レッツ ブリリアント 2012/08 第49号

発行者
精神障碍者社会復帰施設
特定非営利活動法人(NPO法人)ブリリアント 施設長 内田 貴士

住所 〒 441-8145 豊橋市駒形町字坂口56番地
TEL 0532-46-0033
FAX 0532-46-0163

URL http://brilliant-gh.sakura.ne.jp/

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平成24年8月15日発行

ブリリアント創立20周年記念

施設長 内田貴士

 ブリリアントは今年で創立20周年になります。

 という訳で、今年のブリリアント祭は11月ではなく、来年の5月5日に豊橋市の公会堂をお借りして行うことになりました。今プログラムをどんな風にしようかと思案中ですが、障碍の種類を問わず、いろいろな施設の方々に参加していただこうと思っています。この行事に出てみたい方があればぜひお申し込み下さい。

 それからこれは私事ですが、去る7月8日に独身生活にピリオドを打ち、結婚致しました。妻もこれから世話人としてブリリアントに関わっていくつもりですので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

ブリリアントも国際化

理事長 内田里枝

「あの、野中と申しますが、お久しぶりです。今度、ブリリアントで研修を受けさせていただけないでしょうか?」私は「ぜひお願いします。」の二つ返事でお受けした。6月のある日の電話である。

 野中さんとはもう20年近く、ブリリアントを立ち上げた頃からのお付き合いだ。その頃、職親会という障碍者を雇用する会社の会があり、大変お世話になった人である。

 私はその頃、カサデルーセ(スペイン語でお菓子の家)という障碍者の作業所を作り、毎日メンバーとうずら卵のクッキーを焼いていた。そこへヒョッコリ取材に来られた野中さん。私が思いつくままにおしゃべりしたことを「金言集」という冊子にユーモアたっぷりにまとめて書いて下さった。これは今でも私の宝物になっている。

 野中さんは日本リハビリテーション協会のトップの方で、今回の研修会を企画された方である。世界11カ国の発展途上国(コスタリカ、ドミニカ、フィリピン、マレーシア、モンゴル、ラオス、セントルシア、南アフリカ、スワジランド、タイ、イラン)から障碍者をサポートする人達が日本に来て研修を受けるというもの。その中には盲目の人や電動車いすの人もいる。7月の13、14日と日取りも決まり、研修の内容も豊橋市役所、ほいっぷ(保健所など医療関係機関が集まった施設)、ブリリアントそしてうずらの農場と煮詰まってきた。

 いよいよ当日が来た。私は市役所の職員の方々やブリリアントの支援者の人達といっしょに豊橋市役所の正面玄関で一行をお出迎えした。表敬訪問という事で、市長さんのご挨拶はなかったものの、障害福祉課の方々に豊橋における福祉の現状を画面を見ながら丁寧に説明していただいた。職員からの説明があるたびに、訪問団の通訳の方が研修生達にていねいに英語で話してくれる。素晴らしい通訳だった。

 そのあと昼食となり、最上階のレストランで食事の予約をしておいたのだが、さまざまな国の人がおり、宗教上の問題で食べられる食材も限られるということで結局地下にある職員さん専用の食堂で自分の好きなメニューを選ぶということになった。

 午後はほいっぷ見学だった。まずほいっぷのDVDを見ながらの説明があり、その後建物の中を見学させていただくことになった。子供がいっぱい居る施設で日本の小さな子供達に接した一行は「かわいい!」を連発し、しばしなごやかな空気が流れた。

 いよいよ13日の最後のプログラム、ブリリアントでの茶話会となった。本当は公民館で行う予定だったのだが、エレベーターの無い公民館では電動車いすの研修生が上がれないということで、急遽ブリリアントの音楽室の前の軒下で行うことになった。こんな所では申し訳ないと思いつつも、車いすの方や盲目の方のためにはここが一番良いだろうという結論になった。

 回りをよしずで囲い、壁に11カ国の国旗を貼り、テーブルに花を飾った。せめてものブリリアントのおもてなしだった。

 研修生の一行は茶話会の席に着くなりどよめいた。「私の国の国旗がある!」これには私は驚いた。11カ国の国旗は今までに見た事もないような旗ばかり。こんな国が、こんな国旗があったんだねと寮生達と眺めたくらいだったが…..。だから研修生達は自分の国の国旗が飾られていることにとても感動し、涙さえ浮かべていた。自己紹介の時には「右から何番目が私の国の国旗です。」などと説明してくれた。私は国旗の持つ大きな意味を感ぜずにはいられなかった。その後主人からブリリアントの成り立ちの話があった。ブリリアントという名前の由来は?の質問に、同級生のワシントン大学の井上教授が「光り輝く」という意味で付けてくれたのだが、本当は主人の頭の光り輝く様をもじって付けたという話に、会場からどっと笑い声が起こった。主人の話についてはブリリアントの支援者で、現在大学で英語を教えている岡林さんが通訳して下さった。これもすばらしいことだった。さざなみ憩いの家の所長、杉本さんもお忙しい中参加して、お話しをして下さった。

研修生の一行を国旗が迎えた

研修生の一行を国旗が迎えた

 研修生達が一番関心を寄せていたのは、障碍者が社会復帰して実際社会生活ができるのだろうかということだった。そこで、ブリリアントを卒業し、めでたく結婚し、社会に出て生活している宇野夫妻がそれに答えた。研修生達は二人の話に関心を寄せ、熱心に聴き入っていた。

 私もブリリアントの現状を説明した。慰問活動のこと、お話し会のこと、新聞作りのこと。ブリリアントのさまざまな行事が障碍者のリハビリに役立っていることなどを話した。一言いうたびに素晴らしい通訳が付き、私はブリリアントも国際的になったなと、何とも言えない感慨にひたっていた。その後寮生達に質疑応答があり、箱物の講義でない、障碍者達の生の声に研修生達は聴き入っていた。

 次の日は主人の経営しているうずら農場見学から研修は始まった。息子が案内して説明した。暑いので見学はそこそこに済ませ、研修最後の締めくくりはやはりブリリアントで行った。野中さんによる研修の総括が行われ、それが終わると研修生達のディスカッションが始まった。私は興味深く眺めていたが、すぐに通訳の方が私の横に来て説明してくれた。「今とても盛り上がっています。障碍者をサポートする人達の中にも障碍を持っている方がいます。その方達はもっと自分達に気を使って、自分達を中心にした研修を行って欲しいと言っています。またこの方は健常者なので、そんなこと言っても自分達も毎日の研修で疲れているし、気配りしたくてもあまりできない、と言っています。」

 研修生の中には学校の先生もいればお医者さんもおり、皆レベルが高い。肌の色も黒い人もいれば黄色の人もいる。しかし、障碍者にとってより良い社会を作りたいという点では思いは一つなのだ。

 最後にブリリアントのメンバーが歌をプレゼントした。「上を向いて歩こう」「聖者の行進」など、研修生達の知っている歌、英語の歌を歌った。留学の経験もある伊藤君が、茶話会の司会も担当し、得意の英語の歌もがんばった。藤田さんも、得意のギターを聴かせてくれた。すると、研修生達も歌い出した。色の黒い人も黄色い人も手を組んで、お礼の歌を歌ってくれた。電動車いすに乗った研修生は、顔をくしゃくしゃにして熱唱しプロ並みの歌を披露してくれた。皆感動して拍手が鳴り止まなかった。

研修生達も歌い出した

研修生達も歌い出した

 研修の最後に、日本のお土産にと息子がうずらの卵カッターをプレゼントした。素晴らしい研修会だった。野中さん、研修会の場にブリリアントを選んでくれてありがとうございました。また、そのお世話をずーっとして下さった瀧沢さんありがとうございました。それからブリリアントの支援者の方達、お忙しい中お手伝いいただき本当にありがとうございました。皆様のご支援があったからこそこの研修会がすばらしいものになったと思います。私達はこの研修会でたくさんのことを学び、また、感動をいただきました。心よりお礼申し上げます。

最高の2日をブリリアントで過ごして

元寮生 宇野和男

 H24/7/13,14の二日間ブリリアントに世界中の国から障碍者本人、サポート研究者の方々が20名ほど来られてグループホームの概要から障碍者福祉について意見交換をする会がありました。

 私は精神病院から退院しグループホームでブラシアップし今では結婚して普通のアパートに住んでいる・・・と言う数少ない成功例として自己紹介のほか、グループホームをあえて卒業する事が今後の精神病の治療、改善、により一層つながるのかどうかとか、実際の生活風景を聞かせてほしいという質問が、たずねられました。

 そこで少し具体的に話させていただきました。(言い足りなかったけどこういうことを言いたかった事を書きます) 金銭管理がいい加減ですと精神的にも不安定要素が発生します。そのためにEXCELを使い、週に一回くらいは、一円単位で突合せをしています。また料理に関しても買出しのとき自分の買い物袋を持っていけば毎回2円引きとなるサービスを十分活用したり、料理、片付けまで私がやっている事や、 妻も毎朝私が着る服を選んでくれたり、洗濯、アイロンがけ、電気掃除機かけなどして助け合いながら生きています。

 朝、二人で散歩でもすれば変な人には見られないこと、その延長線上に個人的に地域で社会参加が出来、回復につながります。と言ってもちゃんとした定職につけたわけでもなく福祉施設で少ない給料で、後は公的年金などで暮らしている事・・・と言うような話をしました。グループホームと違い自由は大きいけど、責任が付きまとい、なんでもやってよいといは限りません、しかし生活をきちんと管理することをグループホームで十分学習したので失敗はしません。仕事についてはもう新しい事を今から・・・・学んで稼ぐというのは難しいです。昔から知っている事なら何とかやれそうですが・・・・

 夫婦生活では2年間で10回大喧嘩をしても、毎回最後には「ごめんなさい」と互いに反省しています。私は“当たり前の愛”なんてない。好きなら玉砕が見えていても告白したほうがいい。夫婦の間でも、「今日の夕飯・・・頑張ったね」の一言は言って欲しいとか、喧嘩ごとに、互いに愛情が深くなっていきます。

 また、夫婦のどちらかがダウンしたときそれが「病気の症状」なのか単なる「偏頭痛」なのか、薬ののみ忘れがないようにきちんと確認しあっています。ダウンしているときは2人で精神病院の主治医に症状を訴えます。妻が疲れてるときは静かにして寝させてあげます。健常者の無神経な弱肉強食理論ではこの結婚は成り立ちません。障碍者同士なので分かり合える事もたくさんあります。特に食事を私がやっているので、食事が出来ない→離婚とはならないことも大きいです。

 それと意見が違ったときの相談支援の方達にずいぶん助けられたとか・・ここでは話さないけど喧嘩については陰のような部分もあり、書けない苦労があったこととか、子供は作りませんなど、実際の事を発言しました。

 14日は2年ぶりにスターダストに参加して、歌を歌いました。英語圏の方達なので、サイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」を伊藤剛さんの誘いで一緒に渾身の力でいました。前日、デジタルウォークマンで何回も聞いて特訓しました。本番では演奏の音が小さく今どこ歌っているか分からなくなりちょっとしくじったけど歌の意味から広く障碍者がfeeling small ,と当てはめながら ~like a bridge over troubled water I will ease your mind ah ah・・・を感激に震えて泣きそうな思いで歌いました。

「明日に架ける橋」を熱唱

「明日に架ける橋」を熱唱

 偶然の20周年記念のイベントでしたが、大成功になったのも、全ては内田里枝さんの love is all という日々の20年分の苦労の賜物だと思います。 また、音響の決め手はやはり私がneedなんだなあと思いました。セッティングでもここまでやる・・・はやはり意味がきちんと分かってると違います。 歌や個人的発表の後いよいよ別れが来たときほんの2時間でもこんなに分かり合えたことで、とてもさびしく思い、いろんな人に握手をしました。また、記念写真もたくさん撮りました。

記念写真もたくさん撮りました

記念写真もたくさん撮りました

 マレーシアからの人は1と書いてある紙幣と名刺をくれました。何が書いてあるか、分からないです。でも大事に保存します。妻がリップサービスで、「新婚旅行はマレーシア行きます!」なんていって電話番号まで書いてあるその名刺を見てたら、「そのときは是非この番号へtelしてくれ」なんておっしゃってくださいました。今回は一番いいときのブリリアントを世界に発信できた事で、とても素晴らしく、また少し懐かしい思いがしました。 こんなすごい企画に参加できた事は一生 忘れません。ありがとうございました。

ウェルカム トゥ ブリリアント

支援者 宇野晴美
 

 私にとっても7月13・14日は最高の二日間となった。 興奮冷めやらぬうちに文章にして残しておく。数ヶ月前よりブリリアントの奥さんから今日のイベントの事は知らされており、私も参加したいと思い楽しみにしていた。主人はあんなに格好のいい事を言っているけど「寄付を集められるに違いないからやめておけ!」と言っていた。当日、一人ずつ自己紹介をする事になった。まずは寮生、主人そして次に私の番が来た。短い時間で思いついた言葉はウェルカム トゥ ブリリアント!!だった。外国の方達が盛り上がってくれて、私も大満足で有頂天になってしまった。少し、目立ち過ぎたかな、と心の中で反省しつつ・・・。

 記念撮影の後、外国の方とコミュニケーションを図る機会があり、私は盲人の方と話をした。結婚していて、35才で子供はいない・・・と話すと、「あなた若いのにどうして子供をつくらないの」ときかれて困ってしまった。幼稚園児並みの会話力しかなくて「もっと英語を勉強しろ!!」と言われてしまった。とりあえず、「また明日会いましょう」と英語で言った。主人は「明日も来るの?」と言っていたけど、次の日も主人はブリリアントに行った。朝から半そでの白いシャツにアイロンをかけてくれとうるさいのなんのって・・・。自転車に乗りながら、大きな声でリハーサル。本番では得意の英語と歌唱力で皆をあっと言わせ、誰よりも輝いていた。私もスターダストの一員になって歌った。歌で皆がひとつになれた。歌と心からの笑顔は何よりのもてなしとなった。

私もスターダストの一員になって歌った

私もスターダストの一員になって歌った

 二日間を通じて,障碍を持っていても明るく楽しいブリリアントファミリーの一員であることを改めて誇りに思った。これからも日本を代表する世界のブリリアントと共に歩んでゆきたい。もう絶対に離婚できないな・・・。

チビの近況報告 その2

チビ(黒猫9歳)

 皆様、ご無沙汰しております。ブリリアントの黒猫チビです。ここへもらわれて来て、もう七ヶ月が過ぎ、すっかりブリリアントの猫になりました。それにしても今年の夏は暑いわねぇ。私達なんて真夏でも毛皮を着ているから暑いのなんのって。最近は、一日を通じてブリリアントの一番涼しいスポットを捜して回っているの。午前中は食堂の床ね。みんなが朝食を終えたあとは、テーブルの足の下で長々と寝そべっているの。午後は階段の踊り場。夕方暗くなりかけの頃は駐車場で風に当たっているのがお気に入りよ。階段って言えば、ブリリアントには二階があって、寮生の部屋があるのよ。それを知ってからはみんなの部屋に入っては探検したの。A君の部屋は荷物が少なくて広々しているわ。伊藤さんの部屋は物が多くて乱雑ね。Hさんの部屋は綺麗で絨毯が気持ちいいわ。Fさんの部屋には先輩猫のジュンが入り浸っているから遠慮しているの。Oさんの部屋も綺麗ね。伊藤さんとは実家が同じだから部屋に入っても大目に見てもらっているけど、HさんやOさんの部屋には入ったとたんにつまみ出されてしまうの。残念だわ、なんでかしらねぇ。でも伊藤さんの部屋では布団の上で寝かせてくれるから、冬が楽しみだわ。夏場は暑いから、あまりみんなの部屋には入って行かないけれど、このあいだ伊藤さんの部屋に入った時には、風通しの良い窓際に上がって気持ち良く寝そべったわ。

 先輩猫のジュンとはだいぶ仲良くなりました。今ではご飯の皿を前にして、並んで食事をしています。ジュンはブリリアントの回りの畑を我が物顔で歩いているけれど、私はまだ畑の中の冒険はしていないわ。駐車場のまわりがせいぜいね。

 ブリリアントを訪れてくれる人達も、私の事を知ってくれている人がいて、「チビ、チビ」って呼んでくれるようになりました。まだ来たことがない人も、ぜひ遊びに来て下さいね。毎週木曜日の夜にはお話し会もあります。では、またねぇ!

最近の近況

藤田一夫(寮生63歳)

 7月中にもミニミニに行って欲しい物件が2,3有り、借りる手続きをしましたが審査が通らず、この審査というのは家賃を滞納した時お金を借りる都合を付けてくれて、滞納者はお金が有る時に滞納分を返してゆくシステムらしいけど、今年の2月頃にもやっぱり審査が通りませんでした。このぶんだといくら欲しい良い物件が有ったとしても審査が通らず、この審査の通らない結果は教えてくれないし考えられるのは障碍者だからと言うのではないらしい。私の知っている人でも障碍者ではあるけどアパートを借りて住んでいる人もいます。では何だろうと考えた時、私に少々借金が有り、返せられない金額ではないのでこの借金を返すことが急務だと思いました。その後にまたアパート探しにチャレンジしたいと思います。私が今自立する時だということは十分すぎるくらいわかっているのだけどいろいろのトラブルに巻き込まれてお金に苦労するという結果になってしまいました。神様が私に試練をお与えになったと思い、落ち込むことなく前向きに生きてゆくしかないです。

 ただ心配なのはもう少しブリリアントにお世話になることが私にとって心苦しいです。でもいくら頭を下げてももう少しブリリアントに居させてもらうしかありません。もう私の部屋は出て行くつもりで片付け作業をして整理しています。こういう苦しい時こそ助けの神が現れて私を救ってくれると考えるだけでも心が救われるではありませんか。私の人生順風満帆とは行かなくても希望は捨てません。私自身、困った時こそ他の人に助けてもらうのも有りかなと思います。お金を借りるのではなく、知恵を借りていけばと思います。私ももし、様々な問題が片付き、今出来ることが有るとするならば2,3やってみたいことがあります。そういうことが出来ないことが無念でなりません。やってみたいということは今は言えませんが、まず自立してお金を貯めることです。今、ほいっぷとピュアオフィス矢車草で働かせていただいているので年金も含めてそれだけがのぞみです。私は150歳まで生きるつもりなので、それなりの苦労もあろうかと思っています。

ショック!

兵藤なつき(寮生27歳)

 今年の6月17日、賀茂のしょうぶ園のしょうぶを見に行った帰りでした。夕方にお父さんから電話がかかり、そっちにお母さんはいないかとの連絡でした。私の母が朝、家を出たまま帰ってこないと私に言いにきたんです。お父さんからの話によると、お母さんは家を出る際、財布も電話も置いたまま衣類も何も持たないで出て行ったため、何が何だか分からなくなったのかなとでした。

 私は慌ててお母さんの妹の自宅にいないか連絡しましたが、そっちにはいない。驚いているとのことでした。

 翌日の夕方、会長さんがひょっとしたら返事するかもしれない、一緒に捜そうと奥さんが運転する車で朝倉川と豊橋公園まで行き大声で叫んで捜しました。2日目、お母さんが知っていそうな場所を手分けして捜しました。私は奥さんとともに向山霊園を捜しました。梅園から墓地、広場や公衆トイレをくまなく捜しました。私たちでは捜せないため、お父さんが警察に捜索願いを出し、ビラも作って情報提供を呼び掛けました。お母さんが家を出て1週間、今度は親せきにもきてもらい、葦毛湿原の中を手分けして捜しました。

 私のお母さんは、私たちを育てるには一体どうしていいか分からない人でした。困ったことや悩んでいることがあっても誰にも相談せず、一人で抱えたり自分で何とかする人でした。自分のことを愛せる人ではありませんでした。外の刺激を受けることから逃げる人でした。自分の弱さを認める人ではありませんでした。外見だけで生きる人でした。それは最近になって知りました。今までこんなこと知らなかったのかなって思います。こんなことならどうして反面教師にしなかったんだろうと思います。私もお母さんみたいになっていたかもしれません。

 だから会長さんも奥さんも私にそのままでいいとか開き直れと言ったのかしら?自分を追い詰めないためかしら?

過去の日帰り旅行と一泊旅行

安間道貞(寮生26歳)

 僕は正式入寮した平成21年11月30日以降の日帰り旅行と一泊旅行の記録を振り返ります。まず日帰り旅行から。あかね荘障碍者生活支援センターが主催している年一回程度の日帰り旅行に行ったのは、平成22年5月30日の岐阜県内コース(7000円)。平成23年2月6日の静岡県内コース(10000円)。平成23年12月18日の長野県内コース(6000円)の3回行きました。僕の他の参加者には、「さざなみ憩いの家」の利用者さんらもいました。車内で遊んだのは、岐阜県内コースではビンゴゲームで僕が当たりました。静岡県内コースではビデオとか見ました。長野県内コースでは、カラオケで桑田佳祐さんの大ヒット名曲「白い恋人達」を歌いました。昼食には漬け物バイキング食べ放題などが有りました。あかね荘障碍者生活支援センターの日帰り旅行企画は次回、平成24年秋以降になるが、ほとんどは日曜日で集合解散場所は豊橋駅前と僕が行っている南栄駅前の二カ所で、行き先は決まり次第お知らせします。

 僕が通い始めた平成22年9月以降のさざなみ憩いの家の日帰り旅行は2回行った経験があります。まず、平成23年6月3日のホテル明山荘コースと平成24年6月15日のファミリーホテル開春楼の二つで、食事はバイキングではありませんでしたが、カラオケでは明山荘の「JOYSOUND」と開春楼の「CYBER DAM」を歌いました。そしてお風呂にも入りました。

 次は、一泊旅行から。平成22年7月10日と11日は篠島の民宿に泊まり、花火大会に行きました。

篠島の民宿

篠島の民宿

 平成23年6月7日と8日は初めて平日の一泊旅行に行き、静岡県の東急ハーベストクラブに行き、7日の夕食はフルコース料理を食べました。その後、カラオケを歌いました。翌日の朝食はバイキングで、パンやサラダなどの洋食と、御飯や焼き魚などの和食の食べ放題をはじめ、コーヒーやジュースなどの飲み放題がありました。平成25年の一泊旅行の日程はほとんどが土日で、行き先は共に決まり次第お知らせしたいが、時期の目処は立っていません。

健康診断が病気を招く

大石春子(寮生)

 検査を受けたからといって必ずしもいい結果が出るとは限らないからです。身体にとっていい生き方をしていた方がずっと良い。平穏な心で毎日を過ごす方がずっと健康にはいいというのが私の考えです。

 どこか調子が悪いということは身体が今の環境に耐えられなくなったシグナルとして受け止め、生き方を見つめ直す機会と考えた方がいいのです。

「賞味期限について」

森下昌洪(支援者)

 この間、焼き肉屋さんの作ったと云う、キムチをユニーで買った。賞味期限は翌日までだった。そのせいか100円安かった。冷蔵庫に入れて忘れていて十日経ってから食べたが異状は、感じなかった。韓国では、キムチは保存食として発達した漬け物だから年中食べることが出来る。 いちいち賞味期限など気にしていない。キムチの通は、くさる寸前がうまいと云うかもしれない。韓国には、かなりクセの強い発酵食品を扱った店がある。 余程の人でなければ食べないだろう。

 昔、フランスで買ったヤギのチーズは、あまりにも臭いが強過ぎて、冷蔵庫の中まで臭いが充満して、食べずに捨ててしまった事がある。今思うと本当に惜しい事をした。

 こう云う自然食こそが健康で長生き出来そうだ。日本人はやたらと賞味期限を気にし過ぎると思う。その為に余分な防腐剤など添加物が多い。賞味期限に頼っているから、本物の味までも知らずに生活している。

 現代の主婦がぬか漬けを嫌っている理由は、ただ臭いからだ。毎日の生活でこれだけ食品の原点を行っている物はないだろう。 昔は公設市場では、総菜屋がかならず二、三軒は入っていた。そう云う時代には、賞味期限は売り手と買い手で、すべて個人の判断で責任を持っていたと思う。

 現代人は添加物入りばかり食べているので腐っているのかどうかの違いもわからずただパックの表示だけを信用して買っている、そう云う事がこわい。 十日以上経過した、焼き肉屋で作ったキムチは結構よく発酵していて、おいしく食べられた。

行事報告 平成24年4月~7月

4月

4/7 (土)お米の仕事
4/8 (日)駒形神社 春祭り
4/15(日)駒形神社 掃除
4/21(土)お米の仕事
4/22(日)誕生パーティー(会長)
4/28(土)「ブリリアント」慰問(豊橋ケアセンター)
4/29(日)曽我先生カウンセリング

5月

5/9 (水)お米の仕事
5/12(土)誕生日会(藤田・兵藤・伊藤)
5/12(土)「ブリリアント」慰問(赤岩荘)
5/19(土)お米の仕事
5/20(日)サミゾコレクション総会(鳳来ログハウス)
5/27(日)ゴミゼロ運動、曽我先生カウンセリング

6月

6/2 (土)お米の仕事
6/9 (土)「ブリリアント」慰問(やしの実)
6/16(土)お米の仕事
6/18(月)ハート・イン会議(ほいっぷ)
6/24(日)ブリリアント総会、曽我先生カウンセリング
6/30(土)「ブリリアント」慰問(あかね荘)

7月

7/3 (火)たいこの練習(さくらピア)
7/5 (木)ハート・イン会議(ほいっぷ)
7/7 (土)お米の仕事
7/8 (日)結婚式参加(施設長)
7/10(火)たいこの練習(さくらピア)
7/13,14(金・土)日本リハビリテーション協会研修会
7/15(日)位己先生講演会 スターダスト出演(あいトピア)
7/21(土)お米の仕事
7/25(水)「ブリリアント」慰問(珠藻荘)
7/28(土)「ブリリアント」慰問(気の里)
7/29(日)曽我先生カウンセリング

ブリリアントにご協力いただいた方々

今泉良美様、生田尚子様、大橋温様、万久商店様、白井史郎様、大須賀良子様、曽我洋秀様、位己光児様、佐溝力様、北川藤良様、清水伸太郎様、白井千雄様、稲地扶美子様、金原康純様、レスポワール様、豊橋善意銀行様、豊橋社会福祉協議会様、ゆうきデリバリーサービス様、東海有機(株)

ブリリアントにご寄付下さった方々

今泉良美様、大須賀良子様、曽我洋秀様、金原康純様、金原光明様、内田知様、内田佳伸様、清水伸太郎様、黒木武秀様、北川藤良様、兵藤昇様、山口京子様、白井千雄様、金原博昭様、万久商店様、佐羽尾様、河合きほ様、山本小夜子様、河合邦明様、田中稔様、大石育子様、藤岡利之様、彦坂節子様、鈴木久子様、筒井電機様、小野春美様、やしの実様、梁川様、松井様、藤井様、月丘様、生田尚子様、大橋善孝様、えぐれ笹島様、赤岩荘様、気の里様、珠藻荘様、伊藤洋様、立岩牧場様、レスポワール様、矢車草様、豊橋善意銀行様、豊橋社会福祉協議会様、日本リハビリテーション協会様、ゆうきデリバリーサービス様、東海有機(株)

いろいろとご協力、ご支援ありがとうございました。

毎週木曜日の夜6時30分から、「お話し会」を行っております。どなたでも参加できますのでどうぞお気軽にお越し下さい。

編集後記

 私の姉もブリリアントにお世話になっています。お話し会に参加したり、奥さんと電話で話をしたりしています。

兵藤なつき

 いやぁ、それにしても暑いですねぇ。仕事をしていても、首筋に刺すような日差しを感じています。皆様、熱中症にはくれぐれもお気を付け下さい。

伊藤 剛
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