レッツ ブリリアント 2015/04 第60号

発行者
精神障碍者社会復帰施設
特定非営利活動法人(NPO法人)ブリリアント 施設長 内田 貴士

住所 〒 441-8145 豊橋市駒形町字坂口56番地
TEL 0532-46-0033
FAX 0532-46-0163

URL http://brilliant-gh.sakura.ne.jp/

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平成27年4月1日発行

ブリリアント菜園

内田貴士(施設長)

 ブリリアント菜園では冬野菜が終わりを告げ、春を迎える準備をしています。太腿くらいに太った大根もあと三本となり、水菜は菜の花になりました。菜の花のおひたしもほろ苦くておいしいものです。春菊もほっておくと全部つぼみがついてしまうので、摘んでは食べ、摘んでは冷凍庫に保存しています。採りたての春菊のゴマ和えはとても良い香りでおいしいです。ほうれん草もほとんど抜いて食べきれないものは冷凍になっています。困ったのはキャベツです。カラスかヒヨドリかわかりませんが、一番柔らかくておいしい所につついて穴を開けるのです。ブリリアント菜園が無農薬だからでしょう。白菜も外側はアミアミで穴が開いていますが、それが安全な証拠です。

 私達に安全でおいしい野菜をくださったブリリアント菜園に、またその畑の手入れをしてくれた寮生達に、「ご苦労様でした!!」とお礼を言いたいです。

不安定の中で安定する

曽我洋秀(世話人)

 早いもので、東日本大震災から4年経ってしまいました。まだまだ復興できています。とは言い難い状況です。話しは変わりますが、精神障碍者や引きこもりの自立支援をさせて頂く様になって8年になりますが、相談を受けて家庭や親族、本人を見てみると、どの人にも共通点がみられます。それは不安定の中で安定して育っているということです。

 それは絶えず不安定だということです。脳には臨界期、または感受性期という、言語能力や視力などさまざまな能力を身につけるのに適した時期がある。数カ月から数年におよぶ臨界期に、子供は急速にそれぞれの能力を身につけ、発揮できるようになる。

 臨界期の時期は能力それぞれによって、ピークが異なる。そして、臨界期を過ぎると、その能力を身につけるのはかなり困難になる。脳のネットワークは、繰り返される刺激に対して新しいネットワークをつくることができる。これを脳の可塑性という。英単語を繰り返し書けば、その英単語を覚えられる。これも可塑性のおかげだ。

 しかし不安定な中で育ってしまうと、しっかりネットワークが構築されずに精神障碍や発達障碍を起こしやすくなるようである。例えば虐待を受けるとか、無関心による放置とかによって臨界期にネットワークが構築されにくいようです。

 そんな彼らの口から出てくるのは、お父さんとキャッチボールをした覚えがない、とか膝の上に乗せてもらったことがない。親との触れ合いがないため、生き辛いまま過ごしてしまい、引きこもりなってしまう事もあります。最近注目されているホルモンにオキシトシンがあります。

 この物質には安心や信頼の感情を増やす作用があるようです。赤ちゃんが授乳の時にも分泌されます。大人になってからでも、触れ合いによって分泌されます。

 私自身も不安定な女の子に関わりを持つ時に会うたびにハグして随分と安定してきて、今は周りの人たちに関わりを持ってもらいだいぶ普通になってきた様に思います。

 今年になって引きこもりの人たちに依ってあまり嬉しくない事件が続いています。そう言ったことが自分の周りで起きないように関わりを持ちたいと思います。

吉川武彦先生を偲(しの)んで

内田里枝 (理事長)

 ある土曜日の朝、寮生達とブリリアント菜園で畑仕事をしていると、澤田君から電話が入った。「中日新聞に吉川先生が亡くなられたことが出ていたよ」「え!いつ?」「3月21日に、心不全で」私は一瞬立ち尽くした。

 すぐに一昨年の20周年記念のブリリアント祭りのことを思い出した。あの時、先生は風邪をひかれていて体調が悪く、熱もあったのではないかと思う。声もかすれていて出なかった。それなのに「ブリリアントには這ってでも来なきゃね」と、どしゃぶりの雨の中を東京から遠路はるばる来て下さった。首の白い包帯が痛々しかった。先生ももうお年になられたんだ。あれこれと無理をされていたんだろうか。

 吉川先生はブリリアントの産みの親。先生の存在がなかったら、ブリリアントは設立していなかったと思う。私の頭の中は吉川先生との二十数年の思い出が、走馬燈のように駆け巡る。

 千葉にある国立精神神経センター精神保健研究所での職親研究会でのこと。所長として会を盛り上げまとめる吉川先生は、おだやかな笑顔の中にも、精神障碍者の地域生活支援の道を何とか切り開こうという闘志にみなぎっていた。私たちはそんな先生の熱意に動かされ、ブリリアントを誕生させることになったのだ。

 ブリリアントが設立し、毎年行ってきたブリリアント祭りには、10年間欠かすことなく出席して下さった。いつも知らせもなく突然現れては私たちをびっくりさせ、喜ばせてくれた先生。そんな心やさしい吉川先生の面影が今でも頭に焼き付いて離れない。

 豊橋市文化会館で行ったブリリアント設立10周年での記念講演はすばらしかった。また、15周年の時には、駒形町の公民館で行ったが、その講演も忘れることはできない。そして、一昨年の20周年記念講演となる。最後、力尽きるまでブリリアントを愛し、支援し続けて下さった先生、いくら感謝してもしつくせないほど余りある愛情をいただいた。吉川先生、本当にありがとうございました。心より御礼申し上げます。

吉川先生と、20周年ブリリアント祭りにて

吉川先生と、20周年ブリリアント祭りにて

 以下は、吉川先生のブリリアント15周年と20周年の記念寄稿です。先生への感謝の気持ちと、また、ご冥福を祈ってここに再掲させていただきました。

グループホーム「ブリリアント」15周年記念寄稿

2007年9月16日

「先生は責任をとって下さい」 ー ブリリアント15周年をこころから祝ってー

ブリリアント応援団 吉川 武彦
(中部学院大学大学院人間福祉学研究科)

1。「梁山泊」という言葉があるが

 まだ昭和だった1988年8月に私は国立精神・神経センター精神保健研究所岡上和雄先生の後任として精神保健計画部長として着任した。精神障碍者のリハビリテーションを終生のテーマとしてきた私が部長就任と同時に計画したのが精神障碍者の就労支援をして下さる職親の方々にお集まりいただいて研究会を開くことだった。

 その頃、全国職親会ができていたとはいえまだはせ参じていたのは6県、まだまだ職親会そのものの行方もはっきりしないときだった。井手利彦会長とは職親会をもり立てるにはどうしたらいいかを話し合ったが、国立精神・神経センター精神保健研究所が音頭をとって職親研究会を立ち上げることにした。

 研究所には宿泊施設もついていることから合宿で研究会を開くことにして、県単位でできている職親会のメンバーはもとより、個人的なルートをたどって職親になって下さっている企業の方に声を掛け、また全国の精神保健福祉センターにもお声を掛けるなどして40人ほどの研究会を1989年3月に開くことができた。

 それから毎年、3月に全国職親研究会として研究所が主催する形で集まりをもつようになった。愛知県の職親会はまだ結成されていないがと言いながら、豊橋の職親の方々は熱心に参加して下さった。その豊橋グループのお一人として第2回目か第3回目の会に内田秀司さんが来て下さった。会議の席ではおとなしい彼が活躍したのは夜の部であった。

 広間の会議が終わると研究所の職員が手分けして買ってきたつまみとビール、あちこちからもらい集めたウイスキーやワイン、それにケイタリングした料理がこれでもかこれでもかと並び、2回目は70人から80人の参加、3回目以降は100人を越す方が集まる研究会になり、夜の部に参加する方も4、50人という大宴会になるのが常だった。

2。言葉のはずみで、でもそれが

 そこでは日中の議論とは異なり職親制度を自由に語るばかりでなく、これからの精神障碍者のリハビリテーションという夢を夜を徹して語る「梁山泊」そのものであった。そのなかで異彩を放ったのが内田○○さんだった。アルコールが入ると日中とはまるで違い、饒舌になられた。トレードマークの頭を磨きみがき語るさまは周囲を圧倒した。

 このまさに「梁山泊」のようなひとときになかで、日中の議論の流れを踏まえて、精神障碍者の方々がせっかく退院しても仕事がないばかりか住むところもないと言う話になった。真面目な話になったので、その席で私は「精神障碍者のリハビリテーションにとって必要なのは『い・しょく・じゅう』です」と話を始めた。

 この『い・しょく・じゅう』には4つあると続け「衣・食・住」はもとより「居・職・従」があるし「慰・飾・什」もあり「医・色・自由(じゆう)」もあると説明して、ミニチュア講演会のようになった。そのミニチュア講演会を遮ったのが内田さんである。「難しいことはわからんけど、住むところがない人もいるってことですか」といった。

 私は「その通りです」と受けたその瞬間、彼が頭を振りふり「住む場所をつくればいいじゃない」と言うのであった。私はまた「その通りです」と言うしかない。すると「私がつくればいいんでしょ。やりましょう。つくりましょう」って言うので、回りはちょっと呆気にとられたが、ワンタイミング遅れて「カンパーイ」が始まった。

 内田さんはちょっと照れた顔をしたが、みんなと一緒に「カンパーイ」と叫び、話しは即実現に向けて夢の語り合いになった。翌日「いやあ、夕べは飲み過ぎちゃって」といつもの寡言な彼に戻ってはいたし、昨夜の「カンパーイ」などはけろりと忘れているような顔つきだったので、お別れするときはさりげなくご挨拶をしただけだった。

3。先生は責任をとって下さい

 でも、それから1年たって再び職親研究会の日になったとき、内田さんはまだ名前を決めてはいないが「グループホーム」をつくる構想を私に話して下さった。それが実現したのが15年前の秋の日のことである。奥さまも巻き込んでつくった「グループホーム・ブリリアント」の完成とお披露目をする日となった。夫唱婦随の仲のよいご夫婦である。

 内田さんは酔っぱらうと必ず「責任は先生にあります。先生は責任をとって下さい」という。そのとき彼は「私は、酒を飲んでいて。そう言わされちゃったんですから、グループホームをつくるなんて」という。酒を飲ませたのは吉川だから、飲ませた責任があるし、勢いで「住むところをつくればいいんなら、おれがつくる」と言ったというのだ。

 それを言われると、私は小さくなってしまう。なぜなら、内心ではそんなこと言ったって、まったく採算性のない事業を内田さんともあろう企業マンがやるはずはないと考えてもいたからである。その反面、もしも本当につくってもらえるものならこれほど嬉しいことはないと言う期待感ももっていたことを知っているから。

 でも、本当に建物ができてお披露目をするときに私のところにかかってきた電話は「先生、責任があるんですから、来て下さい。そして、スピーチをしてください。いえ、ちゃんと講演をして下さい。先生には責任があるんですから」という内容であった。いや、そのド迫力には感嘆した。さすがは世界に冠たる東海有機の責任者と感服してしまった。

 お披露目の日は晴天ではなかったがみなのこころは一点の雲もない明るいものだった。講演はともかく、奥さまのフラメンコダンスも拝見できたしその指導者の方々の賛助出演もあった。ご近所の方々もたくさん見えておられたし、お手伝いもして下さっていた。地域に根ざしたグループホームが誕生したと言う密かな感慨が私のこころに広がった。

4。あれから15年がたったという

 グループホームから指呼の間にある自宅を離れ、内田さんご夫婦はこのホームに住み込まれた。まだ国にも制度ができていなかったときにつくったグループホームだけに、県からもあれこれ指摘されたようであるが、制度のないものだけにかなり自由が利く運営であったと私は思っていた。ただしその運営にはかなりの資金が必要なはずだった。

 そうするうちに精神保健法改正によってグループホームを法定化することになり、それはそれで資金的なものも多少は国や県から出るようにはなったものの、反面、規制もかなりきつくなったはずである。そのような愚痴は一切私には述べることなく、内田さんご夫妻は寮生(彼らはそう呼んでいる)とともに生活をし続けている。

 せっかくお菓子を作っていたブリリアントの作業所(カサデルーセ)も、行政からのクレームもあって辞めるしかなかったとき、奥さまからもなんどか「何とかならないか」とご連絡をいただいた。関係機関にも連絡をして事情を説明してもらったりもしたが、奥さまの方が決断をして事業を撤退されるということにもなったことがあった。

 毎年のように開かれるブリリアント祭りには、私も時間の許す限り出席させていただいてきた。参加するとき内田さんが紹介して下さる同級生がたくさんおられることには驚嘆する。この方々がブリリアントを見守り支援して下さっているのだと実感できる。ただ、内田さんの回りに集まる同級生のほとんどが女性であることもまたびっくりさせられる。 「レッツ・ブリリアント」というニュースレターが発行されるようになってからは、時折、寄稿させてもらってきた。このニュースレターには、グループホームの日常がさりげない筆致でメンバー、つまり寮生の方々が書いている。そうかと思うと、かなりがっちりした論文とも言える時評やエッセイが続けて載ることもある。

5。ブリリアント永遠なれ、とはいわない

 人は「継続は力なり」というが、力をもとうとして続けているわけではないブリリアントは、まさに“いつの間にか”15年たったと言えるかも知れない。しかしながらこの15年間、私が知らないところではどれほどのことがあったろうか。それを考えると、よくぞ15年も続けこられたなと密かに思う。

 私自身が精神障碍者のリハビリテーションに関わり始めて、もう、40年を越えた。1960年のあの「安保」を闘い、その戦いに敗れて精神科医になってからの40年は、精神障碍者の地域生活支援の道を拓こうとしてきた40年でもあった。多くの方々の先進的な試みに学びながら、それを制度にまで昇華しようとしてきた。

 ブリリアントはその先進的な試みのひとつであり、私にとっては学ばせていただくものが多かった。それは単にグループホームのあり方と言うことではなく、ブリリアント設立の経過やその運営、地域とのつながりや人による支えの重要さなどを学ばせていただいたし、それをどれだけ行政が感じ取れるかと言うこともまた考えさせられてきた。

 精神障碍者の自立生活支援がこれまでにもまして重要な課題になっていることはもちろんであろう。しかしながら、精神障碍者が自立できればいいと言うものではないこともまた確かなことである。3障碍共通の施策を求めてできた障害者自立支援法ではあるが、障碍者の自立支援が唱われること事態が社会の未熟さを示しているとも言える。

 それだけに、私は「ブリリアント、永遠なれ」という言葉でこの小論を締めくくるわけにはいかない。激しい言葉を使えば「ブリリアントが潰れる日」を待っているとも言えるからである。誰もが安心して生活できるときがくることを願うのが本当であって、その日がくればブリリアントはいらなくなるからである。その日まで私は生きてはいないが。

(サツマイモの大好き、焼き芋大好き人間より)

グループホーム「ブリリアント」20周年記念寄稿

2013年11月10日

20年の歩みと、いま、そしてこれから ー 内田秀司さんの遺志は永遠のものー

吉川武彦

1。はじめにー2、3の自己紹介、現職は大学の学長、そのひとつ前が大学院教授で科長
 1)神奈川県人と新潟県人の両親をもったお陰ー腰は軽いがなんとか人の役に立ちたい
 2)そのため勤務したところが同時にいたところを含めると20か所、住居も20か所
 3)開き直って「転勤、転職、転居が趣味」といいー内田秀司さんとは国立の研究所で

2。コンピュータのなかにしっかりしまい込んであったものー「15周年」のときの寄稿
 1)そこにはグループホーム「ブリリアント」ができたいきさつー読み返すと涙が出る
 2)そこには書かなかったがお披露目のときー内緒ですがといい「これウズラの宿舎」
 3)なぜなら天井から空気が抜けるようにしてあるのーウズラは熱に弱いから空気抜き

3。この紀行文の最後にー「サツマイモの大好き、焼き芋大好き人間より」とあるように
 1)毎年のブリリアント祭りに顔を出していた頃ー「また、お芋の好きな先生が来た」
 2)当時の利用者である寮生にも覚えて貰ったーなんと言ってもこのグループホームは
 3)内田ご夫妻の「人脈」によって支えられてきたといえるーお祭りにも地域の方々が

4。設立から20年と言うときご主人の内田秀司さんを失うーがんとの壮絶な闘いをへて
 1)その経過について奥さまの里枝さまからお便りをいただいたがーお会いは遠慮した
 2)国にグループホーム制度もなかったー「住むところをつくろう」からできたホーム
 3)だがお父上のご遺志を継いで息子さんが施設長に就任ーブリリアントは生き返った

5。15周年を祝う頃にできた「障害者自立支援法」も変わりー「障害者総合支援法」に
 1)改正点は4点ーその1が「障害者基本法にはなかった『難病』を含めた総合対策」
2)その2は「障害点どの判断に『心身の状態』をーその3に「重度訪問介護制度化」
3)その4としては総合的な意味で「サービスの基盤整備」ー等が行われることになり

6。わが国の福祉制度の見直しが進んだがー精神障碍者の地域生活支援の充実とは離れて
 1)まだまだ、かつて「精研」で熱く議論したー精神障碍者の就労支援への道は、遠い
2)内田さんは「住むところはつくる」ー豊橋の凄さは「働く場所は俺たちがつくる」
3)その動き、地殻変動にも似た動きをしっかりとらえきれなかったー国や地方行政で

7。おわりにーそれだからこそ「これから」を考えるときには「豊橋を見て欲しい」とも
 1)精神障碍者のみならず障碍者全般、いえ「私たち」にはー「い・しょく・じゅう」
2)もちろん「衣・食・住」が大切だー「居・職・従」があるし「慰・飾・什」もあり
 3)さらに「医・色・自由」もーその意味で精神障碍者福祉は遠い道のりかも知れない

春分の日

白井千雄(寮生70歳)

 草花や木が芽を出して、冬の寒さも少し緩み、暖かさを感じています。

 3月23日にお墓参りに二川まで車で行って来ました。桜の木が蕾を付けていました。ブリリアントではチューリップやエンドウ豆が花を咲かせています。昨年12月に植えたブロッコリーも小さな実を付けています。昨年に植えた桃の木が花を咲かせてブリリアントにも平成27年の春が来ました。

高(こう)ちゃんのお気に入り

伊藤 剛(寮生52歳)

 高ちゃんの最近のお気に入りは、冷蔵庫に張り付いているマグネットクリップです。ちょうど手の届くあたりの高さに二、三個くっついているので、それをもぎ取ろうと高ちゃんは懸命に努力しています。でも、磁石の力が意外と強いので、高ちゃん一人ではなかなか冷蔵庫の表面から引きはがせません。自分で取ろうとしてできないと、高ちゃんは僕の顔を見て、「フーンフン」と言います。自分で取れるようになるために、僕は高ちゃんの手を握ってよいしょっと取り外す動作を覚えさせてあげます。マグネットが外れると、ニコッと笑う高ちゃんはとても可愛いです。高ちゃんは取り外したマグネットを握ると、すぐにまた貼り付けます。僕は、「高ちゃん、できたねぇ!偉い偉い!」とほめてあげます。ちゃんとクリップの磁石の向きを知っていて、正しく磁石の面を冷蔵庫の表面に向けてくっつけます。本当に偉いと思います。冷蔵庫だけでなく、パイプ椅子のフレームにもくっつくことを覚えて、スタスタと歩いてきて、鉄のフレームにパチンと貼り付けています。毎日毎日、すごい勢いでいろいろなことを学習している高ちゃん。明日はどんなことを覚えるのでしょうか?

 などと書いてきたら、今日高ちゃんは、ドアの取っ手に背伸びして手をかけ、回して開けることを発見しました。さあ大変です! これまではドアを閉めておけば高ちゃんは出入りできなかったのですが、もうその手は通じません。台所から廊下へ、廊下から管理人室へ。高ちゃんの冒険が始まります。

ブリリアントの果実園

藤田一夫(寮生65歳)

 三河一宮の砥鹿神社のお祭りのあと、果物の苗をみんなで買って来て植えたのが実を付け、今までも食べるのを楽しみにしています。

 今までに、柿、梨、さくらんぼ、枇杷、無花果、レモン、柚子、キウイ、桃などが植えられていますが、さくらんぼ、柿、レモン、ゆず、甘夏を食べました。また実のなる時期が来るのを楽しみにしています。ですが、鳥が甘くなる時期を良く知っていて食べられる前に網を被せて取られないようにしています。このへんにはカラスがたくさんいて、カラスは雑食なのでなんでも食べてしまいます。ブリリアントの裏には畑があってキャベツを少しかじられました。このへんの農家もいろいろ被害に遭っています。カラスは害鳥でしょうか、なんでも食べるから生命力が強い鳥です。またそれに利口です。日本はまだ怖い動物が少ない方で暮らしやすい方です。

 果物は別腹です。食卓に少しでも果物があるとおいしいです。

早春から陽春に咲く花

大石春子(寮生67歳)

 春はいろいろな花が咲ききれいです。アイリスの花言葉は「恋のメロディー」です。紫の花が咲きます。アカシアは黄色い花が咲きます。アネモネの花言葉は「真実」で、赤・紫・白い色の花が咲きます。アマリリス、イチゴ、ホワイトストロベリーの花言葉は「甘い乙女心」で、白い小さな花が咲きます。エニシダはエンドウ豆みたいな黄色い花が咲きます。カーネーションの花言葉は「女の愛情」で、赤・オレンジ・ピンク・黄・白い色の花が咲きます。ガーベラの花言葉は「神秘」、カサブランカの花言葉は「高貴」で、白い花が咲きます。カラーの花言葉は「誠実」で、こちらも白い花が咲きます。グラジオラスの花言葉は「華やかな恋」で、赤・オレンジの花が咲きます。クンシランの花言葉は「高貴」で、オレンジの花が咲きます。ゲラニウムはピンク色の花が咲き、コデマリは白い花が咲き、花言葉は「幼心」です。忘れてはならない花は日本の代表的なサクラの仲間があります。花言葉は「壮大な美しさ」です。

 花はそれぞれ匂いも香りも異なり、よいものです。

結婚4年過ぎて・・・

宇野和男(元寮生50歳)

 皆様お久しぶりです。今の結婚生活を少し語らせてください

 僕の間違い→食事の全部(買い物、計算、調理かたづけ)自分がやれば、何も心配の要らない彼女はきっと僕を特別に愛してくれるという期待と確信と押し付け・・・とんでもない思い違い・・・はじめの2年間、間違っていました。彼女はこのことを{私の幻を愛した}といいます。

 つい最近でも幸せ感覚の押し付けに反対し、実家に帰ったり、かんしゃくをおこして反論したりしてきて僕は何が大切なのかが少しわかってきました

 僕の言う「愛」とは、それこそTVドラマに出てくる一家団らんや価値観の共有化という少し重いものでした。それは実はブリリアントでの共同生活での団らんでした。

 常に私を意識して、優しく、公平に、理屈抜きに愛してくれてた内田里枝さんの代りを妻に求めていました。知らず知らずに・・・・

 そんなこと全然知らない妻は大分居心地悪かったそうです。必死に我慢してくれました。

 今、私が求めているのは、何気ない作業所の話とかをしたり、一緒に夜のTVドラマを見て感じたことを話すとか、時々は一緒に風呂に入る。という具体的で普通なにげに良くある風景です。

 妻の間違い→これまで自由に使えた年金が生活費になることで感覚がつかめなかったが徐々に話し合いで金銭感覚を身に着けた。

 彼女の誠意は例えばこれまであまりしてこなかった、新しいメニューで食事を作ったり、朝僕が起きられなかったとき、短い手紙と朝食が作ってあったりしたとき、「あーありがたい!夫婦でいてよかったな」と思います。押し付けないうれしい誠意こそ彼女の愛なんだとわかりました。

 ひとり生活ではありえないことが全部愛の結婚の証である事を悟りました。

 共通の趣味があったらいいと思って、南陽地区市民館で第3火曜日にコーラス活動をしています。楽譜は読めませんが、指揮者やメンバーに譜面を翻訳して歌の流れを教えていただき、後はリニアPCMのICレコーダーの録音で帰ってから歌を覚えるという形で参加しています。平成24年10月には“東三河童遥唱歌の集い”で豊橋市公会堂で歌いました。曲目は新沼謙二氏の

 “ふるさとは今も変わらず”他2曲でした。

 家事は結局妻が掃除洗濯はしてくれます。取り入れは手伝います。最近料理もしてくれます。

 金銭管理は僕が主体となっていますが、ちゃんとインチキじゃないことを開封して見せています。パソコンは古くてXPですがEXCEL2003で十分です。具体的には、電気、ガス、水道、薬、食費、米、などの項目を10個作って 10枚の封筒(銀行で貰ってくる)に分けて前年度の実績グラフと前月の残りを基に予測分配します、そしてエクセルで支出の総合計を計算したり、各封筒の中身とパソコンデータを、毎日すり合わせています。100円シヨップで硬貨ボックスを買い、1円単位で計算しています。

 実際にはスーパーのセルフレジで1円、5円、10円を処理しています。

 封筒間同士の貸し借りはないです。

 そして実績を支払ったお金の残りが市役所に返済している「貰いすぎ生活保護の返金」がありましてその残りの分がほんのわずかですが映画などにまわります。

 最近わかってきたのは、僕も苦しくても、家族サービスが大切な事だということです。

 交通機関は自転車なので2人して、自転車だけどゲンキに走っていきます。今年は向山公園の梅林園もついに自力で無料で行きました。もう暖かくなってきたのでまた病院の通院も自転車で行こうと思っています。

 妻にはきれいでいて欲しいから少しだけ小遣い増額しました。

 後は・・・

 僕の趣味についてはどうしても我慢できない安物買いの銭失いで買ってしまった安いおもちゃのブルーレイ(¥7000)をせめて普通なものにしたいです。ブルーレイプレーヤーは価格がピンキリですが、いきものがかりやZARDといったpopsのブルーレイを納得してみたいということです。

 妻の趣味はアロマ関係で、軟膏とかを自作しています。最近嬉かったのはアロママッサージを2回も風呂出てすぐにやってくれた事です。

 夫婦っていい時はすごくいいけどケンカになるともう何も出来なくなって、ウイスキーに頼ってしまう事・・こうして少しづつ相手の本心がわかってきて、僕たちの結婚はこれからが、本番です。

50歳の和男

感動を与えてしまいました

兵藤なつき(寮生29歳)

 前号に太鼓グループ「志多ら」の演奏会を観に行ったことを書き、皆さんに発表したら反響が広がりました。その前から反響が始まっていました。

 私が今度の新聞は何を書こうか思いつけなかったとき、じっと待っていたら昨年の12月半ば過ぎに観に行った「志多ら」の演奏会のことがパッと出ました。そこから観に行った時の状況を思い出して、よく覚えていたなって自分でも驚きました。

 打った原稿を世話人の内田里枝さんに読んでいただいたら、今までで一番いい原稿だ。よく書けている!と評価されました。これで前号の私が書く原稿が決まりました。私もそう判断しました。

 今年の2月上旬に一斉に世話人さんが発送を済ませてから、同月半ばが過ぎてから名古屋市のなかよしハウスの佐藤さんという方から私宛にFAXが届きました。その人の友達が「志多ら」の影の後援会長をしていて、その人の友達を通して「志多ら」の人達にも新聞を届けていいですかと尋ねました。私もなかよしハウスの佐藤さんに電話をかけて、佐藤さんの立場も踏まえていいですよと了解しました。佐藤さんも喜びました。

 あれからFAXが届いていないけど、どうしているだろうか?

 そして、私の叔母の義母が私の記事を読んでいただいたそうです。義母が私の書いた文章に驚いたようです。やっぱり感動したようです。

 いつも私達の太鼓を指導していただいている菅谷君男先生も私の記事を読んだところやっぱり感動されたようです。そして練習にも意気込むようになってます。「志多ら」さんになりきりながらも参考にしようと。

 こんなにもいろんな方々から感動の声が寄せられて、私も正直驚いてます。

行事報告 平成27年1月~3月

1月

1/1 (木)新春カルタ大会
1/3 (土)初詣(そぶみ観音、三谷弘法様)
1/10(土)畑の仕事
1/18(日)ヒロッタージュ展見学(佐溝力琺瑯看板研究所)
1/20(火)太鼓の練習(さくらピア) 1/25(日)曽我先生カウンセリング

2月

2/3 (火)節分(豆まき)太巻き寿司実習、太鼓の練習(さくらピア)
2/11(水)ふれあい講演会
2/14(土)バレンタインデー
2/15(日)梅見(向山梅園)、雛飾り見学(二川本陣資料館)
2/17(火)太鼓の練習(さくらピア)
2/22(日)曽我先生勉強会、カウンセリング、カラオケ録音(公民館)
2/27(金)ブリリアント慰問(たけのこ)
2/28(土)畑の仕事(じゃがいも植え付け)

3月

3/3 (火)太鼓の練習(さくらピア)
3/7 (土)呼吸法サークル参加(文化会館)
3/8 (日)畑の草取り
3/14(土)ブリリアント慰問(福寿園)
3/15(日)ふれあい講演会(カリオンビル)
3/17(火)太鼓の練習(さくらピア)
3/27(金)福祉サービス集団指導(職員会館)
3/28(土)ブリリアント慰問(豊橋ケアセンター)、畑の仕事
3/29(日)曽我先生勉強会、カウンセリング

ブリリアントにご協力いただいた方々

たけのこ様、鋤本恵美様、北川藤良様、井上浩様、山口京子様、澤田竜弥様、曽我洋秀様、佐溝力様、菅谷君男様、立岩清様、宇野和男・晴美様、稲地扶美子様、豊橋善意銀行様、カリオンビル様、豊橋社会福祉協議会様、東海有機(株)

ブリリアントにご寄付下さった方々

大石郁子様、山口京子様、立岩清様、レスポワール様、金原光昭様、北川藤良様、曽我洋秀様、兵藤昇様、藤井様、佐羽男様、たけのこ様、鈴井みちよ様、渡辺久美様、石川道子様、花王せっけん様、豊橋善意銀行様、豊橋市社会福祉協議会様、東海有機(株)

いろいろとご協力、ご支援ありがとうございました。

毎週木曜日の夜6時30分から、「お話し会」を行っております。どなたでも参加できますのでどうぞお気軽にお越し下さい。

編集後記

 いよいよ暖かくなって、バイクでの通勤も冬服では暑いくらいになってきました。駒形神社の桜も満開です。明日あたり、ブリリアント一同で夜桜見物を企画しています。(3/30)

伊藤剛

 吉川武彦先生は、一昨年のブリリアント祭りで20周年の記念の講演を行ってくださり、私たちにその旨を聞かせてよかったのかもしれません。

兵藤なつき

 ブリリアントの主だった支援者の方々が次々と天国へ旅立たれ、時代が変わってゆくことを痛感させられています。しかし、これからは若い人達を中心に頑張っていこうと思っていますので、よろしくお願いいたします。

内田里枝
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