レッツ ブリリアント 2013/04 第52号

発行者
精神障碍者社会復帰施設
特定非営利活動法人(NPO法人)ブリリアント 施設長 内田 貴士

住所 〒 441-8145 豊橋市駒形町字坂口56番地
TEL 0532-46-0033
FAX 0532-46-0163

URL http://brilliant-gh.sakura.ne.jp/

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平成25年4月15日発行

ブリリアント菜園

施設長 内田貴士

 3月に入ってからの春めいた気候に、ブリリアント菜園の野菜たちは一気に活気づきました。

 まず、水菜の花が咲き、チンゲン菜の花が咲き、畑はきれいな菜の花畑に変身しました。しかし、菜の花のおひたしやゴマ和えもおいしいものです。このところのブリリアントの夕食にひんぱんに登場しています。

 畑の半分はアスパラガス農園にする予定になっています。もう少し暖かくなったら苗を植えるつもりで、深く掘ってつくられた畝たちが出番を待っています。

 菜の花となってしまった野菜たちは結局抜き取られ、次に植えられるジャガイモ達にバトンタッチしました。6月頃にはおいしい掘りたてのじゃがバターが食べられることと思います。

 暖かくなったこれからは草との闘いになります。また水やりも大変です。しかし、安全でおいしい無農薬の有機野菜を毎日食べられるということは大変幸せなことだと思います。そして、自然の風や太陽の中で仕事ができることに感謝したいと思っています。

三つ子の魂百までもということ

曽我洋秀(世話人)

病気の治療に携わるようになって、もうじき40年になろうとしています。時代とともに病気も症状も変化する様に思い ます。丁度この原稿を書いている時テレビに時代の寵児と呼ばれるホリエモンがでていました。学歴社会の象徴とも呼ばれる人でしょう。2000年頃から引きこもりとか、登校拒否と呼ばれる社会現象も見られる様になり、相談や治療を受ける様になりました。精神障碍者の自立支援をさせて頂くようになって話しを聞く内に、1番大事な部分が育ってないことに気付かされます。堂々と生きられる力、生きる技術,生き抜く戦略を学んでない。いじめにしてもぶつかり合いを避けることによって人間関係が希薄になり、一人一人のアイデンティティが弱体化しているところに様々な問題が噴出しているという時代です。だから傷つくことを恐れず、私たちは勇気を持って、人ないし願わくば友人と対話し、彼らという鏡を通じて自分を写しアイデンティティを築きあげていかなければならないのです。三つ子の魂百までもということをこの一年書いて行きたいと思います。

勉強会

世話人 内田一恵

 今年の2月から、私は曽我先生の勉強会に参加させていただくようになりました。人は生きていく上で、精神的に強くなる事が非常に重要だと思います。にもかかわらず、学生時代においても社会人生活においても精神についての勉強をする機会というのは案外少ないものです。

 この勉強会では本や資料を読んだりするだけでなく、曽我先生や他の参加者の方のお話しを聞いたり、その場で自分の疑問を投げ掛けたりすることもできます。また精神についてだけでなく、日常生活を見直したり健康な身体になるための知識も得られます。まだ2回だけの参加ですが、精神には心と体の両方が健全である事がとても大切だということが分かりました。まずは勉強した事を実践し、自分の凝り固まった心体を少しでも改善していきたいです。

体操の時間

伊藤 剛(寮生50歳)

 ブリリアントでは、毎日夕食後に反省会をして、そのあと体操の時間があります。まずラジオ体操第1と第2をCDの音楽に合わせて行います。その後、「う~わっ!」と大声を三回出して気合いを入れます。次に肩を引き上げてから脱力してストンと落とすのを三回やります。そして笑いの体操です。大声で、何も可笑しいことはなくても「わっはっはっはっはっ」と笑います。それを四回繰り返して笑っているうちに本当に可笑しくなってくるのが不思議です。次は「ゆるゆる体操」です。体全身の力を抜いて、腕をぶらぶらさせて、体中の水分をシェイクするような気持ちで揺らします。腕を前後、左右に回し、最後に手首も緩めます。

 その次は呼吸法を行います。一、二、三と大きく息を吸い込み、一、二で止めて、最後の三十秒間でゆっくり吐ききります。なかなか息を三十秒間吐き続けるのは苦しいのですが、がんばってやっています。それを三回繰り返します。

 呼吸法の次は腰を大きく左右に回します。左右で五回ずつ行います。そして左右の腕を大きく十回ずつ廻します。そして首の体操に移ります。首を前後、左右に傾け、左右にひねり、最後に大きくぐるりと左右に廻します。

 それが終わると床に横になって、腰をひねる体操です。左右五回ずつ行います。続いてうつぶせになって上体を反らせる背筋の運動を十五回行います。さあ最後はスクワットです。かけ声に合わせて五十回やると、息がゼイゼイしてきます。四十八、四十九、五十!で終わり、ホッとして深呼吸を三回行えば、今日の体操は終わりです。これだけやると二十分ぐらいかかります。土・日、祝日と、木曜日はお話し会があるので行いませんが、週に四回行っています。

 これだけ体操のメニューがあると、なかなか覚えられないので、奥さんが紙にメニューを書いてくれました。号令をかける当番を決め、一月交代で行っています。みなさんも体を動かしてみませんか?

近況報告

藤田一夫(寮生63歳)

 最近、内田ジュン子さんと一緒に寝ていますが、夜私の部屋にドアを開けて入ってきます。開けたら閉めればいいのになあといつも思っています。猫のジュンちゃんでは閉めることはできないか?! ときどき開けっ放しで寝ているときがあります。私が風邪をひいたのか花粉症なのかわからず最近、鼻水をかむ回数が増えました。食卓に花が飾っていますが、ユリの花の匂いも鼻が詰まっていて匂わないことが多いです。

 3月27日(水)に向山に桜の花見に行ってきました。車2台で8人乗って花を見に行ったのですが、休みではないせいか花見に来ている人はあまりいなかったです。花は満開でした。夕方に桜を見て回り、その後にガストでハンバーグを食べて帰ってきました。心が休まるひとときでした。

 21日から職場も変わりがんばっています。もうすぐ還暦が過ぎて4年目が来ようとしています。私は頭があまり良くないので働くことで結果を残そうと思っています。人間は何のために生きているのでしょう。昨日より今日、今日より明日と少しでも進歩をし、年を取るにつれて進化するために生かされているのでしょうか。今振り返ってみても変化があるかどうかは自分で決めるものでもなく他人が変わってくるように思います。自分が良ければ人は寄って来るように思います。わけの分からないことを言いましたがこれからも多くの出会いがあるように、また、大人になれたらと思います。楽しみも少し味わいながら。

 私は慰問に行くことが有ります。知的障碍者の人たちの所に行って歌を唄ったりギターを弾きますが逆に知的障碍の人たちが私たちを試しているのではないか、そういう目で見ているのではないかとそこに行くたんびに思います。私はこのように生きていきたいです。たとえ何を言われてもどういう結果に終わっても私なりにがんばった結果なので悔いはありません。ブリリアントのお世話人の奥さんも言っている通り頭も体も言うことの聞かない体になっているので、そこを克服するのがつらいです。でも、できるだけがんばるつもりです。

半月板 3

大石春子(寮生)

 いつも気にしているのが左足のひざのことです。

 今年の1月から痛みがだんだんと進んでいるようです。毎日マッサージをしたり少々歩いたりして筋力を付けています。寝返りをしたり伸ばしたりしても痛いです。

 一生足をかばいあったりして毎日大切にしなければならないのです。サポーターをしないと不安で歩けないです。だんだん暖かくなれば痛みも和らぐと思います。気を落とさなくがんばるしかありません。

 50歳60歳になると誰しも痛い所が出るようです。何かにつけてラジオ体操で飛ぶこともできません。足は大切な所ですので良くなるよう努力します。

バカヤロー!

兵藤なつき(寮生27歳)

 2013年3月9日。事態が急展開しました。私のお母さんが渡津橋付近で見つかりました。すでに亡くなっていました。その時、草を刈ってた作業員さんが見つけて110番通報をして、警察で鑑定したところ、お母さんであったことがわかりました。家に連絡が入りそれを介して私にも届きました。心に傷を負ったどころか“バカヤロー!”って心から叫んでました。自分のことは棚に上げたり、叱ると文句を言ったり、何をするにも水を差したり釘を刺したり、私が感情的になるとお母さんも“うるさい!だまれ!”ってなって・・・。私もお母さんの態度にお手上げになってました。それでやり過ごしました。

 話によると、お母さんが14歳~15歳ぐらいに様子が変わったと聞きました。それが始まりだったんじゃないかな?自分のことが嫌いになったんじゃないかな?お母さんも悩んでたんだ。だから何も言えなくなったんだ。話を聞いて「えっ!そんな人だったの!?」って言葉が詰まりました。自分を締め付けてたんだ。

 私もお母さんの真似をしてたんだ。だから私もお母さんみたいになってったんだ。

 それで奥さんたちは、このままではいけないと思って距離を置かせたんだ。私を心配して。実家から戻ると元気がなくなってたから。

 今まで何も反発せず、じっと耐えてたけど我慢の限界になったんだね。でも、最近、それも度が過ぎてるって私に指摘したんだ。止まらなくなってたのかしら。私はこれでいいと思ってたけど。言っちゃいかんかった?

玄米7号食

杉浦 依和夫(ヨガ講師・60代)

 昨年の鏡開きの日のなって、初めて皮膚炎を患った。全身にブツブツができ痒くてしかたなかった。専門の医院に行ったらアレルギー系の皮膚炎だという。その年は異常に温度変化が大きく乾燥してシーズンで患者も多いと医者はいっておった。で、私の原因は、年齢で水分保持の低下と血液循環不足やらで、その乾燥肌であるという。例のステロイドをくれるばかりで、止めれば元の木阿弥で埒があかないので、内服薬も一緒に止めた。

 自分なりに考えると、まあー、老化もあろうが、正月での不摂生が原因だと結論付けた。ヨガ医学では、原因不明の皮膚炎は、肝臓、腎臓、腸の機能低下であり、感情の混乱という。湿疹と蕁麻疹などは特に腎臓が悪く、赤い斑点などでるものは中毒性で、とくに肝臓のヘタリ、アトピー性は血液のアヂドーシス化である。全般にいえるのは心の問題もあるから、憂鬱・煩悶など異常興奮を遠ざける瞑想と呼吸法を併用する必要があると説いている。

 肝腎、腸によいポーズや、ヨガ呼吸法を数種類したりして、玄米食を一日2回としてやっと、痒みが治まってきた次第である。

 そんなおり、仕事上の定期セミナーがあり、そのテーマが「玄米7号食」、今更と思ったが聴講に出向いた。大阪のお米生産者で、自然食食堂を開き、玄米食で病気を治す方法のアドバイザーをしている方が講師。

 7号食を10日間続ければ、どんな皮膚炎でも好転し、ヒドイものでもない限り治ってしまうという。で、その7号食とは、どんなものかというと、3食を玄米だけ摂るというもので副菜は一切摂らないものだ。ですので、その間は、番茶以外は口に入れない方法なのだ。もともとは、“食の革命児”と謂われた桜沢 如一氏が唱えた食事法である。

 因みに、6号食は味噌汁とお漬物を加えたもので、5号食は、さらに生野菜を一品加えたもので、-2号食まであり、これは動物肉を加えた食事になる。

 早速、私も挑戦したのであるが、これが中々難しい、4日目で挫折した。どうしても珈琲が飲みたくなったり、アルコールが恋しくなったりで、つい欲求に負けてしまう。でも、この3日間でも排便よくなったように思う。今年も、寒さと乾燥がきつく皮膚もカサカサで痒みや炎症がでてくる。近々には、また7号食に挑みたいと思っている。

 モーニング喫茶やら、居酒屋の誘いを払って、切り抜けることができるか、頑張りたい。

 講師は、「ウチの玄米と食べ比べてみればわかるから」と、米にも力があるものないものがあるというのだ。無農薬で旨いから、体に効果あるのではなく、どういう環境で出来たものかで病症状の治癒効果が歴然だという。私は、JAで減農薬の玄米から、前芝生産の完全無農薬米にした。味はよくわからないし、体への変化もあまり変わらないように思う。いずれ、この講師が生産しているものを食してみようと思っているが、豊橋産の倍近い価格で、ちょっと考えてしまう。豊橋の前芝の方のお米も契約生産であるので、飛び入りの私には余ったときだけ分けていただくようにしているが。

60の手習い

理事長 内田里枝

 主人が亡くなってもうじき半年になる。主人が健在だった頃はネジをキリキリに巻いて「サー今日も行くぞ!!」とばかりかけ声をかけて一日が始まったものだ。主人がいなくなった今はその緊張感がなくなり、ボーッとしていても一日が過ぎていく。その結果、何やら物忘れが多くなり、ボケが始まったのではないかと不安になってきた。それで思いきってピアノを習うことにした。60の手習いとはよく言うが、私はもう63歳。少し遅すぎる気もするが、ま、がんばってみようと思う。

 ピアノには私は特別な思い入れがある。小さい頃、私の家は「生長の家」という信仰をしていた。祖父はその講師をしており、浜松にある本部によく出かけた。小さい私はよく祖父についていっしょに行ったものだが、浜松の駅のショーウィンドウにいつも釘付けになっていた。そのショーウィンドウには、真っ赤なオモチャのピアノが飾ってあったのだ。私はのどから手が出るほどそのピアノが欲しかった。そのピアノを弾いてみたかった。しかしそれは言えなかった。浜松の駅に着くたびにそのかわいいピアノはまぶしく輝いていた。

 小学校の頃、昼休みと言えば皆運動場に飛び出してドッジボールをやったり走り回ったりしたものだ。しかし私は数人の女の子といっしょに音楽室に向かって走っていくのが日課だった。我先にとピアノやオルガンを奪い合う。早い者勝ちで好きな楽器を独占する。そして昼休みが終わるまで見よう見まねで弾きまくる。それが楽しくてたまらなかった。

 中学生になると私は友達と二人で音楽クラブなるものを設立した。何のことはない、ただ音楽の先生にバイエルの本を借りて放課後、ピアノやオルガンを弾いていただけのことである。何しろピアノをいじりたくてたまらなかったらしい。今でも時々その頃の曲を思い出しながら弾いてみたりするが、とてもなつかしい。

 結婚して子供ができたら子供には絶対ピアノを習って欲しいと思っていた。なぜならば主人は音楽に関してはチンプンカンプンで少しも興味を示してくれない。だから子供だけは音楽好きな子に育てようと思っていた。5年目にやっと授かったとわかった時、私はすぐにピアノを注文した。そして子供が4歳になった時からピアノのお稽古を始めた。息子はイヤとも言わず、それでも何とかお稽古に通ってくれたが、小学校4年になった時、ついに自我が目覚めてきたのか自己主張が始まり、ピアノを習うことをやめてしまった。しかし担任の先生が素晴らしい音楽の先生だったので、ブラスバンド部に入りトロンボーンを吹くことになった。結局彼は中学生までトロンボーンを吹き続けることになる。

 私の夢は生演奏のベートーベンの第九をコンサートホールで聴くことだった。ついにそれが実現する日が来た。息子が中学校三年生の十二月の年の瀬だったと思う。彼と名古屋で名フィルの第九を聴くことになったのだ。それも合唱つきだった。私は子供と一緒にドキドキしながら音楽の素晴らしさを堪能することができた。何とも言えない幸せ感だった。

 そして息子は高校生になった。その高校はマンドリンの演奏活動に力を入れており、彼はコントラバスを担当することになった。毎年韓国に演奏旅行に行くことでも有名である。一度、東京の大きなホールで彼等の演奏を聴く機会があったが、二千人のお客様を前にしてそれは素晴らしかった。

 というわけで息子は小さい時習ったピアノのおかげでその後もずっと音楽に関わる生活をしている。音楽を愛する人間になっている。私の作戦は成功したのではないかと思う。

 さて、本題である私の60の手習いだが、大変苦戦している。ピアノの先生は「三年ガマンして!」と言っている。三年がんばれば少しは手が動くようになるらしい。右手と左手を別々に動かさなくてはならないし、音譜を追いかけていると肩に力が入ってなめらかに弾くことができない。ガチガチに肩はこるし、私にとってはかなりのストレスである。今は童謡の「ブンブンブン、ハチが飛ぶ」のような易しい曲からスタートしている。いつになったらカッコいい曲が弾けるのだろう。気が遠くなりそうな話だがその日を夢みて老骨にムチ打つ日々である。

「プロとしての今後の心構え」について

森下昌洪(支援者)

 僕は、プロのシャンソン歌手としてデビューして丸八年たった。最初の一年目までは、ものめずらしさから雅浩さんの歌を聴いてみようという友達で苦労せずに集客できた。ひとまわりした二年目からは、案内を出しても応答が無い人が増えた気がする。きわめつきは、まだ一度も聴いた事のない人でも、もう案内は、いらないとはっきり云ってもらった事だ。

 ほとんど初めて会ったような人は、社交辞令が九割位占めているので注意したい。

 一流の有名なプロでも、シャンソンという狭いジャンルは、聴いてもらえないのだと、よくわかった。

 この忙しい色々な娯楽のある世の中で、わざわざ夜遅くまで付き合ってくれる人は、義理以外の何ものでもない。老齢化したシャンソンのファンは、その日に突然体調をくずす人も多い。

 体調が良くて、心に余裕のある人で、しかもシャンソン大好き人間は、僕が声を掛ける中で一割いれば良い方だ。残りの九割はフランス語のマイナーの聴き慣れないシャンソンでは、本当によく耐えて聴いてくれていると思う。

 今後の選曲は、カチカチのお客さんの心をゆるませるような、どこかで聴いたような曲にするつもりだ。

 ベテランの先輩のプロも、集客に対して限界を感じているのがよくわかる。

 ただ、チケットを買い取って唄わせてもらうようになったらもう終わりだと思う。一人カラオケで唄っているような考え方はしたくない。

 コツコツと下手でも、お客をつかむ、心に訴えるシャンソンを心掛けたい。お客さんがいてはじめて成り立つ世界だから。少しでも成長したいと云う努力が大事だ。厳しいのはわかっているつもりだ。

行事報告 平成25年2月~平成25年3月

2月

2/3 (日)恵方巻き実習・豆まき
2/5 (火)太鼓の練習(さくらピア)
2/19 (火)太鼓の練習(さくらピア)
2/23 (土)「ブリリアント」慰問 (福寿園)
2/24 (日)曽我先生勉強会、鬼オニ展(豊橋市美術館)、梅見(向山公園)

3月

3/3 (日)ひな祭り
3/5 (火)太鼓の練習(さくらピア)
3/9 (土)「ブリリアント」慰問 (豊橋ケアセンター)
3/16 (土)誕生パーティー(曽我先生、大石さん、日菜子さん)
3/17 (日)駒形町総会(公民館)
3/19 (火)太鼓の練習(さくらピア)
3/24 (日)じゃがいも植え(野菜畑)
3/31 (日)曽我先生勉強会、カウンセリング

ブリリアントにご協力いただいた方々

今泉良美様、大橋温様、万久商店様、大須賀良子様、森下昌洪様、杉浦依和夫様、 曽我洋秀様、菅谷君男様、小川一平様、佐溝力様、北川藤良様、清水伸太郎様、白井千雄様、稲地扶美子様、金原康純様、岡林園様、宇野和男様、宇野晴美様、高井宏様、大村守様、レスポワール様、豊橋善意銀行様、豊橋社会福祉協議会様、東海有機(株)

ブリリアントにご寄付下さった方々

豊田愛里様、山内孝雄様、野村浩子様、佐羽尾様、平尾洋子様、今泉良美様、 大須賀良子様、曽我洋秀様、金原光明様、清水伸太郎様、北川藤良様、兵藤昇様、 山口京子様、白井千雄様、万久商店様、河合邦明様、大石郁子様、立岩牧場様、 レスポワール様、矢車草様、豊橋善意銀行様、豊橋社会福祉協議会様、東海有機(株)

いろいろとご協力、ご支援ありがとうございました。

毎週木曜日の夜6時30分から、「お話し会」を行っております。どなたでも参加できますのでどうぞお気軽にお越し下さい。

編集後記

 なっちゃんがそばにいると癒されるって母は言ってたけど、一人でいるのが耐えられなかったのかな?会いに行く友達もいなかったのかな?それしか思いつかなかったのかな?

兵藤なつき

 春になって暖かくなったにも関わらず、黒猫のチビは僕の布団の上で寝ています。重たくてしかたありません。先日、向山公園にみんなで夜桜を見に行きました。今年の桜はきれいでした。

伊藤 剛

 春になって、畑の冬野菜はみな菜の花が咲き乱れ、食べきれない野菜もありました。夏野菜として、じゃがいもを皆で植えました。収穫が楽しみです。

内田里枝

イラスト:高井宏、内田一恵

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