レッツ ブリリアント 2012/01 第47号

発行者
精神障碍者社会復帰施設
特定非営利活動法人(NPO法人)ブリリアント 施設長 内田 貴士

住所 〒 441-8145 豊橋市駒形町字坂口56番地
TEL 0532-46-0033
FAX 0532-46-0163

URL http://brilliant-gh.sakura.ne.jp/

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平成24年1月15日発行

あけましておめでとうございます 今年もよろしくお願いいたします

施設長 内田貴士

 ブリリアントも今年で19年目に入りました。昨年を振り返ってみますと、激動の一年でした。

 前半は「マダム芳江人間コンサート」で燃えに燃えました。おかげ様でフロイデンホールの500席もほぼ満席となり、大成功のうちに終わることができました。寮生達にとってもすばらしい経験となりました。

 後半は父(元施設長)が病に倒れ、寮生をはじめとするブリリアントファミリーは試練にさらされました。しかし、皆一丸となってがんばり、「ブリリアント祭り」や「感謝祭」の大きな行事も無事にすませることができました。これもひとえに皆様のご支援・ご協力のたまものと深く感謝しております。

 父もこの頃はだいぶ快復し、畑仕事も少しずつできるようになってまいりました。暖かい春になれば今度はブリリアントの会長として活躍してくれるものと思っています。

 どうぞ皆様、今年もブリリアントの応援よろしくお願い申し上げます。

自立に向けて

藤田一夫(寮生63歳)

 今僕が自立することが出来るとしたらどこかのアパートしかありません。今年こそ自立することをネバーギブアップの気持ちでぜったいあきらめることは出来ません。そんな気持ちでこつこつと行動しています。もし引っ越し出来たとしても家電品も必要だしお金も要ります。私の持っている家電品は32型のテレビ、DVDデッキ、冷蔵庫、ポット、炊飯器、扇風機、電機鍋は有ります。これに洗濯機、トースター、電子レンジはなんとか借りることが出来ました。暖房機器は有りません。お金が無い時はしまつして暮らして行かなければなりません。こういうことをあれこれ考えるのも楽しみの一つです。

 料理はこれから一日3回も作らなければいけないということは、一年で365日の3倍も作らなければなりません。当たり前のことかもしれませんが今の僕に、料理のレパートリーが少ない現実にとって何か良い方法はないでしょうか。少々愚痴っぽく聞こえるかもしれませんが、自立して現実にその場に立ってわかることもあります。そんなに悩んではいませんがそれは僕の性格かもしれません。そういう現実にならなければ今の僕にとって何も変わることが出来ません。自分が変わればすべてが変わるということを胸に、なんとしても変わらなくてはなりません。

 私の周りの人も応援してくれています。本当にありがたいことです。自転車が2台有ります。これが私の足代わりになると思います。車を持てる日がいつ来るのか、今の僕の生活からは夢のまた夢のような思いです。でも自立する生活こそ足が地に着いた生活と言えるでしょう。

 今まで、考えようには料理を作っている時間も、今までその間自由時間で、そういう意味で自由なブリリアントにおいては当番はあるけれど自由だったんだなぁと思います。当番と考えるならこれからは風呂当番、食事当番、掃除当番全部当番、一口で言うなら全部やった上に働かなければなりません。こういう事を楽しみに変えてゆけたらいいなぁと思います。これからはお金に余裕が出来たら一年に一度くらい旅行に行けたらいいなぁと思います。こうして自立のことを考えてゆくと、本当に自立出来るように思いました。

チビの自己紹介

居候 チビ(黒猫9歳)

 皆様初めまして。あたしの名前はチビといいます。生まれは新城市の大野にある自動車修理工場。2003年生まれだから今年9歳になります。育ちは北設楽郡の東栄町のとある一軒家。今回ご縁があって豊橋のブリリアントにもらわれて来ました。頭の先からしっぽの末まで真っ黒の猫だけど、おなかにひとつまみだけ白い毛が生えているわ。生まれてすぐに東栄町に来た時にはすごく体が小さかったから「チビ」と名付けられたけど、いまではだいぶ中年太りで「デブ」と言われそうなの。

 子猫の頃からネズミを追いかけるのが得意で、大人になってからはたくさんのネズミを捕ったわ。となりの家にも出張してネズミ捕りをしたことがあるのよ。昨年の12月25日にブリリアントに来たのだけれど、どうゆうわけか、首に引き綱を付けられて、それを机の脚にゆわえられてしまったの。自由が無くて本当にいやだわ、こんな生活。前の家では縁の下から外へ自由に出入りできたけれど、つまんないったらありゃしない。

 連れてこられて最初の二日間は緊張してしまって飲み食いも全然しなかったけれど、今では少し慣れて食事もトイレもできるようになったわ。お気に入りの場所はコタツの中。あったかくて何よりね。ここは前の家と違って色々な人が大勢いるけれど、みんなチビチビって呼んでくれてやさしいわね。でも茶色のジュンとか言う先輩猫がいるのが少し気になるわ。ま、どうにかなるでしょう。皆様とブリリアントで会えるのを楽しみにしています。それではまた。ごきげんよう。

大石春子(寮生)

 今年は夢をテーマにしてゆきます。何事も努力しなければのびていかないと思います。まずは体重を減らす事。仕事も休まず働く事。まずは痛めた足、散歩しながらでも体重をおとすとか、足も良くなるようにします。元気になるよう頑張ります。

グループホームと私・・・

宇野和男(支援者)

 私は28歳の時、仕事のし過ぎで精神病にかかって、以来精神薬を飲むようになりました。

 ところが家族は私をやっかいばらいし、救ってはくれませんでした。住むところが無い危機に置かれ、社会復帰を考えていろいろな会社にアタックしたのですが、長くて半年持たなかったです。お金がなくなったとき、「一生入院するから入院させてください。」と精神病院へ任意入院しました。

 もう社会復帰なんか出来ない。一生病院の病棟の中で生きるのだと確信していました。2年ほどたってから双子の兄が、「社会復帰施設へ行ってもう一度頑張ってみる・・・」といって退院し、ブリリアントに入居しました。

 2日後に手紙が届きました。「グループホームはいいぞ。みんな、まるで家族のように暖かく暮らしていて、病院にはない愛と自由があるよ」と書いてありました。

 そして理事長の内田さんからも手紙が届きました。こう書いてありました。

「お兄さんも落ち着いて頑張っていますよ。今度誕生日会を開くから来てみたら?

 もし良かったらあなたも入居して、歌が上手なお兄さんと一緒に歌ってください。」と半ば強く背中を押される形での入居でした。

 ブリリアントの愛と自由にはただただ感激しっぱなしで、何気ない暖かな会話や優しい内田さんのリーダーシップによく「エーンえーん」とうれし泣きばかりしていました。

 精神病院だとなんでも許可が要ったけどグループホームではなんでも自由にしていいという大きな安心感で心がどんどん楽になっていきました。

 わたしも作業所に通い始めました。少ない給料から社会参加の厳しさも学びました。行きも帰りも内田さんが車で送迎してくれました。車の中で内田さんが暖かい会話で包んでくれる事もまるで実の母みたいで嬉しかったです。

 ブリリアントでは朝7:00に起き、30分散歩し、10分草取りがあります。食事は3食まかなってくれました。洗濯など、基本的な生活は各自が自分でこなし、共同生活としての畑作業は全員で、また廊下の掃除とモップがけ、トイレ掃除、風呂掃除なども2人ずつペアを組んでこなしました。

 昼間の作業所、夜のブリリアントの寮生活というと一見地味な生活のようですが、ブリリアントでは文化的活動が豊富でとても忙しく充実していました。まず、月に2度の訪問交換の慰問、次に毎週木曜日のお話会、さらに3ヶ月に一度の機関紙発行そしてこのブリリアント祭りがありました。

 慰問とは寮生が福祉村などの施設へ行き、和太鼓をたたいたりMD伴奏で軍歌や童謡など懐かしい曲を歌い、楽しく施設の人を慰問することですが、これが隔週に有りました。このとき得意の音響機器操作の担当で、より良い音で会場を盛り上げました。会場ごとに音の響きが違うので、ミキサーの細かい調整がやりがいでした。

 6年間で144回の公演をしました。慰問先施設の雰囲気、利用者の年齢によって曲目と時間を考え伴奏MDを毎回製作しました。本番一週間前から毎日夕食後に実践リハーサルをしました。週末の本番ではみんな緊張しました。このために体調管理が厳しく求められました。

 次に毎週木曜日のお話会では、夕食後6:30から寮生6人が独りずつ順番で話していきます。各自、各々のその一週間で感じた事、気がついたことなどを自分で話題を見つけ、筋道立てて語る事をしました。これは心を深く見つめて磨きを与えるのに大きな力となりました。

 さらに年4回機関紙 レッツブリリアントも発行していました。パソコン入力、記事の順番決め、挿絵の挿入、輪転機での印刷、製本、発送の作業の殆どを私と内田さんが中心となってやっていました。発行部数は600部でした。これは、各自 自分の文章に実名と年齢を載せ、3ヶ月を一区切りとして自分の考えと現実を考えながら文章を書きました。

 各季節には季節旅行として自動車で阿寺の七滝とか 桜淵公園、県民の森などに行きましたし、年に一度は一泊旅行として、富士山一周旅行や、浜名湖近辺などに家族集団のように行きました。特に夏は毎年女ヶ裏海岸へ何度も行き、貝拾いを楽しみました。その日の夕食が貝尽くしなのは言うまでもありません。

 このようにブリリアントでの生活は実に内容が濃く、忙しかったのです。

 ブリリアントでは内田さん夫婦が一緒に住んでいて、夜一人になって悩みが出た時はスグその場で夜12時くらいまではあれこれ相談に乗っていただけました。特に最初の3年くらいは週1回は深く悩んでしまい、相談させていただきました。悩みの解決ごとに人間としての自信を取り戻していきました。

 私は9年も入居し、とても幸せでした。たくさんの思い出があります。しかし、グループホームの日々向上訓練的な生活を9年もやってくると次は具体的な個人的な幸せに目が移りました。きっかけは一緒にパソコンを勉強した友人が結婚式を開くから来て欲しいということでした。・・・ああ独立して異性もいると、こんなに人生違ってくる・・・

 ブリリアントでの100点は基礎的な人間の力磨きにはためになるけど、個人的幸福感の点数はそれほど良くはないと、気がつきました。これがH21年8月のことで、僕はブリリアントの卒業を掲げて、カップラーメンと引き出物の恵比寿ビールだけで1ヶ月間自分の部屋で篭城もしました。

 実際に卒業したのはH22年3月でした。ブリリアントからの独立として6畳1kのアパートへ引っ越しました。私の場合保証人がいない事もあり、不動産屋で申し込み時条件として、生活保護、障害者年金、無保証人ということで申し込みました。

 幸い不動産業界ではこのようなときのために保証人協会が有ります。 2年間で15000円くらい払うと保証人になってくれました。引越し料金や敷金、礼金は生活保護で持ってくれました。

 やっとの思いで脱出したら、しばらくして作業所で出会った彼女が時々泊り込みで遊びに来てくれることになりました。約1年気持ちを暖め、お互いの本音も分かり合えたので、ちゃんと両親の許しを受けて、2DKのアパートに引越し、正式に住民票を一つにして彼女と2人で一緒に暮らすようにしようと思いました。

 保証人は彼女の父と、作業所の社長さんに御願いしました。

 入居は今年4月1日で、引越しは作業所の仕事の一貫として格安でやっていただきました。生活保護が7月から支給と言う事で、4月1日から3ヶ月は我慢比べの生活でした。

 最近になってようやくお金の収支に一息つけるようになりました。余りにキュウキュウとしていても楽しくないのでたまには外食や旅行も考えています。

 去年のクリスマスは伊良湖ビューホテルへ旅行をしました。今年は映画とステーキハウスへ行くつもりです。

 ブリリアントを卒業して2年目です。毎日の食事と弁当は毎回悩んでいますが2人で得意料理など助け合って何とか過ごしています。買い物も出来るだけ安いものをとまるで主婦感覚です。

 保健所での料理教室で調理実習も参加しています。今では自分のこのアパートでの二人の生活と作業所での仕事に最高の幸せを感じています。そして、ついにおととい、11月11日に結婚しました。 安いけれど指輪を買いましたし、ケーキでお祝いもしました。

 最後に一言、私は前向きに生き続けていれば、どんなに時間はかかっても、回り道を回ったとしても、また、すぐさまこの道を・・・ということが分からないとしても、必ず夢や目標に到達することをこの10年間の生活で経験できました。回り道にはいい思い出がたくさんあってそれが今の生活を行う基礎となっています。

 人間再生期間としてグループホームは夢への架け橋として十分機能しました。しかしグループホームにも限界があり、一生過ごすところではないと考えています。勇気と希望を持って次々と卒業生が出てくることを祈っています。

 お世話になりました。ありがとうございました。

最近の出来事

兵藤なつき(寮生)

 私の祖父が去年の6月に肺がんと診断されました。私の母と叔母がブリリアントを訪れて、曽我先生に“どうしたらいいでしょうか”と相談しました。そしたら泣きながら祖父に説得していました。私がお盆に実家に帰った時は、まだ元気でしたが、12月の感謝祭で母が私に“食欲や体力がだいぶ落ちちゃったって”って言っていました。年末に実家に帰る前、奥さんから“爪もみをやってあげなさいよ!”と言われていたのですが、忘れていました。

 年が明けてから、国立病院のがん緩和ケア病棟に入院しました。その日の午後、社長さんが私に“一緒に見舞いに行こう!”と言って国立病院に見舞いに行きました。折角来たんだから何かしてあげようと、手の指だけでなく足の指の爪の付け根を10秒間揉んであげました。すると祖父が“痛ぇなー”と反応しました。私が爪もみをしていたことに気づいたようです。声が聞けて良かったです。

有機栽培をリハビリで

高井宏(寮生46歳)

 退院後、ブリリアントに入寮してから九ヶ月が過ぎようとしています。

 以前なら、長くて二ヶ月、短くて二日間の退院生活でした。何度も入退院の繰り返しでした。

 感謝すべきは、ブリリアントの会長、内田秀司氏であります。愛知県豊川市の畑で、実際に、手で土に触れ、太陽を浴び、時には雨に打たれ、食物を栽培してゆく。

 何にも、単に農業と変わらないのに、精神科リハビリテーションに、多大な効果があるのです。

「とよはし○○ええじゃないか豊橋グルメラリー」と「ええじゃないか豊橋マネー土日専用フリー乗車券付商品券」

安間道貞(寮生26歳)

「とよはし街中ええじゃないかグルメラリー」は平成16・17年9月の二度開催されて以来、6年ぶりに復活したのは平成23年10月でした。Aコースは「お亀堂カルミア店」「ボレロ吾妻家」「濱金豊橋魚町本店」の3店。Bコースは「ねりや花でん」「マッターホーン本店」「若松園」の3店。Cコースは「ワルツ豊橋トキワ店」「大正軒本店」「ヤマサちくわ本店」の3店でした。平成24年10月に新たに予定しているDコースは「スパゲッ亭チャオ本店」「童庵本店」「きく宗」の3店も加え、各コースの参加人数は先着合計「とよはし」にちなんだ10484名様÷4コース=2621名様です。「とよはし市電ええじゃないかグルメラリー」(仮称)では、平成24年10月予定を新たに加えて、参加費は一人400円で各コースの参加人数は先着2621名様です。スタート受付会場は駅前電停にてスタンプカードを受け取ります。ゴール受付会場は岩田運動公園内にてお楽しみ抽選会などがあります。Aコースは「駅前」「市役所前」「東田坂上」の各電停代表参加店。Bコースは「駅前大通」「豊橋公園前」「東田」の各電停代表参加店。Cコースは「新川」「東八町」「競輪場前」の各電停代表参加店。Dコースは「札木」「前畑」「井原」の各電停代表参加店となっております。「とよはし○○ええじゃないかグルメラリー」の主催は、「街中」では(株)豊橋まちなか活性化センター、「市電」では豊橋鉄道(株)となっております。参加費有料特典について100円券をもらう事になります。「ええじゃないか豊橋マネー土日専用フリー乗車券付商品券」とは、500円券と1000円券の各10枚つづりで電車とバスの土日乗り放題付きで定価は1セット15000円で、購入対象者は中学生以上の豊橋市内在住の方で1世帯につき6セットまで購入可能です。発売総額は19億8000万円のうち、11億8000万円を豊橋鉄道や豊鉄バスなどが負担するので、発売総数は12万セットで販売期間と有効期間は平成24年下半期になる計画です。「Tポイントカード」や「Pontaカード」などでは、「ええじゃないか豊橋マネー土日専用フリー乗車券付商品券」各1枚につき、500円券が100ポイント、1000円券が200ポイント。各10枚につき500円券が1000ポイント、1000円券が2000ポイントとなり、合わせて3000ポイント貯まります。この商品券の取扱店舗及び取扱区間は次の通り。大型直営店や大型専門店を始め、豊橋市内の全店舗とするドラッグストア、コンビニエンスストアなどでお釣りは出ません。豊橋鉄道の渥美線は、新豊橋~杉山の間と市内線全線または豊鉄バスと名鉄バス東部の豊橋市内の区間で、有効期間は平成24年下半期の毎週土日の二日間限定です。購入特典は、「ええじゃないか豊橋マイバッグラリー~○○袋が“いらねぇ”じゃないか!!~(仮称)の同じ店コースと違う店コースの二つのコースで、同じ店コースは一日1個限りで計20個。違う店コースは20店、それぞれ集めると豊鉄インフォメーション「RIPPLE」で参加店舗の商品券や金券などが当たる豪華賞品のお楽しみ抽選会が有り、「Tポイントカード」や「Pontaカード」などを持っている人の方で、いずれか一枚を各店舗で「○○○(お店の名前)の○○袋(レジ袋や紙袋など)が“いらねぇ”じゃないか!」の合言葉でショッピングポイントが20倍になる計画です。

「ええじゃないか豊橋カレーうどんラリー」では、参加店舗のうち5つの店舗を集めると、豊鉄インフォメーション「RIPPLE」で食事券や無料券などが当たる豪華賞品のお楽しみ抽選会があります。

「ええじゃないか豊橋カラオケラリー~カラオケを“うたえ”じゃないか!!~」(仮称)では、参加店舗のうち全ての違う店で昼間の時間帯に限り、会員の方でも、会員でない方も参加できる5つの店舗を集めると、豊鉄インフォメーション「RIPPLE」で食事券や無料券などが当たる豪華賞品のお楽しみ抽選会があります。その他の特典がいっぱいあります。

 平成23年の「とよはし街中ええじゃないかグルメラリー」と「とよはしバス・電車スタンプラリー2011」は僕も参加しました。「とよはし街中ええじゃないかグルメラリー」で選んだのは、Bコースの「ねりや花でん」「マッターホーン本店」「若松園」の3店です。「とよはしバス・電車スタンプラリー2011」でスタンプを押した公共施設などは、「交通児童館」「豊橋鉄道市内線赤岩口車庫」「のんほいパーク(東門)」「渥美線高師駅」「豊橋市公会堂」「牟呂八幡社(祈祷受付)」「アクアリーナ豊橋」「こども未来館ココニコ」「青陵地区市民館」「生活家庭館」の10カ所集めて、歩きました。

第19回 福祉秋祭り「ブリリアント祭」

理事長 内田里枝

 昨年のブリリアント祭ほど支援者の皆様とブリリアントの寮生が一丸となってがんばった年はなかったと思います。

 主人が病に倒れ、3ヶ月半の入院の後、やっと退院してきたばかりでしたから。

 一番大変なのは模擬店の準備です。「カレーライス」「芋煮」「お好み焼き」「おしるこ」。「うずらの焼き鳥」は東海有機、「コーヒー」はさざなみ憩いの家さんが出店してくださいました。

 主人もだまって見ておられず、「カレーライスはおれにまかせろ!!」とばかりがんばったのですが、量が多すぎて、結局鍋の底を焦げ付かせるはめに....大騒ぎとなりました。

 昨年のブリリアント祭で光ったのはオブジェの展示です。以前ブリリアントに体験入寮したことのある林康太君が恐竜の模型を作って飾ってくれることになりました。彼はその道ではプロ級です。ネット販売もできそうな作品で、一万円くらいかな?なんて言ったら「笑わせんじゃないぜ!!」の一言で片付けられてしまいました。

林康太君さんの恐竜の模型

林康太君さんの恐竜の模型

 もう一人のオブジェの出展者はホーロー看板でおなじみの佐溝力さんです。彼は毎日のように豊川の河原へ出かけて行っては流木や漂流物を拾って集めています。それで作品を作るのです。人々は川に何でも流す習慣があるらしく、時には仏壇で使っていたものが風化されて形を変えて流れ着くそうで、漂流物には味わい深い物が多いそうです。ですから彼の作品も、見る人の目に何かを訴えかけているような気がします。

佐溝力さんのオブジェ 「ヒロッタージュ」

佐溝力さんのオブジェ 「ヒロッタージュ」

 毎年頭をひねるのが、イベントの出し物です。アーティストの発掘は大変でもありますが、楽しみでもあります。恒例の和太鼓演奏は、「希望」のメンバーの方達とのコラボレーションです。作業所フレンドハウスの所長さん、菅谷先生のご指導のもと、一ヶ月前から合同練習をしています。やはり大勢でやれば迫力が違います。

和太鼓演奏は、「希望」のメンバーの方達と

和太鼓演奏は、「希望」のメンバーの方達と

 民謡を歌ってくださった白井史朗さんは、寮生の作業場である豊川の畑の支援をしてくださっている人です。なかなかの迫力でした。

 清水伸太郎さんのハーモニカ演奏も定評があります。彼は年々進化しています。体の右半分がまったくマヒの状態でありながら、ハーモニカの音色は優しくやわらかく人々の心を癒してくれます。

 シャンソンコーナーでは、名古屋から私の友達が応援に来てくれます。彼等はプロとしても活躍しています。彼等と一緒に歌えることはとても光栄であり、私の一番の楽しみでもあります。

シャンソンコーナー

シャンソンコーナー

 それから寮生達の活躍にもめざましいものがあります。司会を担当してくれる剛くんは、司会業でもやっていけそうなくらい上手で、お客様が絶賛しています。音響担当の宇野君は、プロ級の腕で、二年前にブリリアントを卒業し、昨年は無事結婚にこぎつけました。ブリリアント祭ではすばらしい体験談を発表してくれました。なつきさんはユアケミストの作業所でビーズアクセサリーを作っていますが、今回のブリリアント祭では、オリジナル作品を作り、出展しました。歌も上手で今回のソロ、「翼の折れたエンジェル」は、えぐれ笹島さんもとても褒めていました。藤田さんのクラシックギターもなかなかの物で、慰問の時など会場から自然に歌声がわき上がってくるほどです。安間君はこの秋亡くなった元寮生の清田くんが大好きだった歌を追悼曲として歌ってくれました。

 メインイベントは、佐溝ファミリー一座のステージです。佐溝さんの、心に響くような詩の朗読、国沢さん達の優しいオカリナ演奏、お客様達を別の次元の世界に連れて行ってくれます。

 何と言っても昨年の極めつけはえぐれ笹島さんのウクレレ漫談です。昔のコマーシャルソングを面白いトークを交えながら披露してくださいました。彼女の明るい笑顔は会場を沸かし、懐かしい歌は私達をタイムスリップさせました。お客様達を感動させる歌の根本は何かと言ったらそれは彼女の生きざまです。自腹を切ってホームレスの人達に炊き出しをし、大空の下が彼女のコンサート会場です。障碍者や社会からはみ出してしまった弱者達を本当に愛しています。そんな彼女を世間もホッて起きません。今はテレビ、新聞、雑誌で売れっ子なんです。

えぐれ笹島さんのウクレレ漫談

えぐれ笹島さんのウクレレ漫談

 今回のブリリアント祭は、一時は座る場所もないような大入り満員で、本当に多くの方々がブリリアントの行事に集ってくださいました。支援者の方々も前日よりお手伝いに参加して下さり、当日は一日中フル回転で働いてくださいました。

 善意銀行のボランティアさん達はフリーマーケットを手伝うにあたり、商品まで持参してきてくださいます。本当に頭が下がります。多くの方々のお力添えで成し遂げた昨年のブリリアント祭です。第19回目の「ブリリアント祭」は当日の晴れ渡った天気のようにキラキラと、本当にキラキラと光り輝き渡りました。

偽りない、親鸞の生き様

杉浦 依和夫(ヨガ研究家・63歳)

 東映の“親鸞”映画でのスチール写真の一コマで、ボロ法衣を纏った御坊二人が涙ながらに抱き合う親鸞兄弟、弟役は実弟の「中村茄津雄」さんとである。北陸流罪から京都に戻った再会の場面なのだろう。

 その後、一人で仏法を説いて廻るがそこには聴聞してくれる民はいない、その故にお布施の施しもなく喰うや喰わずであった。それを見かねた支援者は・・・。全てを断った親鸞は最期の最期まで“乞食坊主”だった。

 唯一、僅かながら随行したのが「唯円」で、親鸞語録「歎異抄」を書き留めた。他力本願に裏打ちされた内容と云われておりますが。

 自力本願である自力宗は独学で悟りを得ようとするもので、禅宗、天台宗、真言宗である。対して法然は“自力と他力”を合わせた修法で悟りを求めた。しかし、親鸞はそうではなかった。はじめはとことん自力門を貫き、尽くし尽きたところで、他力本願で悟ろうとするものである。これを親鸞の“絶対他力”と呼び、それ以外を“他力”と呼んで区別している。

 お釈迦様の経典も多々あるがお弟子さんが書かれたものであるし、一般人にも人生訓として読まれている曹洞宗の道元語録「正法眼蔵隋聞記」も弟子が書きとめたものだ。現代にも通ずる教えが散りばめられている。こうしてみますと、この時代の僧侶は修行第一、勉学に厳しく課していたようだ。

 そのせいかどうか知らないが、京都の僧門は現代では学校を設立経営している。ドラゴンズが今季ドラフト一位指名選手の出身は「佛教大学」で、浄土宗本山・知恩院の経営だ。東本願寺は「大谷大学」、西本願寺の「龍谷大学」、妙心寺の「花園大学」などとつづくのである。

 南無阿弥陀仏と唱えることによって極楽浄土に行ける、救われると説いた法然の教えに迷いは深まるばかりであった親鸞も、悟りについて探求すればするほど把握できないもどかしさがあったのだろう。

 あるとき、弟子に「師匠さん、南無阿弥陀仏を唱えれば極楽浄土に行けますか」と聞かれた親鸞は「そんなこと、しらねぇーな」と答えた。またあるときには「南無阿弥陀仏と唱えれば、親孝行になりますか、先祖供養になりますか」と質問されたことにも「それも知らない、そんなことはないと思う」と答えている。そんなわけで、金銭は集まらない商売にならない、聴衆はおろか、弟子までも去っていってしまうのである。

 ボロを纏った親鸞を見かねた息子の「善鸞」は、一策を案じ、南無阿弥陀仏を唱えれば十悪五逆の罪からも救われると説いて、布施を集めた。それを知った親鸞は息子との縁を切ってしまった。妻の恵心尼と離れ離れとなり、さらに息子とも別れた親鸞は死ぬまで乞食坊主であったようだ。本当のことを説いた親鸞がなおざりにされ、嘘八百並べ立てた者が名僧と謳われるのも世の常なのかもしれない。そんなわけで、前回に記した通り、大正年間まで親鸞の存在すら知られなかった理由である。

 “宗教はアヘンなり”と言ったのはマホメットですが、なにか我々の時代にもあてはまる啓示に見受ける。

行事報告 平成23年9月~12月

9月

9/3 (土)お米の仕事
9/11(日)「ブリリアント」慰問(ちぎり寮)
9/17(土)お米の仕事、誕生日会
9/25(日)磯辺校区運動会(安間君長縄飛び出場)

10月

10/2 (日)曽我先生カウンセリング
10/8 (土)「ブリリアント」慰問(つつじ荘)
10/15,16(土、日)豊橋まつり
10/18(火)たいこの練習(さくらピア)
10/25(火)たいこの練習(さくらピア)
10/30(土)ゴミゼロ運動、シーサイド吉前文化祭参加

11月

11/1 (火)たいこの練習(さくらピア)
11/5 (土)お米の仕事、駒形神社秋祭り
11/8 (火)たいこの練習(さくらピア)
11/13(日)ブリリアント祭(駒形公民館)
11/19(土)お米の仕事
11/27(日)防災訓練(磯辺小)、曽我先生カウンセリング

12月

12/3 (土)お米の仕事
12/4 (日)駒形神社下草刈り
12/10(土)感謝祭(クリスマス会、駒形公民館)
12/11(日)秋葉様(駒形神社)、もち投げ
12/17(土)お米の仕事
12/18(日)曽我先生勉強会、曽我先生カウンセリング
12/24(土)「ブリリアント」慰問(たけのこ)、クリスマス会
12/29(木)お話し会忘年会
12/31(土)大晦日、除夜の鐘(リュウネン寺)

※毎週木曜日夜6時30分から「お話し会」を行っております。どなたでも参加できますのでどうぞお越し下さい。

ブリリアントにご協力いただいた方々

今泉良美様、生田尚子様、大橋温様、万久商店様、白井史郎様、菅谷君男様、和太鼓グループ希望のみなさん、林康太様、佐溝力様、水谷様、井上浩様、大須賀良子様、曽我洋秀様、位己光児様、佐溝力様、國澤様、さざなみ憩いの家様、グループホームたけのこ様、宇野和男、宇野晴美様、鈴木つるゑ様、近藤登志子様、石原かづ江様、幾老様、稲村絹代、伊藤信子様、 マダム芳江様、北川藤良様、北川伸枝様、清水伸太郎様、森下昌洪様、白井千雄様、田中操様、えぐれ笹島様、稲地扶美子様、金原康純様、レスポワール様、豊橋善意銀行様、豊橋社会福祉協議会様、ゆうきデリバリーサービス様、東海有機(株)

ブリリアントにご寄付下さった方々

今泉良美様、大須賀良子様、曽我洋秀様、金原康純様、金原光明様、中西寿彦様、渡辺様、内田知様、内田佳伸様、清水伸太郎様、黒木武秀様、マダム芳江様、北川藤良様、北川伸枝様、兵藤昇様、山口京子様、白井千雄様、金原博昭様、高洲陽子様、村川二三代様、工藤様、 山口様、水谷様、万久商店様、佐羽尾様、河合きほ様、岡林園様、藤井様、大橋温様、鈴木静子様、山本良美様、大沢芳江様、山本小夜子様、河合邦明様、田中稔様、中西寿彦様、木下真男様、溝口こたけ様、内藤得也様、藤岡様、ちぎり寮様、金子一郎様、岸谷笙子様、五十嵐裕子様、林恭子様、山本美和子様、今泉様、上島様、宇野和男様、梁川様、佐藤様、夏目義久様、圓山源作様、生田尚子様、林香代子様、伊藤信子様、野村浩子様、夏目様、太田様、鈴木清子様、伊藤洋様、川瀬昭子様、大橋善孝様、藤井様、白井義大様、太田笑智子様、えぐれ笹島様、足立初恵様、白井史朗様、グループホームたけのこ様、レスポワール様、鈴木鶴江様、佐溝力様、國澤様、小石八重子様、杉本和子様、稲村様、筒井電機様、矢車草様、横山皮膚科様、豊橋善意銀行様、豊橋社会福祉協議会様、ゆうきデリバリーサービス様、東海有機(株)

いろいろとご協力、ご支援ありがとうございました。

編集後記

 年末に、手に霜焼けが出来てしまいましたが、今はだいぶ快復しました。

兵藤なつき

 年が明け、冷え込みの厳しい季節となりました。皆様、風邪にはくれぐれもご注意下さい。

伊藤 剛
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