レッツ ブリリアント 2008/07 第33号

発行者
精神障碍者社会復帰施設
特定非営利活動法人(NPO法人)ブリリアント 施設長 内田 秀司

住所 〒 441-8145 豊橋市駒形町字坂口56番地
TEL 0532-46-0033
FAX 0532-46-0163

URL http://brilliant-gh.sakura.ne.jp/

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平成20年7月1日発行

盆踊り・ブリリアント祭り 「ゆかたでおいでん祭」

施設長 内田秀司

 今年のブリリアント祭りは今までとは趣を変えて、8月に行うことになりました。夜店感覚で夏の涼しい夜を味わっていただこうと思います。盆踊りあり、夜店ありで踊ったり、食べたりの楽しい時間を過ごしていただく予定です。

 和風の服装(ゆかた、じんべい、はっぴ)でお越しのお客様には食券をサービス致しますので、万障繰り合わせてぜひぜひお越し下さいませ。ブリリアントメンバー一同お待ちしております。

青春物語~やっと見つけた本当の幸せ

匿名希望

 みなさん初めまして。グループホーム・ブリリアントの寮生の匿名希望です。入居して五年目になります。今日は私の生い立ちについてお話をしようと思います。

 私の家族は父、母、私の三人家族でした。母は私が生まれてからすぐに 育児ノイローゼになり、私が幼い頃からよく手をあげたりしました。 最初は私があまりにもできてない子供だったのでしつけの為に叱ったのだろうと思っていました。

 でもあまりにも頻繁にたたく回数が多すぎると疑問に思った私は「これは絶対おかしい!」「何かあるに違いない」と子供ながらに感付き始めました。

 案の定、母は精神科に通院しているとのことを後で父からきかされ,一瞬動揺しましたが まだ私が小さかったので「精神病って何?」とまでしか分かりませんでした。  

 それでもこの頃までは母と娘の関係は崩れることなく私も「おかあさーん」となついていました。この頃が私にとって一番楽しくて良い想い出だった感じがします。

 小学校に入ると事態はより悪化していきました。 毎日、たたかれるのは当たり前になってきてさらには足や物でたたくこともありました。気がつけば顔には無数のアザとまるでお岩さんみたいにふくれあがり、これが虐待だと知ったのは私が小学校四年生になってからのことです。このときまで仲の良かった親友がいたので色々と相談にのってもらっていましたが五年生に上がる頃クラス替えでその親友とは違うクラスになり話もしづらくなり、私は孤立してしまいました。そして、友達もいなくなった私は六年生になった頃からクラスのみんなから虐められるようになりました。毎日私の顔を見ては「バイキン」、とか「化け物」と言われ、しまいには「気持ち悪いから近寄るな」と男子全員から屈辱的な暴言を吐かれ、時には学校の帰りに私を待ち伏せして石を投げられたこともあります。

 しかし私はそんないじめに負けることなく卒業までの一年間堂々とした気持ちを持ち学校へ通学していました。でも学校に来ると、(今日はどんな嫌がらせをしてくるんだろう)と考えるようになってしまい勉強もしだいにみんなから遅れるようになってきました。

 テストでも四年生までは100点とか90点台までは当たり前にできることと思っていたことが六年生では算数のテストだけが0点で、このときから勉強が嫌いになってきました。

 両親はあきれ果て、私を近くの塾へと通わせましたが私にとって見れば出来ない物は押しつけても出来ないんだと、子供ながらに訴えました。もちろん効果はありませんでした。頭ごなしに押しつける親に対してだんだん不満がつのり、いつしかその怒りが爆発しました。それが家出でした。

 最初の頃は帰って来るなり家の裏庭に回り母に見つからないように戸を開けてランドセルだけを投げ込んで遊びに行っていたのが始まりでした。そのうちエスカレートしていき、よその家の犬小屋の中で寝たりとか車の陰に隠れたりすることもありました。そのたびに警察の人にお世話になりパトカーで送っていってもらうこともありました。

 あっという間に月日は流れ、長かった小学生生活も終わり私も中学生になりました。中学校は出来るなら地元の学校に通いたかったのですが私の小学校からはほぼ全員が近くの中学へ上がったので、またいじめがエスカレートしては困ると思い私は父を説得して違う中学へと転校しました。初めのうちは楽しくて良い居場所が見つかったと思っていましたが、ここでも気に入らない女子から必要以上に嫌がらせを受けました。

 ボス格の女子からたたかれたり、物を壊されたりして精神的にも限界を感じるようになりましたが私にも意地があったので負けませんでした。ところがある時その女子から突然「今まで虐めてきてごめんなさい。これからは仲良くしよう。」と謝ってきたのです。

 最初は何があったのか良く理解出来なくて「ええっ!」と目が点になっていましたが その子はきっといじめてもめそめそしない私の姿を見て、きっと自分のしていることがどれだけ他人を傷つけていたのだろうと考え謝ってきたのだと思います。

 正直、絶対に許せるものかと腹の中では怒っていましたがいつまでも憎しみを持ってはいけないと気づき、許しました。それ以来私へのいじめもぱたっと消え、私はその女の子と仲良くなりました。

 私の通っていた中学は分校で人数も少なかった為、同じ敷地にある寮で生活してました。寮生活は規則が厳しくて何度も帰りたいと嘆いたこともありますが、たくさんの友達と色んな遊びをしたりして過ごしました。

 やっとそこでの生活が落ち着いてきたある日、学校の先生から、「○○さんは他の人と違って勉強も出来るのだから普通の中学へ通って楽しい中学生活を送った方が良いのではないのですか?」とまた、新しい中学への転校を勧められました。私は「今の生活がいいので、ここで残ってみんなとがんばって行きたいです。」と言いたかったのですが先生が強引に押したので「分かりました。」と新しい学校へと転校しました。2度目に来た学校は赤羽根中学校(今は渥美郡は田原市になってしまいましたが。)で学校としては小さかったのですが転校生が珍しかったのか来て初日はたくさんの人達が私の周りを囲み色々と話しかけてくれました。すごく嬉しかったです。

 だけど勉強の進みの速さにびっくりしてしまいました。なぜなら前に通っていた中学校は、一人一人のレベルに合わせて何人かのグループになり勉強するというのがその学校の特徴でした。でも今回の中学校は普通の学校だったのでそうはいきませんでした。初めのうちは私も一生懸命にがんばりましたが全く習ったことのない問題が出てくるのでだんだんついて行けなくなりました。それが中2の後半で、3年生の頃には勉強することも困難になってきました。それでも学校は辛いとか行きたくもないとは、思いませんでした。

 でも、受験シーズンに突入すると周りのみんなが慌ただしくなっていき私も進路のことで悩んでいました。高校へは行きたくない。出来たら働きたいと父に強く訴えましたが、逆に「中卒で働くなんてだめだ!! 絶対に認めない。」と怒られてしまいました。高校へは行けない。働くのもダメだと言われ悩みに悩んだあげくその時暮らしていた養護施設の園長先生から「九州に良い高校があるから一度行ってみたらどうですか?」と勧められ父と相談して大分県の高校に行くことになりました。結局その高校へ行って面接と筆記試験をしましたが落ちてしまいどこへも行くことが出来なくなった私は知り合いの人に、「ここなんか良いのではないですか?」と春日井にある春日台職業訓練校へと進路を決めました。

 訓練校では5つの科がありみんな好きなところへ入れるとのことだったので私は縫製科に入りました。ここは社会に入ってもある程度仕事が出来るようにと訓練する学校で、様々な地方から色んな人が集まって一年間寮で生活をするという場所でした。実際規則もすごく厳しかったですが大好きなことが出来たので良いところへいけて良かったです。一年間はあっという間に終わり、訓練校を卒業して3月には今働いている額縁会社に就職しました。17歳で、社会人としての扉を開けてしまったので、右も左も分からずに、ただひたすらに仕事を覚えるだけで精一杯でした。様々な人間関係やルールなども教わりました。

 勤め始めた頃はとても色んな事で悩み自分としての誇りも見失ってしまい自殺を考えたこともあります。その頃までは家から通勤していましたが、母の虐待も減る気配が無く、 それに自分の悩みも増えてしまったらと考えてしまったら突然、「私なんかいなくても良いんだ。」「いっそのこと楽になりたい。」とカッターナイフで自分の手首を切ったことがあります。 その傷は今も残っていて、それを見るたびに「私はあの頃こんなことの為に死のうと思っていたのかバカだったな」と反省しています。

 今年で働きだして七年目になります。今ではブリリアントの世話人さんの何でも前向きに生きる姿勢を身に付けるようにもなりました。しかし追い打ちをかけるように、去年の6月に私は会社の通勤途中にバイク対自動車の交通事故をおこし、左手手首を粉砕骨折してしまいました。症状が悪く、ボルトを入れる手術をしたので、仕事に復帰出来るまで3ヶ月も会社を休んでしまいました。リハビリでは少ししか動いてくれない手首の痛みと闘い「こんな訓練で本当に元通りになるのかと、マイナスな考えになり「もう病院には行きたくないし、手首の不自由はこのままでいいんだ。」と思ったことも何度かあります。でも力が付いてきて事故前と変わらなくなった時、何とも言えない達成感があったことは今でも忘れていません。先生から「働いても良いですよ。」と許可が出て次の日には復帰しました。「みんな私のこと受け入れてくれるか心配だな。」と焦ったりもしましたが、「Jちゃんがんばったね。」「いない間はみんな心配してたんだから、これからは気をつけるんだよ。」と私を快く受け入れてくれました。

 私は涙が出る位その言葉が嬉しかったです。今は事故のことを配慮して下さり会社とブリリアントの送り迎えを車でしてもらっています。わざわざ私の為にここまでしてくれると思うと大変なことなのに本当に有り難いなと感謝の気持ちでいっぱいです。

 私は今24歳です。これまでお話ししたように私は学歴社会とは関係ない大人になってしまいました。しかし今私は全身的に幸せを感じています。昔は母のことを殺してしまいたいほど憎んでいましたが、母にとって見れば子供を育てることが大変すぎたんだなと考えると、「私をここまで育ててくれて有り難う。」と手紙を書き、長い間のすれ違いを解消して、まだまだ時間はかかるかもしれませんがいつか母と二人で笑って話が出来るようになりたいです。それからお母さんに一言「お疲れ様でした。」といってあげたいです。私は父と母の娘で良かったです。

 最後にそんな私からみなさんに伝えたいことは、どんな苦しい状況になっても、自分に負けないで下さい。そして今ある命を大切に生きて下さい。必ず道は開けると思います。私も辛かった過去のことは忘れて、これからは、明るく楽しく自分らしい生き方をしたいと思います。

毎朝の散歩

伊藤 剛(寮生46歳)

 ブリリアントのメンバーは、毎朝7時から30分間の散歩をしています。僕は朝6:50に起きて顔を洗い、着替えて玄関へ出て準備運動をします。準備が整ったらいよいよ散歩の開始です。コースは季節やその日の気の向きかげんで変わりますが、だいだい決まっています。

 今のコースはブリリアントを出て東に向かい、スイカやトウモロコシ畑の中の住宅地を抜けて行きます。ここの住宅には、年寄りの白い犬がいて、僕が近づいていくと、ちょっと物悲しそうな目でこちらをじっと見ています。口笛を吹いても特に反応はしません。もっと近づいて撫でてやりたいのですが、ちょっと噛みつかれそうな気もするのでそのまま歩いていきます。

 住宅地を抜けてビニールハウスを通り越すと、耕作されていない畑が一区画あって、ここにはいつもたくさんの鳩が集まって餌をついばんでいます。朝のひんやりとした空気の中、鳩たちは幸せそうに餌を食べています。

 その後は、南陽中学校の歩道橋の前を通り、坂を下って駒形神社へ向かいます。百段以上ある石段を登ると、ちょっと息切れがします。運動不足の証拠です。毎月1日と15日は、駒形神社の扉が開放されていて、とても神聖な雰囲気が漂っています。ここで毎朝参拝をするのが日課になっています。故郷の父の健康のこととかブリリアントのみんなの幸せなどをお祈りしています。駒形神社からはもうブリリアントは目の前なので、ゆっくり帰ってきます。

 冬から始めた散歩ももう半年になりました。梅雨時で散歩が出来ない時もあり、また夏になれば暑くなりますが、休まずに散歩を続けていきたいと思います。

一からやり直し

宇野和男(寮生43歳)

 私は7年かかってようやく心のゴミ掃除が完了して、今心が真っ白です。まるで赤ん坊がなんにも分からないまま生まれてきて必死に状況を学習していくような感じです。家族関係の修復にしても最近は電話やFAXを定期的に送って感想を聞いています。明らかに物事が良い方向に向かって進み出したことを嬉しく思っています。

 このようになったのも、ブリリアントを支援して下さっているたくさんの人のおかげだと思います。今後の方針としてはあるがままに、目の前にあることをこなして行く中で心の成長を待つしかありません。今言えることはこれだけです。

 ただ、家族関係の修復に多大な努力をしてくれた、妹には特に感謝しています。やはり真の愛情は心の安定に絶大な威力を持っています。皆様ありがとうございました。

 この文面をfaxしたら、妹からの返信がありました。


 FAX読みました。よかったね。これから、ゆっくりと、心の成長を持って行けば良いと思います。

 お兄ちゃんが 優しい気持ちになれたこと・・・心から嬉しく思います。 ゆったりと、頑張って行きましょう。

 私も今、パートの仕事がpm4:00までとなりあんまり時間ないけど、いない時はFAXでも送って下さい。

 お兄ちゃんにとって私が出来ることは少ししかないかもしれ無いけど一緒に頑張って行きましょう!!

私の現実

竹内艶子(寮生63歳)

 ブリリアントに入って8月で3年になります。社長さんの竹藪に行って、山に入ってタケノコを採りに行きました。そんな暮らしをしている時に孫が私の所にきました。私の次男の子です。次男は離婚をしていました。次男は居所もわかりません。また嫁は胃がんで3年前に手術をしたと聞いて、私はどうしていいのか心が真っ暗になりました。でも次男の事を考てもきりが無いのでその日その日を健康で事故の無い生活をしたいと思い頑張って居ます。

 また、私の母は87歳で認知症で7年入院生活をしています。歩けなくてベッドで寝たきりです。母に話しかけても言葉は無くて、私の顔を見てるだけです。でも母は生きているくれているだけで心が幸せと思っています。

 私は入院生活なんか出来るはずはありません。2度と入院生活をしない。だから薬はきちんと飲んで、ブリリアントで明るく元気に健康で暮らさなければいけないと思って今頑張って元気に暮らして居ます。毎日が健康なら幸せだと想って頑張って暮らして居ます。

川中美幸のコンサートに行って

藤田一夫(寮生59歳)

 5月25日(日)に川中美幸のコンサート行って来ました。さすが大阪人、笑いと仁侠道を目玉にした舞台でした。変なほめ方ですが川中美幸と坂本冬美は何時間聞いても飽きがこない。中身は歌がうまいことはもちろんだけど声が良く曲にも恵まれ、人柄の良さが含まれてるからこそ良く聞こえるんです。だてに年はとってない舞台でした。ダンサー2人の踊りあり、美幸の普段見せないドレス姿もあり、バンドや、照明なども考えると1日や2日では出来ないと思う。MCのトークにしても中身が濃く満足しました。ただお金をつぎ込みすぎてないかなあと心配しました。

 でも余りも仁侠道を良く見せるだしものはして欲しくありません。コンサートの後、吉本のチケットも買いました。当分見納めと思いながらお笑いをも聞きたいと思います。私の一番の夢はこうした芸能界の裏方の仕事をすることです。

 高校3年生の時ある偉い人からこういう仕事をしないかと言われましたがその時から私に目標が出来ました。夢は夢かなえば嬉しいですが、夢は叶わない事が多いものだと思います。これからも夢に向かって努力前向きに生きて行きたいと思います。

16周年目を迎えたブリリアント

世話人  内田里枝

 グループホーム「ブリリアント」を立ち上げてもう16年目になります。 この間いろいろな事がありましたが、ずっと貫き通したしてきたことは「楽しい所であること」です。

 私はお祭りが大好きです。いつも「何か楽しい事ないかな・・・。」と考えています。ですからブリリアントでは毎年「ブリリアント祭り」を行ってきました。これは地域の皆様に精神障碍者を理解して欲しいという思いもあったからです。

 そこで「スターダスト」という寮生のコーラスグループの歌や太鼓を発表してきました。歌を歌ったり演奏したりという事は、楽しいしとても良いリハビリにもなります。それが発展して出来たのが「訪問交換グループ」です。現在、月2回の割合で「知的、身体、老人」の各施設を慰問させて頂いています。日頃の練習の成果をお客様に聞いていただき、喜んで頂いた時の充実感は何にも変えられません。

 こうして寮生達は少しずつ自信を取り戻し、前向きに来たのです。今はほとんど寮生だけでイベントが出来るようになりました。私はただ後ろで彼らの活躍ぶりを目を細めて眺めているだけなのです。

 寮生達がこれまでになれたのも多くの支援者の皆様の温かいお力添えがあったからこそと思います。本当に心より感謝申し上げます。

団塊世代の本音

森下昌洪(一般:岩倉市在住60代)

 我々団塊の世代は、値段とのバランスをして味を追求する。見せ掛けのクリームスープとキャベツの酢漬けのサービスには、絶対にごまかされない。

 オムライスはなんであるかを知っているつもりだ。誰が考えてもケチャップの調合とご飯の炒め方を追求すべきだ。

 余分なサービス料金は必要ないから580円のテイクアウトの値段で勝負して欲しい。キャベツの酢漬けのアイデアは良いが、いちいち「これは、サービスです。」と言わなくてもどんぶりに入れて置いておけば良い。

 たかがオムライスでも、現代を反映しているので、結構考えさせられた。近鉄ビルの地下にもカウンターだけのオムライス専門店が出来たので、一番安いシンプルなオムライスを食べてみたい。余り期待はしていない。

行事報告 平成20年4月~6月

4月

4月  9日 (水) 「ブリリアント」慰問(赤岩荘)
4月 11日 (金) カラオケ大会
4月 12日 (土) “草刈り十字軍”の映画会の手伝い(豊橋市文化会館)
4月 13日 (日) 駒形神社掃除、春祭り、 「ウェラーザンウェル」シンポジウム
                       (東京・一橋記念講堂)
4月19日 (土) 「ブリリアント」慰問、(グループホーム「たけのこ」)
4月27日 (日) 誕生パーティー
4月30日 (水) ブリリアント会議

5月

5月 4日 (日) 駒形神社掃除
5月10日 (土) コロヒラットを知ろう会「寮生 体験発表」(さくらピア)
5月20日 (火) 太鼓の練習「さくらピア」
5月25日 (日) たけのこ採り、駒形の山、小島の山
5月28日 (水) カラオケ大会

6月

6月 4日 (水) 「ブリリアント」慰問(気の里)
6月 8日 (日) 誕生パーティー
6月15日 (日) ブリリアント会議
6月22日 (日) 「ブリリアント」慰問(あかね荘)
6月24日 (火) 太鼓の練習(さくらピア)
6月29日 (日) ブリリアント総会

ブリリアントにご協力いただいた方々

曽我洋秀様、河原正市様、長尾喜吉様、菅谷君男様、森下昌洪様、清水伸太郎様、白井千雄様、位己光児様、太田睦美様、稲地扶美子様、あいトピア様、豊橋善意銀行様、有機デリバリーサービス、東海起業(株)、東海有機(株)

ブリリアントにご寄付くださった方々

マダム芳江様、鈴木明様、万久商店様、河原正市様、小林芳徳様、白井千雄様、兵藤昇様、清水伸太郎様、山口京子様、坂本ヨリ子様、北川藤良様、佐羽尾様、伊藤洋様、山本良美様、鈴木静子様、森下一良様、吉田畜産様、藤原様、夏目様、近藤様、塩谷様、武井様、神谷様、藤井様、川口様、レスポワール様、金原光昭様、金原康純様、赤岩荘様、気の里様、豊橋善意銀行様、有機デリバリーサービス、東海起業(株)東海有機(株)

いろいろとご協力、ご支援ありがとうございました。

編集後記

ネコのシロが最近面白いことばかりして、とても愛くるしいです。たとえば自分からコンテナの中に入って、まるで捨てられた時の原点回帰をするように、じーっとしていたり、かと思うと今度はリラックスルームの風通しの良い静かなところでベローンと眠ったり、さらにはブリリアントの畑に咲くコスモスの中に入り込んだりして、まったりしています。夜寝る寮生の部屋も、Jちゃん、宇野、みっちゃんの3人を交代制でやってきます。もう70歳くらいの老ネコなので今後もトイレ掃除、餌の補充、ネコ砂の交換等をきちんと管理し、シロに嫌な思いをさせないようにこれからも愛してあげようと思います。

宇野和男(寮生43歳)

 梅雨に入りましたが、そのわりに雨が少ない今年の空模様ですが、ブリリアントの寮生は元気に暮らしています。毎朝の散歩も雨降りでない限り続けています。今年は、ブリリアント祭りを八月に行うので、寮生一同今から楽しみにしています。みなさんもどうぞ大勢参加して下さい。

伊藤 剛(寮生46歳)

福祉夏祭り 「ゆかたでおいでん祭」

第16回 ブリリアント祭り

日 時 : 平成20年8月9日(土)
場 所 : ㈱東海起業横 国道23号線バイパス高架下 (県道2号線大崎街道沿い)
       豊橋市大山町字西大山六番地 TEL 0532-45-3271

主 催 :  NPO法人 グループホーム 「ブリリアント」
                     TEL 0532-46-0033

テーマ :  「地域と会社とグループホームの楽しみながらのふれあい 」

内 容 :   16:00  盆踊り
        16:30  和太鼓合奏:希望(のぞみ)+(寮生)
        16:50  スターダスト合唱+独唱(寮生)
        17:10  合唱:希望(のぞみ)
        17:20  式 典
        17:30  シャンソン独唱 (森下昌洪、田中操)
        18:00  ㈱東海起業・㈱東海有機の皆さんによる出し物
        18:30  フラメンコ舞踊 (スタジオ アジュンの皆さん)
        19:00  カラオケ (飛び入り参加歓迎)     
        19:30  花火大会・その後はご自由にお過ごし下さい

模擬店 :  焼き鳥、うずら卵串フライ、若鶏から揚げ、かき氷、たこ焼き、ウズラコロッケカレー、水風船、ソフトクリーム、焼きそば

和風の服装(ゆかた、じんべい、はっぴ)でお越しのお客様には食券をサービスいたします!

○ カラオケ大会に出場希望の方はカセットテープかMDと歌詞カードをご持参下さい。カラオケ曲目1100曲の中から自由に選ぶことも出来ます。

会場への案内
バス :  豊橋駅前バス乗り場 1番乗り場より中野町経由の13デンソー前・14トピー工業前・15大崎・17豊橋ハートセンター行きの4路線に乗り、大山町バス停もしくはハートセンターにて下車徒歩10分。

自家用車:  豊橋駅方面より国道259号線-愛知大学前の富本町信号を右折後県道2号線大崎街道を直進し、ヤマナカ、南郵便局、駒形町信号を通り越し、大山町信号を過ぎて国道23号線バイパスの高架下を左側に入ります。梅田川沿いにも駐車スペースがあります。

第16回 ブリリアント祭り 会場地図

第16回 ブリリアント祭り 会場地図
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