レッツ ブリリアント 2010/01 第39号

発行者
精神障碍者社会復帰施設
特定非営利活動法人(NPO法人)ブリリアント 施設長 内田 秀司

住所 〒 441-8145 豊橋市駒形町字坂口56番地
TEL 0532-46-0033
FAX 0532-46-0163

URL http://brilliant-gh.sakura.ne.jp/

お問い合せはこちらから

平成22年1月15日発行

あけましておめでとうございます
  今年もよろしくお願い申し上げます

施設長 内田秀司

 ブリリアントは今年17年目を迎えます。今までの16年を振り返りますと、ひたすら走り続けた毎日だったと思います。それも寮長の鈴木光雄さんが亡くなられたことで一つのピリオドを打ったような気がします。寮長としてブリリアントの寮生を束ね、常に自己に厳しく生きてこられた光雄さんはブリリアントの歴史そのものでもありました。断酒生活11年。その間多くの人達に感動を与え、たくさんの依存症に苦しむ人達を救い、立派な花を咲かせました。

 彼が私たちに残してくれたものはたくさんあります。今、ブリリアントは上昇への階段の踊り場にさしかかったところだと思います。ここで一呼吸入れて、今後は光雄さんの残してくれた教訓を生かして、一歩一歩進んでいきたいと思っています。

夢の続き

曽我洋秀(鍼灸師:豊橋市在住:50代)

 明けましておめでとうございます。2007年正月にブリリアントの夢を見てから3年が経ちました。

 不思議なご縁によりブリリアントのお話し会へ出席するようになりまして、色々勉強になりました。

 昨年は鳥インフルエンザに始まり、民主党への政権交代、続いて新型インフルエンザ等色々な事がありました。これらは資本主義という社会形態に原因があるように思われます。自我と欲望と所有の3つがない混ぜになって資本主義という一つの社会形態を駆動させている。上手いことを言うもんだなと感心しました。

 政治に関心がないので話を病気のことに変えます。例えば癌と言う病はヤマイダレの中に品の山と書きます。私も癌の患者さんに指導することは、生き方を変えること、例えば食事の量と質を変える、代謝を上げ免疫力を付けるため、体を温める、くよくよしない。そんな簡単なことで、癌も自然になくなる事もあります。

 精神の病気も生活習慣による部分も大きいように思われます。そこに社会形態とか家庭環境が加わり複雑なようです。ブリリアントで生活を共にさせていただき随分勉強になりました。

 20年ほど前にお会いした、マザーテレサは、「一番の不幸は誰の役にも立たないことだ。」と言われた。「消費や享楽に興じるだけでなく命有る限り何かを生み育て、出来る範囲で人のためになる、こうすれば世の中もう少しよくなる。」この言葉を自分に問いつつ、今年もよろしくお願いします。

 最後に去年の道元の言葉について聞かれましたので、書いておきます。

「仏道をならうということは、自己をならうなり。自己をならうというは、自己をわするるなり。自己をわすらふと言うは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるというは、自己の心身および他己の心身をして脱落せしめるなり。」道元。

みっちゃんが遺してくれたもの

伊藤 剛(寮生47歳)

 16年前のブリリアントの発足以来、寮長としてみんなを引っ張ってきてくれた鈴木光雄さんが昨年12月に亡くなられました。昼間はブリリアントの家庭菜園と花壇の世話、夜はお話し会のまとめ役として、また豊橋はまゆう断酒会の副会長さんとして本当に長い間活躍してくださいました。みっちゃんは「一日断酒」という言葉でいつもお話し会を締めくくってくれていました。この言葉が今後の寮生の大きな心の支えになると思います。

 また、ブリリアント二階には、みっちゃんが遺してくれた「みっちゃん文庫」があります。これは鈴木光雄さんが生前集めてよく読んでいた本と本棚とを寄贈していただき、寮生みんなで読めるようにしたものです。この本棚を見ると、みっちゃんは本当に勉強家だったことがうかがえます。仏教の本、話し方の本、人生論の本、さまざまな本が今も僕たちにみっちゃんの声で話しかけてくれるような気がします。

 話し上手だったみっちゃんは、ただ思った事を話していただけではなくて、人の心に届く話し方とはどういうものかを、いろいろな本を通じて学んでいたことがわかります。僕が特に感動したのは、柳田邦男さんの「言葉の力、生きる力」という本です。こういう本をたくさん読んでいたからこそ、みっちゃんの、あの、人の心にストレートに届く、力強いお話しが生まれたのだと納得できました。みっちゃん、あなたが僕たちに教えてくれたことをしっかり守ってこれからも暮らしていきたいと思います。どうぞ安らかにお眠り下さい。

第17回ブリリアント祭りを終えて

宇野和男(寮生44歳)

 平成21年度第17回ブリリアント祭りが10月17日に駒形町公民館で行われた。今年私がトピックなのは、減薬を開始して丁度1年目、初めてのクリアーな体験として迎えたということで、その意味で10周年の、市民文化会館でのブリリアント祭りのときの緊張感と同じくらいのものがあったことです。7月のパリ祭、9月のログハウス、そして月2回の慰問活動、こうしたことを踏まえ、今年の集大成のような気持ちで臨んだ。それらはいずれも特に音響技術につながった。歌っている人が伴奏のメロディーを十分意識でき、かつ最高音質で、また、長く聞き続けてくださるお客様が、自然に居られるような音質で・・・。と、今年体験した全ての技術を駆使した。もちろん、グラフィックイコライザーやリバーブなど、最新の設備投資も十分生きた。

 そしてこれもまた今年はじめて・・・というのが匿名希望さんの戦力でした。全てのプログラムが終了して片付けるとき、疲れ果てて思考能力がなくなってしまった私を見て、彗星のように現れて、一気に解体、撤収、組み立てをやってくれたことです。 びっくりしてしまいました。

 歌った曲数も多かった。特に“サイモンとガーファンクル”の「明日に架ける橋」を英語で歌ったとことはメンバーに英会話の力のある、伊藤剛さんがいて初めて出来たことで、これもまたトピックでした。まだまだあります。○○さんと兵藤さんのビューティーシスターズ、藤原さんの“でんぐりかえって、バイバイバイ”・・・

 当日はこれでもかと大雨が降り、さらに予定していた出演がNGとなったりで、“孤立無援状態”でした。しかし、終わってみれば新しいブリリアント祭りの誕生だったような気もしています。その意味で最後のスペシャルメニュー:語りの佐溝力さんとオカリナの國澤さんたちの存在は大きかったと思う。全てのことが新しい形を作りながら進行していったことに、私は心のそこから、ブリリアントに来て良かった。こんな幸せ、ちょっと無いぞ!と大きく感動し、泣けてきました。本当にありがとうございました。

富士山旅行について

藤田一夫(寮生60歳)

 2009年11月7日、8日にブリリアントの一行は久しぶりのブリリアント旅行に行きました。目的地を富士山に行くと、私が提案し、旅行プランの係として富士山の山梨県側、静岡県側の両方の旅行資料を取り寄せ、大体のプランを考えました。そして一日前にみんなで会議を開き前回の富士山旅行の時の民宿「水口屋」さんにまたお世話になろうと言うことになりました。しかし出来るだけ今回は前回とは違ったプランで行きたいと思い、富士山そのものではなく、そのふもとを一周するコースにしました。

 一日目は豊川インターから富士インターまでETCカードの威力で安く行きました。そこから139号線には入り、浅間大社に行きました。ここでは池の魚に餌をやりました。ちょうど七五三の日で駐車場が無料でした。また、人も多かったです。

湧玉ノ池にて

湧玉ノ池にて

次に白糸の滝に行きました。デジタルムービーカメラを持っていったので滝の様子を詳しく録画しました。宇野君もデジカメを持って行ったのでたくさん写真を撮っていました。まだ時間があったので田貫湖も行きました。

田貫湖にて富士を望む

田貫湖にて富士を望む

一日目のメニューはその後水口屋さんに行き、美味しい鱒の料理を食べました。またプロ野球日本シリーズ最終戦が行われていて、巨人が勝つところも静岡テレビで見ました。

 2日目のプランは、本栖湖、山中湖にまず行きましたが、霧が濃くて1メートル先までも見えなくて、残念でした。そこで今度は山中湖近くの富士山レーダードーム館に行きました。昭和40年頃の天気予報はすべて富士山レーダーで行われていた。その実物が今は、山頂ではなく、麓の道の駅に隣接して記念館として展示されていた。入ってすぐ1時間程度の映画(レーダードーム建設の闘い)を見ました。感動して泣けてきました。この施設は富士山頂のマイナス13度風速20メートルを体験できるコーナーもありました。最後は富士山の湧き水と言われている(名水100選)忍野八海(おしのはっかい)にも行きました。外国人観光客がとてもたくさんいました。湧き水と言うことで飲めるのかなあと思ったけど、魚がたくさんいてとても飲む勇気が出ませんでした。

忍野八海より富士を望む

忍野八海より富士を望む

 今回の旅行はここまでです。帰りは御殿場インターから東名高速に乗り、一気に豊橋まで帰ってきました。今回の富士山は天候も良く恵まれ、といても美しかったです。今回、滝、湖、池、等ありましたがやはり、近くで見た富士山の風景は最高に良かったです。久しぶりのブリリアント旅行は、みんなとても満足しました。

天国に旅立った みっちゃん

理事長 内田里枝

 不死身のみっちゃんと言われた鈴木光雄さんが亡くなられたのは昨年の12月12日でした。「えっ、みっちゃんは死なないんじゃなかったの?」私は姪子さんから「今日亡くなりました。」の電話を頂いた時に一瞬自分の耳を疑いました。

 8年前に動脈瘤が破裂して吐血した時は生死の境をさまよいながら、もう魂は宙に浮いていたと思います。その時はもう一人の世話人さんがいました。とても熱心なクリスチャンで「どうしても、もう一度みっちゃんを元気にしてブリリアントに帰さなくては。」という彼女の切なる願いで、みっちゃんは生き返ったのです。その時の彼女の十字を切った祈りは素晴らしいものでした。もう一度は一昨年の暮れでした。腹水がたまり、双子の赤ちゃんが入っているようにお腹が突き出ていました。誰がみても「あと一週間だね。」と言っていました。

 しかしここでも奇跡が起こったのです。ブリリアントに関わって下さっている東洋医学の曽我先生が、毎日治療に来て、体をマッサージし、お灸を据えて下さいました。そして湯たんぽを8個くらい体の周りに入れて温め、わずかな玄米のおもゆと、リンゴと人参のジュースで3ヶ月をどうにか持ちこたえたのです。その後市民病院で少しづつ腹水を抜いていただき食欲も出てきて、みっちゃんは2月に無事退院してブリリアントに帰ることが出来たのです。 奇跡としか言いようがありませんでした。ですから私はみっちゃんはどんな事になっても生き返る人だと思っていました。本人も100歳まで生きると言っていましたし、死なない人だと思っていました。

 しかし昨年7月、腰の痛みと原因不明の発熱で再び市民病院へ入院することになったのです。それでも8月の終わり頃には退院の予定でした。私は、いきなりブリリアントに戻ってはまた、無理がたたってはいけないと思い、赤岩病院への転院を勧めたのです。

 今考えるとそれがあだになったような気がします。ベッドに寝かされたまんまのみっちゃんは、もうその時覚悟を決めていたのかもしれません。ついに帰らぬ人になってしまったのです。

 寮生達はみっちゃんの病気が治るように折り紙で毎日コツコツと千羽鶴を折っていました。もう少しで千羽になるところでした。私は寮生達と、みっちゃんに縁の深かった人達と一緒にお葬式に行きました。

 一昨年のクリスマス会で断酒10年のお祝いをした時の嬉しそうな写真と、寮生達が心を込めて折った千羽鶴とみっちゃんの数多くの栄光に輝いた表彰の額を持って。

 お葬式には兄弟や親戚の方々が10数人見えていました。お棺の両側には立派な花が飾られ、みっちゃんはその間で安らかな顔で眠っていました。私は持ってきた賞状の額を周りにいっぱい飾っていただきました。お棺の真ん中に飾られたみっちゃんの金縁の額は嬉しそうに笑っていました。

 断酒会の人達も大勢参加して下さり、とても賑やかいお葬式になりました。びっくりしたのはみっちゃんの兄弟や親戚の方々です。「こんな立派なお葬式が出来るなんて・・・」皆涙していました。

 お経が始まり、ご焼香が済むと断酒会の会長さんがみっちゃんに贈る言葉を述べられました。それはすべてみっちゃんの功績を讃える言葉でした。ブリリアントのメンバーも「千の風になって」を歌わせて頂きました。寮生達も涙が止まらず、また聞いて下さっている人達もあちこちですすり泣きの声が聞こえました。

 いよいよ出棺となり私達は持ってきた千羽鶴をお棺の中に散りばめました。皆さんにもお願いしました。みっちゃんは色とりどりの千羽鶴ときれいな花の中に埋まり満足そうに目を閉じていました。私は知らないうちにみっちゃんに話しかけていました。「みっちゃん、よく頑張ったね。よく頑張ったね。えらかったね。」涙が止めどなく流れ、みっちゃんの天国への旅立ちを祝いました。

 みっちゃんはいつも言っていました。「兄弟一人一人に許してもらって死にたい。」と。「それでなければ俺は死ねん。」と。でもこうして最後に皆に見送られて旅立つことが出来たということはその願いが叶ったと言うことです。「みっちゃん 良かったね!!」 私は心から祝福しました。本当は悲しいお葬式のはずなのにこの時は、みっちゃんの願いが叶ったというホッとした安堵感が会場全体を包んでいました。とても感動的なお葬式でした。

マダム芳江先生へ

藤原良江(寮生27歳)

 明けましておめでとうございます。

 昨年秋にログハウスで世話人さん(理事長:内田里枝)のシャンソンコンサートがありました。すごく感動しました。もっと感動する人生経験をマダム芳江先生のトークがありました。本当に感動して、いままでしてきたことを考え直しました。

 人間は、言わないでいることがあっても苦労しているんだなあと思いました。

マダム芳江先生のトーク

マダム芳江先生のトーク

 人生を明かす話は聴いていて心に響きました。マダム芳江先生のトークは私にとっては、感動して涙が湧いて来ました。先生の人生を聴いて、自分が弱くって情けなく感じました。私はこんな私ではいけないと思い、前向きに生きることにしました。今回は決心しました。本当に生きると言う扉を開けました。私は感動して泣けてきました。先生に花束を渡してお礼の言葉を言いました。感動が心にじんわり来て涙が自然とわき出て来ました。

クリスマス会について

  
浦野有弥(寮生22歳)

 はじめまして。私は10月に入所した浦野有弥といいます。12月13日(日曜日)PM6時から9時まで、駒形公民館で、支援者の人達に日ごろの感謝を込めて、ブリリアントのコーラスグループスターダストが、慰安会をおこないました。初めに、今泉良美さんの乾杯の音戸で乾杯をしました。30分ほど自由時間があり各自盛りだくさんの料理を食べながら再会の言葉等交わしながら過ごました。すぐに名古屋のロココさんこと、土田正彦さんがフォークソングをギターでやってくれました。それからブリリアントのスターダストのメンバーでクリスマスソングを歌いました。

 私は、山下達郎さんのクリスマスイブの曲をキーボードで、演奏をしました。とても緊張をしました。演奏しながらマイク無しで、歌いました。その後、豊橋善意銀行の方が手品をやってくれました。面白く、不思議な手品を楽しくやってくれました。また、太田さんの親子がギターと歌を演奏してくれました。私はハーモニカの清水伸太郎さんが演奏する時に介護をしました。(私はホームヘルパー2級の免状を持っています)ハーモニカの演奏は、きよしこの夜の演奏をしてくれました。わたしは10月に入所してから短くも3ヶ月で卒業しますが、こんなスリリングな体験は初めてでした。

 ブリリアントに入って感じたことは、人生の深さを追求するまじめな生き方を真剣に考えるようになったことでした。とてもたくさんの思い出を作って、私は、夢に向かって、旅立ちます。本当に、お世話になり、有り難う御座いました。

アナログ人間について

森下昌洪(一般:岩倉市在住:62才)

 僕はあるセミナーに参加した様子を録音したCDを送ってもらった。早速、ラジカセで聴こうとしたら全然音が出ない。このセミナーの主催者に、葉書で録音ミスではないかと苦情を書いた。

 葉書を書いた直後に他の人からもCDが送られてきた。今回の送り手は、僕がケータイを持たないし、パソコンも、インターネットも扱わない完全なアナログ人間と言うことを知っていたので「CDは最新のパソコンでしか聴くことが出来ません。」と、しっかり説明してあった。

 以前プレゼントされたミュージシャンのCDも聴けなくて、そのまま置いてある。

 最新の機器に合わせられないアナログ人間はこのまま自然にいなくなれば良いのか?この先どんどん便利性を追求して行って良いのか?僕のような、少数派のアナログ人間は貴重な存在だと思う。

私の生活

安間道貞(寮生24歳)

 朝7時までに起きて30分歩きます。歩いたら朝ご飯は食パン、生野菜、牛乳、スクランブルエッグ、フルーツなどを食べます。月曜日から金曜日までは松崎病院のデイケアに通って、午前中は高師緑地公園での散策、午後はスポーツかカラオケなどに行っています。昼食はデイケアで食べてます。

 土曜日の月2回はお米と野菜の仕事です。野菜では大根、キャベツなどです。お米や季節野菜があります。

 日曜日は自分の散策をして運動しながらがんばります。夕食はご飯、味噌汁、おかずなどで団らんしています。夕食後は反省会やラジオ体操をやります。

 月2回のスターダストの歌の練習をしています。

 薬を飲むのは朝と寝る前の1日2回です。お風呂は毎日入っており、頭の洗いや体を洗ったりすることも出来ます。

 洗濯するのは週一回洗っています。布団干しは月1回以上で、部屋の掃除をするのは月1回以上です。

昨年はお騒がせしました

宇野和男(寮生45歳)

 2009年はお騒がせ致しまして、皆様には、申し訳ありませんでした。騒動の根本には、精神薬を減薬しまして一年目で、ちょうど、自分の立ち位置が分かるようになったことがあります。グループホームのありがたさと、窮屈なところ、両方がくっきりと見えてきました。年齢相当の私生活をじっくり楽しむには退寮した方が良いと思います。ただ、貯金もなく、血縁関係に支持者が全くいない私のような場合、美味しいものをたらふく食べ、美味しい酒を飲みたいだけ飲み、それで終わってしまって、後何のために生きているのか分からなくなることがあります。年賀状にも私がブリリアントにいたからこそ築けた人脈がありました。私はやはり、ブリリアントあっての宇野君であって、後にも先にもそれしかないことが半年かかってようやく分かりました。8月から11月まで退寮した場合の計画をいろいろしていましたが、正直言いまして、生活レベルが相当悪くなる事しか予想できませんでした。

 今、こうして作文している私は、じゃ何が変わったの?と、言われると、こう答えます。

 病気でなかったら、元気なことは元気でしょう。でも、病気になったからこそ語れる人生の真実があって、私は、精神的な、もっと強く言うと、スピリチャルな本をたくさん読み、また、たくさんの指導者のおかげ様もあって、結局は、自分で自分を自分だけで変身させてきた実績があります。周りを見ると、私の経験で開眼させてあげたい人がたくさんいます。経済的にとりあえず困らなくてすんでいる、このブリリアントの保護のおかげで成り立っている人生の時間を、精神の面で困っている人達に、少しでも役に立っていけるよう、そしてその事を、障碍者の真実の生活レベルで考えてきたことが、説得力を持っていける様になったのですと。

 障碍者として生きなければならない、私達が、お互いに、許し合ったり、協力し合うことは素晴らしいことと思います。私が私である原点に、ブリリアントが存在するという事に気がついたのです。これからもブリリアントの文化活動(慰問活動やこの機関誌の作成)全力を挙げるのはもちろんですが、井の中の蛙ではいけないので、今年は色々な勉強会に出席して、世界を広げていこうと思います。

 重ね重ねお騒がせ致しました事を、お詫び申し上げます。すみませんでした。

行事報告 平成21年9月~12月

9月

9/1 (火)ハートイン東三河実行委員会(豊川勤労福祉会館)
9/5 (土)お米の仕事
9/9 (水)お寺参り
9/13 (日)「ブリリアント」慰問(ちぎり寮)
9/19 (土)お米の仕事、「ブリリアント」慰問(椰子の実)
9/20 (日)ブリリアント見学(鈴木さん)
9/27 (日)ログハウスイベント(愛知県民の森入り口のログハウス)

10月

10/3 (土)お米の仕事
10/4 (日)Jちゃん送別会
10/6 (火)太鼓の練習
10/10(土)「ブリリアント」慰問(つつじ荘)
10/11(日)曽我先生勉強会
10/15(木)ハートイン東三河実行委員会(豊川文化会館)
10/17(土)ブリリアント祭り(駒形町公民館)
10/28(水)ブリリアント見学(可知病院より5名)
10/31(土)駒形神社掃除、秋祭り、ハートイン東三河(豊川文化会館)

11月

11/1 (日)駒形神社秋祭り
11/3 (火)「ブリリアント」慰問(グループホームたけのこ)
11/7 (土)お米の仕事、一泊旅行
11/8 (日)一泊旅行
11/11(水)マダム芳江シャンソンリサイタル(愛知県芸術劇場)
11/15(日)防災訓練(磯辺小学校)
11/21(土)お米の仕事、「ブリリアント」慰問(なごみ)
11/22(日)豊橋男女共生フェスティバル(ライフポート)
11/29(日)曽我先生勉強会

12月

12/5 (土)お米の仕事
12/6 (日)駒形神社下草刈り
12/13(日)感謝祭、クリスマス会
12/19(土)お米の仕事
12/20(日)曽我先生勉強会
12/24(木)お話し会のクリスマス会
12/26(土)大掃除
12/31(木)除夜の鐘(リュウネン寺)

ブリリアントにご協力いただいた方々

今泉良美様、万久商店様、井上浩様、大須賀良子様、曽我洋秀様、前田幸子様、前田登様、近藤登志子様、石原かづ江様、位己光児様、佐溝力様、國澤様、オカリナグループ様、北川藤良様、北川伸枝様、マダム芳江様、ロココ様、野村浩子様、あいトピア様、清水伸太郎様、菅谷君男様、和太鼓グループ希望様、兵藤なつき様、森下昌洪様、白井千雄様、稲地扶美子様、矢車草様、グループホームたけのこ様、生田久子様、金原康純様、金原智世様、豊橋善意銀行様、ゆうきデリバリーサービス様、東海有機(株)

ブリリアントにご寄付下さった方々

今泉良美様、万久商店様、井上浩様、大須賀良子様、西山光次様、曽我洋秀様、位己光児様、マダム芳江様、小木曽哲夫様、金子様、内田佳伸様、グループホームたけのこ様、佐羽尾様、大沢芳江様、山本良美様、鈴木静子様、川瀬昭子様、中西寿彦様、椰子の実様、北川藤良様、白井千雄様、兵藤昇様、柳瀬実様、山口京子様、金原光昭様、金原佐知様、鈴木清子様、横山弘子様、坂田祥子様、木下様、岡林園様、大橋温様、須藤裕一郎様、鈴木和子様、石川様、水口屋様、郭様、浦野様、内田貴士様、大橋善行様、梁川美根子様、佐溝力様、内田佳伸様、鈴木伸治様、内田知様、藤岡利之様、市川光子様、山本美和子様、金原康純様、夏目様、金原博昭様、高洲陽子様、鈴木茂様、丸山源作様、レスポワール様、生田久子様、坂本頼子様、平井商会様、溝口こたけ様、清水伸太郎様、小石八重子様、なごみ様、ちぎり寮様、伊藤洋様、黒木武秀様、菅谷君男様、佐藤様、内藤得也様、小野田様、豊橋善意銀行様、ゆうきデリバリーサービス様、東海有機(株)

いろいろとご協力、ご支援ありがとうございました。

編集後記

 第17回ブリリアント祭り(2009・10・13)の音響担当では、マダム芳江先生やトコス社長の杉江さんの指導を受け、見習い、実践と頑張りました。技術的にもこれまでで最高のものを出せたと思います。匿名希望さんも大活躍で頑張ってくれました。今後も慰問などではマイク・藤原、ミキサー、イコライザー結線・○○、発展応用・宇野で行きたいと思います。今年もよろしくお願いいたします。

宇野和男

 寮生の中心的存在であった寮長の鈴木光雄さんが亡くなられましたが、鈴木さんがこれまでみんなに語ってくれたものを大切に守りながら、一日一日を一生懸命がんばって暮らしてゆきたいと思います。合掌。

伊藤 剛
↑ PAGE TOP