レッツ ブリリアント 2005/11 第22号
発行者
精神障碍者社会復帰施設
特定非営利活動法人(NPO法人)ブリリアント 施設長 内田 秀司
住所 〒 441-8145 豊橋市駒形町字坂口56番地
TEL 0532-46-0033
FAX 0532-46-0163
URL http://brilliant-gh.sakura.ne.jp/
ブリリアントの社会参加
グループホーム「ブリリアント」はいろいろな活動をしております。月に1,2回行っている訪問交歓活動。毎週木曜日の夕食後に行っている「お話会」。これは、外部からの参加者もありいつもにぎやかです。そして、この隔月に発行している機関誌「レッツ・ブリリアント」。最近はそんな活動以外にも活躍の場が提供されるようになりました。この間、カリオンビルで行われた歌の愛好会「ハッピーグループ」主催の「シャンソン&カンツォーネコンサート」では、音響担当とビデオと写真の撮影を依頼され、大活躍でした。寮生全員がそれぞれの部所を受け持ち、終わった後も机や椅子の移動などで貢献しました。
又、小松原町の神社、「進雄社」のお祭りでも、五平餅作りや当日の模擬店の手伝いなどして大変喜ばれ、これは年中行事になりそうな気配です。
このように一般社会にも進出しているブリリアントです。これからも多くの支援者の方達に支えられながら、社会に貢献していきたいと思います。
ウサギの餌取りについて・・・
レッツブリリアント21号でデビューしたウサギの餌取り体験記を書きます。この2ヶ月の間まだ一度も人工のペットフードはやっておらず、晴れの日はブリリアントの近くの雑草地からクズの葉だけを集め、少しの水とともにあげてやります。雨の日はブリリアント農園のサツマイモの葉をあげます。寮生の伊藤さんがインターネットでウサギの飼育マニュアルを印刷してくれて、それに沿って育てています。餌集めと水やりの当番は寮生4人の有志と世話人の内田さんの5人で1週間交代でやっています。今回で2回目に当たる私は、これもまた普段の生活からは、というか健常者の家庭では忙しくてなかなか体験できない貴重な体験をさせてもらえてありがたく思います。朝あげたはずのクズの葉が全くない状態で、「早く餌くれ」と言わんばかりのウサギを見て、少々低い声で「ほら、ごはんだよ。」と集めてきたクズのはをあげますと、何ともいえないウサギから発せられるオーラで「ありがとう!ありがとう!」と感じるのです。人間社会では、結婚、子育て、仕事をこなしきれなかった私ですが、厳しさは異なっても、喜ぶ子供の顔(ウサギ)を見るために狩りの生活をし、「とってきたぞ!さあたべろよ」とまるで父親のような気持ちを味わっています。
私が5歳の時27歳だった今は亡き父が、夜11時くらいに母さんの目を盗んでは、(父の仕事は夜間タクシー運転手だった)焼き鳥をたくさん買ってきて「和男、起きろ」「母ちゃんにしかられる」「いいでおきろ」「どうだうまそうだろ、食っていいぞ」という思い出も、この体験で “親のありがたみがわかる” ようになりました。さて、くずの葉の取り方ですが、これは、朝6:20頃から犬の散歩に出かけるので、ついでに、路肩から始まる雑草林の中に入っていき、いろんな植物のイガイガ種をフリースの服にいっぱい付けながら探検します。そして大体の目安がついたら、朝は忙しいので、すぐには取らず、いつも通り作業所通いをし、がんばって仕事して、ブリリアントに帰ってから、ブリリアントの広場でラジオ体操第一、第二をやって、意識を高め、気分的に「さあ今日も餌取るぞ!」と買い物袋2枚分収穫します。もう殆どの所で乱獲状態で、危ない所や新規開拓かのどちらかです。いずれペットフードを買わなければならなくなる日が来る。と思います。
それまでは、ウサギ小屋のふたを開けたときのウサギの喜びように、自分の過去の喜びをかぶせて感じながら、今日も親父の気持ちにじーんときている・・・現在の私です。
お月見、お茶会、句会
9月18日、十五夜、みんなでお月見とお茶会、句会を楽しみました。暗くなると東の空から赤い大きな月が昇り、秋の雰囲気が高まります。内田さんが本格的に抹茶を立ててくださっておいしくいただきました。ちゃんと作法も教えていただき、神妙な顔で一同味わいました。お茶の後は句会ということで、満月か十五夜をお題に、俳句か短歌を一人ずつ作って発表しました。深まりつつある秋の気配を存分に楽しんだひと時でした。
暑い夜、虫もさえずる夏の夜 竹内艶子
満月と光を競う我が住まい 鈴木光雄
満月の空見上げれば月の中、うさぎもちつき十五夜の夜
暗闇にぽつり大きく光ける、これぞ立派な満月の月 匿名希望
秋深し僕の恋人今いずこ 藤田一夫
親の恩知らずにここまで来たけれどせめて今、月にかぶさる父の顔 宇野和男
十五夜の月よりうれし団子かな
満月の中に浮かぶは母の顔 伊藤 剛
十五夜はおとぎの国の秋祭り、うさぎもぺったらもちをつくなり 内田里枝
十五夜をみんなで眺めお茶を飲む 内田秀司
進雄社の村祭り
平成17年10月10日、去年に引き続き小松原町にあるの秋祭りに行って来ました。ここの村祭りの温かさと裏打ちされた濃い人間関係についてはまたまた感激してしまいました。今回は私たちも、お客さんではなく、前日にブリリアントで小松原町の男性4人とともに作ったブリリアントの五平餅も70本から100本へ増産して持ち込み、テントの中で焼き、味噌をつけました。五平餅100本・・・?と悲鳴をあげたら世話人さんが、「すぐ終わるよ。和ちゃんは炊きたてご飯の半殺しをやればいいよ。」と言ってくれたので、「よっしゃ!」と、コノーコノーとやっていましたが、もっと難しいのは計量はかりで、一本の五平餅用に150グラムの半殺しご飯を正確に100回調節することでしたが、100回とも一発で150グラム、どんぴしゃ。という神業名人さんがいたのでどんどん作ることが出来ました。
さて当日、お天気は・・・残念ながら大雨・・・でも神社の境内でテントをいくつも立てて店を作りました。店といっても全品無料のものです。五平餅の焼き方とかたれの味噌の付け具合なんて何も知らない状態で勝手に作ってました。お客さんは味を確かめる前に、味噌の付き具合で食べる、食べないを決めているようだったので味噌の塗りを両面1回塗りから両面2回塗りにし、さらに表面は味噌がいかにもたっぷり塗ってあるよという細工をして出したところ、どんどん無くなっていきました。12時から1時頃の一時間が勝負だったと思いました。結局100本全部食べていただけました。大人向けにはビールサーバーの樽ナマや、缶コーヒー、子供向けにはオレンジジュースの氷付け。そして食べ物のメインにバーベQ、みたらし団子、五平餅、綿菓子、焼きそば、かき氷、チョコバナナ、など種類も豊富でした。お客さんとして参加させてもらった去年とは違い、自分たちで作った物の店員となり「おいしいですよ!。」などと声かけをしたりしていましたけど、ここまで深く関わる事はブリリアント祭りでもないだけに少し不安だったけど、やりがいがすごく有りました。僕たち以外の店子さんたちは明日からまた、各人会社員とか農業をいつも通りこなすんだなぁ。本当にすごいなぁと思いました。少し考えるだけで自分たちの立脚点まで考えが及ぶ、とても意義深い体験となりました。また来年も参加させて欲しいです。小松原町の皆様「どうもありがとうございました。」
私の一番の楽しみ
私の一番の楽しみは、毎朝通勤用で使用しているバイクです。今までは暑いときも寒いときも自転車に乗っていましたが、体力的には健康そのものだったので、つらいながらもがんばっていましたが、今年の5月からバイクの免許を取るために約1ヶ月もの間、必死に勉強したかいもあり、合格したときのうれしさと、これからの希望もふくらみ、楽しいことがふえてとってもうれしかったです。これもみんなの支えがあってこそであり自分一人ではとても出来ませんでした。たぶん、あのまま自分一人の力でやっていたら、いつまでも試験を受けていなかったし、きっと夢も捨てていたかもしれません。
私の使用しているバイクはHONDAのスーパーカブ(50cc)で、私はかっこ悪いのと切り替えがめんどうくさいという事から最初は抵抗がありましたが、実際に乗ってみると、ものすごい安定性があり、エンジンも新車みたいにしっかりできていて今では手放せない存在になりました。
休日になれば、少しの時間でも遠くの方へ走りに行ったりして何とか乗りこなしたいのですが、まだまだ練習不足で、ちょっと自分でも危ないかなと思いながら乗っています。でも、少しずつ体を慣らすために暇があればバイクに乗って距離を伸ばしています。早く上手に乗りこなすのが私の目標ですが、交通事故だけには気を付けて運転したいです。そのためには、日頃の生活も大事だし、何事も前向きにがんばり、みんなにも感謝の気持ちを忘れずに日々進歩して行きたいです。いつの日か、本当にみんなと心の底から笑顔でお話ができる人間になりたいです。
前向きに生きること
私は21歳で結婚しましたがずっと暗い生活でした。精神科に入院中はそのときのことばかり考えて、ずっと暗かったです。主人とも死に別れてしまいました。
でもブリリアントに入ってから過去のことは忘れたにも拘わらず、五心にある「させていただく奉仕の心」をすぐには思いませんでした。ブリリアントに入った時から三ヶ月以上たち、「させていただく奉仕の心」が今になってつくづく大切に思う様になりました。
また人間一人では生きていくのができないと思っています。
今は料理をさせていただいて楽しい生活をしています。
過去のことを忘れて前向きに強く生きたいと思います。
前向きに生きることは難しいけれど、がんばっていきたいと思います
名鉄自動車整備KK時代に学んだ事
私は高校卒業後、名鉄自動車学校自動車整備科を卒業。その後に名古屋鉄道に入社、その日に名鉄自動車整備KKに出向、昭和44年4月1日の事でした。この年は高度成長期で自動車関係の仕事も花形産業で私の同期も150名程採用されていました。会社全体で1300名ほど、東洋一の自動車整備会社となっていました。今までは縦の制度が確立していて先輩には絶対服従でした。今までは仕事を覚えるのに叱られながらの学習でしたが私の年から3ヶ月見習い期間があり一年先輩の人が先生になり、入社一年で覚えたことを学習する体制で仕事を覚えました。工場長も私の上司としては尊敬できる工場長でした。この一年で、この先輩ならどんなに仕事が増えても(残業)先輩についてゆこうと感じる人物でした。こうした先輩ばかりではなく怒る事で先輩面する人もいましたが、こういう人にもたとえその人が間違っていても激しく反論してはいけないということを覚えました。その人が間違っていても「はいはい」と聞いているとそこに謙虚さが生まれてくることを覚えました。でも後輩から指図されるとなかなか鵜呑みにはなれず自尊心が顔を出すようになり苦痛の毎日でした。どんな会社も嫌われ者がいるもので、結果論ばかり言っている人もいて最初からなんの失敗もなく過ごしてきたのではなくいくつかの失敗もありこの仕事は事故につながるという極めて難しい仕事をしているんだという自覚も教わりました。自動車整備をしていて何が一番大切かというとエンジンではなく足回り、たとえばブレーキ関係です。ブレーキが効かなければ死につながるということです。エンジンが故障しても車が止まるだけです。いろいろ言いましたが行き着くところ人間関係です。
「Toshi 癒しのミニコンサート」
9月も末のある日一枚のFAXがブリリアントに届いた。“「Toshi 癒しのミニコンサートいかがですか」”という内容だった。Toshiといえばかの有名なロックバンドX-JAPANのヴォーカルだった人である。それもボランティアでとある。「えっ、本当かいな?」私は目を疑った。「こりゃ えらいこっちゃ。」ウンもスンもなく、すぐOKの返事を出し、私は手当たり次第に身近な人達にコンサートの誘いの電話をかけていた。 だってコンサートは明日のことで・・・・。何が何だか分からないけれどブリリアントの寮生だけではもったいない話だからである。一人でも多くの人に彼の歌声を聞いて欲しいと願った。
9月25日(日)朝9時にホテルにToshiさんを迎えに行った。どんな華やかな人かと思いきや肩にバッグをかけ両の手にギターと旅行カバンを持ったごく普通の平凡なお兄さんだった。「お荷物お持ちします。」という私の声も聞こえないかの様にサッサと車まで歩いて行かれる。車に乗られるとすぐ、「失礼します。」とジージーと電気カミソリで髭をそり始め、仕上げにシュシュとコロンをふられた。この人がToshiさん。私は何か人間味あふれる温かいものを感じた。
ブリリアントのコンサート会場である地下ホールにお連れすると、寮生達とブリリアントの身内とでも言うべき人達、総勢30人くらいの人たちがスターの登場を待ちかねていた。施設長の挨拶の後Toshiさんの紹介をした。X-JAPAN解散後、ギター一本抱えて「詩旅~うたたび」として全国を巡るツアーをして、コンサートの合間にボランティアでいろんな施設を訪れ、その数3500箇所を超えるそうだ。
いよいよコンサートが始まった。華やかさやお決まりの笑顔も何もない1人の人間がそこにいた。
小さい頃から劣等感に苦しんだこと、名声を得ても心は虚しかった事、さらに心身ともに病んだことなど・・・。いつも自分を見つめ続けてこられたToshiさん。その歌声は優しくもあり、悲しくもあり、暖かくもあり、辛くもあり、・・・、私はその歌にいつしか自分と重ね合わせ心の中で泣いていた。泣かずにいられなかった。会場のお客様、寮生達もきっと同じ思いだったろうと思う。目頭を押さえる人、ススリ泣く声もかすかに聞こえてきた。
一曲終わってもシーンとしたまま、又Toshiさんの語りと歌が続く。
30分のコンサートはあっという間に終わり、CD売り場に長い行列が出来た。Toshiさんは気軽に写真撮影にも応じ、お客様達を喜ばせてくれた。
次のコンサート会場へお送りする道々Toshiさんと自分の過去について、障碍をもつ人達について、今の福祉の情勢について、またこれからの未来について語り合った。「Toshiさん、ブリリアント祭りに来ていただけませんか?」「ええ、一緒にコンサート作りましょうか。」「どうぞよろしくお願いいたします。」
そんな会話を最後に私達は固い握手をして別れた。
限り有る命
先日心臓の病気が発覚しました。その時初めて「自分の命が長く続くとは限らない」と気付かされました。「もしかしたら、今この瞬間にも死がおとずれるかもしれない。」改めて命の大切さを知りました。私の心臓が今まで一度も止まらずに動いていてくれた事、肺が呼吸をし続け、目や手足、口・・・身体全てが私を生かしてくれていた事がわかったのです。
今までは、これからの長い人生をどう生きたらいいのかを考え、心配する日々でしたが、今は、生かされていることに感謝し、一日一日を生きる事だけを考える様になり、気持ちが楽になりました。
そして、今自分が何を一番したいのかという事を考える様になりました。
「あの時ああしていれば良かった」「あの人にこうしてあげれば良かった」等と後悔するよりも、やりたい事をやって失敗してもその事がいつか良い想い出になり、又前に進めると思います。
家族には、「自分の身体を大切にしていなかった為になってしまった病気だから、必ず自分で治すので心配しないで欲しい。」「周りの心配が大きすぎて、やりたい事が出来なくなれば、またストレスで自分を固め心臓に負担がかかってしまうから好きな事をやらせて欲しい。」と頼みました。
今までは自分の事が後回しでしたが、悔いのない人生を送る為に苦手だった『歌』の習い事を始めました。
これからは限り有る命を大切に生き抜く事が、私が子孫に残すことの出来る財産だと思います。
今の私がこうして生かされているのも、全て今までの『出逢い』によるものだと思い、又、これからの出逢いを楽しみに精一杯生きて行きます。有難うございました。
「男と女」
ABCカフェでのシャンソン、カンツォーネライブに、ゲスト出演させてもらった。出席者43人中、男はたったの3名だけだった。僕が誘った、シャンソンファンの男性2名とご夫婦の1名だ。土曜日にもかかわらず、女性ばかりは、日本だけなのか。毎度こんな風だから、おかしいと思われなくなった。ダンス教室も同じ傾向らしい。
こんな事では芸術は育たない。いつも同性ばかりだと、緊張感が無くなり、相手を意識しなくなるから上達もしないだろう。
シャンソンに多い娼婦の歌を女性が同性に歌ったら気持ち悪い。
シャンソンは男と女の観客がいて成り立つ世界だ。
女性が歌う歌を歌詞を変えて男が歌ってもおかしくない。逆の場合もあり得る。90%以上女性客では本当に歌いずらい。偏っていては選曲も難しい。
今後日本でのライブは入場者は夫婦または恋人同士で聴きに来てほしい。
行事報告 平成17年9月~10月
9月 4日(日)駒形神社清掃
7日(水)「ブリリアント」慰問 (なごみ)
18日(日)駒形神社清掃
19日(月)こころの健康フェスティバル「ハート・イン・東三河」
(小坂井 フロイデンホール)
24日(土)「ブリリアント」慰問 (ちぎり寮)
25日(日)癒しのミニコンサート「美しき町へ」 (XJAPAN Toshi)
(ブリリアント 地下ホール)
10月 1日(土)ホーロー看板講演会 佐溝力さん (生活家庭館)
バーベキュー大会 (フリースペース主催)
シャンソン&カンツォーネコンサート参加(カリオンビル)
5日(水)ヨガ教室
9日(日)五平餅作り (小松原町の役員さんと)
10日(月)進雄社祭り参加 (小松原町の神社の祭り)
12日(日)「ブリリアント」慰問(気の里)
26日(水)「ブリリアント」慰問(やしの実)
ブリリアントにご協力いただいた方々
あいトピア様、稲地様、大須賀様、太田様、佐溝様清水様、白井様、杉浦様、杉本様、鈴木様、豊橋善意銀行様平井様、森下様、レスポワール様、有機デリバリーサービス 東海起業(株)東海有機(株)
ブリリアントにご寄付くださった方々
石崎様、伊藤様、稲地様、北川様、気の里様、金原様、小松原町様、佐溝様、シーサイド吉前様、白井様、杉浦様、杉本様、鈴木様、高田様、ちぎり寮様、豊橋善意銀行様、馬場様、平井様、山口様、有機デリバリーサービス、東海起業(株)東海有機(株)
*毎週木曜日PM6:30よりお話会を行っています。一般の方の参加も自由です。ぜひお越しください。
編集後記
今年の秋は元X-JAPANのボーカルtoshiさんのブリリアント訪問、進雄社の五平餅の製造、配布、13回ブリリアント祭りの練習、訪問交歓活動2回、ハートイン東三河などのほか豊川のフリースペースさん主催のバーベQ参加、佐溝さんの広告文化史の講演などとにかく充実してました。私は精一杯がんばり、今手応えを、心地よく感じています。まだ、シーサイド吉前(よしざき)さんの器楽クラブとのセッションや初めて挑戦する和太鼓などどきどきすることがあります。和太鼓に賭ける世話人さんの意欲は凄まじく、専門の衣装まで新調しました。また、ブリリアント祭りの方も本格的な音響設備を使い去年のリベンジをはかりたいです。これからも私達的な生き方に全力投球していきたいと思います。
日増しに秋も深まり、だんだんと寒さがつのってきました。ブリリアントでは、飼っているウサギの餌探しが寮生の問題となっています。これまでは、菜園のサツマイモの葉っぱをあげていたのですが、これも品切れとなり、近所の土手で葛の葉をたくさん集めているような状況です。ところが葛の葉もそうそうたくさんあるものでは無いので、これからの餌探しが難しくなりそうです。冬場をどう乗り切るか、がんばりどころです。