レッツ ブリリアント 2014/04 第56号

発行者
精神障碍者社会復帰施設
特定非営利活動法人(NPO法人)ブリリアント 施設長 内田 貴士

住所 〒 441-8145 豊橋市駒形町字坂口56番地
TEL 0532-46-0033
FAX 0532-46-0163

URL http://brilliant-gh.sakura.ne.jp/

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平成26年4月15日発行

ブリリアントのアスパラ農園

施設長 内田貴士

 ブリリアント菜園の半分を私の希望でアスパラ農園に致しました。というのは一昨年、新婚旅行に青森に行った際、案内していただいたアスパラ農園が忘れられなかったからです。その広い農園を80代のおばあさんが腰を曲げながら一人で手入れをしておりました。おばあさんがニョキッと伸びたアスパラをポキッと折り「ホラッ!」と差し出してくれたのです。採れたての生のアスパラのおいしさ!!今でも忘れられません。それからブリリアントでは少しずつアスパラの栽培を増やしています。今では畑の半分がアスパラで埋まっています。植えてから3年間は収穫できませんが4年目からあと10年間はそのままで収穫が可能です。もちろん肥料はたっぷり与えますが、というわけで寮生達はおいしいアスパラを食べるのを夢みて日々畑の草取りにがんばっている次第です。

ブリリアントのアスパラ農園

ブリリアントのアスパラ農園

不幸にする親

曽我洋秀(世話人)

 この時期になると必ずと言っていい内容の相談がくることがあります。引きこもりの親からの相談です。たぶんテレビや新聞で報道して、新年度就職のことを見て、自分の子供は大丈夫か? と思うんでしょう。ちょっと待ってください!最近こんな治療の依頼がありました。

 小学校3年の子供さんでした。親子さんは共働きで叔母さんが同居でお孫さんの面倒を見ておられるようです。その子は長男です。この子が月曜日になると頭が痛いと言い、学校に行きたがらないがどうしたらいいか? という相談でした。

 まず私は月曜日の朝治療に行ってそのまま学校に送って行きました。3回程治療をしたら依頼もなくなりました。この間その子に会ったら元気に遊んでいました。

 最初はたいしたことではなくても、ほうっておくとそこから、不登校、引きこもりと発展していくことがあります。長いこと引きこもりをしている人にカウンセリングをして見るとボタンの掛け違いをしたまま来ている。と答えが返ってきます。ただそれがどんな掛け違いか分からないことが多いと思います。親子関係、家庭環境を覗くと答えが見えて来ることがあります。それで大丈夫と自分自身の為にも勉強会を開催して8年目になります。

 子育ても最初はベテランではないでしょう。今年から課題図書を次回までに読んでいただき感想をみんなに聞いています。引きこもりの子供さんで悩んでいる親子や、これから子育てされる人に読んでいただきたい本があります。

 不幸にする親:ダン・ニューハース著講談社

 母という病:岡田尊司ポプラ新書

 愛着障害:岡田尊司光文社新書

 これらの本を読んでみて思い当る事があれば、なにをするべきか見えてくると思われます。ありがとうございました。

自分の体操

大石春子(寮生66歳)

 朝起きてまず背伸びを3回くらいして。首の運動をくるくるします。それから体の曲げをします。衣類を着て歯をみがき顔を洗います。

 朝食をいただき、散歩に行きます。洗濯があるときはします。それから少々の間ひざを曲げたり伸ばしたり、ボールを使って運動をします。午前中矢車草へ働きに行っています。

 昼からは自由時間で1週間のうち2日ないし3日は接骨院に行きます。血行がよくなるせいか行ったときは痛みが違います。足は大事なので大切にしたいです。

 夕食後にひざの運動を少々します。食事後ラジオ体操のときに腰の運動ができないので、ひざ曲げをしています。

 8時から9時には眠るようにしています。

勉強会

兵藤なつき(寮生28歳)

 今年に入って、月1回(これまでに3回)曽我先生の勉強会に参加しています。それまでは一度も参加しませんでした。奥さんだけが参加していました。私は私のやりたいようにしてきたので。

 きっかけは、昨年の11月末に遊びに来た私の姉が、翌月の勉強会に参加したことです。気に入ったのか私に「面白かったよ。次回よかったらなっちゃんも参加したら?」と勧めたのです。そんなこと言っても・・・今ひとつ気がのらなかったけど、初めて行くまでは。気が変わってか1月の最後の日曜日に参加しようかな?って。それで奥さんの運転する車に姉と私が乗って、曽我先生の自宅に向かいました。

 どんな流れかというと、机の上に用意された資料を交代で読んだり、質問や意見を答えたり、といっても私はただ座っているだけだけど。あと先生が用意した本を一冊選んで読んだ感想を1ヶ月後に発表するんですね。そういう形式でした。

 私はなかなか内容を理解しなかったり、積極的にならないから、ただお邪魔しているだけになっていますが、こういう自分のためになる勉強をすることも大事なのかな?続けていくといいのかな?

高(こう)ちゃんの鯉のぼり

伊藤 剛(寮生51歳)

 4月2日、仕事から帰って来ると、ブリリアントの駐車場にポールが立って、鯉のぼりが3尾と吹き流しが、風にひるがえって元気に、見事に泳いでいました。畑の中の農道をバイクで走って来たので、遠くからでもはっきりと見えました。施設長の内田貴士さん、一恵さん夫妻のご長男、内田高太郎(こうたろう)君(6ヶ月)の端午の節句のために、今日の午後、みんなで風車、ポールなどを組み立てて、立てたそうです。ちょうどいい具合に風が吹いていて、青空に元気よく、歌でも歌っているかのように鯉のぼりが泳いでいます。僕の子供の頃は、男三人兄弟でしたが鯉のぼりは飾ってもらえなかったので、とてもうれしいです。ポールはアルミ製で、なかなか丈夫そうです。てっぺんの矢車も、快調に回ります。

高ちゃんの鯉のぼりが元気に泳ぐ

高ちゃんの鯉のぼりが元気に泳ぐ

 さて、高太郎君ですが、体重も順調に増え、日増しに重くなっています。だっこしてあげると重さがよく分かります。首もほとんどすわり、姿勢が安定してきました。機嫌の良いときは、両手を上下に振り、太鼓でも叩いているかのように動かします。僕や大石さんがあやすと、にっこりと天使のように微笑みます。そんな時は本当に嬉しく、幸せな気持ちになります。たまにくしゃみをするのですが、小さな鼻をくしゃっと縮ませて、可愛いくしゃみをします。元気よくオナラもします。豪快です。貴士さん、一恵さんの帰りが遅くなって、二、三日高ちゃんに会えないときがあるのですが、そんなときはとても寂しいです。早く大きくなって、歩いたりしゃべったりするようにならないかなぁと楽しみにしています。

お友達に会いに行きました

藤田一夫(寮生64歳)

 3月1日~2日に名鉄時代の同僚に会いに行きました。鉄男君は6年、私は25年勤めたのですが、鉄男君は養子に行き私は25年後に病気になり会社を辞めました。1日の朝8時ごろ岐阜に行き高山線に乗るため、岐阜から美濃太田に鈍行に乗って美濃太田で乗り換え白川駅に昼1時10分ごろ着きました。それまで昼ご飯を食べてなかったので、白川駅に到着と同時に鉄男君に電話をかけて迎えに来てもらいました。車で道の駅に行き私は旅行なのでごちそうを食べたらいいと鉄男君が思っていたらしく、そう言いましたが私がひとりでごちそうを食べ鉄男君を待たせてはいけないと思い蕎麦を注文しました。鉄男君はコーヒーで食べ終わるまで待ってもらいました。道の駅にお土産を売っていましたので先にお土産を買いました。何の考えもなしにパッパッパッとお土産を買い、鉄男君の家に行きました。豊橋の名産ヤマサのちくわを買ってあったのをお土産に持っていき家でつもる話もあったのでいろいろと話をしているうちに空が暗くなりましたので友達の知っている焼き肉屋へ行き夕ご飯を食べました。結構楽しい夕ご飯のひとときを過ごしました。そして旅館に行き部屋に案内してもらい布団を敷いてもらい、それから旅館の隣の隣がスナックでしたので鉄男君に案内され私に歌を一曲歌ってくれと言ったので童謡の「ふるさと」を歌いました。

 しばらくして旅館に行き、服を着たまま寝てしまいました。朝8時に電話がかかってきて出掛けるのでしたくしてと言われたので、旅館で朝ご飯を簡単にいただき鉄男君が10分くらい待ってくれと言われ、そしたら旅館でモカコーヒーを出してくれました。生豆のコーヒー機械で温かいコーヒーにして飲める機会で出してくれたのでコーヒーをいただいたのですが、とてもおいしかったです。外では雨がどしゃ降りなのか、そのような音がしたので今日は雨が降っていると思っていたら川の水が流れる音でした。大正村へ行くぞと車で乗せて行ってくれました。その途中恵那のダムに行きました。そこへは去年下呂に旅行に行ったとき寄ったので2回目でした。大正村と言っても町のところどころの倉があり、大正時代の古い展示物があるので、そこを見ました。そこの帰りに中央線の恵那駅に降ろしてもらい、金山に向かいました。そして豊橋に着き、帰ってきましたが意外と早く着きました。その夕ご飯にお土産をあげて食べました。何か物足りない旅行でしたが田舎も楽しいおもてなしでまた行きたいと思えるような旅でした。鉄男君もまた来いと言ってくれました。

お元気は変わりありませんか

藤原良江(支援者32歳)

 1月になって寒波が強いのでみなさま体に気をつけて頑張ってください。

 私は作業所では長く楽しく頑張っています。私は自分の病気でもう2年闘ってきて少しずつ乗り越えて今の生活があります。この7年から8年がとっても病気がひどく荒れました。いま思うとバカなことでしょう。間をとおしてここまで来ることも奇跡です。でも自分から変わることが出来ました。

 私は家庭的な問題で心にかなり傷がつきました。心の傷で自分がおかしくなってしまうことがショックでした。私はいつ自分が成長するか不安でした。私はメチャクチャになって自分の居場所がなくなってしまい、あとですごく落ち込んでしまいます。私はグループホームに入れたことで我慢しないといけないことが初めて分かりました。でも私はわがままな生活をくりかえしてしまいグループホームを退去になりました。

 退去前はかなり荒れてものを壊してしまうこともありました。私は自分がおかしいことに気づき入院することになりました。入院生活でも変わらない不安定でした。私は保護室で生活していました。保護室では、やることもなく一日寝ていました。私はいつ帰ることができるのかいつも心配していました。でも心配しても変わらないと思い私は病気を治すことに切り替えました。でもいつもブリリアントにいた楽しいことが浮かびました。泣いていました。私は少しでも忘れるように病院の作業療法、クラブ活動をしていました。あるときに会議があると言っていました。ブリリアントに戻れるか、戻れないかケース会議がありました。興奮状態になってしまうためでした。その時初めて面会許可が出ました。私は嬉しくって泣いてしまいました。みんなが来てくれて話しました。私は帰れないと言われてショックを受けました。最後に世話人さんはじめ、曽我先生、あかね荘の鈴木さん、杉本さんが面会室で話しました。ケースワーカーの人も一緒でした。一応話し合いが少しあり納得できなくって帰ってしまいました。私は暴れないと言って下まで行きました。でも別れてしまうと強く暴れてしまいました。最後の面会の時にはお菓子、コーヒー、曽我先生からホワイトデーのお菓子をもらいました。みんな優しかったからまさかこれで会えないと思っていませんでした。私は主治医の先生から大事な話があると言われました。その時に戻れないと言われました。パニックになってしまい保護室に戻り泣きじゃくっていました。看護師さん、師長さんもいくら泣いても変わらないと言われました。4月の始めにお花見でしたが不安で行けませんでした。楽しいこともなくなってしまい、私は爆発してしまいました。壁に頭をたたきつける、コップで音を立てて怒られていました。おしっこをペットボトルに入れてまいたり、ご飯を柵の向こうに投げていました。私はもう自分ではなくなっていました。あるとき、師長さんが来て話し合いにのってくれました。2週間くらいして部分解放になり、また落ち着いた日が来ました。

 落ち着いて部分解放も少しずつ長くなって、午前から夕方になりました。夕方も落ち着いてきたら夕ご飯後、6時から8時になりました。そしてついに保護室から大部屋に移りました。作業療法、クラブ活動をしました。私、病院生活がイヤになり、治療拒否をして自宅に帰りました。自宅ですぐ作業所を探しました。WACカフェで働くことができました。3日間ぐらいで自分の悪いところが出ました。自分の悪いところは甘え、かまってほしいという気持ちが強かった。職員さんが好きになってしまいかんしゃくが起きてしまいました。そして今回は支援センターの職員さんには行き先は言わなかったです。急に会議があると言われ、その時は前回のことがあるので私は参加しなくって畑に連れて行かれました。でも支援センターの人は必要と言われ、金銭管理をしてくれました。私は農園に移りました。収穫、草取りだけをしていました。でも一日仕事をきちんとすることはしませんでした。男の人に抱きついたり、大事なところをさわってしまいました。曽我先生に電話をして1週間に1回治療をしました。相談治療です。そして新しい部署ができました。その仕事はとっても向いていました。接客、お得意さんまわりでした。お店の看板も作りました。

 それから2年ぐらいしてグループホームに入れるようになりました。最初は問題行動ばかりでした。生活しているうちに慣れました。でも問題行動は変わりません。日中活動も寝てばかりでした。いいときは一日働ける日もありました。WACに入って4年たちました。その後は別人のように変わりました。チラシ配り、お得意さんまわりの売り上げも上げました。去年の5月から私は一気に変わりました。農園の仕事ではひととおりできるようになりました。私はひとつ悲しいことがありました。私を育ててくれた先生が病気になってしまい来ることができなくなってしまいました。最初は寂しかったけど、私がこのにぎわい亭を続けてお店が開けるようにがんばりました。新しい職員さんにも教えました。

「とよはし街中ええじゃないかグルメラリー」の参加経験

安間道貞(寮生28歳)

 2004(平成16)年9月11日(土曜日)、18歳の時に初めて参加したのは、この年から始まった「とよはし街中ええじゃないかグルメラリー」です。

 最初にコースを選んだのは「お亀堂広小路店」(当時)「ヤマサちくわ本店」「若松園本店」の3店に廻りました。翌年、2005(平成17)年9月10日(土曜日)にも、豊橋市制100周年記念事業の「とよはし100祭」として、「とよはし街中ええじゃないかグルメラリー」に参加しましたが、「炎の祭典」(同実行委員会主催)としての開催を合わせたのは、第9回と第10回記念の2回だけでした。しかし、翌年から、2006(平成18)~2010(平成22)年の5年間、「とよはし街中ええじゃないかグルメラリー」は開催されませんでした。

 2011(平成23)年10月16日(日曜日)、「第57回 豊橋まつり」(同振興会主催)の本祭2日目として、6年振りに豊橋商工会議所の建物内に入る株式会社豊橋まちなか活性化センターが主催として復活したのは、「とよはし街中ええじゃないかグルメラリー」です。

 「とよはし街中ええじゃないかグルメラリー」とは、2004(平成16)~2013(平成25)年(開催されなかった2006=平成18~2010=平成22年を除く)。つまり、2013(平成25)年9月14日(土曜日)に開催された「第18回 炎の祭典」(同実行委員会主催)の駅前イベント「豊橋探究ラリー」(グルメスポットのみ=*)を含む参加店に廻る通算回数は、「ねりや花でん」「ヤマサちくわ本店」=うち1回は*「若松園本店」の各3回。「お亀堂広小路店(当時=現在のカルミア店としては含まず)」「ボレロ吾妻家」「マッターホーン本店」の各2回(「ボレロ吾妻家」「マッターホーン本店」はうち各1回は*)。「かつぶし屋のまるぶん」「大正軒本店」「濱金豊橋魚町本店」「マルシェフージン(現在、ふうじん焼きは販売していない。)」「ワルツ豊橋トキワ店」の各1回で、まだ廻っていない参加店は「お亀堂カルミア店」と「かぶき家」の2店だけです。コースによって、毎年、変わります。

 本年の2014(平成26)年10月18、19日の土日に両日にて開催を予定している「第60回記念 豊橋まつり」(同振興会主催)のまちなかイベントとして、開催に合わせる「とよはし街中ええじゃないかグルメラリー」の参加店を新たに名乗りに上げるのは、「豊橋カレーうどん」枠(各コース1店)の「勢川本店」「蕎麦匠まつや」「玉川広小路本店」「東京庵ときわ店」「みかわの郷カルミア店」の5店をはじめ、「豊橋土産」枠(各コース1店)の「山安大手町本店」の1店、「豊橋生菓子」枠(各コース1店)の「PLATこすたりか」「ボンとらやカルミア店」「リトル・バード」の3店、「豊橋料理」枠(各コース1店)の「いちょう豊橋駅前店」「壱勢広小路店」「きく宗本店」の3店、「豊橋和菓子」枠(各コース1店)の「童庵本店」の1店。などなど、合わせて13店に対し、13店以上のリストに加えて、名前が挙がっています。

風邪から移行しやすい病気

杉浦 依和夫(ヨガ講師・65歳)

 風邪を引くことを恐れている人は多い。引く前からあれこれ策を労して自然治癒力を落とすことになる。風邪に罹患すると、早く治したいばかりに、余分な薬を服用していよいよ体を弱く弱くしているのである。生活に支障なく動きたいこともあろうが、多くは病気の怖れがある。その延長線上には、“死”があるからだという。風邪をこじらせて長引かせたらヘンな病気にでもなりはしないか、不治の病になりはしないか、遂には“死”を連想してしまう。人は、意識の中では、誰も“死”なんて考えられないが、無意識の中では、堪えず“死”が存在している。それがどこかで、意識に浮き上がってくると、途端に怖れを感ずるとは、我が師の講座でのお話だ。

 風邪を早く治そうと焦れば焦るほど長引くばかり、心の感情は生命力にブレーキをかけるばかりでなく、逆の力への原動力になる。心理現象とはこういうものらしい。何もせず、自然経過をしておれば治っていくことを知るべきだろう。慢性病のほとんどは、風邪と同様に無駄なことし過ぎで、心の方向をちょっと変えてやればよいという。

 風邪の引き方は大方体癖で決まっており、そして、そのクセをそのままにしておくと別の病症に移行してしまうから、発症と原因、そしてその対処法を述べます。

 過剰エネルギーの溜めすぎと、体の強張りが風邪引きの主な要因で諸病の根源である。風邪も引けない“似非健康者”は、体が麻痺して、神経・ホルモン系が中毒を起こしている。2年間以上風邪を引かない人は、心臓病、ガン、脳卒中(脳梗塞・脳溢血)に罹るリスクは大きい。風邪引くことによって、血液は浄化されて筋肉は和らぎ脊椎の椎間板は解れて自律神経の機能も向上する。これが風邪の効用である。

 風邪の引き方から、喉や鼻にくる人は、前屈クセから胸椎五番、腰椎一番に異常がある。このクセを放っておくと、首(頸椎4~7)の下部、上胸部に異常は移動し、気管の異常になる。気管支の慢性化になると、両肩がその保護のために前に出て、その圧迫で胸椎3・4番に異常は移り、呼吸病・心臓病などになる。うしろに反る体操などで猫背にならないように。消化器にくる人は、重心が片側に偏っていて、胸椎4,5,6,7番、腰椎2番に異常を起こしやすく、食欲、排泄(便秘)のバランスが崩れており、胃腸病や神経痛になりやすい。左右の脇を伸ばしたり縮めたりする体操などやる。筋肉や関節が痛くなる人は、体の捻れが主な原因で、喉・手足の筋肉・関節痛や炎傷に見回れる。リューマチ・神経炎に移行しやすい。さらに胸椎10番当たりに異常が拘わってくると腎臓や膀胱炎を患うことになる。このために、首・目・耳・鼻などもいずれに発症の憂き目にさらされる。左右に体を捩じる体操などする。頭重や偏頭痛などにくる風邪は、重心が胸から上にあり、足が冷える、のぼせ体質の人が多い。足腰に力が入る体操、例えば、スクワット、うさぎ跳びなどをするとよい。

 病気を治りにくくしているものは、心の奥のもの、それが何なのか・・・いずれに!

ブリリアントのアイドル「高(こう)ちゃん」

理事長 内田里枝

 孫の高太郎が産まれてもう7ヶ月になる。早いものだ。100日目にはお宮参りをした。嬉しかったのは嫁が着物を着てくれたことだ。これは私が息子を産んでお宮参りをした時に着た着物である。着付けも初めてだったが何とか様になった。帯も見よう見まねで形ができた。やれば何とかなるものである。

 まず地元の氏神様、駒形神社にお詣りし、次に息子達が結婚式を挙げた神明社にもお詣りした。ここは私と主人が結婚式を挙げた所でもある。

 もう夕暮れに近かったが近くの写真館で記念の写真を撮ることにした。私が孫の高太郎を抱き、その上から嫁の実家でいただいた着物をかけた。りりしい鷹の絵のついたものだ。横に着物姿の嫁、後ろに息子。この写真は立派に出来上がり、今は我が家の床の間を飾っている。

 孫ができてブリリアントは益々明るくなった。「高ちゃん、高ちゃん」と皆があやしてくれる。“守爺”“守姉”もいる。「パパだよ!」と父親気どりでだっこしてくれる寮生もいる。高ちゃんは皆にアイソを振りまく。笑顔が実に可愛らしい。「高ちゃんの笑顔を見るとイヤな事全部忘れるね!」「2、3日高ちゃんの顔を見ないと何だか寂しいなぁ」そんな会話も聞こえて今や高ちゃんはブリリアントにはなくてはならないような存在のようだ。

 4月になってブリリアントの空に鯉のぼりが上がった。これは嫁の実家のお父さんがふんぱつしてお祝いに買ってくださったものだ。息子や寮生達が大さわぎで矢車を組み、ポールを立てた。いよいよ鯉が空を泳いだ時は「ワーッ!」と歓声が上がった。嬉しかった。これは内田家だけではなく寮生全員の喜びでもあるのだ。

 毎朝7時になると息子は鯉のぼりを上げる。畑の中のブリリアントは風当たりが強く、鯉も元気が良い。この鯉のぼりのように高太郎も元気にたくましく育ってほしいと願う私。最近は鯉のぼりを上げる家も少なく、近所のおばさんや子供達も見に来たりする。こんな風景も時代と共に消えてしまうのだろうか。

「今日はよく鯉が泳ぐね!」「今日は風が無いから鯉が泳がんなぁ!」空を見上げては幸せ感に浸るブリリアントファミリーである。

ハートイン東三河

白井千雄(寮生69歳)

 3月15日。豊川総合体育館で、運動会が開催されました。朝8時30分頃車2台でブリリアントを出発しました。9時30分からラジオ体操をして、1番目の玉入れに出場しました。はじめに赤組が勝って2度目に白組が勝ちました。1勝1敗となって3度目に赤組が勝ちました。私は白組に出場したのですが負けてしまいました。白組は負けが続いたのですが、最後のリレーで白組の選手が逆転勝ちをしました。

行事報告 平成26年2月~3月

2月

2/3(月)恵方巻き実習・豆まき 2/4(火)太鼓の練習(さくらピア)
2/8(土)誕生パーティー(曽我先生、春子さん)
2/15(土)「ブリリアント」慰問(たけのこ)
2/16(日)ふれあい講演会(あいトピア)
男女共生フェスティバル(ライフポート)
2/18(火)太鼓の練習(さくらピア)
2/23(日)曽我先生勉強会、カウンセリング

3月

3/3(月)ひな祭り(ちらし寿司)
3/4(火)太鼓の練習(さくらピア)
3/8(土)ブリリアント臨時総会・誕生パーティー
3/11(火)太鼓の練習(さくらピア)
3/15(土)ハートイン東三河、運動会(豊川市体育館)
3/16(日)心のかけはし夢フェスティバル2014(名豊ビル5F)
3/22(土)「ブリリアント」慰問(豊橋ケアセンター)
3/29(土)「ブリリアント」慰問(福寿園)
3/30(日)曽我先生勉強会、カウンセリング

イラスト:高井宏、内田一恵、兵藤日菜子

ブリリアントにご協力いただいた方々

北川藤良様、白井康允様、今泉良美様、新井興治様、井上浩様、大須賀良子様、 澤田竜弥様、曽我洋秀様、森下昌洪様、グループホームたけのこ様、レスポワール様、 佐溝力様、菅谷君男様、杉浦依和夫様、清水伸太郎様、立岩清様、金原康純様、 宇野和男・晴美様、豊橋ケアセンター様、福寿園様、豊橋善意銀行様、 豊橋社会福祉協議会様、豊橋南ライオンズクラブ様、東海有機(株)

ブリリアントにご寄付下さった方々

大石郁子様、金原佐知様、山口京子様、立岩清様、金原博昭様、 グループホームたけのこ様、レスポワール様、金原光昭様、北川藤良様、曽我洋秀様、清水伸太郎様、大橋温様、白井康允様、豊橋善意銀行様、豊橋市社会福祉協議会様、豊橋南ライオンズクラブ様、東海有機(株)

いろいろとご協力、ご支援ありがとうございました。

毎週木曜日の夜6時30分から、「お話し会」を行っております。どなたでも参加できますのでどうぞお気軽にお越し下さい。

編集後記

 本年6月22日(日)に予定する漢字検定の本試験に向けて、テキストやトレーニング集の勉強など、前年10月から半年間にかけて、部屋で書きました。後は本年5月22日(木)までの漢字4級の本試験の願書を書店かコンビニで申し込むだけです。

安間道貞

 桜の舞い散る中、新入学した中学一年生達が下校していきます。ちょっと大きめなピッカピカの学生服とまっ白い靴。散歩の途中で見かけた光景に、心がふんわかとしました。

伊藤 剛

 この間、ブリリアントでは、向山公園にお花見に行きました。それぞれ各自おにぎりを作り、いっぱいごちそうを持って、桜の木の下で丸く輪になって食べました。そのあと、皆で歌を歌いました。とても楽しいひとときでした。

内田里枝
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