レッツ ブリリアント 2002/01 第5号
発行者
精神障碍者社会復帰施設
特定非営利活動法人(NPO法人)ブリリアント 施設長 内田 秀司
住所 〒 441-8145 豊橋市駒形町字坂口56番地
TEL 0532-46-0033
FAX 0532-46-0163
URL http://brilliant-gh.sakura.ne.jp/
「日本人的発想」について
数年前に「グランブルー」と云う潜水記録を競う内容のフランス映画を観た。世界選手権だったから、日本人チームも出場していた。チーム一丸となり潜水前に準備運動をしてガンバレガンバレとやたらと掛声をかけていた。頭には、日の丸のハチマキをしていた。日本人が世界の人たちを相手に、戦うと必ず、神風特攻隊のように悲壮感を感じてしまう。フランスチームは、リラックスして競技を楽しんでるようだった。日本人は、やたらとガンバルのが大好きな国民なのか。
自分を犠牲にしてまでも国の為、会社の為になれる。外国人からみれば不思議に思われてもしかたない。僕がこの間出演したライブの時も共演したメンバーが先生の元で一斉に発声練習していた。今さらそんな努力をしても、元々声が出ない人達なのだから止めたほうがいい。これもおまじないのガンバレガンバレと変わらない。ただの気休め位にしかならない。
競技やライブ出演する前に、あまり緊張を高めるより、リラックスして緊張を和らげる方が大事だと思う。参加して競技を楽しむ位の余裕が日本人には不足している。
フレンドハウスについて
ぼくは、今はまじめに仕事をやっています。前はねむっていたけど、このはしの仕事はとてもえらくて、つかれます。だるいです。でも今思うとはしを入れる仕事をやると、いやだけど、がんばっています。ぼくは、時間を見て、はやく、きゅうけいにならないかなあと思いました。きゅうけいになったらはやくねられるからです。でも時間ばかり気にしていないで、仕事に集中してます。はしのふくろやはしがおわると気になるから、ゆっくりやっています。ねむたくて、目がすーとするとまた、「テレビ見れんぞ」っていわれるといやだから、目あけてもまたすーとねむたくなる時がある。だから、いわれないように目をあけて、がんばってます。ぼくだって、ビデオがみたいです。テレビが見たいです。いわれないようにがんばらなくちゃとおもいました。
ぼくは、ドライブはいいです。ルモンドもいいです。だって車にのれるし、けしきもいいし、マンガのことでもかんがえられるからはしよりましです。そうじは台所とタオルあらいがいやです。タオルあらいはわからないし、いやです。ひるのきゅうけいは、おなかがすくからおいしいです。ぼくは、昼の休けいのおべんとうは「はあ、はやくごはんにならないかなあ」と仕事中にかんがえています。あと5分だあと思い12時になったなあとおもうと、そのときはお弁当をたべるのがはやくなっちやいます。そうじがおわるとやっとかえれるとおもいました。
はじめは、行く時ブリリアントで、クレヨンしんちゃんの本でもよんだあと朝ゆっくりねて「あ、もう8時半か」と思ったら、車の中でゆっくりもたれられるけど、フレンドハウスについたら車からおりると、たつのがいやでフレンドハウスはいやだなあと思いました。でも、先生がきてやっとねられるかと思ったけど、先生がくると、おきているのがいやになって「仕事かあ」「いやだなあ」やっぱりフレンドハウスはいやです。まんがのことをかんがえると仕事はできます。そう思った。マンガのことをかんがえてなかったら仕事はダウンしてたとこです。ぼくはいっしょうけんめいにがんばります。ただそれだけです。おわり。
かわゆい愛ネコ “シロ” について 「シロ」の近況報告
ブリリアントで飼って1年半になるネコのシロ君は、拾ってくるまでは野生でした。ここ1年くらいで人に飼われるノウハウを身につけた様です。腹をさすってやればゴローンと横になって伸びもするし、部屋で寝る時には枕に顔をのせるようにして丸くなります。
皆さんの家のネコはどんな生活をしていますか? シロは1日中寝てばかりです。休みの日によく観察しているとまず朝、皆が起き出して食堂に集まる頃ローカをタッタッターと走りまわるけど小1時間もすると風通しのよい所へ行きゴローンと眠ってしまいます。そのまま昼まで寝てしまいます。昼過ぎてからも少し水を飲んだり思い立ったようにエサを食べているけど、また眠ってしまいます。本当にものぐさ太郎です。
しかし、野生を発揮する時もあるのです。皆が夕食を食べ玄関に明かりがつく頃になると、玄関先で虫やゴキブリが入ってくるのをじっと待ってます。今すぐにでも獲物に飛びかかる姿勢でじぃっと待ち続けます。そしてゴキブリにとっては悲運なのですが運わるく(?)玄関に忍び込んでくるとシロは素早くツメの一撃を食らわせます。半死半生となったゴキブリは必死にもがくけれどもうシロのおもちゃです。完全に動かなくなるまで弄り回した後バリバリ音を立てて食べてしまいます。
まだ拾いたての頃部屋で舞うガに悲鳴にも近い声を上げて恐れていた頃が嘘の様にたくましくなりました。読者の皆さんの家の猫は、どんな暮らし振りをしていますか?よかったら教えてください。情報交換をしたいと思っています。
ことしの抱負とブリリアント
今年もいい年でありますようにと念じつつこの記事を書かせて頂いています。去年は私にとって試練の年だったような気がします。でも、何とか乗り切れたことに感謝をしています。いつものことですが年のはじめにあまりにも大きな目的(希望)をあげすぎて3~4ヶ月でギブアップするような事が今までに多くありました。ですから去年は、“がんばらない・あきらめない・夢を捨てない” と言う事をモットーに、がんばらない生活で1年を過ごさせて頂き本当に楽しく充実した1年間でした。
今年はもう1年 “がんばらない・あきらめない・夢をすてない” にもうひとつ加えて「人のよろこびをたいせつに」を勤めて行きたいと思います。ひまがあるときはブリリアントの家庭菜園に汗を出している毎日です。なにしろはじめての経験ですので、このあいだハクサイをしばったのですがかぶの間が広かったり狭かったりでなかなか上手いぐわいにはいかないもんですね。大根は思ったよりも太く大きなものが出来ました。今年はレパートリーをふやして数多くの野菜にチャレンジしたいものです。その家庭菜園の手前にはキンギョを飼っています。キンギョ9匹とフナが1匹メダカ20匹くらいいます。去年の秋頃キンギョの赤ちゃんが2匹くらいとめだかの赤ちゃんが20匹くらい見えましたが今は水の中にもぐっていて数はわかりません。春になるのがたのしみです。毎日1時間ほどかけて餌をやっていますがかわいいもので水の中に指を入れると背中をこすりつけておよいできます。冬の間は寒くて大変ですがカワイイキンギョのためだとがんばっています。
まだまだブリリアントにはアイドルがいるよ。猫の “シロ” ちゃんと犬の “パンダ” シロちゃんの格好がまた傑作だよ… あとは次号をお楽しみに。
社会復帰の「社会」とは??
私は国立名古屋工業大学工学部電気情報工学科を卒業し、平成4年4月1日にステンレス流し台で有名な “サンウェーブ” の親会社で1部上場の製鉄会社 “日新製鋼㈱ 堺製造所” に就職しました。勤務先は設備部制御技術課、でおもにシーケンス制御を中心とした製造ラインの電気設備の改良、新設などの机上で設計仕様の作成をし(展開接続図の作成)および工事時の現場監督をしていました。勤務時間は朝8時から深夜2時までが標準でした。それこそ健常者の中で(当時私もまだ発病していなかった。)考え方で言うと弱肉強食のサバイバル戦士でした。このときの社会とは自分のやった仕事に対して100%の完全さと200%の信頼性が求められ、それを次ぎから次ぎへと積み重ねた上でだんだんと昇格していくという、向上・上昇社会でした。
しかし入社1年半のころから工事会社の人達から、私の実力のなさを指摘され始められまして自分でも半導体工学専門屋が大学ではまったく講義されてないシーケンスのしごとには向いてないと思うようになりました。例えば私が設計図面に5㎝の線を引くという事が工事現場では長さ100mの電線を高さ3mの所に施工すると言う事になり、高所作業と感電の危険がつきまといます。また、私が設計したラインがあっちこっちで同時に故障したりと、私を混乱させる出来事なんかにみまわれ、徐々に、被害妄想、関連妄想、不安恐怖症状という精神分裂病になり、目では見えなくても悪魔が常に私を(人生の)失敗者へと周りの人々に深く影響力を及ぼしていると思えてきて、人の発言がまるで私に暴言を言っているかのように聞こえ(私は幻聴、幻覚は一切ない)不安で不安でいてもたってもいられないようになりついに会社の課長が私を医療保護入院の形で精神病院へと入院させました。
それから10年の入院生活が続き、専門の教養は失いながらも、この期間私という人間の本来の姿の反省、そして改善、例えば人間関係において、「自分が技術的にスーパーマンであれば他の面での私の性格上の欠点はすべて許容される」という立場から「私の存在をまず、周りの人々に、楽しく受け入れてもらえる様に存在の立脚点をもっと謙虚なものにしよう!」というあたり前の事が、この病気になってそして社会的弱者となって、はじめて理解出来たのです。
そこでこの “精神的に弱い” が、“人間的に純粋” な、扱いにくい人間が社会復帰しようとした場合、その “社会” とはどのような性質を包含していなければいけないかともうしますと、まず皆様方がこの病を良く理解して頂かなければならない。そして会社の診療所には精神専門のDrを置いていただいて、何時でも休息して良いという理解、それでも仕事はきちんと進む様に別の人にその仕事のカバーをさせていただけるような理解そしてなによりも、わたし達と交わりを持つ事で皆様が心のオアシスを感じて頂けるような相互理解などです。
現実は厳しいけれどこんな社会が実現出来る様に祈っております。
ハーモニカのクリスマス
プープ、プープ、プー。プルルルル。何の歌かなあと思っていると、「緑の森の赤い屋根、とんがりぼうしの時計台…」あれどこかで聞いたことのあるような….ああ「鐘の鳴る丘」だ。最初のは前奏だったのだ。
今日はブリリアントのクリスマス会。ハーモニカを吹いてくださっているのは元くすのき会会長の清水伸太郎さん。娘さんとお孫さん2人を連れての参加だ。毎年ブリリアントのクリスマス会は素晴らしいと自負している。クリスチャンのNさんがお説教をして下さり、皆で賛美歌を歌い、とてもおごそかないいクリスマスだ。今年はそれに花を添えるかのように清水さんがハーモニカを吹いてくださることになったのだ。彼は数年前に脳溢血で右半身不自由の身となった。それまでは熱き思いで精神障碍者の家族会の会長として社会の為に尽くしてくださっていたのだが、動く事もままならない状態になってしまったのだ。どんなにくやしくつらい思いをされたことだろう。しかし清水さんはそんな思いを乗り越えリハビリにリハビリを重ね、ついに車も片手で運転できるようになり、片足動かなくても杖をついて歩けるようになった。どこへでも飛んでいく不屈の精神だ。
それで今ではハーモニカを吹いて老人ホームやデイケアセンターに行って皆を喜ばせている。お年より達を癒している。左手で吹く彼のハーモニカはとってもすばらしい。前奏から始まる。リズムも音程もしっかりしている。どうしてと思ったら昔豊橋交響楽団でトランペットを吹いていたと言うのだ。どうりでセンスいいと思った。
手帳にぎっしりとレパートリーが書いてあって、次から次ぎへと歌が飛びだす。「あんなに吹くと、今にぶっ倒れるよ。」と小学3年生と1年生のお孫さん達が言う。今度は彼女達の出番。3年生のMちゃんは縦笛で「少年時代」を吹いてくれた。驚いた。大人でも難しいと思うのに。続いて1年生のKちゃんがピアノで「亜麻色の髪の乙女」を弾いた。これにもびっくりした。ついでに「ネコふんじゃった」までおまけつきだった。
それからは清水さんと合奏したり息もぴったりで、おじいちゃんをいたわりながら伴奏をいれたりするお孫さんたちの姿に、私は感激で胸がいっぱいになった。なんて素敵な光景だろう。清水さんと彼をいたわるお孫さん達、彼を気遣いながらも、すわるひまもなくお皿を洗ってくださる娘さん。彼女もとってもうまくカラオケで歌ってくださった。
音楽一家の清水さん達と楽しいひと時を過したブリリアントのクリスマス会。最後は彼のハーモニカの伴奏で寮生達も一緒に「きよしこの夜」を歌った。ロウソクの明かりの中で流れるハーモニカのクリスマスソング。こんなにすばらしいクリスマスは他にないだろうと思いながら寮生達も私も幸せな気持ちに酔っていた。
ブリリアント この10年
ブリリアントがはじまり10年の歳月が過ぎました。この間、大勢の障碍者と言われている人達と接してきました。一緒に生活してみていやな事、困った事は多少あったにしてもおおむね私にとって良好な日々でした。友達であったりボス猿であったり、いたわったりいたわれたりお互いにあまり干渉もせずに空気のような存在であったように思われます。
しかしそのなかの誰ひとりいなくても、何か淋しい感じがするのは不思議なものです。グループホーム「ブリリアント」というのは血の通わない新しい形の家族ではないか。核家族とか単身赴任主流の時代に赤の他人が集まって生活をするということは、面白い実験でもあったような気がします。大勢で住む事は経済的に随分と助かります。食事などはまさにそうです。今ブリリアントの畑には、大根、白菜、キャベツ、水菜、ブロッコリー、春菊、ねぎ等が食卓に並ぶのを待っています。玉ねぎ、ニンニク、イチゴ、えんどう達は春の来るのを待ってます。はっさくと甘夏は朝食の生ジュースになります。
肥料は生ゴミとうずらの糞を発酵させたもので、もちろん生ゴミはゴミとして出した事がありません。ウコッケイは毎日卵を産んでくれています。ウコッケイの餌はウズラの落餌を集めてもらい、ただでもらってきますし、この卵の美味しさは格別です。市価1個500円で売られているんですよ。この卵を食べているのだからなんとゼイタクな事でしょう。ウコッケイを畑に放すと冬眠している夜とう虫、キャベツにつく青虫を食べてくれます。ちなみにブリリアントではこの10年間一度も農薬というものを使った事がありません。去年、とうがらしをたくさん収穫出来たので、今年とれるニンニクとクエン酸を使ってブリリアント農薬を作ろうと思っています。ブリリアント農薬を使った野菜なら安心して食べられます。この農場は主に鈴木光雄さんが面倒を見てくれています。
ブリリアントファミリーの楽しみは、10年前に赤い羽の共同募金で頂いたワゴン車のブリリアント号で皆で旅行に行ったり、温泉や海に行ったりする事です。帰りには必ずおみあげがあります。アサリやハゼ、ワラビ、いたどり等その季節季節の自然からの贈り物です。このような生活がいつまでも続けていけたなら大変幸せだと思います。こんな何でもない幸せを、皆にもおすそわけしたいなあと思っています。