レッツ ブリリアント 2012/11 第50号

発行者
精神障碍者社会復帰施設
特定非営利活動法人(NPO法人)ブリリアント 施設長 内田 貴士

住所 〒 441-8145 豊橋市駒形町字坂口56番地
TEL 0532-46-0033
FAX 0532-46-0163

URL http://brilliant-gh.sakura.ne.jp/

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平成24年11月15日発行

父の生き様

施設長 内田貴士

 純粋でまっすぐな父は、障碍者に対する思いも人一倍強く、グループホームの必要性を感じて作ったのがこのブリリアントです。設立して今年でもう20年になります。その20周年の記念のイベントを目前にして父は病に倒れ、去る10月12日に帰らぬ人となりました。67歳でした。

 ブリリアント祭、一泊旅行、誕生日会、クリスマス会など、数え切れないほどの足跡を残して天国へと旅だった父。私も未熟ではありますが父に負けぬようこれから障碍者福祉のためにがんばっていこうと思っておりますので、どうぞよろしくお願いします。

 なお、喪中のため、来年5月5日に予定しておりました20周年記念のイベントは喪が明けるまで延期させて頂きたく思います。また、毎年12月に行われてきた感謝祭(クリスマス会)も今年はございません。どうぞご了承下さい。

「千の風」に送られて

理事長 内田里枝

 ブリリアントの元施設長、内田秀司は去る10月12日に天国に旅立ちました。一年半もの長い闘病生活から解放されたその顔は、今までに見たこともないような慈愛に満ち、神々しく光り輝いていました。

 去年の3月頃から歯が痛いと言って歯医者に通っていましたが治らず、次に頭が痛くなり、豊橋市民病院でCTを撮ってもらいましたがそれでも分からず、最後にかかった耳鼻科の先生が「これは大変なことかもしれない」と、右眼の奥の細胞の検査をしてくださって、その結果が進行性の早い悪性のガン細胞だと分かったのが6月の末のことでした。手術をするに当たり、右眼も摘出しなければいけないという話を聞き、私たち家族は一気に谷底に突き落とされたようなショックを受けました。

 話し合いの結果、名古屋のがんセンターで手術をしていただくことになり7月5日に入院となりました。7月の末に13時間半もの大手術を受け、ガン細胞はきれいに取り除かれました。右眼は失ったものの身体はメキメキ快復し、10月の末には無事退院にこぎつけました。毎年恒例の11月のブリリアント祭りには主人も顔を出すことができ、皆様と楽しそうに会話していたのを思い出します。大好きな畑にも半日ほど行って作業ができ、忙しくあれこれと働いていました。昼からは近場の温泉めぐりをし、体調を整えることが日課になっていました。寮生を連れて、「リスパ」(豊橋市経営の温泉)にもよく行きました。2月には主人と2泊3日の旅行で長崎にも行きました。あの頃が一番楽しい時期だったと思います。自分の足で歩くことができ、食事も楽しむことができました。どこに行ってもチャンポン麺ばかり注文して、うんざりしたのを覚えています。

 主人は3月に顔の形成の手術をするに当たり、太りたいと一生懸命でした。お腹の筋肉を顔につめるためです。その頃はガンの転移もなく順調でした。体重も60kg以上になっていました。ですから2度目の形成の手術を受けなければまだ元気に生きていたような気がしてなりません。短期間の間に2回も大きな手術をしたことが結局、免疫力を下げガンの転移につながったのではないかと思われます。

 3月のはじめ、形成の手術をしていただき顔はきれいになり、ガーゼを当てる必要もなくなりました。主人はとても喜び入院中にもう次の旅行、台湾に行く計画を立てていました。台湾の友達からお見舞いをいただいたお礼の旅行でした。旅行は行く先々で車椅子のサービスを受け、なんとか無事に終えることができました。しかし食欲は少しずつ落ちていったのです。

 主人は毎月一度、がんセンターの診察を受けていました。5月のある日のことです。「血液検査での腫瘍マーカーの値が高いですね。」レントゲンを撮っていただくと、右肺に直径5cmほどの影が写りました。その細胞を調べた結果、顔にできたものと同じガン細胞だということが分かったのです。転移です。

 主人はその時もうすでに腹をくくっていました。「手術して取り除いてもまた他に転移するからもう痛い手術はやめる。」

 家で療養することになりました。人参のジュース、タヒボ茶、お灸、ビワの葉温灸等、免疫力を上げるための療養生活が主流になりました。しかしその努力とは裏腹にだんだん歩くこともつらくなり、食欲も衰えて行きました。ただ一つの楽しみは息子の結婚式に出るということでした。

「秋までは待てない。すぐ結婚式をやってくれ!!」

 7月8日、主人は息子の晴れの結婚式に出ることができました。元気いっぱいお嫁さんと腕を組んでバージンロードを歩いたのです。その時の嬉しそうな顔は今でも忘れられません。おまけにその後の青森への新婚旅行にもおじゃま虫で付いていったくらいです。私たち家族の最後の楽しい思い出です。主人は驚くほど元気で、最後青森空港の食堂でラーメンを全部たいらげた時にはもう病気は治ったんじゃないかと思うくらいでした。

 しかしその後、一気に疲れが出たのか夜、熱が出るようになり、食欲が無くなり、がんセンターに入院を余儀なくされました。肺に炎症があるということでした。しかし名古屋のがんセンターは遠いので一週間後、豊橋の市民病院に転院しました。その頃にはもう胸や背中が痛くなり、車椅子に乗るとクッションをかったりアイスノンで冷やしたり大変でした。でもお見舞いの人が来ると楽しそうに話をしていました。だんだん一人では食事が食べられなくなり、朝から「飯を食わせに来てくれ!」という電話。ほっておくと毎回食事は一口、二口で終わってしまうのです。あの頃から私は一日に3回か4回病院と家を往復していました。痛みがひどくなってきたのか、主人はモルヒネがなければ生活できなくなっていました。

 医療センターへの転院を先生から勧められ、9月の末、ホスピスに入りました。医療センターへ移ってからは一日中うつらうつらの眠ってばかりになり、一日何十回もかかっていた電話もぷっつり止んで、会話はほとんどできなくなりました。病院へ行って、わがままを言う主人と毎日ケンカしていた頃が懐かしく思われました。そして最後は水も飲めなくなり荒い息をしていました。しかし痛みは無いらしく、その横顔からは安らぎさえ感じました。10月12日の夜中、息子夫婦と私に見守られ、主人は永遠の眠りにつきました。痛みから解放されたその顔は微笑みさえ浮かべているかのようでした。

 お通夜は豊隆殿の大ホールにあふれんばかりのお見送りの人達で埋まっていました。そして会社と内田家との合同でにぎやかなお葬式となりました。同級生の方々も大勢出席して下さり、本当に主人は幸せな人だと思いました。この同級生の方達にどれだけ励ましていただいたことでしょう。

 セレモニーの最後に、ブリリアントの寮生が柩を取り囲み、「千の風になって」を歌いました。会場全体に悲しくしめやかで、でも暖かい空気が流れました。歌が終わると会場から拍手が起こり、あちこちですすり泣きの声が聞こえました。柩に飾られた山のような花の中に埋まり、主人は静かに微笑んでいました。生涯で一番幸せそうな顔でした。「お父さんお疲れ様でした!!」私は主人に最後のお別れをしたのです。

最近の目標

藤田一夫(寮生63歳)

 もしお金があったなら家と車が欲しいです。それに彼女がいたなら最高ではないでしょうか?家の設計図は私の頭の中にもう出来ています。最近のテレビ番組で「大改造劇的ビフォーアフター」という番組を見るのが大好きです。細かいところでこうしたらおもしろいとかああしたいとか工夫するのが楽しいです。

 車は今の所、トヨタのプリウスPHVが欲しいです。トヨタの車もこれ以上進化しています。驚くほどです。私は大型免許を持っていますが数年先に免許書き替えの時に実地試験もあるかも知れません。私が車に乗れるのも今のうちのような気がします。車を買って乗るのも遅くなればなるほど不利になります。決してあせるわけではないですが、元気なうちに乗れるように早く夢をかなえたいです。もしこれが実現したらみんなに私の家に泊まりに来てもらい、絆を深めたいです。家や車を買うことは私の欲望のほんの一部ですがあれこれしたい事がいっぱい有ります。この夢は私の余生を楽しむための居住地です。あれこれ夢をかなえるためには大金がいります。宝くじでも買いましょうか。現実の生活と夢のギャップが大きいため今は苦しいですが夢はあきらめません。現実の生活を何とかしたいです。その為こつこつと少しずつでも現実の苦しみを無くするようにお仕事にがんばっています。仕事があることはありがたいことです。仕事に感謝。ブリリアントに感謝。体力に感謝。みんなに感謝。すべてに感謝。

私も頑固だったのか

兵藤なつき(寮生27歳)

 今は、自発的に本を買って読んだり、体操をしたりいろいろやっているけど入寮する前は全然真逆の生活パターンを送っていました。そのとき一体どんなことをしていたかというと、お昼のドラマしかも愛憎劇など刺激の強いものやホラー系の番組を見ていたこと。「怖がるくらいなら、どうして見るのをやめないの?」「こういうの見るからおかしくなるんだよ」と言われてもそれでも見るのをやめませんでした。そのときは自分はそれでいいって思ってたのかしら?

 必要な教養を身に付けたり、自分の内面を磨こうだなんて思っていなかったかもしれません。

 このままだと大変なことになる、かわいそうなことになると私に発破をかけてきました。やっぱり大事なことは自分が安らぐことなのか。 そうなると私は自分をいじめていたのか、頑固だったのか、落ち着きがなくなってたのかって振り返ります。

 ただ振り返るだけではダメか。もうちょっと効率よく生きないとダメか。

半月板

大石春子(寮生)

 今年の1月くらいから膝を痛め、歩けないほどの痛みを感じました。それからお灸をやりテーピングしていただき、徐々に良くなりました。また8月頃から痛みを感じました。体重を少し落としたせいか足の負担を少なくしています。サポーターをしながら痛みをかばいながら歩けるよう暮らしていくしかないです。また痛み出したら整形外科に行くしかありません。

歩き方を変えて、魚の目を治す

杉浦 依和夫(ヨガ講師・60代)

 「正しい姿勢は足から」、「足は第二の心臓」とか、ヨガは云っていますが、そのわけは足腰の丈夫な人は健康で長寿することからきている。足裏、足指には揉んで健康に随意するツボが多くあるのは周知の如くである。

 土台である足に偏り・重心があるとその上にある骨盤が傾き、それが原因で肩甲骨が不揃いになりと連鎖していくのだが、それが習慣化して体壁となりその病症状を造り出す。

 脊椎の湾曲、脊柱原因の鼻柱隔湾曲、視力異常などは、足・脚の動作で治せるとある。元々は、脊椎は手で直接は触ってはいけないところである。

 昨今はウォーキングが健康法として盛んであるが、正しい歩き方でこそ効果がある。癖をもったまま歩けば、その癖を助長させて害になる。例えば、欧米人の膝の伸び切った歩き方はスマートであるが、日本人は膝が少し曲がった脚上げが合っており、真似すると無理になるのだ。

 私事ですが、右足裏薬指下3センチぐらいに魚の目ができているのは知っていたが痛くないので気に留めてなかったが、半年前に石を踏んで激痛が走りマジマジと見てみたら1センチ円の白い炎症を確認した。十字に裂けて奥の方まで芯ができて指で押さえるだけで痛い。そこで健康診断の折に皮膚科の医師に見て貰ったら、虫眼鏡でジッと見つめながら「これは感染症で移るから」と強い塗り薬を処方された。魚の目ではないと頑というのだ。もし感染症であれば足中に出来ているはずなのに・・・。角質というか、その皮をナイフで削り取ってもらったが十日もすれば元の木阿弥である。医者は、いずれは手術して取り除いた方がいいというのだが。

 魚の目は、そこに同一圧刺激が続くことによって起こるのが原因であると。そこで歩き方を見直したら、左右脚の長短や歩幅が違うことに気がついた。また時々、片側の膝が痛くなったり、躓いたり、股関節可動などがこれに起因しているのだろう。

 早速、歩き方を工夫した。右足の歩幅を広くして土踏まずから着地するようにし、姿勢は顎を引き胸を突き出し、尻を後に引き臍を突き出すようにした。そしたら、一週間ほどから小さくなりはじめて、徐々に硬い角質は剥がれ落ち新しい皮膚が現れてきた。その後は、患部の芯になっている筋肉も柔らかになった。2~3ヶ月で薬を一切使わずに痕跡もなくきれいになってしまった。また、膝痛もなくなってしまったことに歩行訓練の大事さを、身を持って知った次第である。

 健脚者には心臓病・動脈硬化になり難いことや、胃腸がしっかりする。脚の筋肉が弱ると血行不順となり、その足動脈・静脈が心臓とのやりとりに支障が出る。足・脚が弱り筋肉が硬化すると腸も硬化し冷え、内臓神経も異常なりやすい。

 歩く速度、距離はその人その人に合わせ無理しないことである。そして、健康法にするには、前述から付け加えれば膝の内側に力を入れること、胸に足が付いているつもりで、胸から歩くことだ。こうすると猫背にならないし膝痛になりにくい利点がある。トラックを回るときは、足の長い側に回ると長短を治せる。右足が長い人は、時計回りにま~るく歩くなど工夫するといい。

2年後の豊橋まつりは60周年と60回記念

安間道貞(寮生26歳)

 現行では毎年10月第3土日に開催される市民イベント「豊橋まつり」が平成26年には60回を記念として、現行の毎年第2土曜日に単独開催される花火イベント「炎の祭典」が第19回から単独開催をやめ、豊橋まつりと同時開催される案は、平成24年11月11日(日)の投開票である豊橋市長選挙の立候補者たちのマニフェスト(市政公約)は9月第1金土日の3日間のうち、金曜日の夜は前夜祭による「ギネスに挑戦!!2万人の総おどり」(仮称)案をはじめ、金券付き豊橋まつりガイドブックに子供向け(小学生以下)の50円券50枚(2500円分)セットと大人向け(中学生以上)の100円券100枚(1万円分)セットの2種類を有料化とする案。その、金券で使うのは豊橋まつり会場内及び協賛企業と団体などで、豊橋まつり会場内(案内所を除く)の現金には使えない案。「岩田運動公園」「豊橋公園」「まちなか」の3つのエリアとする案。

 豊橋まつり開催に合わせる「とよはし街中ええじゃないかグルメラリー」は、平成24年は各コースの参加店は次の通りです。Aコースは「ねりや花でん」「ワルツ豊橋トキワ店」「大正軒本店」「濱金豊橋魚町本店」。Bコースは「お亀堂カルミア店」「マルシェフージン」「かつぶし屋のまるぶん」「ヤマサちくわ本店」。Cコースは「かぶき家」「マッタホーン本店」「ボレロ吾妻家」「若松園本店」ですが、平成26年の「第60回記念豊橋まつり」迄は新たに「壱勢広小路店」「カフェテラスいちょう豊橋駅前店」「童庵本店」「リトル・バード」に加わり、Dコースを含む4つのコースが見直されています。2年後の「第60回記念豊橋まつり」と「第19回炎の祭典」の同時開催日程は、9月第1金土日の案の場合は平成26年9月5~7日の3日間で、毎年10月第三土日は「豊橋まつり」に代わる東三河県庁の振興会に設置を検討する「ほの国東三河まつり」(仮称)の会場は、豊橋市、豊川市、蒲郡市、田原市、新城市の5市のエリアを設置し、JR東海や名古屋鉄道などの共同発売を検討する「ほの国東三河まつり電車バス1日乗車券」と「ほの国東三河まつり土日乗車券」(共に仮称)を乗り放題にしています。

楽しい夢、苦しい夢

伊藤剛(寮生50歳)

 毎週一回くらいは必ず見る夢があります。まったく同じストーリーではないのですが、基本的なところは一致しています。僕の病気である躁鬱病、その特に躁状態の感情がベースとなっている夢です。躁状態なので、楽しい夢なのですが、夢を見ている時が楽しい分、夢から覚めたときの落胆、失望の度合いは激しいものがあります。躁状態では、誇大妄想が激しいのですが、何か自分が世界的に有名になったような気分がそのまま夢に出てきて、とても高揚します。夢の途中で、『あっ!これは夢なんだ!』と気づくと、何とも言えない脱力感があります。目が覚めるのはたいてい午前三時から四時くらいの時間帯です。

 僕の人生の中でも一番苦しい時期だった、最初の入院のときのことを夢に見ることもあります。もう30年近くが過ぎようとしているのに、いまだに冷や汗をかくようなストーリーが繰り返されます。今は心の状態は安定していますが、僕の脳の中には決して消えることのない何かが刻み込まれているように思えます。

 楽しい夢もあります。岸辺で鉤にミミズを付け、ポチャンと投げ込むと、石の陰から岩魚の大物が出てきて、僕の鉤にパックリと喰いつくのです。慌てて竿を立てて合わせると、ぐいぐいと岸のえぐれの方に引き込んでいきます。そこを乗り越え、なんとか手網を出してすくうと、大岩魚が水しぶきをあげて網の中でぴちぴちと跳ね回るのです。こんな夢を見た夜は、翌朝、ゴキゲンで目が覚めます。果たして今夜は、どんな夢を見るのでしょうか?

行事報告 平成24年8月~10月

8月

8/4 (土)お米の仕事
8/6 (月)七夕作り
8/7 (火)たいこの練習(さくらピア)
8/16(木)盆踊り大会(たけのこ)
8/18(土)お米の仕事
8/25(土)「ブリリアント」慰問(若菜荘)
8/26(日)曽我先生カウンセリング

9月

9/1 (土)お米の仕事
9/2 (日)ブリリアント会議
9/6 (木)ハートイン会議(市役所)
9/8 (土)誕生日会
9/11(火)たいこの練習(さくらピア)
9/15(土)お米の仕事
9/22(土)畑作業(冬野菜の準備)
9/25(火)たいこの練習(さくらピア)
9/29(土)「ブリリアント」慰問(つつじ荘)

10月

10/1 (月)畑、かきね取り
10/13(土)会長通夜(豊隆殿)
10/14(日)葬儀・告別式
10/20.21(土・日)豊橋まつり
10/27(土)畑の仕事
10/28(日)曽我先生カウンセリング

ブリリアントにご協力いただいた方々

今泉良美様、生田尚子様、大橋温様、万久商店様、白井史郎様、大須賀良子様、曽我洋秀様、位己光児様、菅谷君男様、小川一平様、杉本様、佐溝力様、北川藤良様、清水伸太郎様、白井千雄様、稲地扶美子様、金原康純様、岡林園様、レスポワール様、豊橋善意銀行様、豊橋社会福祉協議会様、ゆうきデリバリーサービス様、東海有機(株)

ブリリアントにご寄付下さった方々

今泉良美様、大須賀良子様、曽我洋秀様、金原康純様、金原光明様、内田知様、内田佳伸様、清水伸太郎様、黒木武秀様、北川藤良様、兵藤昇様、山口京子様、白井千雄様、金原博昭様、万久商店様、佐羽尾様、河合きほ様、山本小夜子様、河合邦明様、田中稔様、大石育子様、水谷様、井上浩様、藤岡利之様、彦坂節子様、鈴木久子様、筒井電機様、梁川様、松井様、藤井様、生田尚子様、大橋善孝様、えぐれ笹島様、立岩牧場様、レスポワール様、矢車草様、豊橋善意銀行様、豊橋社会福祉協議会様、ゆうきデリバリーサービス様、東海有機(株)

いろいろとご協力、ご支援ありがとうございました。

毎週木曜日の夜6時30分から、「お話し会」を行っております。どなたでも参加できますのでどうぞお気軽にお越し下さい。

編集後記

 会長さんから本当に多くのことを学びました。教わりました。会長さん、ありがとうございました。

兵藤なつき

 暑い暑いと思っていたら、あっという間に涼しく、いや寒くなりました。秋の長さが短くなっているような気がします。猫のチビは夜遊びを覚えて家に帰ってきません。心配です。

伊藤 剛
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