レッツ ブリリアント 2009/04 第36号

発行者
精神障碍者社会復帰施設
特定非営利活動法人(NPO法人)ブリリアント 施設長 内田 秀司

住所 〒 441-8145 豊橋市駒形町字坂口56番地
TEL 0532-46-0033
FAX 0532-46-0163

URL http://brilliant-gh.sakura.ne.jp/

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平成21年4月1日発行

ブリリアントの宝物 それは「すばらしき支援者達」

施設長 内田秀司

 ブリリアントも16年目に入り、ますます円熟味を増してまいりました。それも皆様のあたたかいご支援のたまものと深く感謝しております。

 本当にブリリアントは支援者の方々に恵まれていると思います。

 精神面でのケアをして下さる方、身体面でのアドバイスをして下さる方、物質的な援助をして下さる方、同士となって活動を共にして下さる方、また、暖かいお言葉で励まして下さる方、そんな方達に囲まれてブリリアントの寮生達は本当に幸せだと思います。

 今後もその皆様方のご支援を無駄にすることなく、色々な活動に有意義に活かしていきたいと思っています。

 どうぞこれからも寮生達を暖かく見守ってやって下さい。お願い致します。

奇跡の生還

理事長 内田里枝

 寮長の鈴木光雄さんはブリリアント設立当初からの住人で、今年でもう16年目になります。

 その間アルコール依存症と戦いながらブリリアントの寮長として寮生達を束ね、また断酒会の副会長としてアルコールに苦しむ人達を救ってきました。

 断酒してもう11年になりますがお酒でボロボロになった身体は、酒をやめてもどんどん悪化していってしまいます。肝硬変を起こしている為食道や胃に動脈瘤が出来て、それが破裂しない前に内視鏡でゴムでくくるという手術を繰り返し行ってきました。

 昨年の7月にもその手術を行ったのですが、いつもは2、3日で退院できたのに今度ばかりは動脈瘤の数が多かったのか、3週間もの入院となってしまいました。その間は点滴ばかりで体力を消耗してしまったのか退院してきても調子が悪く、だんだん腹水がたまっておなかが膨らんでくる状態となりました。それで胃も押し上げられる為食欲もなくなり、手足は痩せこけているのに、お腹ばかりが、まるで双子の赤ちゃんが入ってでもいるかのように突き出て歩くこともままならなくなってしまいました。

 寝たきりで、お茶と野菜ジュース、玄米のおもゆが少し、そんな断食のような日々が3ヶ月も続きました。

 針治療の曽我先生が毎日来てマッサージをしたり、お灸をしたり、ストレスがたまらないよう、前向きな話をしたりしてくださいました。湯たんぽで身体を温めるようにも指導してくださったので毎日朝晩7,8個の湯たんぽを温めました。そのおかげかこれほど寝ていても寝だこは1つも出来ませんでした。普通こんな苦しい状況が続くと頭がぼけてきたり生きる気力も無くなってしまう人が多いようですが、精神力の強い光雄さんはボケるどころか頭はますます冴え渡り「今度ばかりは学ぶ事がたくさんある。」といつも前向きな姿勢を崩しませんでした。しかし、お腹もこれ以上無理というくらい突き出て、呼吸も困難になって来たので、自宅療養はここまでと決意し、救急車で市民病院に入院しました。私は検査検査で体力を消耗させたくなかったので、なるべく自然の状態を保つようお願いしました。それから腹水も一度に抜いてしまうと一気に衰弱してしまうので、そのこともお願いしました。幸い光雄さんの主治医の先生は優しい、情のある先生でその思いをかなえてくださいました。

 腹水は何度も抜き、とうとうお腹はぺったんこになりました。しかし腹水も栄養があるらしく、水分の無くなった光雄さんは手足や身体中しわしわになって一気に歳をとったおじいさんのようになりました。元気も無くなり、優しい仏様のような顔になってしまった時、やはりこんなになってしまって、ダメだったか・・・と思いました。しかし奇跡は起こったのです。光雄さんはまだ生命力が残っていたのです。

 押し上げられてた胃が楽になったら、今度は食欲がわいてきたのです。生きる希望がこんこんと湧き出てきたのです。それからは三度三度の食事は、全部平らげ日に日に元気になっていきました。光雄さんは危機を乗り越えることが出来たのです。面会に行くたびに元気になり、体重も増え、歩くリハビリも始まりました。びっくりしたのはお医者さんです。看護師さんです。私達もです。もう一度ブリリアントに帰れるなんて誰も思っていなかったことです。光雄さんはそれからリハビリに励み、何とか歩けるようになって、無事ブリリアントに帰ってきました。

 「光雄さん、おめでとう!!」寮生一同、周りの人も大喜びです。これは光雄さんの精神力の強さ、生きる希望を捨てなかったことが奇跡を呼び起こしたのだと思います。

 そして周りの支援者の方々の暖かい励ましのおかげです。針治療の曽我先生も献身的な治療やご指導も本当にありがたかったです。それが無ければ今の元気な光雄さんは存在してません。「本当に有難うございました。」光雄さんの奇跡の生還は私達に色々な事を学ばせてくれました。

 「最後まで生きる希望を捨てるな!! 望みはきっとかなえられる。」これは光雄さんの身体を通して私達に教えてくれた言葉です。

レッツブリリアント第35号を読んで

佐伯 誠(支援者、岡崎市、50歳)

 レッツブリリアントを読んでいつもいろいろな考え方が参考になります。私は、世の中の人がどんな考えで生きようが、私はその人達をせめたりはしません。しかし、私が出会った人で生きていくのに希望がもてなくなってしまった人がいたとしたら、私のこれまでの経験を活かしてその人の心の支えになるようにふれあったり話しかけたりしています。ブリリアントの皆様はとてもあつい絆で結ばれていると、お話し会に行くたびに私は思います。また行ける日を楽しみにしています。

ブリリアントで学んだこと

藤田一夫(寮生59歳)

 私は子供の頃から親の背中を見て育ってきました。父親はまじめで時間をかけても丁寧な仕事をしてきました。そういうところは私も似ていると思いますが、ブリリアントに来てさらに真面目で(前向き)ということが確立というか、そういう生き方をしてきたような気がします。世話人の奥さんからは、いっぱい人間として人格形成の面で教えをいただきました。私は大きな舞台があるとすれば、(良いことはおかげさま、悪いことは身から出たさび)と思い裁かれたいと思います。奥さんを尊敬しています。この世の阿弥陀如来かと思うときがあります。それに比べ私なんか謙遜が強い分、邪心が強く感じられます。いつも私に出来ることはなんだろうかと思い、少なくとも警察にお世話になるようなことは絶対してはいけない。と思い子供の頃からもそうだけれど、喧嘩はしてはいけない。出きれば言い争いもしたくないし、私のほうが折れるようになりました。そのとき発生するのがストレスとなってあまり追い詰められると爆発するのです。

 相手にもきづいてもらわないといけないと思い、最近ではストレートに意思を伝えるようになりました。誰でも仕事は楽しくしたいものです。仕事場では一番人格が問われる場所です。過去において人の仕事を見て覚えるというやり方から、学校のように教えて、手っ取り早く仕事をやってくれる、そういう境目に私はいたような気がします。先輩の仕事を見て覚える昔のやり方だと自分を殺して先輩に絶対服従、そういうやり方が仕事をしていて楽しいかと、問いかけるときがありました。年をとってわかってくることもあります。これからは楽しい仕事をしたいですね。私もまだまだ子供です。若造です。邪心もいっぱいあります。夢もあります。ブリリアントで学んだこと、(前向き)に生きてくという方向は一生続けて生きたいと思います。

 ※先回の記事で、私はブランドものは買わないと言いましたが、バッグや時計にはお金をかけないということで、テレビ、自動車はこだわりたいと思います。

私の減薬日記

宇野和男(寮生44歳)

 私は2008年9月から、精神安定剤の減薬こそが、人生の失敗をやり直す為にどうしても必要だと判断し、敢行しました。その1ヵ月後の10月の診察の時、血液検査があり、精神安定剤の血中濃度が測定限界値を下回っていることについて医師から事情を聴かれました。私の決意が本物であることを理解して下さり、不安恐怖発作の為の頓服を新しく臨時薬として出してくださいましたが、その他の薬は、1日4回計24錠、だったのを、1日1回計5錠にしてくださいました。当時の減薬ノートを見てみると、「緊張感が異常にあり、絶えず耳鳴りがする」、「何でも出来る絶対的自信と破壊的認識」、「夜の睡眠がなかなかコロッと行かなくなった」、「夜、何度も目が覚める」、「減薬以前にはなかった知覚変容―不安緊張発作が一日に3~6回も襲ってくる」など苦しいこともたくさんあります。

 また、27歳から44歳まで飲み続けてきている安定剤を、いくら決心の強いことを心で決めても、体が向精神薬を要求しました。それで、風邪薬、ビール、頭痛薬、昔の薬の残り・・・など夜になると体の要求に負けて、いろいろ飲んでしまいした。しかし、一進一退の繰り返しに自己嫌悪を感じた私は、この薬飲みたいという発作を限界まで我慢したら、自分はいったいどうなってしまうのか?「今日は、戦いだ!!」という挑戦を重ねました。恐怖感に襲われた時、どこまで我慢できるか部屋に閉じこもって、我慢し続けたこともなんどもあります。大体、そろそろ危ないな・・・と感じ始める時刻からカウントし始めると、徐々に不安になり、壁や机の模様が悪魔の目に見えてきたりする「知覚変容発作」がおきます。そして2時間後に不安恐怖のピークが来て発狂寸前になります。そしてその後2時間(計4時間経過)で私が疲れ果てることもあり、自然と回復します。

 こんな苦悩に満ちた日々が毎日ではないが、2ヶ月間続きました。薬を忘れて学校に行って、おかしくなり、ブリリアントに電話して、薬を持ってきてほしいと世話人さんに伝えたことも何度かあります。そんなときは鍼灸師の曽我先生が学校まで来てくださり、「今薬を飲んじゃ、またもとの木阿弥だよ、宇野君!今から針を打つから我慢しなさい。」と針の処置を受けました。その場はそれで解決したということもありました。12月になると禁断症状は殆どなくなってきて、「朝の目覚めが良くなった」、「ろれつがきちんと回り、発言するたびに聞きなおされなくなった」、「何でも紙に書き記録しないとすぐ忘れていたのが、一時的に記憶が出来るようになった」「言いたいことを論理だって言うことができるようになった」、「血圧が確実に下がってきた」「思考が柔軟になった」、「判断力が少しずつ戻ってきた」、「手書きの文字が、まともに読める字が書けるようになった」「感情も少しずつ豊かになり、地デジTVの面白い番組を見て、笑いこけるようにもなった」など減薬でたくさんの人間らしさを取り戻しました。

 まだ当初の目的でもあった就労が可能なほどの回復ではないが、日常生活はかなり普通の人間らしさになってきました。これからも、徐々に軽くなってきた不安発作と戦いながら、なるべく薬をやめて、まず病気との決別をしたいと思っています。

ハートイン東三河に参加して

匿名希望

 去る2月8日愛知県豊橋市の公会堂でハートイン東三河が行われました。これは、障碍のある人の啓発を目的として行われるイベントです。構成は、3部構成で①私達ブリリアントと和太鼓グループ希望(のぞみ)との合同演奏。②精神科医の香山リカ先生の講演③東三河にある各施設のブースの展開でした。

 最初に、合同演奏の感想を述べようと思います。和太鼓グループ希望(のぞみ)とは3年ほど前から、年一回のブリリアント祭りで合同演奏してきました。今回の発表の準備に、私たちは3ヶ月前から週一回(一回2時間)ほど練習を重ねてきました。

 はじめのうちは、なかなかリズムをあわすのに時間がかかり、本番が近づくにつれて不安になってきましたが、練習毎に確実に進化し、直前ではほぼ完璧にまで仕上がってきました。さて本番です。伊藤さんが司会を勤め、菅谷先生の能管(笛の一種)が鳴り、緞帳が上がりました。ドンドンドンと大太鼓がなり始め、一気に緊張状態になりました。宇野さんの「ヨォーツ」という掛け声とともに、オープニングの演奏が始まりました。

 オープニングはブリリアントだけの3人の演奏だったので、練習通りうまくいきました。次に太鼓ばやし、龍神太鼓、と続き、練習の成果を大舞台で発揮できました。最後の掛け声はタイミングがずれて少し後悔が残りましたが、その後の2曲のコーラスで挽回しました。曲目は「あの素晴らしい愛をもう一度」と「翼を下さい」の2曲です。これもリハーサルで、曲の終わりの歌い方のタイミングあわせが直前に問題化し、あわてましたが、最終確認をみんなで取り、本番では、失敗することなく歌えました。

 次に香山リカ先生の講演を聴きました。テーマは、「心の時代を 豊かに 楽しく 生きるために」で私たちの身近ないろいろな事柄について、障碍者の捉え方と普通の人の感じ方との違いについて、例をあげて具体的に指摘し、私は、目からウロコが落ちる思いでした。

 ハートイン東三河は毎年行われていまして、ブリリアントの自分がステージに立って発表するというスリリングな体験は2回目ですが、今回は600人という大舞台だったので、達成感もすごくありました。また香山先生の講演も盛況に終わり、とても充実した一日でした。また来年も参加したいと思います。有難うございました。

祖母の昔話

伊藤剛(寮生46歳)

 むかしむかし、ある山の頂上とふもとに、二軒の家がありました。頂上の家にも、ふもとの家にも、おばあさんが一人ずつ住んでいました。ある日、ふもとの家のおばあさんが、頂上の家のおばあさんを訪ねてきて言いました。

「私には、娘が二人いて、上の娘は傘屋に嫁ぎ、下の娘は下駄屋に嫁いでいるのですが、晴れた日には傘が売れないので上の娘のことを心配し、雨の日には下駄が売れないので下の娘のことを心配しているのです。晴れても雨でも、心配が絶えることがありません」

 それを聞いた頂上の家のおばあさんは言いました。

「それはお気の毒に。では、こうしたらどうでしょう。晴れた日には、下駄が売れると下の娘さんのことを喜び、雨の日には傘が売れると上の娘さんのことを喜ぶのです。」

 ふもとの家のおばあさんは、これは良いことを聞いたと、喜んで帰って行きました。


 僕が祖母からこの話を聞いたのは、もう四十年も前のことになりますが、今でもよく覚えています。人生山あり谷あり、いろいろな出来事が次から次へと起こってきますが、いつも前向きに、積極的な考え方で暮らしていきたいと思います。

共感するということ

森下昌洪(一般:62歳)

 僕は、今「千の風になって」を歌っている。2005年頃から時々聞いていた。

 2007年には秋川さんが歌って大ヒットした。大ヒット中にプチパリのシャンソンの夕べで風花まいさんが歌った「千の風になって」は秋川さんと比べたら違っていた。秋川さんはクラシックのテノール歌手だからどうしてもあのような歌い方になると思う。

 風花さんの歌い方は、どちらかというと「ことば」を中心にして語りかけていた。

 僕もシャンソンを中心に歌っているのでどうしても風花さんのようになる。

 歌は、各々の聴き手の感じ方で好き嫌いが分かれるだろう。僕は、すぐどちらが上手でどちらが下手とか批評したくなる。それはしないほうがいいと思う。

 歌い手の感性と聴き手の感性が共鳴すればそれでいいと思う。

ありのまま・・・・・

竹内艶子(寮生64歳)

 今日は3月5日です。昨日までは雨が降ったりして天気も悪く、気分も優れませんでした。でも今日は朝から天気がよく、犬のジェニーの散歩も楽しく出来ました。

 ブリリアントでは、寮生の仕事として、スターダストの慰問、機関紙レッツブリリアントの作文、ウコッケイの餌と水遣り、廊下掃除、畑仕事や食事の手伝いがあります。

 世話人の内田里枝さんは慰問に情熱を燃やしていて、自分自身シャンソンを習っていますし、寮生の歌の練習のときにいろいろ指導してくれます。

 先日、ナーシングホーム「気の里」さんへ慰問に行ったときは、中日新聞の記者さんが来られ、いろいろ取材してくれました。次の日に中日新聞の東三河版に載ったのでびっくりしてしまいました。私もみんなと一緒に大きな声で歌いたいのですが、心臓の手術をしてからというもの、声が出なくなってしまい、ショックです。でも練習を重ねれば甦って来ると信じています。心臓のその後の経過については、医師は「良くなった。」と言っていますが、まだ脈が速く、苦しくて薬を飲んでいます。2ヶ月に一度心臓の病院へ通院しています。

 私は身体が余りよくなくても、寮生みんなと仲良く頑張って健康で生きたいです。身体の健康が一番幸せだとつくづく思います。

訪問交換グループ「ブリリアント」の活動

 現在、下記の12施設を、年に1~2回訪問し、楽しみながら活動を続けています。

(老人福祉施設)
* 気の里、豊橋ケアセンター、赤岩荘、椰子の実、つつじ荘、たけのこ
* 銀の家、福寿園、若菜荘、なごみ、福祉村病院
(知的・身体障碍者施設)
* あかね荘、珠藻荘、豊橋ちぎり寮、シーサイド吉前

行事報告 H21年 1月~3月

1月

1/1 (木) 新春カルタ大会
1/2 (金) 初詣(そぶみ観音)
1/3 (土) 初詣(駒形神社)
1/4 (日) 新春カラオケ大会
1/6 (火) 太鼓の練習(さくらぴあ)
1/10 (土) 「2009年豊橋市障害者二十歳の集い」
       和太鼓参加(あいとぴあ)
1/18 (日) 男女共生フェスティバル(ライフポート)
1/20 (火) 太鼓の練習
1/27 (火) 太鼓の練習

2月

2/2 (月) 豆まき、太巻き寿司作り実習
2/3 (火) 太鼓の練習(さくらぴあ)
2/8 (日) 心の健康フェスティバル「ハートイン東三河」
          和太鼓出演(豊橋市公会堂)
2/11 (水) ゆいフィールコンサート(あいとぴあ)
          「福祉住環境地域センター主催」
2/22 (日) 誕生会、トランプ大会
2/25 (水) 「ブリリアント」慰問(気の里)

3月

3/8 (日) 「医療と命の関わり」心のケアコンサート(カリオンビル)
3/11 (水) 「ブリリアント」慰問(福寿園)
3/15 (日) 映画会・写真展「宇宙の約束」(あいトピア)
3/20 (金) 傾聴ボランティア講演会(カリオンビル)
3/25 (水) 「ブリリアント」慰問(豊橋ケアセンター)

ブリリアントにご協力いただいた方々

曽我洋秀様、菅谷君男様、森下昌洪様、和太鼓グループ希望の皆様、位己光児様、清水伸太郎様、白井千雄様、稲地扶美子様、あいトピア様、河原正市様、豊橋善意銀行様、ゆうきデリバリーサービス様、東海有機(株)

ブリリアントにご寄付下さった方々

社会福祉協議会様、心の健康フェスティバル実行委員会様、今泉良美様、岡本様、水藤晃世様、柳川美根子様、森下様、村川二三代様、平松豊子様、マダム芳江様、渡辺様、佐羽尾様、万久商店様、白井千雄様、兵藤昇様、清水伸太郎様、山口京子様、鋤本様、筒井電気工業所様、北川藤良様、伊藤洋様、山本良美様、鈴木静子様、大沢芳江様、金原光昭様、金原康純様、野村浩子様、神谷様、金原博昭様、永井様、気の里様、武井様、曽我洋秀様、菅谷君男様、太田様、竹内みきね様、レスポワール様、生田久子様、小野田様、林香代子様、鈴木伸治様、ゆうきデリバリーサービス様、東海有機(株)

いろいろとご協力、ご支援ありがとうございました。

編集後記

 宇野は初めて病気の実態を公開しました。これも、私を全面的に知って欲しいと、格好いいとこだけでなく・・・という思いからです。病気のことは隠したいけど隠すといつか困ってくる事が多いです。こんな私ですが、これからもよろしくお願いいたします。

宇野和男

 早くも東海地方では、さくらの開花予想が発表されました。この号が皆様のお手元に届く頃にはさくらが満開になっているのでは、と思われます。ぜひ楽しいお花見をしてください。さくらとともに、スギ花粉の方も飛散がピークを迎えているようです。お気を付け下さい。

伊藤剛
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