レッツ ブリリアント 2020/07 第81号

発行者
精神障碍者社会復帰施設
特定非営利活動法人(NPO法人)ブリリアント 施設長 曽我 洋秀

住所 〒 441-8145 豊橋市駒形町字坂口56番地
TEL 0532-46-0033
FAX 0532-46-0163

URL http://brilliant-gh.sakura.ne.jp/

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令和2年7月15日発行

コロナの事で学ぶ

曽我洋秀(施設長)

 今年に入って皆様もご承知のように、新型コロナと言う感染症が全世界で流行して、今までの常識が崩れてしまいました。しかしこの中からは学ぶ事は多かったと思います。色々な情報が溢れて、生命に繋がる危ないものもありました。大切な事は自分でも掘り下げる事が必要です。心の病も同じだと思います。犯罪についても同じ事が言えるでしょう。

 残念な事に、自粛のため、家に居る事を強いられ、この時期には、腰痛や肩凝り、五十肩などの血流障害による患者様が多かったです。身体を動かし血流を良くすることは、免疫力を上げる基本でしょう。

身体を動かし血流を良くする

 感染しても血流を整えると重症化しないと言う事も聞きました。これからは免疫力を上げると言うことについても、情報を発信して行きたいと思っています。

 ありがとうございました。

戦争を知らない大人たち

伊藤 剛(寮生58歳)

鳩、平和の象徴

 僕は昭和37年、1962年生まれです。子どもの頃、母に連れられて飯田線に乗り豊橋まで行くと、駅の地下道に、片腕や片足を失いながらも戦場から生きて帰った復員兵の方が、足下に空き缶を置いて立っていたことを覚えています。彼らの白い服と薄暗い地下道のコントラストが、今でも忘れられません。

 明治36年生まれの祖父は、戦前、アメリカの自動車メーカー、フォードが名古屋に設けていた支店「尾張フォード」に勤務していたので、アメリカと日本の国力の圧倒的な差を体感していました。そこで、昭和17年に名古屋から、祖父と祖母の故郷である北設楽郡東栄町に一家で疎開したのです。当時はまだ、それほど戦況は悪化しておらず、家財道具を発送するための補助金を役所が出してくれたり、近所の人たちからはなんであんな田舎に行くの?と不思議がられたそうです。

 目が悪く、貧相な体格の祖父でしたが、8月になってとうとう召集令状が来ました。東栄町から他の2人の方と、ろくに動いていなかったバスと鉄道を乗り継いで、やっとのことで名古屋の陸軍師団司令部へ出頭したのが、8月15日の午後遅く。門のところで衛兵から、「日本は戦争に負けたんだ!」と怒鳴られて、祖父たち3人はすごすごと引き返して来たそうです。

 父は、昭和6年生まれ。小学5年生の時に学校にいると、飛行機の爆音が聞えたので教室の窓から見ていると、低く飛んできた爆撃機の胴体にアメリカ軍の星マークが描かれていました。びっくりした父が担任の先生に「アメリカの飛行機が来たよ! 先生っ!」と大声で呼びかけると、先生は「そんなバカなことがあるか!」と笑ったそうですが、次の瞬間、投下された爆弾が何発も爆発し、父も先生もたいへん衝撃を受けたそうです。「ジミー・ドーリットル中佐」が指揮した昭和17年4月18日の、日本初空襲の現場に父は居合わせたのでした。

 その後、一家で疎開した東栄町には中学校が無かったので、父は新城の農学校へ入り、寄宿舎での学校生活が始まりました。しかし、教室はあらかた兵隊さんの宿舎として使われており、授業は行われず、校庭を掘り返してのサツマイモ作りに毎日かり出されました。下士官さんは、「これは軍事機密だが、サツマイモから飛行機用の燃料を作るのだ。」と言ったそうです。

 ところで、現在の政治家や自衛隊の最高幹部の方々の生まれた年を調べてみますと、

 安倍首相:昭和29年(1954年)、

 麻生太郎副総理:昭和15年(1940年)、

 自衛隊最高幹部、山崎幸二統合幕僚長:昭和36年(1961年)、

 ドナルド・トランプ米国大統領:昭和21年(1946年)、
    (軍や政府の役職に就いたことのない初の大統領) 

 だそうです。皆さん第二次世界大戦の経験が無いことはもちろんですが、自衛隊の統合幕僚長さんが僕より1歳上でしかないことに驚かされます。

 現在、故田中角栄元首相が再評価され、指導力・実行力のあった田中氏の言葉を集めた本がよく売れているそうです(現在までも脈々と続く自民党の金権政治の元祖としての過去は別として)。

 彼は21歳の時に徴兵され、陸軍二等兵として満州で兵役に就いた経験を持っていました。

田中角栄:モチベーションの上がる名言125選というウェブサイトより、少し引用しますと、

「戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは心配ない。平和について議論する必要もない。だが戦争を知らない世代が政治の中枢になった時はとても危ない。」

「官僚には、もとより優秀な人材が多い。こちら(政治家)がうまく理解させられれば、相当の仕事をしてくれる。理解してもらうには、三つの要素がある。まず、こちらのほうに相手(官僚)を説得させるだけの能力があるか否か。次に、仕事の話にこちらの野心、私心というものがないか否か。もう一つは、彼ら(官僚)が納得するまで、徹底的な議論をやる勇気と努力、能力があるか否かだ。これが出来る政治家なら、官僚たちは理解し、ついてきてくれる」

「いいか、演説というのはな、原稿を読むようなものでは駄目だ。・・・・・後略」

「ウソはつくな。すぐばれる。気の利いたことは云うな。後が続かなくなる。そして何より、自分の言葉でしゃべることだ」

 こうした田中角栄氏の言葉を振り返って読んでみますと、今年のコロナウィルスの世界的大流行という危機に対峙して、現在の日本のリーダー、政治体制、行政組織などの危機意識、指導能力、業務遂行能力の無さが、あからさまにあぶり出された気がします。

 また、ミサイル防衛システム:陸上型イージス基地の整備計画の杜撰さには驚かされました。ミサイル基地の用地選定に、実際の測量もせずにインターネットの三次元地図から周辺地形のデータを読み取って、間違った値を算出したなどということは、小学生が算数の宿題に電卓を使って叱られるよりも低レベルの話です。防衛省の担当者は、おそらく一流の大学を出て、難しい試験をパスして職務に就いておられるのでしょうが、果たして国防という重責を担う危機感があるのでしょうか?

 つい先日、結果としてこのミサイル基地の整備計画は中止となりましたが、この事態を受けて、内閣や与党内では、仮想敵国への先制攻撃の議論が始まっています。これは重大な憲法違反です。しかし、日本国憲法という理論だけでは、敵国の攻撃に対して無力である、という意見も、ある面で確かでしょう。しかし、先の戦争における各国への侵略、及ぼした被害を反省し、自国が被った惨禍を痛感して生まれた理想としての憲法には力があると思います。

 アフガニスタンの復興に命を捧げ、銃弾に倒れた中村哲医師は、

「憲法は我々の理想です。理想は守るものじゃない。実行すべきものです。この国は憲法を常にないがしろにしてきた」
と述べています。

 追悼・中村哲氏「アフガンを歩く"日本国憲法"」

また、「この人に聞きたい『中村哲さんに聞いた』」

 という記事では、

 アフガニスタンでの活動について、「向こうに行って、9条がバックボーンとして僕らの活動を支えていてくれる、これが我々を守ってきてくれたんだな、という実感がありますよ。体で感じた想いですよ。武器など絶対に使用しないで、平和を具現化する。それが具体的な形として存在しているのが日本という国の平和憲法、9条ですよ。それを、現地の人たちも分かってくれているんです。だから、政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さない。むしろ、守ってくれているんです。9条があるから、海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。それが、ほんとうの日本の強味なんですよ。」と語り、憲法9条の堅持を主張した。

 また佐高信に対しても「アフガニスタンにいると『軍事力があれば我が身を守れる』というのが迷信だと分かる。敵を作らず、平和な信頼関係を築くことが一番の安全保障だと肌身に感じる。単に日本人だから命拾いしたことが何度もあった。憲法9条は日本に暮らす人々が思っている以上に、リアルで大きな力で、僕たちを守ってくれているんです」とも語っている。

 と、故中村医師の言葉が記録されています。

戦争の無い世界を

 こうした憲法を持つ私たちは、これからの世界の中で、どうやって国を守り、平和を維持してゆけば良いのでしょうか? これまでは、安保条約を結んだアメリカの軍事力の威を借りることでなんとか危機をやり過ごしてきましたが、いざ事が起こった時に、本当にアメリカが日本のためにアメリカ国民の命を賭けてくれるのかは確証が持てません。では、アメリカ抜きで日本を守れるのか? 対米従属一辺倒では将来の平和は守れないでしょうし、かといって、日本単独での国防には莫大な予算が必要となり、さらに他国を圧倒する最新の防衛装備の自国開発は技術的・予算的に考えても不可能でしょう。

 武力に対して武力で応じては、再び先の戦争以上の惨禍を招くでしょう。そこで、危機を回避できる知恵と展望とを持った政治家や外交官による、したたかな外交力が求められます。しかし、歴史を振り返っても、外交や情報収集は日本の不得手とするところです。日米韓、東アジア諸国、オーストラリアなどとの連携が必要なのですが、お隣の韓国とも友好的な関係が築けていません。

 やはり、長期的に見て重要なのは、若者や子どもたちに、いかに先の戦争の悲惨さを教え伝えてゆくか、日本の犯した過ちに真正面から向き合うか、狭い島国独自の考え方に囚われずに、広く多面的なものの考え方をしてゆくかを、教育によって伝え、そして国民全てが常に危機と平和について考えてゆかなければならないと思います。

 ブリリアントでは朝日新聞を購読していますが、毎週「語り継ぐ戦争」という投稿欄があって、戦争体験者の方々の貴重な実体験が載っています。また、豊橋の地方FM局、FM豊橋「椰子の実」では、パーソナリティーの "よっちゃん" こと渡辺欣生さんと、「豊橋空襲を語りつぐ会」顧問の安間慎さんのトーク番組「70年の記憶」という番組が長年にわたり毎週放送されています。

 先日読んだ本に、詩人の石垣りんさんが、太平洋戦争末期、1944年のサイパン島における悲劇をテーマに書いた有名な詩「崖」が収録されていました。この詩を30年ぶりくらいに読み返してみて、改めて大きな衝撃と悲しみを受けました。そこで、インターネットの YouTube で「Banzai Cliff Saipan」というキーワードで検索すると、後に「バンザイクリフ」と呼ばれることになった崖で、日本人女性たちが、アメリカ兵の捕虜になるよりも自ら死ぬことを選び、次々と遙か下の海へと身を投げる記録映像を見ることができました。

 この映像はアメリカ軍が撮影したもので、僕もずいぶん昔に見た覚えがあったのですが、やはりショックでした。

 インターネットのおかげで、昔の記録を手軽にスマホなどで視聴し、読んだりすることができるようになりました。世界中の人たちとコミュニケーションをとることもできます。ネット社会の良い点を伸ばし、利用し、広めてゆくことで、より良い世界、平和な世界を築いてゆく責任を痛感しています。戦争を知らない大人の1人として。

ローマ教皇 広島から警鐘の先は!

杉浦 依和夫(支援者・ヨガ講師)

 ヨガの師である導師に、はるか遠くの、時のローマ法王・パウロ2世から親書が届いた。先生の功績が知られるところとなり「お会いしたい」旨の手紙だったと、師から直接聞くに及んで改めて凄い人だと畏敬の念を抱かざるを得なかった。そして生涯この先生に就いていこうと決めた瞬間でもあった。しかし、会談は行われることはなかった・・・。

 そうして以来、38年ぶりに教皇が来日して核廃絶を世界に訴えた。そして、ロシアに渡り、はじめて原発のことに対して「安全の保障がない限り使ってはならない」と声明を発している。廃炉というカタチで言及してないのが少し引っ掛かるが・・・・。欧米の、そしてアジア圏の諸国はどう感じたのだろうか・・・その心に鐘を鳴らしえるのか、核も原発も縮小から廃絶の道に響いてほしいものである。

 原子力発電も原子力爆弾も同じである。製造技術は同じで、わが国でも原子力爆弾はすぐに造ろうと思えば造れるはずである。有事の際にとか、そのノウハウ技術を売ろうということだろうか。

 最大の武器製造として核実験を止まないのもそうであるが、やはり身近なライフラインである原子力発電所である。電力会社や政府はあらゆる手練を使って言葉巧みに安全性を強調しているが、被爆は脅威だ。

 原発よりでる放射線落下物の危険性は放射能雨と共に生活を脅かすことを前々回に投稿しましたが、さらに厄介なことがある。

 天然のウラン(U)は通常質量数が異なるU238,235、234の3種含まれており、原発の燃料としてU235の5%ぐらいで、U238の90%以上は燃えずにカスとして残る。この残留物をプルトニウムといい、大量にして処分をどうするのか問題である。

 それを "もんじゅ" のプルサーマル(プル=プルトニウム、サーマル=原子炉)で再利用するという。

 プルトニウムはウランの同位体(中性子のみ数が異なる)で、初めて人工的に造られた元素で、中性子を吸収するので核燃料として利用される。発がん性は高く、極めて毒性が強いという。

 我々、人間に限らず生物含む万物は化学式でいえば、水素、酸素、炭素と微量のミネラルで組織されている。内臓も皮膚も原子・分子構造である。電気的にはプラスイオンとマイナスイオンにおける電流のやりとりでジュール熱を得て体温を外気と調節して生きているのである。

 ところが、放射線というの、この分子構造をバラバラにしてしまう、内臓細胞の崩壊である。放射線はα、β、γ線などある。レントゲンなるX線を放射線度1とすると、アルファ、ベータ―、ガンマ―線は20倍である。して、ラドン・ラジウム温泉、CTなど人工的、自然的なものも放射線には変わりない危険なものである。

分子やレントゲン撮影

健康に気をつけて生活します

小柳津昇久(寮生60歳)

 コロナウイルスのため、会社への通勤、日用品の買い出し、散歩以外は自粛生活をしました。血圧が高くて、3月19日から6月3日まで薬を飲んでいましたが、今は飲んでいません。これからは健康に気をつけていきたいです。

 先日、畑でジャガイモの収穫と草取りをしました。

薬をやめました

レッツプリリアントNo80を読んで

M.Sさん(支援者)

天使の歌声、宮城まり子さんを偲んで

 宮城まり子さんがお亡くなりになりましたね。93歳だそうです。大ヒットした「ガード下の靴みがき」という曲が、子どもの頃ラジオからよく聞こえて来たのを思い出します。この歌はゴミ箱に捨てられていた歌詞を宮城まり子さんが偶然見つけ、事務所に頼んで作曲してもらい大ヒットしたのだそうです。

 宮城まり子さんが幼い頃に父親の事業が失敗、さらに母を亡くし大変苦労されたと聞いています。そうした辛かった想いが歌に現れているのでしょう、ちょっと哀しい歌ですが暗い歌ではありません。NHK紅白にも何度か出場し歌っていました。

 宮城まり子さんは私財を投じて肢体不自由児施設「ねむの木学園」を静岡県の御前崎に設立されました(現在は掛川市)。当時は一タレントが日本初の障がい者施設を設立したー と評判になり、観光バスの窓から興味本位に見られたそうです。

 前号に載った佐藤さんの「今の生活」。毎日30分以上散歩されているとのこと、私も近くの公園を毎朝歩いています。もう6~7年になります。歩くと食事もおいしく、朝日を浴びるせいかよく眠れます。先日コースを変えて芦原(梅田川)方面を歩きましたら田植えが始まっていました(例年より遅いように思いましたが、どうなんでしょうか?)。景色を見ながら歩くのは気分もよくなり、散歩は、道具もいらず、お金もかからず、いいことがたくさんあります。散歩、習慣になるといいですね。

 今、新型コロナウィルスで世界中が大変な状況にあります。新聞やテレビは毎日トップで報道されています。感染リスクを抱えながら治療を続ける医療現場の人たちは過度な緊張と不安を感じており、勤務が終わると看護師たちは緊張が解けて涙が出てくるのだとか。今の心配はスタッフに感染者が出ること。それは医療崩壊につながる可能性があり、不安な日々が続いていると言われます。医療現場のみなさん、ありがとうございます。国民には不要不急の外出を控えるよう叫ばれています。一緒に過ごす時間が長くなった家族内に変化が起きています。夫は在宅勤務、子どもは休校、慣れない環境からストレスが溜まり、親や配偶者から暴力(虐待・DV)を受けるといった問題です。外出自粛は傍に加害者がいて相談も困難、居場所がない、逃げ場がない、とさらなるストレスから悲惨な事件などが起きなければと思います。

 先日、町内の回覧板では「三密」を避けようと地区の球技大会、530(ごみゼロ)活動、校区内の廃品回収などが中止なりました。自分たちにできることは実践(協力)をしたいと思います。高齢者施設を訪問する私たちのボランティア活動も只今自粛中です。

最近の生活

白井千雄(寮生75歳)

免許証の書き換えに向けて猛勉強中

 昨年の末から今年になって新型コロナウイルスが流行して、中国から日本そしてヨーロッパ、米国と、世界中に感染加拡大しました。早く収束する事を願っています。

 昨年の夏は熱中症になりそうだったので、今年の夏はマスクをするので大変だと思いました。早めにクーラーを使って部屋の中を冷やし、熱中症に気を付けたいと思います。

 今年は免許証の書替えが有るので、7月中旬頃に認知症のテストを受けるので、テストの練習をしています。

入居して半年が過ぎ

佐藤雅浩(寮生48歳)

 僕がブリリアントに入居して半年がたちました。コロナ禍のため慰問活動などが中止になったり、不要不急の外出自粛が行われたりして、ストレスの溜まる毎日を過ごしています。

 ブリリアントでは畑で色々な野菜などを育てています。週に一度、草むしりなどをしています。それからみんなで映画鑑賞会をしました。映画のタイトルは「ワンダー、君は太陽」で、顔に傷のある少年が、いじめや偏見に立ち向かっていくという話で、とても良い映画でした。

 まだまだこれからもコロナ禍が続きそうですが、早く終息すること願っています。

皆で映画鑑賞

コロナ自粛の日々

理事長 内田里枝

 すべての行事がストップして、目標が無くなってしまったような毎日ですが、それはそれでとても意味があることで、良かったような気がします。行事に追われて細かいことに目が行き届かなかった日々を思うと、今はとても充実しています。防災グッズを整えて、寮生・世話人各自の部屋に置くことができました。この間は避難訓練を行い、ブリリアントの住人全員が防空頭巾を被り、駐車場に集合しました。消火器や火災報知器の位置を確認したり、使い方を調べたりしました。昼食は災害時の食品を試食してみました。水や湯を入れるだけでできる、炊き込みご飯を作ってみたのですが、とてもおいしかったです。

 楽しいこともあります。自粛でどこへも出られない寮生のために映画会を行ないました。パソコンを使って無料で見られる映画を探して鑑賞したのです。「ワンダー、君は太陽」という映画で、皆とても感動していました。夜の反省会で、みんなその映画の感想を語り合いました。

 また、外部からのお客様の出入りはご遠慮いただいており、どなたもゲストはいないのですが、お話し会も「ミニお話し会」ということで、内々で行なっています。月一回のカウンセリングも、曽我先生抜きで、身内だけで行ないました。居室の点検も私と嫁とで行ない、寮生も一応緊張感を持って生活しています。

 今、一番大変なのはブリリアント菜園です。雨が多いのでチョッと油断すると草がはびこり、ジャングルのようになってしまいます。每週土曜日の朝7時からが畑の草取りの時間になっています。きゅうり、なす、トマト、いんげん豆などが、生り出したので草取りは欠かせません。しかし、スイカだけはそろそろおいしくなってきたなと思う頃に、カラスに突かれて穴を開けられてしまうので、カラスに見つからないように草ぼうぼうにしてあります。

 今年の畑の楽しみは「そうめんカボチャ」です。前々から寮生の前田くんが作りたいと言っていたのですが、農協に苗が売っていないので、パソコンで調べ、通販で種を取り寄せました。作ってみたところとても良い出来で、いっぱい実がついて、今から楽しみにしています。もう1つの楽しみはカモなすです。これも農協で苗が手に入りませんが、この間友人の森下さんから電話がかかってきて「今から東海ラジオに友人の大泉さんが出るから聞いて」というのです。皆で聞いていたところ、カモなすの話をされていました。森下さんに「ブリリアントでもカモなすを作りたいと言っていたところなの」と言うと「今度大泉さんに会うから、種をもらってきてあげるよ」と言って、後で種を送ってくれました。 (森下さんはブリリアント祭りでいつもシャンソンを歌ってくれている方で、大泉さんは彼の友人で有名な陶芸家の方です。2人ともブリリアントの良き支援者です。)

 大泉さんが言われるのには「カモなすは発芽がとてもむつかしいけれどやってみて」ということでした。

 そんなわけでブリリアントの住人はコロナ自粛の毎日ではありますが、元気に充実した日々を送っています。

茄子の収穫、防災用品の整備

志村けんさんを偲んで

兵藤なつき(支援者・35歳)

 今年の3月末。予期しませんでした。志村けんさんが新型コロナウイルス感染症による肺炎で亡くなりました。父から話を聞いて知りました。お正月の番組で元気な姿をアピールしていたのに...。悔しくなりました。

 今は通り過ぎてしまいましたが、ブリリアントが率いるスターダストで「いい湯だな」を歌わせていただいたことを振り返りました。志村けんさんが私に、観て聴いていただく人たちを楽しませることを教えてくれたんだなと思いました。

 感染症のことを知って周りにいる人に気を遣って、志村けんさんに感謝したいと思います。

歌う喜び

☆彡 月訓カレンダー ☆彡

鋤本惠美(支援者)

 7月 文月 ―ふみづき―   『人の輪が 人の和に』

  多くの人との縁に生きている私たち。お互いがその重みをかみしめれば、

  縁の輪は きっと 和やかで強いものになるはずです。

    形に とらわれずゆるやかに  

    苔玉のように やさしく やわらかい そんな場所が いい

    こころの 根っこが すーっと すーっと 伸びていく

    

    あたたかな ふれあいの輪が広がって

    笑顔が集まると 和やかになる

    

    重さ......

    深さ......

    じっくり考えてみたい  朝

    

    "人には 悲しみがつきもの。お互いに悲しみを敬いあってはいかがだろうか~"

    帯津良一先生の言葉を思い出す

皆で手をつないで

    ホスピスマインド

    寄り添い あなたと共にいる

    傾聴の姿勢を大切にしたい

    

    今日も あたたかなふれあい 

    「人の輪が 人の和へ」

    そんな 一日が 始まりました。

    

    ありがとう  おかげさま   ( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆    

行事報告 令和2年4月~6月

4月
4/5 (日)花見ドライブツアー(向山公園など)
4/11(土)畑の仕事
4/23(木)ミニお話し会
4/25(土)畑の仕事(夏野菜の植え付け)
4/26(日)ミニカウンセリング、寮生居室の点検
4/29(水)ギョウザ作り
4/30(木)ミニお話し会

ギョウザ作り

5月
5/2 (土)畑の仕事(竹やぶの草刈り)
5/3 (日)駒形神社の掃除ボランティア
5/7 (木)ミニお話し会
5/9 (土)畑の仕事
5/14(木)誕生日会(進二郎くん、伊藤)
5/15(金)畑の仕事、タラの芽の苗植え付け
5/16(土)マスク手作り講習会
5/21(木)ミニお話し会
5/23(土)地震対策避難訓練、マスク手作り講習会
5/28(木)ミニお話し会
5/30(土)駐車場の草取り
5/31(日)ミニカウンセリング、寮生居室の点検、防災用品買い出し

草刈り、お宮さんの掃除

マスクを手作り

6月
6/4 (木)ミニお話し会
6/6 (土)畑の仕事、ビワの収穫、さつまいもの植え付け、玉ネギ収穫
6/7 (日)リラックスルームにて映画会
6/11(木)ミニお話し会
6/13(土)畑の仕事
6/18,25(木)ミニお話し会
6/20,27(土)畑の仕事
6/28(日)ミニカウンセリング、寮生居室の点検

ビワの収穫

ブリリアントにご協力いただいた方々

北川藤良様、鋤本恵美様、澤田竜弥様、杉浦依和夫様、森下昌洪様、曽我洋秀様、佐溝力様、山口京子様、井上浩様、菅谷君男様、兵藤昇様、稲村絹代様、ボランティアグループふれあい様、豊橋善意銀行様、カリオンビル様、豊橋市社会福祉協議会様

ブリリアントにご寄付下さった方々

黒木武秀様、河合邦明様、金原博昭様、天野裕子様、曽我洋秀様、鈴木静子様、北川藤良様、大橋善行様、畔柳恵美子様、井上浩様、藤井様、木下真男様、山本志野様、竹村万知子様、梁川美根子様、進孝子様、金子様、(株)ピュアオフィス矢車草様、(株)造船サービス様、豊橋善意銀行様、有楽製菓株式会社様

いろいろとご協力、ご支援ありがとうございました。

編集後記

 いったんは減少したコロナウィルスの感染確認者が、また大都市圏を中心に増加し始めました。さらに九州や岐阜、長野では大規模な水害も発生しました。まだまだ大雨が降りそうな天気予報が出ておりますが、皆様どうか、お体に気をつけて、自然災害にも対処して頑張ってください。
それと、今回のイラストはすべて、お世話人さんの内田一恵さんが、手書きしてくださいました。とても味のある、良い雰囲気の新聞が出来ました。感謝です!

伊藤 剛

 ブリリアント菜園も今年は、初めてそうめんかぼちゃの栽培を試み、豊作でたくさん採れました。サラダ、酢の物、煮物、いろいろなレシピで味わいました。とても美味しかったです。

内田里枝

そうめんかぼちゃが豊作、いろんなレシピで食べました

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