レッツ ブリリアント 2001/05 第1号

発行者
精神障碍者社会復帰施設
特定非営利活動法人(NPO法人)ブリリアント 施設長 内田 秀司

住所 〒 441-8145 豊橋市駒形町字坂口56番地
TEL 0532-46-0033
FAX 0532-46-0163

URL http://brilliant-gh.sakura.ne.jp/

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平成13年5月1日発行

ブリリアント新聞発刊にあたって

内田里枝 ブリリアント運営責任者

 ブリリアント新聞。私はこれをどれほど前から夢見ていたことでしょう。とうとう実現する日が来ました。ブリリアントの歴史はまだたったの7年半、しかしその間にも何人の人が入寮し、また出て行ったことか。めでたく結婚し、出て行った人もいます。自分で住む所と職を探して出て行った者もいます。また調子を崩してやむなく再び入院することになった者もいます。

 さまざまな人間模様。私はこれを何か記録に残したいと思いました。少しでも世間の人に、地域社会の人に彼らのことを知ってほしい、理解して欲しいと思ったからです。当事者達の励みになれば、又家族や関係者の方々の参考になればと思い、発行する運びとなりました。末永く可愛がっていただきたいと思います。これはブリリアントの寮生の手作りによる新聞です。彼らが作文を書き、構成し、パソコンを打って作り上げたものです。

「純粋さについて」

森下昌洪 (一般:岩倉市在住50代)

 小林秀雄さんの本で、山下清さんの絵は障碍を持った人の絵だから、芸術作品として認めたくないというような事を書いていた。私はこの文章が頭に残っていて消えない。それでは、小林さんの認める絵とは、世間一般に、常識的に生活していなければならないのか。この事は完全におかしいと思う。世間一般常識に合わせた生活態度の絵からは、芸術性は伝わってこない。こんな非現実的な芸術論は通用しない。ゴッホや強烈な線画のビュッフェや岡本太郎にしても、人間本来持っている素直な心を追求したからインパクトがある。第三者を意識して描いた絵には、何も伝わるものがない。最後に残るのは、その人個人の「純粋さ」しかないと思う。

「飲酒から断酒」

鈴木光雄 (寮生60代)

 私は若い頃から酒が好きでした。ハム工場の職人として27歳まで静岡県三ケ日町に約10年いましたが、その当時は酒の方も飲んでいませんでしたので何事も無く毎日を楽しく過ごしていました。28歳の時、逃げる様に広島へ行きハム会社に勤めました。その頃から酒量が増えだし毎夜のように飲み始めました。半年した頃に北九州に支店を作る話があり、私に行ってくれという事になりました。私に異存などある訳もなく、北九州市に行きました。無法松の一生で有名な小倉の町を見て身体に血をたぎらせました。それからの私は仕事に又酒にと暇もないほどの忙しさでした。3年もした頃には仕事よりも酒の方が大事になりだし、酒酒の毎日でした。

 これではいかんという事で工場長に相談をした結果、退職する事になりました。それから名古屋に来ました。就職先は建設業でした。鳶の見習いを3ヶ月ばかりやり、4ヶ月頃には一本立ちになりました。当時は建設ブームで、朝は早出、夜は残業といった生活で、楽しみと言えば雨が降ることでした。今日は雨降りだと言っては朝から酒を飲み、パチンコに行くと言った生活でした。ある日台風が近付き雨が激しく降っていましたから、いつもの様に酒を飲んでバクチをしていました。酔いもかなりまわった頃にオヤジが来て、「SとT、二人で中央病院の安全旗が倒れているから、今から行って直して来い。」と言われて渋々出かけたことがあります。今と違って31年も前の事ですからコンクリートタワーといって10階建てのビル位の高さがあります。そのタワーの一番上に丸太にしばりつけた安全旗があります。酔いも一度に覚め何とか無事に終わりました。

 今思えば若い私達が朝から酒を飲んでバクチをしたりしていた見せしめだったと思います。それから一年位して1回目の入院をしました。馬鹿に付ける薬はないといいますが,退院すれば又酒を飲むと言った訳で40歳の時に肝硬変の初期だと言われ、今度こそはと思ったもののタバコは止められましたが酒はだめでした。42歳でこれ以上生きていく自信が無くなり自殺しましたが、これも助けられ、おまけに脳内血切で倒れ再起不能と言われました。10年間入院しました。長くつらい10年でした。ここに簡単に書くことは出来ません。

 そんな私ですが退院する時が来ました。グループホームブリリアントへ行くことになりました。私が入院中に院外作業に出ていた会社の寮です。退院して2年程止めていた酒を思い出しました。再起不能と言われ10年間入院していた私が又、ビールを口にしたのです。これではいけない早いうちに何とかしようと思い、4年前の9月、可知病院入院、アルコール依存症として3ヶ月間勉強して退院しました。

 この間は4年間の断酒の表彰を頂き有難うございました。出会いと気づきがなかったならば、今の私はなかったのではないかと思っています。《断酒会は命の次に大切なんや!》と言った伊藤さんの言葉が心にはっきりと残っております。

 豊橋はまゆう断酒会の10周年記念お祝い申しあげます。これからも1日断酒でがんばりたいと思っていますので、皆さん宜しくお願いいたします。

「僕のペット紹介」

宇野昭男 (寮生)

 「シロ(ノラというか、捨て猫)」と出会ったのは岩田公園の池の所のベンチでした。まだ寒い2月の中旬にフレンドハウスへ行ったある朝、ブリリアントの仲間と2人でジュースを飲んで景色を楽しんでいたら、何となく何かがひざの上に乗った感じがしたので見ると首輪のない生後6ヶ月位の子猫でした。

 真白で人なつっこく、まるで「僕を飼ってください」と言っているように思えたので、「いいよ家族になろう!」と、言葉のわからないネコに話しかけたら、運動公園からフレンドハウスまでついて来たので可愛く思い、世話人の内田さんを拝み倒して、やっと飼う事を許してもらいました。

 僕は学生時代にも飼った経験があったけど、これほど出会った日から仲良くなれたネコは初めてです。”かわいい”のは部屋で飼うようになってからもずっと変わっていませんが、ただオシッコや便をベッドで済ますのには困りました。奥さんに「しつけは厳しくね。」と言われたので、ベッドでオシッコをしたら往復ビンタをしてまでしつけようとしたけど、今だにコタツ布団で用を足しています。飼い始めて2ヶ月になるけどこの癖は直りません。根負けしました。でも「シロ!寝るよ!」と声をかけて明かりを消すとベッドの上に乗ってきてゴロゴロ言ってます。その可愛らしさがすべての欠点をカバーしているといっても過言ではないです。

 今ではフレンドの仕事が終わってブリリアントのローカを歩く僕の足音を聞くだけで「ニャーニャー」と甘えた声で鳴いています。30分程戯れてからエサを食べ始めます。(PM4:30頃)それからはなるべく一緒にいる時間を作るようにしてます。寝る前にも30分程戯れています。ブリリアントの僕の部屋がネコの居住地になってしまって、部屋を出て行ってもしばらくすると部屋の前に帰ってきて「ニャ~」と大きな声で、ドアを開けてくれるように鳴いて知らせます。

 毎日ネコに水をやったりエサをやったりすることで、まるで仮想の自分の子供のしているような気になってきて、シロを呼ぶ時には「パパのそばにおいで!!」と呼んでいます。僕と同世代の人々も子供の躾でよくスーパーなどで子供を叱っていますが、そう言う人たちの気持ちも少し理解出来るようになりました。人間とネコと言っても魂と魂のふれあいなんだ。親としての責任をネコから教わっている今日この頃です。この新聞を読まれた皆さんもペットが心を癒してくれるといいですね。

ブリリアント役割分担

寮長:鈴木光雄
美化担当:宇野昭男
機関誌編集長:宇野和男
料理長、音楽担当:高井 宏
畑、イラストレーター:福岡秀樹
生活向上委員、護身術担当:藤田克巳

「私の愛しているモノ事」

高井 宏(寮生)

(1)ブリリアント

 この言葉が問診の時浮び上がってこなければ、今はここにいなくて入院を継続していたかもしれない。はっきりは覚えていないのだが、具体的には保護者と生活保護の承認が得られるか分からないので忘れていました。とにかくブリリアント全部に感謝しています。最近の事柄から言うと地下室修理は自分の持っている能力を100%発揮でき自信へとつながりました。おやめになった管理人さんの坂本さん。入寮したての私を暖かくみつめていて下さり、絵を描くことをすすめてくださいました。絵の具をプレゼントしてくれたのも彼女でした。奥さん。何から何まで寮生に付き合って下さり、母となり姉となり親身にして下さいます。社長さん。私が勝手に戦国武将の織田信長様のようだと思っています。世間から見れば「うつけ者」を大切にして下さって感謝しています。

(2)時をかける少女

 一変してロマンティックになります。高校3年生の春、角川映画を同級生と観に行きました。今で言う「ハマッタ!」です。観たその日と次の日は、今日が何月何日何曜日か分からず、ボーとしたことを覚えています。きっと記憶回路が混乱していたのでしょう。ストーリーを少し書いてみましょう。西暦2600年の未来から生物学者ケン(17歳)が薬草(ラベンダー)を求めて現代にタイムスリップしてきました。高校の理科の実験室で薬を作っていた所に少女が偶然入ってしまい、少女は時間を飛び越える一時的な能力を持ってしまいます。少女は少年を愛します。しかし少年生物学者は未来に薬を待っている患者がいるので帰ります。いつかどこかで巡り会う事を夢見て。

「新しい旅立ち ~退院から入寮まで~」

宇野和男(寮生)

 今年のまだ寒かった頃ブリリアントに兄が入寮しました。僕は入院していたけど外出許可をもらって兄の所に遊びに来ていました。一生入院生活を送らなければ自分の居場所がないと思っていたので、ブリリアントに空室があると聞いても「ふーん」と言うようにしか受け取っていませんでした。病院に戻りいつものように過ごしていると、ブリリアントの責任者の方から一通の便りが届きました。「兄さんも楽しく作業所に通いながらここでの生活を過ごしています。病状も落ち着いてきました。あなたも早くブリリアントで生活できるといいですね。退院できる日を待っています。」とありました。手紙を読んで(何とあたたかい人だろう)(ブリリアントに行きたい!)と思い早速電話しました。「いろいろの手続きの前に先生に退院許可をもらいなさい。後は兄さんが何とかしてくれるから。」との事だったので診察日に先生にいきさつを話し、やっとのことで退院でき無事入寮できました。

 それからもう2ヶ月経ち、今は兄と同じ作業所へ通いながら寮生の皆と家族の様な暮らしをしています。運良く同世代の仲間が4名もいて話題も合い、励ましあったりしながら夕食をとる時は、本当にここに来て良かったと思います。精神安定剤に頼りながらも料理長として(そんな大それたものではないけれど)皆の食事のメニューを奥さんと決めて台所に向かっていると、永久入院を考えていた頃がうそのようで信じられません。ここでじっくり充電して社会復帰出来る日を夢見ながら、一歩一歩(社会)の階段を上がって行きたいと考えています。

「僕の彼女」

藤田克己 (寮生)

 僕は今、仕事仲間のA子さんに恋をしています。まだまだはじまったばかりだけど目指すはgoal inです。初めの頃はガールフレンドとして僕の気持ちを受け入れてくれるのかも不安で、言うべきか、片想いでいようかとずい分考えたけど、偶然2人きりになるチャンスがあって告白しました。

 今では僕の気持ちを少しずつ受け入れてくれていますが、まだ握手ぐらいしか出来ません。彼女の親御さんが厳しい人なので、まだ僕に会ってもくれないけど、一年間ずっと暖めてきた気持ちにA子さんはokをくれたので後は社会復帰をして(それは一言で語れるほど簡単なことではないこともわかっているけど)2人の世界を築いていけたらいいと思っています。

 この記事を読んだらA子さんもっともっと僕を好きになってください。

「ブリリアント旅行記」

宇野昭男 (寮生)

 僕たちブリリアントのメンバー全員は、浜名湖のレークサイドプラザホテルへ一泊旅行に行ってきました。世話人の内田さんをはじめ(あいにく社長さんはお仕事のためお越しいただけませんでした。)管理人の坂本さんのさよならパーティー(3/25日に宮崎の方へ帰ってしまわれたので。)を兼ねたものでした。

 この記事を書いている僕は1月初旬の入所だったし、他に2月下旬と3月上旬に新しいメンバーが来てくれたところで、まだまだ全体的に戸惑いが残らなかったと言えば嘘になりますが、車に乗り込むとすぐ歌の本を取り出して、みんなでのど自慢が始まりました。皆の気持ちは30分と経たないうちにひとつになっていました。

 ホテルに着くとまず食事をとりました。いつも大食いの僕らにとってキレイな皿に少しずつ盛り付けてある高級なコース料理は勝手が違い、確かにおいしかったけど腹の虫は収まりませんでした。次いで2次会となり、みんなのブリリアントへ来るまでの体験談が始まり、文章では表現しづらい悲しい過去や入院生活など、1人1人語り合いながら佳境となったところで管理人さんの訓示があり、メンバーは水を打ったように静かになりました。一番心に残ったのは『自殺を考える人は、自分に責任感がないからです。――責任を持って仕事をし、それを毎日繰り返して人から信用されるようになるものだから弱音を吐かないこと。みんなで頑張って欲しい。』と言うところでした。そして管理人さんの回りにメンバーが集まって記念写真を撮りました。僕たちの宝物です。こんなに立派な方と一緒にいられたこと、一生忘れません。(!!)お疲れ様でした。有難うございました。

 2次会解散後、温泉に入ってあがると、PM11:00を過ぎていました。皆それぞれの部屋に戻り眠りました。2日目は竜ヶ岩洞(りゅうがしどう)へ行って来ました。自然の不思議さと言うのか、神秘と言うのでしょうか。鍾乳洞の中は温度も違い、又ライトアップの明かりだけが頼りの暗い中で、まるで異次元の世界行ったと言う気持ちになりました。あいにく天候が悪くて、あちこち観光に出向くのはやめて、あえて静かな風景のところで何枚も何枚も記念写真を撮りました。管理人さんとツーショットの写真を撮らせていただきました。帰ってくると、ブリリアントは変わらずに待っていてくれていて何か安心しました。管理人さんは今は故郷に帰られてしまって、心の中はまだ少し寂しいですが、いつまでも泣いてはいられません。心の準備となる思い出深い旅行でした。

「スターダスト、ピグマリオンにて」

世話人 内田里枝

 3月22日 それは春風が吹く心地よい日和でした。喫茶店「ピグマリオン」の開店祝いの日です。スターダストのメンバーは、この日のために、毎日必死の練習を続けてきました。管理人さんのSさんの指導による腹式呼吸の発声練習。彼女がピアノでポンと音を出し、アエイオウオアオ~、サセシソスソサソ~とまるで早口言葉のようなレッスンです。その後K君のギター伴奏で歌ったり、CDをかけて特訓したり、練習にも熱が入りました。そして晴れてこの日を迎えた訳です。本番までのあいた時間にお店の裏でリハーサルをしてみました。リハーサルとは言ってもマイク立てたりアンプ置いたりプロ並です。春風に吹かれながら必死に歌う寮生の姿は、緊張はしていても何かしら頼もしく見えました。

 サーいよいよ本番です。台本どうりA君の挨拶から始まりました。「ピグマリオンの開店おめでとうございます。ブリリアントのメンバーによるスターダストの歌を4曲お贈りしたいと思います。どうぞお聞きください。」とてもハキハキと上手な挨拶でした。K君の伴奏による「四季の歌」。「白いブランコ」「さよならをするために」はビリーバンバンも顔負けです。最後に「ロビンソン」をみんなで歌いました。時間の関係上アンコール曲は歌えなかったけど、スターダストのメンバーはホットした面持ちでした。

 その時、このピグマリオンのママさんが管理人さんのSさんにマイクを向けました。「一言お願いします。」Sさんはビックリした表情でしたが「皆様ようこそお越しくださいました。今歌ってくれた子達は精神的な障碍で長い間闘病生活を送っておりましたが、この一月ほど前からブリリアントで共に生活するようになりまして、今日のお祝いのために毎日一生懸命練習してくれました。彼等のこれからの精神的な応援を皆様のお力添えでどうぞよろしくお願い致します。」暖かい大きな拍手が会場内にわき上がり、その拍手に送られてメンバーは退場しました。「やったぞ!」彼等の顔は、一つの事をやり遂げた喜びと自信に満ちあふれていました。彼等にとっても心に残るすばらしい記念日だったことでしょう。

平成13年度ブリリアント事業計画案

4月 お花見 ☆職員研修、当事者研修への参加
5月 駒方神社春祭り参加 ☆家族会、職親会、他施設など関係機関の企画開催のレク活動への参加
6月 菖蒲祭り(賀茂の菖蒲園)
7月 野外料理 ☆ブリリアント祭りを通して、地域住民との交流を図り、理解を得る。
8月 釣り大会
9月 「ハート.イン.東三」参加 ☆神社の清掃、ゴミゼロ運動の参加
10月 磯部校区 運動会参加 ☆その他お誕生日には誕生パーティー
11月 ブリリアント祭り、 〃 駒方神社秋祭り参加
12月 クリスマス会 ☆音楽グループ(スターダスト)による 地域社会への参加
1月 カルタ大会
2月 豆まき
3月 ボーリング大会参加

ブリリアント入居条件

1 自分のことが自分で出来る人。
2 他人に迷惑をかけない人。
3 入居費用の払える人

★ ぜひ一度遊びに来てください

編集後記

 今後、隔月で発行して行きたいと思います。レッツブリリアントをこれからもよろしくお願い致します。

宇野昭男

 神の愛に感謝、アーメン!

宇野和男

 ふっと息の抜けるようなイラストを目指して日々スケッチを描いています。

高井 宏

 とにかく、疲れた。

藤田克己
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