レッツ ブリリアント 2017/01 第67号

発行者
精神障碍者社会復帰施設
特定非営利活動法人(NPO法人)ブリリアント 施設長 内田 貴士

住所 〒 441-8145 豊橋市駒形町字坂口56番地
TEL 0532-46-0033
FAX 0532-46-0163

URL http://brilliant-gh.sakura.ne.jp/

お問い合せはこちらから

平成29年1月20日発行

明けましておめでとうございます 今年もよろしくお願い申し上げます

施設長 内田貴士

 昨年の感謝祭(クリスマス会)ほど大勢の方々に集まっていただいた会はありません。私は他の用事もあり、少々遅れて到着したのですが、駒形公民館が人で埋め尽くされているのにはビックリいたしました。こんなにありがたいことはないと思う反面、心配も出てきました。

 寮生達のクリスマスソング、ふれあいの皆様によるハーモニカ演奏とグーチョキパーゲーム、すみれ会の方達のフラダンス、そして毎年来て下さっている八田さんと横山さんのマジックショーと、いろんな出し物が登場し会が進んで行くにつれ、料理は十分あるだろうか、ビンゴゲームの賞品の数は足りるだろうかと不安でいっぱいになりました。ペットボトルのお茶や差し入れでいただいたお菓子まで並べて賞品として、何とかビンゴゲームは乗り切りました。

 問題は、曽我先生のクリスマスのお話しのあとで配るクリスマスケーキです。ケーキは3つ。いつもの年なら1つのケーキを12切れに切り分けると12×3=36、これで大丈夫だったのです。ところが今年はお客様の人数を数えたら60人以上でした。仕方なくレスポワールさんがおまけにくださったチーズケーキ2つを8切れずつに切り分けました。これで36+16=52、まだ足りません。しかし、さすがは母です。アップルパイを予備に買っておいてくれたのでそれを10切れに切り分け、何とか間に合うことができました。嬉しい悲鳴とはこのことですね。本当に素晴らしいクリスマス会でした。

因と果

曽我洋秀(世話人・鍼灸師)

 明けましておめでとうございます。今年度の目標として、昨年末に色紙に書いた言葉は、因と果でした。これは物事には原因が有って結果があるという意味です。昨年は生前葬のことなどを書きましたが、亡くなる前に私に会いたいと連絡があって10月、11月とお二人年末にありました。お一人は一年前リンパのガンが見つかり、抗がん剤治療を7回も受けられ、最期まで痛みのため麻薬を使い意識網羅としている時に伺いました。かける言葉もなく、1時間程両手を握りしめて帰ってそれから2日程して亡くなられたと連絡がありました。もう一人の方は1年と半年程前に相談があり、胆道胆管癌が見つかりどうしたらいいかと言われ、なるべく色々な医師の意見を聞いてから決めて見ると良いと助言しました。その後近くの市民病院で手術を受けられ、初期のガンだから大丈夫だと言われ安心しておられましたが、半年くらい経つと再発され後3カ月だと宣言され、また相談に来られ、治療はせずに暖めなさいと勧め、亡くなられるチョット前まで蝋燭温泉に行っておられましたが、お友達が先生肋骨とお尻の骨に肉がないというのを聞いて、奥さんに近いかもしれないと告げてから1週間ぐらいして亡くなられたと連絡がきました。苦しまずに息を引き取られ家族ともしっかりお別れが出来たと感謝されました。

 ガンの相談を受けて標準治療を受けたくないと言う人もいて、リンパのガンを6年間治療している人もいます。膀胱ガンで年齢からして寿命を全うできるよと、助言してもう3年ぐらい経つ人もいます。今の医療は結果だけを取り除ければそれだけで治った様に言いますが、何故ガンが出来たと言う原因をあまり考えてないように思います。精神の病気もそうですが、因と果という事を考えると上手く付き合うことが出来ると思います。

 最期に命の事を他人任せにしないよう勉強して頂きたいと思います。推薦する本を2冊書きます。

 ○医者の私ががん検診を受けない9つの理由 岡田正彦著、三五館

 ○病気の9割は歩くだけでなおる! 長尾和宏 山と渓谷社

 皆様の健康をお祈りし、年始の挨拶といたします。

ダイエットと体力増強、その後

伊藤 剛(寮生54歳)

 前回のレッツブリリアント第66号で、ダイエットと体力増強を始めたことを書きました。今回はその続きをご報告したいと思います。9月5日から始めたのですが、おかげさまで、83kgあった体重は順調に減少し、12月31日には、72.8kgまで減りました。当初の目標は75kgだったので、それはクリアーしたのですが、BMIを計算してみると、理想的な体重は70kgとなりました。そこまでこの調子で減らして行きたいと思っています。

 日常生活の中に運動を取り入れようと、9月下旬にスポーツ用の自転車「クロスバイク」を購入し、片道25分の通勤に使っています。平地では快適に走ることができますが、柱八番町あたりの坂道では、変速ギヤでペダルを軽くしてもゼイゼイと息が荒くなります。太腿の筋肉がだいぶ鍛えられました。10月頃は自転車通勤に最適な気候でしたが、今はとても寒いです。でも、会社に着く頃には体がポカポカと温まります。これからも交通事故には十分注意して、体に良い自転車通勤を続けて行こうと思います。主治医の先生からは、体重を減らさないと痛風になる可能性があると言われていたので、それも動機付けになっています。

 冬場になってからウォーキング、スクワット、腹筋運動などを少しサボっていたので、新年からは再び毎日行うようにしています。4月に発行するレッツブリリアントでは、目標体重70kgを達成したと報告できるように頑張っていく所存です。

伊藤の体重の変化(9月10日から12月31日)

伊藤の体重の変化(9月10日から12月31日)

'17新春カルタ大会振り返り

兵藤なつき(寮生31歳)

 皆さん、新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 私は、昨年の大晦日から今年の元旦の午後まで実家に泊まり、父とともに富士山のながめられる所まで初富士をながめてから、ブリリアントに戻りました。

 この日の目玉であって、私がイヤだと思える坊主めくりとトランプのババ抜きを行う時間が参りました。私は、嫌な気持ちを押し殺すことが出来ず、まわりの人にも伝えないと滅入りたくなるから、始まる前に「ババ抜きイヤだ!」ってハッキリ言いました。

 なぜかというと、5月の誕生会で私も主役だったとき、ババ抜きをやったんですよ。ババを引いたと知ったとき、私が敗者になったとき、まわりにいる人を不愉快にしたくなったり楽しむ雰囲気を壊したくなったからです。そして、前回の新春カルタ大会のババ抜きでババを引いたら感情を出してしまえ!って良くない顔つきを自ら表したら父から「うるさい。すぐ顔に出すんだから!」と呆れさせたからです。だからです。

 話を戻しまして、私が嘆いたことに父が「乗り越えたくないのか?ババ抜きは修行だ」と背中を押しました。私は抵抗することも逃げることもできなくなりました。

 最初はやだなと嘆いたのが機嫌良くなりたくなかったのが、いつの間にか安全にゲームをしたくなりました。

 坊主めくりは、ハラハラドキドキしたくなりました。ゲームを進めながら奥さんが優位に立ってもめくった札が坊主だったら全て失わせると説明しました。私も私たちより優位に立っている人の様子を観察せずにいたくなりました。そっとしておけなくなりました。私も優位になりたくないと考えました。ババ抜きも覚悟をしなかったら前回と同じようにまわりの人たちを不愉快にしたくなりました。結局私が敗者になりました。七並べを始める前、リベンジもしたくなったけど。あきらめなかったら冷静さを取り戻したくなくなりました。

 自分やまわりにいる人たちの安全を考えず、自分にウソをついてゲームに参加したり盛り上げたら、私は純粋に楽しむこともできなかったし「楽しかった!ありがとうございました。」という話も聞けなくなりました。

冬のブリリアント畑

白井千雄(寮生71歳)

 秋に種蒔きをしたニンジンが育った。間引きをしたニンジンを奥さんが天ぷらにして食べたら、甘みが強かったので良かったと思いました。大根、ブロッコリー、キャベツ、そら豆等が植えてあります。今年の目標は、5月頃からショウガを植えて育てたいと思います。ショウガで体を温めて元気に暮らしたいと思います。

尿酸値

藤田一夫(寮生67歳)

 2016年12月初めに、毎年のことながら、痛風に似た病気が出た。この病気がこの年になぜ起きたかということだが、ある人は歳だと言う人がいるが、私はこの病気は30~39歳までがピークで、私の今の年齢に出る病気ではないということ。この年齢で病気が出れば知らない人は納得するからだ。この病気を詳細に言うと、血液検査をすると尿酸値の項目がある。野生動物に比べると人間は2.1~7が基準値で、真ん中をとって5とすると、動物は0.2とか0.4で、ゼロに近い。人間が尿酸値が高いことである物を得た。尿酸値を2.1~7と書いてあるのは尿酸値が適度になければならないと言うことだが、尿酸は抗酸化力が高いので、体の中の炎症を抑えるようなことがあって、それで寿命が長くなった。抗酸化力を手に入れたことが、人間が進化する上で非常に意義のある大きな出来事だった。

 私が高尿酸値で、尿酸値を下げたのは牛乳です。何らかの原因で、尿酸がたまり、出してない恐れがあるようで、なぜ牛乳が良いのか。牛乳に含まれているカゼインが胃腸で分解されてアラニンに変わります。このアラニンが腎臓の扉を開けて尿酸を排出する手助けをするらしい。低脂肪牛乳が良いのは太らないこと。肥満になると体内に溜まったインスリンが邪魔して、尿酸を排出しないからで、肥満が原因とわかった。なぜ毎年12月初めに病気になるのか、それはお世話人さんの料理を食べた後、出される饅頭、要するに春夏秋に出なくて、この時期に病気になるのかは、糖分によって肥満が出るしくみがあったことを突き止めた。この時期、甘い物を出されるままに食べていた。一年中糖分を摂らなければ病気にならないのだ。私は病気になった時、動けなくなってとっさに思ったのは、この原理は知らなくても、とにかく牛乳(低脂肪)を飲むことと、動けなくとも大便・小便・ガス、出すものすべて出したら徐々に回復したのだ。

4年ぶり晴天のブリリアント祭り

野外音響担当 宇野和男 (元寮生51歳)

今年のブリリアント祭りは11月13日なのに、雲ひとつない快晴で、ランニングシャツとポロシャツ1枚でも汗だくになった。(PAスピーカーと音響機器の間を何回も走った)

晴天になることは週間天気予報でかなり現実味があったがこんなに暑くなるとは思ってなかった。観客席でも日よけのかさが2,3本立っていた。

また、前日に屋外会場作りに、磯辺小学校に、机、いす、を借りに行き、男性寮生(4人+私)だけでトラックに運んで、運転も大型免許を持つ寮生 白井千雄さんが運転された。もう70歳を超えているのに・・・・彼しか頼れない・・・すごく謙虚な人だが実に頼りになると思った。

出し物の充実振りはすばらしくフラダンスとフラメンコ、シャンソン、ピアノ独奏、オカリナグループなど寮生のコーラスグループ”スターダスト”以外の出し物がひしめき合っていた。

受付や食品販売もひとえに理事長 内田里枝さんの家族、といってもいいくらいの深いかかわりのある方たちやボランティアの高校生で、僕の在籍していたころの趣とはまた違った、フレッシュなお店の出展だった。焼き芋を作る機械で1200wなのに7A=700wまでしか対応してないコードリールを用意してきたので音響用に用意した2個の15Aのコードリールと1つ交換してあげたりもした。

僕は東海有機特許の大きな鶉(うずら)「こりゃくえーる」の焼き鳥とソーセージの豆炭あぶりを食べた。社長の内田貴士さんからじきじきに作っていただき感動した。

 溯ること11/5の土曜日から僕は始動した。機械の数も多いので電源の数や電流のA数もよく考えた。電子ピアノ独奏のめには部品調達のため2軒のカーマホームセンターをはしごして、9メートルのRCAピンケーブルも作ったし、フラメンコギターをモノラルフォーンのライン入力で対応することも覚えた。途中水曜日くらいに少しばてたけど晴美と食べた家庭の焼肉で乗り切った。僕は、音源の変化とともにPAスピーカーからの音を実際に聞き、何度も2台のミキサーのトーンを調節した。highをマイナス10~15(dB)とするのは家庭用オーディオと決定的に違うことだった。あとエコーのon offにも気を付けた。 僕はもう5年間マイクスタンドをさわってないので手早いマイクスタンド設営は司会の伊藤さんに頼みました。助かりました。

 僕の考えた絶対ハウリングのおきない2重回路とは、1つの音源に対しミキサー上で2種類の音源にし、(rec out, st out)パワーアンプを別々に2台、スピーカーも別々2組4台使い、ステージ上の人に向けたマイク信号なしのハイファイステレオ音2台と、観客席に向けたスタンドスピーカーへの全信号のPAレベルの音2台だった。ここにミキサー2台の連携が生きた。終わってみると、当たり前の技術だがこれを思いつくのに1週間かかった。 

忘れてはいけないのは豊橋善意銀行様から毎年来てくださっているボランティアさん達で、もう顔なじみになった。 僕が担当した音響機器に近づいてきて、「好きだな お前も・・・おお?」と和む笑顔は最高の宝物だった。

 妻の晴美がアロママッサージをやってたので、出張サービスのときは応援しに近づいたが午後は意外と繁盛してたので(やったな 晴美!)と目でYELLを送っていた。

 全部が終わって機材を解体しブリリアントの音楽室に運び、すぐ使用できるよう再び室内用に組直した。これには兵藤なつきさんや妻の晴美に助けられた。

僕も大成功だったが皆それぞれ大成功で達成感に酔いしれたと思う。(とても疲労したが・・・)(大変だったのは男性寮生で特に伊藤剛さんは一人四役,五役で一番貢献されたと思う)

 現代は100人に1人が精神病になる時代である。これからブリリアントはより大切な存在になると思う。ブリリアントの生みの親の一人であられる今は亡き吉川先生のご夫人もみえていた。僕はほんの少しの思い出話で泣きそうになった。天国からは先代の施設長も見てたと思う。でもきっと満足していただけたと思います。

ありがとうございました。

「病気は素晴らしい」とテレビで発言された小説家の伝えたいところ

再生陽気(当事者で二十歳前に発症)

「病気って素晴らしいですねぇ~っ!」

ある人気小説作家が若くして心を病んでおかしくなってしまった経験をもつ若い女の子たち二人とのインタビューで語った言葉でだったように覚えています。

この発言を当時テレビのインタビュー場面で見ていた私は耳を疑ったのを、ひどい疑問が生まれて以来ずっと忘れられません。

女の子たちはきっとひどい目にあっただろうし。周りの人たちへもひどい目に合わせただろう。インタビューで語られた女の子たちの会話や様子を聞きながらすぐに目に浮かびます。

さて作家さんがIWGPと略されるほど人気を得た小説「池袋ウェストゲートパーク」シリーズの生みの親であることや、耳にするドラマや映画の原作者で見かける有名人なんだろうぐらいでインタビューされているかのようでした。放映中の当時の時点の印象でした。

後で気になって読んだ小説の「IWGP」がテレビに映る作家さんは極めて温厚というような印象がとても女性的でテレビと全くかけ離れていたので、わたしはひどくギャップに驚いたくらいです。乱暴な世の中を鋭く描いた作品と、テレビでのインタビュー場面での言葉遣い、やさしい目線の送り方などとイメージからずいぶん違っています。

作家「石田衣良」さんは数年にわたる引きこもりから回復したと打ち明け話もありました。二人の女の子たちがそのおかしくなってしまった様子を聞いた上でまるでため息をつくかのようにすごいですねと感心したかの口ぶりで、

「病気って素晴らしいですねぇ~っ!」と微笑みながら深くうなづいた様子だったから、この人こそおかしい!と私は当時からずっと耳に残って離れなかった。この気持ちのモヤモヤはずっと消えませんでした。心を病んでおかしくなってしまった。どうおかしくなってしまったのか?その様子や発症した背景は人それぞれです。社会人になっても鬱などで苦しみます。

さらに思春期から大学受験あたりで頭がおかしくなってしまった人がわたしにも、わたし以外にも少なくないのです。病気は結構悲惨なんですよ。

それを素晴らしいですねと当事者とは違う人気作家がテレビの前でなんて無責任で軽率な語り調で感心している!病気が素晴らしいなどと何を根拠に言えるのか?

自分の意思を伝えられない多くの苦労を社会でからかう風潮にさえ、わたしは許せないと投書し紙面にも掲載されました。それは今も変りません。なのにこの文章を書いているうちに自分が矛盾しているような気がしてきました。

薬を飲んで心を病んでしまったためにひどくろれつが回らない状態で苦しんだ私はおかげさまで助かりました。それは心がやんでしまうことは並大抵のつらさではないですよ。

でも、心を病んでしまった後で随分と成長できたことも少なくありません。

「病気って素晴らしいですねぇ~っ!」そんなわけはないとも言い切れますか?

このブリリアント新聞でも病気とはそもそも心を病んでいることがいかに偏見と思い込みで複雑になっているかをもう一度見つめなおし、病気にならないような生活とは何か様々な意見が提案されたり、分析されたりしています。

どうしたら心を病んでしまっても大丈夫なようになれるかを、書いている私も含めこの新聞ブリリアントを愛読しているわけです。

「病気って素晴らしいですねぇ~っ!」

しつこくこの小説家さんの言いたいことがわかってきたのは実はここ最近のことです。誰もが一度は聞く四文字熟語で一病息災ともいう言葉があります。

病気をすることで災いが止まるというような意味らしいですね。息とは鼻の形の自の漢字と心の文字から成り立ち、呼吸をする意味とは少し違っていたことに驚いたばかりです。仏教用語でおなじみ四苦八苦の四苦に生まれて老いていき病気になること死ぬことからは避けられないと有名な言葉があります。

薬がよく効くようになれば、遺伝子治療がさらに進歩すれば、病気は本当になくなりますか?

病気から人の生きる姿を謙虚によく学ぼうとする小説家だと、まるで目からうろこが落ちたかのように石田衣良さんは思わずそのように病気って素晴らしいという言葉が漏れたのかもしれません。(私の勝手な推測です。)

寛解し何とかずっと苦しみつつも自分の病状を屈託のなく打ち明けたインタビューの放送。そこから何か心が動かされたのがわたしにも納得しかけているようなんです。

紙面が足りなくなってきました。(また次回続きが書けたらまたお会いしましょう。)

誕生会について

深田和央(寮生59歳)

 私は、去年の12月10日にブリリアントに入寮しました。そして、私の誕生会が12月26日にありました。私が生まれたのは、昭和32年12月19日です。ブリリアントのみんなが私の誕生日を祝ってくれて、とてもうれしかったです。みなさんどうもありがとうございました。

なりたい自分は自分の一歩から始まる

宇野晴美(アロマハンドマッサージ師 39歳)

 私は10/24にアロマハンドセラピストという資格を取得しました。せっかくの資格、ぜひ活かしたいという思いからブリリアント祭りで”アロマハンドマッサージ”を行いたいと内田さんにお願いしました。スケジュールがギリギリではあったが快くOKしてくれました。

 もちろん先輩セラピストさんにも相談しました。「経験をつむことは大事ですよ。参加させてもらえるならがんばりましょう。」「なりたい自分は自分の一歩から始まる。」「初心者だからという甘えは禁物です。誰のためのマッサージなのかよく考えましょう。」「一人では難しいのでは・・・・?。」

 などとアドバイスをもらって自分に挑戦する気持ちで”やろう”と決めました。

次の日から私なりの努力が始まりました。

職場にアロマオイルを持ち込んでは何人かにマッサージの練習をさせてもらったり、ブリリアントの寮生の白井さんと藤田さんには何度も練習させてもらい大変お世話になりました。主人とは言うまでもなく毎日練習しました。

 お祭りの当日までに”やっぱりやめる”とくじけそうになったけれど自分に負けたくなかったので”やっぱりやろう”気を取り直して内田さんに再びお願いします”と申し込んだ。前日になると緊張したが、当日、たとえ残念な結果になっても大丈夫。ここまでよくがんばった!がんばった!今日まで準備してきたことを大切にしたいと思いました。

 当日になると案の定誰も来ませんでした。やっぱりな、と思いました。なのでこちらから客席に出向いてお願いをして出張アロママッサージをしていました。

 午後になるとお客さんが来てくれました。びっくりしました。ボランティアの高校生も、シャンソン歌手で出番を控えていた森下さんも来てくれました。 また、オカリナ演奏をしていた仲良し3人組も来てくれました。ほかにもいろんな方々が来てくれました。

 自分自身の経験不足、技術の不足を申しわけなく思いました。それでも皆さん笑顔でお話をしてくれて楽しかったです。元気をもらいました。

 とてもよい経験になりました。お天気にも恵まれて有意義な一日となりました。

ありがとうございました。

我が町の歴史を探る

杉浦 依和夫(支援者・ヨガ講師・68歳)

 吉田城主の牧野一族が岡崎の松平氏に滅ぼされた地が、世に謂う“吉田下地の戦い”の場で、私が慣れ親しんだ町だ。

 下地と、津田・大村の町と駅を繋ぐコミュニティバスが市主導で年始めから運行開始した。これは、鉄道・バスに不便な高齢者の足となるべきに立ち上げられたものだ。私も運営委員として見守っていますが、しかし、この地だけの人では乗降者も伸びないので、各方面からの乗降者を呼び込むよう模索しております。

 “牛川の渡し(大村町と牛川町を船頭舟で繋ぐ)”と、“魚市場”ぐらいしか知られていない地である。

 イベントを起こし、楽しみ処、食事処のみならず、歴史ある建造物への巡回マップを作るべく歴史を研究することになったわけです。

 ここ三つ町は、旧東海道と1号線が東西に貫き、豊川と豊川用水に囲まれた町で、“川北地区”と呼ばれている。その昔は、下河地(=下河の地という意)と称されて、下地と改め、その後、三つの町に分かれ変遷してきた。田園地帯で低地であったので、よくよく雨で浸水し通行止めになったのもついぞ昔である。

 戦国の世にあって、豊川の氾濫によって三町を水浸しにさせたのも治水管理上の深謀遠慮があった。大村町は“霞堤”が本堤防の内にあり、別名“二重堤防”とか“乗越堤防”などと呼ばれている。溢れた河川は、貯水として農業用水に活用される。全国的にも珍しく、金沢、静岡や山梨の河川にあるものは武田信玄時代のものか、“信玄提”と称されている。

 川北地は海抜3米、対岸は1~2米の城下町傘下の商人町だ。交通・産業の要衝である船町・北島町・湊町を洪水の害にさせるわけにはいかない。そのために大村の堤防を崩し決壊させたのである。百姓農家もおおわらわであったろう。しかし、この水は山の養分を運ぶ恵の水でもあった。これによって、数年は石高があがり豊作になった。一説には年貢の取立て、納め側の双方が謀反の罪とかで首を刎ねられており、その方々を敬い神として未だ手厚く祀っている神社もあるのだそうだ。

 霞提・崩し提の痕跡、祀られている謂われを掘り下げてみて、いつか物語りをと思っているが、まずは、バス線に沿って気軽に立ち寄って、飲む・食べる・散策コースを図り、そして歴史ある古刹の風趣を盛り込んで老若男女が楽しめるマップを造りたい。

 皆様方、是非、スマイル号に乗ってお越しください。われわれがスタッフガイドとしておもてなし致しますことになろうかと思います。「とよはし広報」にイベント情報を記載予定です。

 そうだ、芭蕉が立ち寄った寺も東海道沿いです。乗って歩いてカフェはいかがでしょうか。

♪~お日様の言うとおり~♪

By えくぼ (*^_^*)

お日様が、「好きに描いてごらん」~と言ったから

真っ青なお空に、絵を描きました。

好きな色で描きました。

とても楽しいお絵かきでした。

       ある日、ほんわか雲さんが来て、

       優しく声をかけました。

      一緒に楽しみました

      一緒に笑いました。

でも・・でも・・・そのうち、雲さんは

あれはなあに?これはなあに?

と聞きました。

      そして・・そして・・・そのうち、雲さんは

      こうしたら?ああしたら?

      と言いました。

最後に・・最後に・・・雲さんは

それはおかしいよ~ それは違うよ こうだよ 

と言いました。

     雲さんは、だんだん、でんでら雲になりました。

     そして、たくさんたくさん雨を降らせました。

     お絵描きができなくなりました。

お日様がせっかく「好きに描いていいよ」って言ったのに・・

描いた絵が真っ黒になりました。

    悲しくて、悲しくてお日様のところに行きました。

    お日様は「だいじょうぶよ~なかないで」と言いました。

    お日様に魔法の筆できれいにしてもらいました。お日様は、やさしく微笑んで「好きに描いてごらん」~と言ったから

真っ青なお空で、また、お絵描きを始めました。 ☆.。.:*・°☆.。.:*・°

      今年もたくさんの“幸せ顔”に出会えますように~

      身も 心も 軽やかに 健やかに 過ごします。

      みなさまとのご縁をいただき、ありがとうございます。  

鋤本 惠美~☆彡(支援者)

第23回ブリリアント祭り〈晴天に恵まれ野外コンサート大成功〉

理事長 内田里枝

 このところ4回も雨にたたられていたブリリアント祭りも、5年ぶりにやっと良い天気に恵まれた。「夢じゃないかしら?」私は思わずほっぺたをつねってみた。小物作りを担当してくださった牧野さんが打ち合わせに来られた時、「いつも雨にたたられてねぇ…」と話をすると「大丈夫です。晴れますよ!私は晴れ女ですから!」と自信たっぷりにガンと言い放った。そのエネルギーたるやすごかった。それ以来、私も何か当日が晴れるような気がして少し気持ちも楽になった。

 晴れるとそれはそれで大変で支度が大がかりになる。今まで公民館の中でチンマリと行っていたのが野外コンサートになると、舞台作りから始まり、客席作り、模擬店やバザーの会場作りがある。寮生達やボランティアの方々に必死に準備をしていただいたが、アッという間にお客様の来られる時間になってしまった。私は朝から怒鳴りっぱなし、走りっぱなしで、もう1人自分の分身がいたらなぁとつくづく思ったものだ。それでも手落ちはいっぱいで反省もしきり。

 今年は一昨年亡くなられた吉川武彦先生の奥様が東京からはるばる来て下さり、開会のご挨拶を頂いた。さすが吉川先生の奥様、スマートで優しく愛にあふれていた。先生の大好物だった焼きイモを買われ、「帰ってから仏壇に供えます」とおっしゃった。

 受付とくじ引きコーナーは、ふれあいのボランティアさん。ブリリアントがいつもいつもお世話になっている支援者さん達、本当に力強い協力者だ。彼女たちのおかげでブリリアント祭りも何とかなっている。

 桜丘高校のボランティア部の生徒さん達と顧問の先生も、6人来て下さりバザーや模擬店を手伝っていただいた。毎年好評のレスポワールさんのアップルパイのコーナーで、コーヒー付きで販売していただいたり、今年初めての輪投げコーナーでも頑張ってくれていた。若い人達のエネルギーがお祭りをいっそう華やかにしれくれたように思う。

 頼みの綱の豊橋善意銀行のボランティアの皆さん。もう長いお付き合いだがいつもいつもブリリアント祭りを盛り上げてくださって感謝の言葉もない。でも今年、毎年必ず来て下さっていたご夫婦の姿が見えなかったのがチョッピリ淋しかったし気がかりだった。

 グループホームたけのこさんもいつも参加して下さり、おばあちゃん達の編んだ毛糸の帽子やマフラーが大人気。これを買うのを楽しみにしているお客様も多い。今年は鉢カバー等も出品され、所狭しと賑やかだった。

 今年初めての参加が、農業大学の学生さん達による生鮮野菜と焼きイモのコーナー。売れ行きがどうだったのかチョッと心配だったが、野菜は全部売れたと聞いてホッとした。後で焼きイモをいただいたがとても甘くて美味しかった。

 小物作りも今年初めての試みだった。何か子供達の喜ぶものをと考えていたところ、支援者の澤田さんから牧野さんを紹介していただいた。どんな風になったか心配していたが、いつも人が途切れることなくお客様が来て下さっていたようだ。そういえば吉川先生の奥様も楽しんでおられたようだった。

 宇野和男君夫妻も頑張ってくれた。音響にかけてはプロも顔負けで、ブリリアントのイベントには無くてはならない人。本番の一ヶ月くらい前から何度もブリリアントに足を運び、野外コンサートを成功させてくれた。奥さんもアロマハンドマッサージのコーナーを作り、将来の夢に向かって前向きに進んでいる。

 私の息子が担当したウズラの焼き鳥のテントでは嫁のお父さんとお母さんが朝から大奮闘で、嫁も赤ん坊を背負っての健闘ぶり。あとで息子に「お父さんはお祭りの後、一週間起きられなかったそうだよ」と叱られてしまった。来年はボランティアの皆様に助けていただかないと、とつくづく反省した。

 ブリリアント祭りは支援者代表の澤田さんのあいさつで開幕した。最初の演目は毎年好評の「希望」の皆さんによる和太鼓演奏。今日のためにメンバー達は必死に練習してきてくれた。想いがこもった音色はやさしく、力強い響きだった。日頃の練習の成果が出て、私もビックリするくらい素晴らしい演奏だった。

 スターダストのコーラスは、このお祭りの一番の見どころ。ブリリアントの寮生達の明るく前向きな姿を見てほしい。そのためにこのお祭りがあると言っても過言ではない。歌は決してうまくはないけれど、彼らの生きる姿勢を見てほしい。真心のこもった歌でそれを感じてほしい。本当に彼らはまじめに生きている。

 次に舞台に登場したのが佐溝力さんと友人の國澤さん達のグループによるオカリナ演奏と歌。この方達は本当に暖かい人達で、佐溝コレクションの総会に呼んでくださったり、旅行に連れて行ってくださったり、甘えっぱなし、お世話になりっぱなしで、親戚みたいなお付き合いをさせていただいている。

 今年初めて登場するのは、フラダンスショーのすみれ会の皆さんだ。昨年あたりから私も長友会(町内の60歳以上の人達の集まり)の人達とのお付き合いが始まり、カラオケの仲間に入れていただいたり、それがキッカケでフラダンスも紹介していただいたりで、忙しい日々を送るようになった。このブリリアント祭りにも総代さん達や長友会の人達も大勢来てくださった。このお祭りのテーマでもある「地域の人達との楽しい交流」もだいぶ達成できたかなと思う。フラダンスの曲が変わるたびに早替えで衣装も変わるフラダンスは華やかで豪華でお祭りにはピッタリ。

 シャンソンのピアノ演奏も今年初めての企画。ふれあいの講演会でステキなシャンソンのピアノを弾いていたのが高部さん。そんなご縁でこのお祭りに出ていただくことになった。彼女の素晴らしいところは貪欲に芸術を追究するところ。すごい努力家だ。この後に登場していただいた森下さんと田中さんも「来年のお祭りには高部さんとコラボできるかね」と期待もチョッと覗かせていた様子。

 シャンソンは毎年恒例。森下さんのユニークなトークや、田中さんの歌は一度聴くと忘れられず、ファンもいっぱい居る。「今年もあの人来る?」これは毎年聞くファンの声である。森下さんによる東北弁の「百万本のバラ」は、私も初めて聴いたが面白かった。

 ショーの最後を飾るのはやはりフラメンコショー。踊り子さんが大勢いたので、北島さんのフラメンコギターの独奏が聴けなかったのがチョッと残念。生徒さんのダンスもなかなかだったけれど、北島さんの奥さんの踊った「アレグリアス」は情感も迫力もあり素晴らしかった。つい見入ってしまった。素晴らしい踊り手になられたなと感心した。

 最後は皆さんお待ちかねのウズラの燻製卵まき。皆手に手に袋を持って拾ってくれた。やっと念願が叶った野外でのブリリアント祭り、天気が良いどころか暑いくらいで、日よけが無かったのがお客様に申しわけ無かったような気がする。ちょうど良い天気になるというのはなかなか難しいものである。

 毎年懲りずに支援者の皆様、ボランティアの方々、地域の人達にご迷惑をかけながら行っているブリリアント祭り、本当に感謝しかありません。皆様の暖かい、優しいお気持ちの中にブリリアントは支えられているのです。本当にありがとうございました!! でも最後に寮生達、そしてブリリアントの卒業生でもある支援者に拍手を送りたい。君達は本当によくやってくれました。それは私が一番良く知っています。お祭りのたびに君達は成長し、目を瞠るものがありました。それはどんどん前進しています。来年はもっともっと素晴らしい活躍を見せてくれることでしょう。私も楽しみにしています。本当に御苦労様でした!!

行事報告 平成28年10月~12月

10月

10/1 (土)佐溝力さんと好奇心ツアー(豊田方面)
10/8 (土)畑の仕事、呼吸サークル(文化会館)
10/15(土)ヒロッタージュ展見学(新城)、畑の仕事
10/20(木)誕生日会、ブリリアント祭り打ち合わせ
10/22(土)「ブリリアント」慰問(ツクイ豊橋)、畑の仕事、太鼓の練習
10/23(日)ふれあい講演会(あいトピア)
10/29(土)「ブリリアント」慰問(つつじ荘)、畑の仕事
10/30(日)曽我先生勉強会、カウンセリング

11月

11/5 (土)駒形神社秋祭り準備(そうじ)、畑の仕事
11/6 (日)駒形神社秋祭り
11/13(日)ブリリアント祭り(駒形町公民館)
11/19(土)畑の仕事、太鼓の練習(さくらピア)
11/20(日)防災訓練(磯辺小学校)
11/26(土)呼吸サークル講演会(文化会館)、畑の仕事
11/27(日)曽我先生カウンセリング

12月

12/3 (土)感謝祭(クリスマス会):駒形町公民館
12/4 (日)ふれあい講演会(カリオンビル)
12/10(土)夢フェスティバルバザー(ココニコ)、呼吸サークル(文化会館)
12/11(日)秋葉様もち投げ
12/17(土)心の健康フェスティバル(プラット)
12/18(日)曽我先生勉強会
12/23(金)ガン哲学講演会(ほいっぷ)
12/25(日)曽我先生カウンセリング
12/26(月)誕生日会(深田さん)
12/29(木)ブリリアント大掃除

ブリリアントにご協力いただいた方々

長尾嘉吉様、中島勝美様、白井康允様、太田英子様、河合和賀様、稲村絹代様、農業大学学生の皆様、立岩清様・恵子様、グループホームたけのこ様、

牧野恵己様、鈴木みどり様、兵藤昇様、國澤様とポケットの皆様、

北島康成様とご友人の皆様、田中操様、森下昌洪様、高部恭子様、

すみれ会の皆様、山本小夜子様、吉川文子様、中島政春様、矢田栄次郎様、

横山様、宇野和男様・晴美様、北川藤良様、鋤本恵美様、澤田竜弥様、

杉浦依和夫様、曽我洋秀様、佐溝力様、山口京子様、井上浩様、菅谷君男様、

ふれあい様、桜丘高校ボランティア部様、豊橋善意銀行様、カリオンビル様、

豊橋市社会福祉協議会様、東海有機(株)

ブリリアントにご寄付下さった方々

吉川文子様、國澤様、田中操様、立岩清様、曽我洋秀様、佐羽尾様、河合きほ様、河合邦明様、金原光昭様、金原博昭様、山口京子様、藤井武弘様、稲村絹代様、天野佑子様、レスポワール様、大橋温様、大橋善孝様、鋤本恵美様、黒木武秀様、山本小夜子様、兵藤昇様、内田佳伸様、

平尾清様、村松裕美子様、佐溝力様、中西寿様、内藤得也様、梁川美根子様、木下真男様、

鈴木みどり様、北川藤良様、金原康純様、圓山貴大様、伊藤信子様、山本良美様、大沢良江様、鈴木静子様、佐藤様、石井一幸様、植田紗加栄様、大須賀良子様、荻原康子様、森典子様、杉田浩子様、渡辺淑子様、ボランティアグループふれあい様、グループホームたけのこ様、

ツクイ豊橋様、ピュアオフィス矢車草様、豊橋善意銀行様、豊橋市社会福祉協議会様、

東海有機(株)

いろいろとご協力、ご支援ありがとうございました。

ブリリアントでは、毎週木曜日の夜6時30分から、「お話し会」を行っております。ココロの悩みのある方、精神福祉に関心のある方、どなたでも参加できますのでどうぞお気軽にお越し下さい。夕食もご準備できますのでご一報下さい。

編集後記

 冬場によくやって来る躁状態のプチ発作がやってきたようです。早朝から目が覚めたり、やたら買い物をしたり、アイデアが満ち溢れてきたり。このまま悪化することなく過ぎてくれたら、こんなに楽しい病気は無いのですが。(笑)

伊藤 剛

 今回は、ブリリアント祭りのことを書くのを断念してしまいましたが・・・。まわりの人が「素晴らしかった」と聞けたから。言葉では説明できないほど良い思い出を残せたのかもしれません。

兵藤なつき

 今三歳になる孫の高太郎が二歳の頃からピアノを習っていまして、昨年12月にその発表会が小坂井のフロイデンホールで行われました。ピアノを弾くのではなく、歌ったり踊ったりカスタネットをたたいたりしたのですが、とっても可愛くて思わず涙が出てしまいました。

内田里枝
↑ PAGE TOP