌、昭和20年代の歌謡曲などと、佐溝さんの懐かしいでしょうコーナーを15分間はさんで約1時間総合慰問会としてやってきました。私は音響操作と北島三郎さんの「祭り」、や軍歌「同期の桜」を歌ってきました。ここで音響とは始めのころは全体的に音量小さめで・・・徐々に上げていきます。また始めの第一声が分かりにくい曲は始めのところだけ少し音量をあげます。「いい湯だな」のときは演奏にも歌声にも両方ともエコーをかけます。こうすると昔の銭湯のように聞こえます。寮生の方たちはもうマイクスタンド、マイク、スピーカーなどのセットが自力で出来るようです。初めは私が全部やっていたのですが・・・・。頼もしい限りです。

時代は変わって、軍歌など知らない曲でも今はスマホのyoutubeで練習できます。ブリリアントでは約3日間練習会に参加しました。ブリリアントの壁には散歩実績表、体重推移表 掃除当番、風呂当番、犬の散歩係りなど、施設管理の表がこれでもかこれでもかとはってありました。

まあ元をたどればこれらは私が全部10年位前にまだ寮生のときに作ってきたものでしたが、今結婚して2人の助け合いで生きてる私の環境と比べてあまりにも厳しいと感じてしまいました。施設の維持、推進、日々の成長のためにはこれだけのやるべきことがあるのはわかります、でも、大変ですね。今の私なら果たして出来るかな?

ブリリアントを卒業して外部からブリリアントの社会的立ち位置を考えると厳しくならざるを得ないことが分かってきます。特にお酒禁止は管理者からすると当たり前ですよね。

でも、何処へ行っても厳しいのは寮生にとってはつらいのです。自分たちは資格のない欠陥人間ということを強く意識してしまいます。せめて一泊旅行の夕食などには年に一夜限りのお酒があってもいいと思います。

ともかくブリリアントはすごいと思いました。寮生の自己意識も高く、尊敬します。

お金の算段だけ立てば卒業できるのですから、私に続いてどんどんメンバーが卒業していってほしいです。

また機会があれば慰問参加したいです。私としては妻も参加してほしいのですが妻は何も知らないので少しつらいかなとも思います。

つれづれに感想を言わせていただきました。ありがとうございました。

わたしは ちっちゃな マラソンランナ―

わたしは ちっちゃな マラソンランナ―

がんばるぞ!とスタートしてみたけど 息がきれちゃった

 ちょっと きゅうけいしよ~ぅっと 

 道ばたに咲いているタンポポ綿毛さんと遊んだ

 ふ――っと ひといき やさしい風さん吹いてきて

 ふんわり ふわふわ 綿毛さん 手をふっている

マラソンコ―スは だ――れもいない みんないっちゃった

タンポポ綿毛さんと風さんがいたのに みんな みんな いっちゃった

わたしは ちっちゃな マラソンランナ―

もう少しがんばろうっと スタ―トしてみたけど やっぱりつかれちゃった

 ちょっと きゅうけいしよ~ぅっと 原っぱに寝ころんだ

 お空に ポッカリ わたがし雲さん おいしそう

 ペロッとなめて お口でパクッ!

 おひさま にっこり わらってる

マラソンコ―スは だ――れもいない みんないっちゃった

おいしい綿菓子見つけたのに みんな みんな いっちゃった

わたしは ちっちゃな マラソンランナ-

両手にタンポポ綿毛 お口に綿菓子 ルンルンラララン ルンラララン♪♪

   。。。おなじような人をみかけたら 

      そばに座り ともに寝ころび ともに語らい ともに歌い

      ともに手をとり ともに歩むのです。。。

いつのまにか いつのまにか みんな みんな

ちっゃな ちっちゃな マラソンランナ-

みんな一緒に ルンルン ラララン ルンラララン♪♪

おひさま にっこり わらってる                   byえくぼ

春の陽射しでかわいいつぼみが時を待って順番に花開きます。めだかさんも水面に顔を出して春の訪れを喜んでいるみたい。そんなこんなの小さな命を愛おしく感じる春~♪身体がほっこり和らいで、心地よさを感じる春~♪お空を見上げて、ありがとう~と言いたくなる春です。あたたかい陽射しに、心も身体もほっこり和らいでいく心地よさを感じます。春をもっともっと感じてみたい。今年はそんな春です。我が家の亀さんが目を覚ますのは、もうちょっと。。。かな~(*^_^*)

鋤本 惠美(支援者)

天国へ旅立った息子

理事長 内田里枝

「貴士、お父さんと天国で毎日楽しく語り合ってますか?今日も一日私達を見守ってね!!一恵さんが倒れませんように!!高太郎、進二郎がスクスク元気に育ちますように!!そして、うずらの里・内田ファームもブリリアントも安泰でありますようにお願いします。」 これが今、私が毎朝行っている息子との会話である。

悲劇の朝

 「奥さん落ち着いてね。落ち着いて聞いてね....貴士さんが.....死んだ。」会社の従業員のTさんからの電話だった。えっ.....そのあと私は言葉が無かった。「なんで・・なんで・・。」死んだなんて絶対聞いてはならない言葉だった。

 11月22日朝8時半頃のことである。私はすぐに農場に駆けつけた。現場はパトカーや警察官がウロウロしており、貴士の乗っている車が半分溝に落ちた状態で停まっていた。死因が事故なのか病死なのか解るまではどうすることも出来ない。窓越しに貴士を眺めながら泣くことも出来なかった。車の後ろのガラスは粉々に割れていた。バックしてとなりの温室にぶち当てたらしい。そして反動で前の溝にはまったのか・・・・・?

悪性インフルエンザ

 貴士は1週間前風邪を引き、インフルエンザとわかったのは水曜日くらいだったと思う。安静にしていればこんなことにはならなかったのだが、会社の従業員も熱を出して休んでいると聞き、無理をおして仕事に行ったりしたのが悪かったのだ。40℃の熱が何日も続き、土曜、日曜と休んでも熱は下がらず、今思うともうその時は肺炎になっていたのだと思う。

 この月曜日の朝早く何やら仕事に出かけたような気配を感じたがまさかこんなことになるなんて・・・・。 貴士自身も死んでしまうなんて思いもしなかっただろうと思う。農場で少し仕事を回し、家に帰ろうと車に乗ったところで、肺炎による呼吸不全で意識が無くなり車をぶつけたということらしい。会社の従業員が貴士を見つけた時にはもう冷たくなっていた。

にぎやかな葬儀

 葬儀は家族葬でひっそりやろうと思っていたが会社の関係もあるのでそうもいかず、合同葬ということになった。小さいホールで十分と思ったが「ひょっとして大勢お拝りの方が見えた場合座る場所が無くて立っておられるのも気の毒ですから、空いていてもいいから大きいホールにされたらどうですか?」との葬儀屋さんの提案もあり、大きいホールをお借りすることにした。心配は的中し、お通夜はおまいりであふれんばかりのひとだった。弔電やお生花もたくさんいただき、息子がどんなに大勢の人達に可愛がっていただいていたかを知った。同級生もたくさん来て下さり息子が亡くなってあらためて息子の存在を見直した私だった。

貴士は私の宝物

 結婚してもなかなか子宝に恵まれず、願を掛けて5年目にやっと授かった子供だった。主人も私もかわいさはひとしおで、私達はあらん限りの愛情を彼に注ぎ、彼は優しいとても愛情深い子に育っていった。高校生活は青森の全寮制の高校に、そしてそのあとアメリカ留学を10年くらいしていたから、今思うと本当に彼と暮らした日々は少なかった。日本に帰って主人の会社に入り、親子ゲンカはよくしていたがしかし主人が生きているうちに嫁ももらい、孫も2人授かることができた。私は息子夫婦と孫2人に囲まれとても幸せな日々を送っていた。この正月も台所の窓からフッと外を見ると息子たちが凧揚げをしていた。息子と嫁、孫2人、上がったり落ちたりする凧を追いかけている風景を眺めながら、幸せっていうのはこういうことを言うんだろうなぁ・・・・としばし幸福感にひたっていたばかりだった。

とっておきの時間

 息子は仕事で遅くなると「ドン」と私の部屋のドアを開けて「おい」と一言。私は「お帰り、お疲れ様」と食堂に行きいそいそと息子の食事を温める。息子がアーだコーだと仕事のことや世間話をする。私も「今日ブリリアントでこういうことがあってね」と話す。ひとしきりしゃべって息子は2階へ上がっていく。私はこの時間にとても幸せを感じていた。夫とは話をしていてもいつも途中で「もういい!!」と怒り出す。何で怒ったのか私にはわからない。そして2人は離ればなれでおしまいになる。しかし息子とは最後までしっかり話ができた。それがとてもありがたかった。

 今でも夜になると「ドン!!」とドアを開け、「おい!!」という息子の声が聞こえてきそうでならない。それが私の最も幸せな時間だったのに.....。

感謝、感謝の毎日

 今、私達は実際悲しんでいる暇などない。嫁が農場に行かなければ仕事が始まらない。私は2人の孫の保育園への送り迎え、そして寮生達の食事の世話。嫁の実家のお父さんがブリリアントに泊まり込んで毎日農場へ仕事に行ってくれている。ミエを張っている場合ではない。励ましの電話、お手紙、お手伝い、こんなに人の情けをありがたいと感じたことはない。大勢の人達の親切やご厚意で何とか生活が回っていることに感謝・感謝である。

 これからもただただ皆様にお世話になりながら生きていくことになると思いますがどうぞどうぞよろしくお願い申し上げます。

行事報告 平成29年10月~平成30年1月

10月

10/7 (土)畑の仕事、太鼓の練習(さくらピア)、呼吸サークル(文化会館)
10/14(土)畑の仕事、生と死講演会(豊橋市公会堂)
10/15(日)「ブリリアント」慰問(つつじ荘)
10/18(水)誕生会
10/21(土)畑の仕事、太鼓の練習(さくらピア)
10/22(日)ふれあい講演会(さくらピア)
10/28(土)佐溝コレクション旅行(明治村)

11月

11/3 (金・祝)畑の仕事
11/4 (土)駒形神社お庭草、太鼓の練習(さくらピア)
11/5 (日)駒形神社秋祭り、曽我先生カウンセリング
11/11(土)ブリリアント祭り準備
11/12(日)ブリリアント祭り(駒形公民館)
11/18(土)呼吸サークル(文化会館)
11/19(日)防災訓練(磯辺小)
11/25(土)畑の仕事
11/26(日)曽我先生カウンセリング

12月

12/2 (土)畑の仕事、資源回収、太鼓の練習(さくらピア)
12/3 (日)駒形神社下草刈り
12/9 (土)ライオンズバザー(ココニコ)
12/10(日)秋葉様餅投げ
12/16(土)クリスマス感謝祭(駒形公民館)
12/23(土・祝)畑の仕事
12/24(日)曽我先生カウンセリング、クリスマスイブ
12/29(金)大掃除
12/31(日)大晦日

1月

1/1 (月)初詣、新春カルタ大会
1/2 (火)〃 (金光寺、馬頭観音)
1/10(水)「ブリリアント」慰問(南部デイサービス)
1/13(土)畑の仕事
1/25(木)施設長(内田貴士)通夜(豊隆殿)
1/26(金)    〃    葬儀( 〃 )
1/28(日)曽我先生カウンセリング

ブリリアントにご協力いただいた方々

稲村絹代様、立岩清様、北川藤良様、鋤本恵美様、澤田竜弥様、杉浦依和夫様、宇野和男様、位己光児様、森下昌洪様、曽我洋秀様、佐溝力様、山口京子様、ふれあい様、井上浩様、白井順子様、藤井武弘様、北島康成様、他フラメンコの皆様、菅谷君男様、位己光児様、牧野様、佐伯様、桜ヶ丘高校ボランティア部様、フラダンスすみれ会様、ポケットの皆様、グループホームたけのこ様、和太鼓グループ希望様、豊橋善意銀行様、カリオンビル様、豊橋市社会福祉協議会様、(株)うずらの里内田ファーム

ブリリアントにご寄付下さった方々

立岩清様、吉川文子様、曽我洋秀様、河合きほ様、天野裕子様、河合邦明様、金原光昭様、金原博昭様、円山高大様、佐藤様、藤田一夫様、山本良美様、山口京子様、藤井武弘様、稲村絹代様、黒木陽子様、金原康純様、中村安子様、高須陽子様、鈴木静子様、木下様、大澤良江様、レスポワール様、大橋善孝様、兵藤昇様、北川藤良様、深田ヤスノ様、石井一幸様、山本小夜子様、佐溝力様、井上浩様、夏目様、加藤キヨ様、下田正男様、内田佳伸様、梁川美根子様、豊橋善意銀行様、豊橋市社会福祉協議会様、(株)うずらの里・内田ファーム

いろいろとご協力、ご支援ありがとうございました。

編集後記

 12,1,2月と病院に入院していて、おやつを食べるクセがついてしまって、体重がリバウンドしています。気を引き締め直して痩せたいと思います。

伊藤 剛

 ウコッケイ・ニワトリ当番、豊川とブリリアントの畑の仕事、ゆうきデリバリー・・・。生き物を相手にする仕事の大変さを学ばせていただいた気がします。

兵藤なつき

 人生いろいろな事がありますが、前向きにそれらを乗り越えていきたいと思います。これからも皆様のご支援・ご協力よろしくお願いいたします。

内田里枝
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