レッツ ブリリアント 2012/04 第48号

発行者
精神障碍者社会復帰施設
特定非営利活動法人(NPO法人)ブリリアント 施設長 内田 貴士

住所 〒 441-8145 豊橋市駒形町字坂口56番地
TEL 0532-46-0033
FAX 0532-46-0163

URL http://brilliant-gh.sakura.ne.jp/

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平成24年4月1日発行

ブリリアント農園の野菜たち

施設長 内田貴士

 3月になっても寒い日が続き、ブリリアント農園の野菜たちも深い眠りについていたかのように身動き一つしませんでした。ところがこのところの春のウラウラとした日差しに目が覚め、突然ビックリしたように活動し始めたのです。

 ブロッコリーは雨が降るごとに大きさを増し、皆頭をそろえて“収穫して下さい”とでも言うように私達を見つめています。これは大変とブリリアントの寮生達がブロッコリー狩りをし、市場に持っていったところ、何と野菜たちの洪水です。山のような野菜に値段はスーパーの1/4というありさま。でも寮生達の顔は輝いていました。

 父も、形成の手術のため3月のはじめに入院しましたが、術後の経過も良く3月27日に無事退院することができました。これからまた、寮生達と野菜作りにがんばってくれることと思います。

自然が喜ぶ 野菜が喜ぶ

位已光児(支援者)

 「こころ」そのものにはカタチがないので何処にも境がなく自然の何処にでも「こころ」があります。その自然の「こころ」の最も深いところに無条件に湧いてくる「よろこび」があります。だから花も鳥も景色も自然の姿は何であれ全てが美しいのです。

 野菜は農園という土地で育ちます。その土地は地球という自然なのです。その自然の「よろこび」が野菜を育てているので野菜は喜びで育っています。

 だから野菜を世話している人間も「よろこび」で関わると自然の「よろこび」と共に野菜も喜んで育つのです。しかし、理屈っぽい現代人は、そんな自然を見ていないので自分の都合のいいように野菜を育てようとします。つまり効率よく見かけのいいように科学的といわれる栽培をします。その結果は確かにカタチのよい野菜が急速に多量に育ちますが、自然の「よろこび」がありません。収入が多いという「よく」で喜ぶのです。自分だけの満足ですから野菜は満足していないでしょう。自然の「よろこび」で育ったのではないからです。だから、そんな野菜を食べる人間も喜べるはずがありません。ただ食べているだけで喜びがないので病気という「くるしみ」を現すことになります。

 好き嫌いや損得、優劣や善悪、競争などという自分の都合で判断したのでは自然の無条件に湧いてくる「よろこび」を知ることは出来ません。だから、どんなに見かけが豪華に豊かに見えてもその実は貧しいのです。一時的で自分だけの狭い満足だからです。周りを見ていないので知らぬ間に自然を破壊しているのです。自分に都合のいい自然しか見ていないからです。自分だけの狭い「こころ」では限りのない自然の全てを知ることは出来ません。

 「こころ」そのものにはカタチがない事実を認めるとカタチがないので何処にも境がなく自然をそのまま受け入れることになります。その自然の根底には無条件に湧いてくる「よろこび」があるので、土地という自然もその土地で育つ野菜という自然も、それにかかわる人間の「こころ」も全てが無条件に湧いてくる「よろこび」で包み込まれているので無理も無駄もなく疲れもないのです。

 だから私も自然に育った野菜を戴いているので、毎日6時間も駅前に立っていても疲れません。自然の無条件に湧いてくる「よろこび」で支えられているからです。その自然は私だけに働いているわけではありません。だから私を取り巻く地域の全てに自然が働いて皆さんが親しく喜びの挨拶をしてくれます。

 自然の喜びが野菜の喜びとなり、その喜びが私の喜びとなり地域が喜びに包まれています。限りなく無条件に湧いてくる「よろこび」の自然に感謝。

チビの近況報告

チビ(黒猫9歳)

 皆様お久しぶりです。ブリリアントの黒猫チビです。ここへ来てもう三ヶ月以上が過ぎ、今ではすっかりブリリアントの生活にも馴れました。今の一番のお気に入りは、物置の毛布の上でのお昼寝です。ほとんど四六時中ぐぅぐぅと眠っています。出て行くのはみんなが自室に帰った夜の9時頃ね。でも、この時間帯は、ブリリアントの台所にネズミが出るから警戒しているわ。こないだも、夜の9時過ぎに、頭の黒い、二本足のネズミが大きな図体で食パンをむしゃむしゃと食べていたの。あれが奥さんの言っていた大ネズミのことだとわかったわ。ちょっと私の手には負えないわね。

 先日、初対面の人に、「チビって言うには太り過ぎね」なんて言われたけれど、これでも生まれた頃はほんとにチビだったのよ。失礼しちゃうわ。まぁ、お腹の皮がタプンタプンしているのは認めざるを得ないけど。避妊すると太るって本当かしらね?

 先輩猫のジュンとはなんとかうまくやっています。時々リラックスルームで顔を合わせてお互い気まずい雰囲気になるけど、ちょっとだけ、「フーッ」とやりあったり、ちょっと追いかけっこしたりしてそれで終わり。先輩には敬意を表しておとなしくしています。まぁまぁ居心地良いわね、この家も。

 これから春になって暖かくなったら思い切って外出してみるわ。ブリリアントの回りは畑ばかりだそうだから散歩が楽しみね。ネズミは居ないのかしら?皆様もブリリアントのお話し会にぜひ来て下さいね。私も楽しみに待っています。それでは、また。

最近の人生設計

藤田一夫(寮生62歳)

 平成24年の12月12日になれば、私がブリリアントに来て丸10年が経ちます。過ぎ去ってしまえば早かったとも言えるし、私の人生あと何年生きられるかわかりませんが10年という年月は大きい年月です。今日一日を大切に生きようと思っても10年で何が出来ただろう、何か残ったものがあっただろうか。何曲かギター曲のレパートリーが残ったことは私にとって大切な財産になりました。歳をとることによっていろんなこともわかりました。現在いまだに独身、5月になれば63歳、このまま惰性に生きてはいられません。これからは良いパートナーを見つけて残りの人生を生きてゆきたいと思います。この先のことは何が起こるかわかりませんが、私の人生を悔いのないものにしたいと思っています。今日から6ヶ月間のうちに何らかの答えを出したいと思っています。2,3ヶ月のうちにアパート探しをして自立しようと思っていましたけれど現金を10万円くらい持っていないと自立出来ないとわかりました。一度出てしまったら失敗は許されないのです。お金が無い保証人が居ない、ないないづくしで自立出来ると思ったのも甘い考えでした。これからももう立派な大人、だれからも一人の大人として信用信頼される人間になりたいと思います。まだまだ未熟な私だけど皆様方のご指導ご鞭撻の程、よろしくお願いいたします。出来ることなら暴力無しでお願いします。

 当面の目標としてお金を貯めることと散歩、自立した後も支援者として必要とあればお手伝いしてゆきたいと思います。60歳過ぎてからでも勉強とお仕事を続けなければ生きて行けません。年金だけではとても生活出来ません。苦労も試練と思い出来るだけストレスをためず生きて行けたらと思います。どんな苦労も楽しく生活出来たら最高じゃありませんか。これからもお徳積みをして病気をしないということは精神から来るもの。かわいらしいおじいちゃんになれたらと思います。

 一人の力は小さいようで大きい。また逆もしかり。今の私に出来る力は無力だなぁと思い知らされました。私も子孫を一人ぐらい残さなければなりません。今の恋人は内田ジュン子さん、ブリリアントの飼い猫です。時たま私に噛みつくんです。もともと気が強い猫ですけど可愛がっています。飼い猫に手を噛まれるってこのことですね。猫のことはともかく、病気をせずこれからも体一つが資本ですので元気でゆけたら良いです。

報告いたします

兵藤なつき(寮生)

 前号に、祖父の肺がんのことを書きました。読んでくださった方々は気になったと存じますが、発行後の1月20日に81歳にて永眠いたしました。「おじいさんのことは私たちに任せるで、あんたは早く帰って休みなさい」(母)。母はおじいさんの看病に尽きっきりでした。私もああいう立場になるのかなと思いました。私はその時病院に泊まらず、父と一緒に実家に泊まりました。その矢先でした。夜明け前に父の携帯電話が鳴ったのに目が覚めて、問いかけた所、母から「おじいさん、さっき亡くなった。」と報告を受けました。父とともに国立医療センターへすぐさま対面に行きました。病室を見てもおじいさんはおらず、浴室に私の姉たちの靴が置いてあったので、様子を見たら、遺体となった祖父が浴槽に浸かっていました。服を着せ、顔をきれいに整えてあげるまで見ないようにしました。

 遺体を私の現在の実家であるマンションに運ばれた後、母が隣に住んでいる人に号泣していました。私も動揺しました。

 通夜・葬儀のおもてなしは心を落ち着かせて行いました。葬儀を終えて斎場に向かうバスに乗り込んだ時でした。出発のクラクションが鳴り出したと同時に私は悲鳴を上げました。頭もクチャクチャにしました。親族や関係者たちは驚いていました。到着後も説得されるくらい泣きわめきました。いとこから「そんなことをしていたら天国のおじいちゃんがないちゃうよ」説得され、いつのまにか落ち着きました。「恥ずかしいと思わないのか」と言う人もいました。

 今までも自衛隊の飛行機が音をあげて飛んでいるのを見ると、花火が打ち上がると、チョウチョウが飛んでいるのを見ると怯えました。悲鳴も上げました。それだけ私は繊細でした。

しんしろ節句まつり

理事長 内田里枝

 今年も“しんしろ節句まつり”のお便りをいただいた。去年はブリリアントの寮生一同楽しみにしていたのだが、あいにく雪が降り断念せざるを得なかった。そういう訳で今年は何が何でも行こうと決心し、オープニングの日に行くことになった。主人と寮生を乗せて車は一路新城文化会館へ。

 今年で10回目となるまつりだが、5、6年前にも見せていただいたことがあった。部屋いっぱいに飾られたつるし雛に圧倒されたものだ。あれは今でも私の脳裏に焼き付いている。

 今年も会場に入ったとたん別世界が広がった。あの時とは違うつるし雛だった。

 つるし雛は昔、“人生50年”と言われた時代に1年でも長く生きてほしいとの親心から51個のお雛様をつるしたことに始まったようだ。お雛様はたとえば猿などもつるされている。これは猿のように元気に動き回る子供になってほしいという願いからだ。こうしておばあさんが孫のために1年かかっていろんなものを一つ一つ心を込めて作ったものらしい。

 段飾りのお雛様もあった。大正時代のものはしぶい色合いで時代を重ねてきた風格があり、価値ある骨董品だった。

 私が懐かしさを感じたのは御殿の段飾りだった。私のお雛様も御殿の中に入っていた。小さな頃、母が飾ってくれるのが待ち遠しかった。赤、緑、黄、白ののしもちを菱形に切り、あんころもちも作ってお雛様に上げた。脇には山から取ってきた赤いヤブツバキが飾られ、そして雛まつりのごちそうはちらし寿司ではなく、にぎり寿司だった。子供心にもそれがとても嬉しかった。そんなことを想い出しながら見て回った。

 一人ステキな私服姿で新聞社の方に説明している人がいた。この節句まつりの会長の今泉幸子さんだった。彼女との出会いはもう15年以上昔となる。友達といっしょに新城のお宅におじゃましたことがある。立派な旧家のたたずまいで、初めてお会いしたというのにお昼をごちそうになった。「これは庭の栗の実を拾って作ったのよ。」とか「これは裏の山で山菜を採ってきてね。」とか、全部が身近の心のこもった材料のお手製。また器も一つ一つぬくもりがあった。「本当はおそろいの食器だと重ねられて場所を取らないのだけれど、私はこういう一品ものが好きなの。」こんなおもてなしを受けていいのだろうかととまどいを感じたくらいだった。ここは私の日常とはちがうゆったりとした時間が流れていた。日本人の心の原点に触れた気がした。それ以来、ブリリアントは今泉さんにいろいろご支援をいただいている。

 ひとしきり会場を見て回り、今泉さんにお礼のあいさつをすると「よかったらお茶でもどうぞ!」のお言葉があり、私達は遠慮なくいただくことになった。

「こちらがオリジナルの亀姫のどら焼き、そしてもなか。これはクッキーです。」おいしい新城茶といっしょにいただいたお菓子は、お雛様の透かし模様の入ったお返しの上に載せてあり、味わい深く感動的だった。

 今泉さんはおまつりのあと、これらの雛人形を30個もの衣装ケースに入れて保管し、それを入れるための倉庫も自費で建てられた。

 古い雛人形は解体し、着物をはずし、その生地を平らに伸ばして手提げ袋や小物を作る教室も開いているのだと言う。また、要らなくなったレースのカーテン生地をいただいてウェディングドレスを作り、ファッションショーなども行っている。エコの面でも理にかなっており、私はただただ感心するばかりだった。そうまでしてこの日本の文化を大切に保存しようとしている人達の意気込みに私は言葉が出なかった。

 ほとんどボランティア活動で成り立っているこの会だが、これからもずっと続けていってほしいと願うばかりである。

「戸塚宏さんと語る」

森下昌洪(支援者)

 仕事の帰りに、地下鉄のホームのベンチで偶然に戸塚宏さんに出会った。

 桜通線の吹上から名古屋駅まで、ほんの15分お話しさせてもらった。

 僕は、二年前に今池にあるシネマテークで戸塚ヨットスクールの現在と昔のドキュメント映画を見た。「平成のジレンマ」と云う題名だった。その前後に出版された本も読んでいた。この本では、戸塚さんが子供の成長期において、体罰は必要だと云っていた。

 映画とか本から僕が戸塚さんを応援していますと伝えた。戸塚さんは地下鉄の中で、すぐに日教組とマスコミが、日本の教育をダメにしていると云っていた。

 現在のスクールと開設当初のお話しでは、当時はまだ人間として復帰できたが、今は、もう手遅れだとも云っていた。「このままでは、日本はつぶれますよ」という言葉が印象に残った。

体の健康

大石春子(寮生)

 一日15分程度の運動を続けるだけでも体調はずいぶん良くなるものです。普段使わない筋肉を意識しながら鍛えてゆくことです。

 額に汗をかくくらいの時間散歩すれば運動効果が得られます。私も足が痛かったですがだいぶ楽になりました。畑に行っても良く動けるようになりました。心の病も今の所良いです。

今は亡き清田和彦さんの思い出

安間道貞(寮生26歳)

 僕は当時の入院先の松崎病院4病棟で清田和彦さんと初めて対面をしました。平成22年1月に清田さんがブリリアントに体験入寮し、翌月に正式に入寮しました。それから1年5ヶ月間仲良くしましたが、清田さんが炭水化物が多い食品やチューハイを買って飲食したりして、チューハイは薬と一緒に飲んではいけないと言いましたが、信頼維持ができなくなってしまいました。

 僕が清田さんと最後に会ったのは、平成23年6月30日でした。それから2ヶ月後、清田さんの入院が決まり、荷物を片付けて病院へ行きました。荷物の中には市民相撲選手権大会の賞状やメダルを始め思い出の品がいろいろありました。そして牛川のグループホームWACの見学をして、ここは清田さんが入る予定でしたが、平成23年10月11日頃、岩屋病院の閉鎖病棟へ入ってしまい、3日後、容態が急変して36歳の若さでお亡くなりになりました。

 清田さんの葬儀は牛川のセレモニーホール愛心殿で行われましたが密葬なので僕もブリリアントの寮生達も行きませんでした。

 翌月、11月23日のブリリアント祭で、清田さんの大好きな曲だった「あなたに会えてよかった」を僕が追悼で歌いました。「サヨナラさえ上手に言えなかった~」という歌詞がありました。

 今後、慰問活動のうち、障碍者福祉施設の「あかね荘」「珠藻荘」「豊橋ちぎり寮」「シーサイド吉前」で、「あなたに会えてよかった」を追悼曲として僕が歌う計画です。「珠藻荘」は平日の月~金しか慰問に行けないので、たぶん7月の第二か第四の水曜日になると思うので、日程が決まったらその日は作業所さざなみの休みを取って、参加し、追悼の曲を歌いたいと思います。

行事報告 平成24年1月~3月

1月

1/7 (土)お米の仕事
1/8 (日)ピアノコンサート(フロイデンホール)
1/14(土)誕生日会(白井・安間)
1/15(日)初詣(砥鹿神社)
1/28(土)「ブリリアント」慰問(和)
1/29(日)曽我先生カウンセリング

2月

2/1 (水)「ブリリアント」慰問(ビッグスマイル)
2/4 (土)お米の仕事
2/12(日)曽我先生勉強会
2/18(土)誕生日会(曽我先生・大石)、お米の仕事
2/26(日)曽我先生カウンセリング

3月

3/2 (金)お米の仕事
3/3 (土)「ブリリアント」慰問(福寿園)
3/4 (日)ハート・イン・東三河(蒲郡市民会館)
3/15(木)研修生受入(お話し会)
3/23(金)あした天気にな~れXV(豊橋市公会堂)
3/25(日)曽我先生カウンセリング

※毎週木曜日夜6時30分から「お話し会」を行っております。どなたでも参加できますのでどうぞお越し下さい。

ブリリアントにご協力いただいた方々

今泉良美様、生田尚子様、大橋温様、万久商店様、白井史郎様、大須賀良子様、曽我洋秀様、位己光児様、佐溝力様、北川藤良様、清水伸太郎様、森下昌洪様、白井千雄様、田中操様、えぐれ笹島様、稲地扶美子様、金原康純様、レスポワール様、豊橋善意銀行様、豊橋社会福祉協議会様、ゆうきデリバリーサービス様、東海有機(株)

ブリリアントにご寄付下さった方々

今泉良美様、大須賀良子様、曽我洋秀様、金原康純様、金原光明様、内田知様、内田佳伸様、清水伸太郎様、黒木武秀様、北川藤良様、兵藤昇様、山口京子様、白井千雄様、金原博昭様、万久商店様、佐羽尾様、河合きほ様、山本小夜子様、河合邦明様、田中稔様、今泉幸子様、 大石育子様、田中操様、若原様、小野春美様、樋口様、やしの実様、田村らん子様、梁川様、生田尚子様、大橋善孝様、えぐれ笹島様、レスポワール様、矢車草様、豊橋善意銀行様、豊橋社会福祉協議会様、ゆうきデリバリーサービス様、東海有機(株)

いろいろとご協力、ご支援ありがとうございました。

編集後記

 2月より豊川の畑の手伝いをしています。その日は作業所を休んで白ネギやブロッコリーの収穫や出荷の準備をしています。人数が少ないので助けてあげなきゃってやっています。

兵藤なつき

 3月始めに腰を痛めて仕事を休んでしまいました。くしゃみをしても痛いし、靴下が履けずに痛みました。皆様、ぎっくり腰にはくれぐれもご注意下さい。

伊藤 剛

 次号より「レッツブリリアント」に俳句や短歌のコーナーを設けたいと思います。皆様、ぜひご応募下さい。(仮名でも結構です)

内田里枝
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