レッツ ブリリアント 2005/09 第21号

発行者
精神障碍者社会復帰施設
特定非営利活動法人(NPO法人)ブリリアント 施設長 内田 秀司

住所 〒 441-8145 豊橋市駒形町字坂口56番地
TEL 0532-46-0033
FAX 0532-46-0163

URL http://brilliant-gh.sakura.ne.jp/

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平成17年9月15日発行

今年もブリリアント祭り(11月13日(日))をよろしくお願いします

施設長 内田秀司

 皆様、お待ちかねのブリリアント祭りが近づいてまいりました。昨年に引き続き、野外コンサートを企画しております。寮生によるコーラスグループ「スターダスト」もいろんな施設への慰問で磨きがかかり、さらに今回は、和太鼓にも挑戦いたします。楽しみにしていてください。その他、選りすぐりのアーティストたちの素晴らしいコンサート、そして最後を締めくくるのはもちろん華やかなフラメンコショーです。また、フリーマーケットやバザーもあり、ブリリアントうどん、ウズラの焼き鳥、おでん、カレーライス。今回特にお勧めは本場鳳来町の五平餅です。また空クジなしのお楽しみくじ引きもありますので一人でも多くのお友達をお誘いいただきましてお越し下さいますようお願い申し上げます。

愛地球博について

藤田一夫(寮生56歳)

 8月10日に、一昨日の8日に続いて2回目の地球博に一人で行く事にした。前日、入場券と往復の豊橋鉄道のバス賃を払い予約してきた。当日、5時起きでおにぎりを作り、一色町発6時38分のバスで、前日に凍らせておいたバランス飲料を持って豊橋駅に向かった。7時30分発長久手行きに乗り、東ゲートに9時に到着した。手荷物と入場券の検査を済ませて地球博に入場した。

 今日の予定は日立館とエキスポドームでの加山雄三のコンサートであったが、日立館のドーム前に9時20分に着き整理券をもらおうとしたがすでに遅く、もらうことができなかった。コンサートのほうも時間がわからなかったので、帰りのバスと同じ時間になってしまった。そこでコンサートはあきらめてとりあえずマンモスを見ようと思い、グローバルハウスに向かい、その前に並び、10時50分コースの整理券をもらうことになった。それまで1時間半あるので付近をうろうろしながら道端でマルチビタミンウィダーを飲みながら時間をつぶした。10時40分頃になったら急に雨が降り出してきて慌ててグローバルハウス内に駆け込んだ。そして列に並び待った。

 どこの館に入るにも待つので、忍耐力が必要だ。グローバルハウスではスーパーハイビジョンで普通のテレビの4倍の解像度があり音響は22チャンネル100個以上のスピーカーで迫力ある映像を見ることが出来た。そして動く歩道で本物のマンモスをあっという間に見終わってしまった。昼近くになったので持ってきたおにぎりを食べ再び日立館に向かい4時間待つことにした。日立館前の列に並ぶと日立館のスタッフの人が皆にイスを貸してくれた。それとアイスノンみたいなそれほど冷たくはないが液体の入ったものをくれた。袋をもんでいても冷たくならず、1時間位した後に列の男の人が、それを叩いて中袋を破れば冷たくなると教えてくれたので叩いて破った。すると5分ほど冷たくなったがまた暖かくなってしまった。これはどうしても熱さに我慢出来なくなってしまった時に使うものであったみたいだ。

 そうしているうちにピエロが出て来て子供向きの芸を見せてくれたりロボットが出て来て踊っていたりした。その時、前後4人の女性と親しく話した。3時間くらい経った頃にイスを回収し始めて入場口前に並び直し、立って待って1時間待つと4時間が経ち入場し始めた。入場券を見せて携帯電話の画面みたいな装置を渡された。これは地球環境の変化により希少化している動物が映るらしい。柱ごとに動物が変わりデータが出る。その後にジェットコースターのような乗り物にペアで乗り、右手に輪になった物をはめ、双眼鏡を覗くと手のひらに鳥が乗り、手のひらを返しても逆さになりまたもとに戻すと手のひらに乗っていた。さらに、キリンが目の前に来て鼻息をかけたりワニが出て来て口を開けてきたりして驚いた。大人も一度は見る価値があると思った。これらはすべて錯覚による見せ物だと思った。

 長い時間待ったようだが見ている時間は短かった。日立館が終わってもエキスポドームに充分行ける時間が有ったが帰る時間だったのでバスに乗った。今はこのことを悔やんでいる。帰りの時間を9時にしておけば良かった。むだに時間を待ったようだが無駄ではなく、時間の使い方、いや一生涯の過ごし方を教えてもらったような気がする。今日一日と今まで過ごしてきた一日とではものすごく濃縮した一日であった。今までの私にとって色々と反省させられた一日でもあった。

生きる喜び

宇野和男(寮生40歳)

 人間は誰でも自己実現こそ最大の喜びだとおもう。ただビジネスライクに実現するのと、昔からあった日本の大家族の中での精神的に実現するのでは全然違う。今ではこの機関紙も創刊からのメンバーは寮生では私一人になってしまったが、新メンバーさんたちがとてもいい人ばかりで、常日頃から夕食前後に何気ない雑談をしてお互いの存在を認め合ったり、相互理解を深めたりしていて今このブリリアントで生活する事が嬉しくて嬉しくてならない。

 新メンバーさんも大分この生活になれてきたのか、皆で一緒の事をする以外に個人活動も増えてきた。例えば原付の免許をついに取ったJさんのバイク三昧やラジコン飛行機の伊藤さん、また私の(SACD),(DVD-AUDIO)と言った5.1cHオーディオなど・・・それぞれ充実した生活をしていてとても良い、そしてその上での相互理解である。さらに、こうしたブリリアントの新体制として世話人の内田さんからブリリアントを維持したりよくしたりする活動の活動班の決定と班長決めが告げられた。もちろん一人大体3役くらいある。これまで色々手を染めてきた私は食事、音響、パソコンとなった。責任範囲が明確となって今有る自分を肯定する事もできる余裕が出てきた。こうして日々を大切に過ごしていけれる事自体がとても幸せに思います。本当に、いつまでも変わらず、この生活を・・・と願う、最近の私です。

私の宝物

匿名希望(寮生22歳)

 今年の5月私は原付の免許を取るために連休に入ってから約一ヶ月もの間ひたすらに頑張った。 その前にも自分で一生懸命やっていたけどそのうち飽きてしまいそのままずるずるとなまけるようになっていった。 それを見かねた世話人が「いつ、免許取るの?早く取らないとそのうち寒くなるから今のうちにとりな。」と言う一言がきっかけだったが自分ひとりではどういうふうに勉強すればいいのか分からないと迷っていたら、「じゃ和ちゃん(宇野のこと)がJちゃんの家庭教師をすればいいんじゃない。」と言うことになり、それから一ヶ月頑張った。始めのうちはあまりにも難しくてやりたくないなと思っていた事もあったけど宇野さんは分からない問題も丁寧に教えてくれて、いつのまにか苦痛だった勉強も楽しく思えるようになった。

 だんだん自信が付き始めた頃「もうそろそろいいんじゃないかな。」と試験を受ける計画も立て始め6月にはいってすぐ豊川の運転免許センターへ行ったが緊張していたため分かっていた問題も頭の中が真っ白になってしまい結果は不合格だった。でも自分に負けてはいけないとそれからも間違えた所は宇野さんと2人で理解できるまで必死にやりぬいた。2回、3回、4回と受験していたら自分の引っかかっていたものが分かってきて、私はこれでもう受かるぞと言う気持が出てきた。そして5回目の受験となる朝、この日はいつも以上に落ち着いて自分でも絶対大丈夫と言うのが確信できて試験場についてもいつもよりすごくリラックスしていた。問題も今までやってきたものがそのまま出てきたのもあり、5度目にして見事合格した。

 免許証を手にして帰ってきたときは皆を驚かしてやろうと思いいつもどうりにしていて、そのうちに皆に免許証を見せたら皆が「頑張ったね」と言ってくれたのがとても嬉しかった。 やっぱりあきらめずにやり遂げたと言う喜びは私にとっていい経験になった。

 私のために背中を押してくれた世話人さん、それに一生懸命家庭教師をしてくれた宇野さん、この2人にはとっても感謝している。今私は運転の練習のためどんどん原付での走行距離を伸ばしているが、やはりまだ練習不足もあり早く乗りこなしたいなと思っている。 これからは交通事故に遭わないよう安全運転を心がけていきたい。みんなのおかげでがんばれたと言う事を忘れずに生活したいです。本当にいい経験が出来て良かったです。

「ラッキーマン」を読んで

伊藤 剛(寮生43歳)

 「ラッキーマン」は、映画「バックトゥザフューチャー」3部作で有名になったカナダ出身の映画俳優マイケル・J・フォックスの自伝である。苦労した下積み時代を経て、テレビドラマでの成功、そして前述の映画の世界的なヒットにより、街を歩けば誰もが振り返るハリウッドの大スターとなる。しかし、30代前半から難病のパーキンソン病に冒され、左手の震え、さらには左半身全体のけいれんという、俳優と言う職業にとっては致命的な症状に襲われる。彼はこの難病に対し、服薬を続け、病気を隠しながら7年間も仕事を続ける。そのストレスに耐えかね、危うくアルコール依存症になりかけながらも強い意志で、それを乗り切る。しかし、病状は悪化の一途をたどり、非常に難しい脳外科手術を受けることで左半身は一旦回復する。だが、進行性の病気であるため、とうとう右半身にも症状が出始める。ついにマイケルは、自分がパーキンソン病であることを社会に向かって告白する。その勇気ある行動は、アメリカ社会に大きな反響を巻き起こし、多くのパーキンソン病患者の連帯を生むに至る。現在彼は、パーキンソン病を研究する医学者たちに効率的に予算を獲得し配分する仕事を行なう財団の長となって活躍している。

 マイケルの考え方の中で、私が何より心を打たれたのは、あの難病に自分が冒されていても、自分はラッキーであり、その病気は自分にとって「ギフト」であると言い切るとても積極的で勇気ある考え方である。自分が病気から得たものはとても大きく、仮に神様が現れて、病気をする前の自分に戻してくれると言っても彼は断るだろうと言う。私も、不治の病であるそううつ病を患っているが、ここまで前向きな生き方はなかなかできていない。しかし、この病気を持つことで、なんらかの人間的成長は、わずかながら出来たように思う。繰り返す苦しい発作の時期と、それに続く長い入院生活が無かったら、今の自分は、非常に薄っぺらな、ごう慢な人間になっていたことだろう。今の私に出来る事は、きちんとした生活管理と服薬、体力作りである。これらのことを、マイケルを見習って少しでも向上し前向きに生きてゆきたい。

 また、この本からは、マイケルの愛する妻や子供たちを守る父親としての責任感、仕事仲間に対する誠実な対応にも非常に感動を受けた。この本の表紙には、顔の左側を手で隠したマイケルのアップが使われている。これは、なんらかのマヒが表れているのかどうかはわからない。しかし、彼の暖かな右目と口元の微笑は、私にたとえようのない共感と応援を送ってくれる。現在でも文庫版が販売されているので、皆さんにもぜひ一読をお勧めします。

ブリリアントの慰問活動(すばらしき仲間達)

世話人 内田里枝

 ブリリアントが “訪問交歓グループ「ブリリアント」” として慰問活動を始めて、もうじき一年半になる。訪問先は身体障碍者の施設、知的障碍者の施設、老人保健施設、デイサービスセンターなど、一年間で15箇所くらいを回っている。

 内容はブリリアントのコーラスグループ「スターダスト」と外部からの支援者達で成り立っている。支援者として、まずハーモニカ演奏の清水伸太郎さん。清水さんは豊橋精神障碍者地域家族会「くすのき会」の元会長さんである。脳溢血で右半身不自由の体になられても、こうして素晴らしいハーモニカ演奏で多くの人達の心を癒して下さっている。演奏が始まると会場からどこからともなく歌声が湧きあがり、大合唱になったりする。これは慰問活動の醍醐味でもある。

 シャンソンの森下昌人さんも支援者である。彼はどこに行っても挨拶代わりにシャンソンを歌うという大の歌好き。ピアノの調律の仕事で出入りしているうちに、いつしかブリリアントの家族になってしまった。彼のひょうひょうとしたキャラクターや面白いコメントは会場を和ませ、笑いの渦になったりする。最近では、愛知万博で歌った場面がNHKのさらさらサラダで放映されて話題となった。

 変り種としてはホーロー看板の講演の佐溝力さん。彼も支援者であるがキャリアがすごい。昨年はボランティア歴30年という功績が認められ、天皇陛下から緑綬褒章を頂いている。ホーロー看板の収集家としても有名で新聞、雑誌、テレビに活躍中である。最近も所ジョージ司会のテレビ番組「所・おすぎトホホ人物伝」に出演し、脚光を浴びた。佐溝さんの昔なつかしいホーロー看板を見ると、お年寄りたちが「こんなんあった、あった。」と手を打って喜び、昔のよき時代を思い出している。

 忘れてならないのが縁の下の力持ちの監督兼プロデューサーの杉本龍夫さん。彼は主人の高校時代の同級生で、ブリリアントの10周年を期に関わってくださる事になった。プロのジャズギタリストとしての40年のキャリアを生かして、この訪問交歓グループ「ブリリアント」の一切がっさいを引き受けて下さっている。スターダストのコーラスや、ソロのカラオケ作りから音楽指導、そして訪問先のプログラム作り、ビデオ撮影、それから編集と目も回る忙しさ。この私の夢であった慰問活動が実現したのも杉本さんの存在があればこそである。

 もう一人の素晴らしい縁の下の力持ちは平井宏さん。彼は事務用品関係の社長さんで、ふとしたことがきっかけでブリリアントに関わってくださる事になった。慰問に出かけるたびに行う機材の運搬やセッティングはプロ級である。機材を毛布にくるみゴムで動かないように止め、でかけるたびごとに至れり尽くせりの工夫が凝らされている。又、会場でのお客様達との交流も自然体でいつの間にか仲間に溶け込んでいる。本当に頭の下がる人である。こんな素晴らしい仲間達に囲まれ慰問活動は行われている。

 スターダストもこの一年半で目ざましく成長し、持ち歌も40曲以上となった。行き先によって懐メロが中心であったり、それが中メロであったり、又若向きの歌だったりに変化する。最近は芸人が増えて寮生が全員ソロの曲を歌い、監督も選曲に嬉しい悲鳴をあげている。又、英語の歌に挑戦したり、2部に分かれてハモッたり、かなり高度なテクニックを身につけてきた。これが寮生達の自信に繋がったりまた、いろんな施設を訪問する事によって社会性も学ぶことができるのではないと思う。何より嬉しいのはこの仲間たちが手をつないで行動を起こしている事。それもイヤイヤではなく、次の慰問の日が待ち遠しいということである。「いつもありがとうございます。」と私が感謝すると「イヤー、楽しくてね。」という言葉が返ってくる。この世界一素晴らしき仲間たちに囲まれ、私は本当に幸せである。

心の変化

竹内艶子(寮生61歳)

 グループホームに来て一ヶ月経ちました。入院していた時は歌もめんどくさくて歌いませんでした。ここに来てから歌う事も楽しく思うようになりました。何でも楽しいと思って暮らさなければいけないとおもいました。皆働いているのに、私だけ働いていません。10月になれば家の片付けに行かなければいけません。何か家に帰る事も楽しいと思います。入院生活は2度としたくないです。これからも頑張って暮らします。

「我輩は猫である」から、夏目漱石を診る

杉浦 依和夫(ヨガ研究家・50代)

 「坊ちゃん」と並んで漱石の代表作である「我輩は猫である」は、現在中日新聞欄に連載中である。こうして改めて日に日に読んでいくのも楽しめる。丁度タイミングがいいのか漱石ブームなのかわからないが、評論や人物像で取り上げられているのが目につく。つい先だっても同じく同新聞の「図解・からだガイド」に引っ張りだされていた。いやはや、漱石さんも迷惑だろう、と言うのは持病で苦しんでいたこと。“痔”について医者が対処法と治療を解説していたが、漱石さんを引き合いにだして慢性病で治りづらいことを強調していた。 “名前がまだない”猫くんの主人・クシャミ先生が慢性胃炎で胃薬を服用するくだりが随所にでてくる。癇癪(おこりやすい・発作的に)持ちもそうである。この主人公は多分に、漱石自身であろうことは推察がつく。

 漱石の偏頭痛・歯痛を含めて、躁鬱病の三点セットである。漱石さんもさぞ大変であったろうと思う。私の母も胃薬と縁が切れなかったから、なおさらである。私がこの時にヨガ研究に入っていれば、治療の工夫もできたのにと・・・・・感懐にむせぶこの頃です。 さて、漱石さんの病症状をヨガ医学の観点から、カラダのクセ・体型をさぐってその治し方を述べてみましょう。漱石さんを題材にしてゴメンなさい。 漱石の肖像画では、右のこめかみに手を当てているのがありますが、私はこれしか見てないですが、彼にとってはこのポーズが休息用で楽なのでしょう。偏頭痛や歯痛のツボがこめかみであり、昔、私はここに梅肉を貼ったものです。

 胃病と痔になりやすい体型は次の如くです。
一.ふくらはぎが硬化していると胃腸が弱る。
二.小指側の重心は、痔の人に多い。 (自分の重心は、履物の減り方でわかる。)
三.手首の屈伸力が弱くなると胃下垂になる。
四.右足重心で左足が長い人は、胃腸病・消化器病になりやすい。
五.首が左に寄っていたり、左に曲がり傾いている人は胃の故障のある人である。

 またこういう人は、みぞおちを落とした呼吸体型である。 歯痛や偏頭痛、耳鳴りは重心の同じ側に出ますし、膝痛は反対側にでます。また、みぞおちを落としますと前かがみ姿勢となりますから胸骨が狭まり胸筋を下垂させます。胸筋が歪みますとよく夢をみたり、妄想を抱きやすくなりますから、不安・憂うつになるものです。 こうして見ますと漱石は、右足重心の前かがみ歩行でお腹がへこんで腰を後ろに突き気味の体型であり、首は左に傾けたクセをお持ちのようです。両足の小指側に力が入る立ち居姿勢でありましょう。

 ですので、これらの病気・症状はクスリを飲んでも根本的には治らないのも道理でしょう。クスリは一時的に変化させただけと捉えます。胃腸は首の傾きを直さないと完治しにくいとヨガは記されています。首の曲がり一つが原因か結果なのかを知る必要があります。例えば、首へ外的の力が加わって曲がったのか、胃炎を和らげるためには首を曲げた方楽なのか、はたまた足首ねんざからきたのか、手首の可動性からきたのか様々なファクターがあるといえる。首は手首と足首と関連しており、悪影響を受けやすい。

 作家はえてして、運動不足になりやすいから、体癖をつくり固定しやすいようだ。結構作家は変わり者が多いのではないかと思う。漱石もこのクセがあったからこそ、傑作を発表できたのでしょう。漱石も躁鬱の“そう”の時は筆が進んだと述懐しています。クセを転換した好例でもありましょう。

行事報告 平成17年7月~8月

7月 6日(水)ミニコンサート  
  10日(日)和太鼓練習  
  13日(水)「ブリリアント」慰問  珠藻荘  
  16日(土)花火大会  
  17日(日)社会福祉法人「ふたば」開所式参加、誕生パーティー  
  23日(土)海水浴(女ヶ浦海水浴場)  
  24日(日)はまゆう断酒会15周年記念大会参加 (アイトピア)、和太鼓の練習

8月 1日(月)ブリリアント会議 
   3日(水)ヨガ教室   
   7日(日)アムール号乗船(三河湾)   
   8日(月)愛・地球博見学  
  14日(日)藤原良江さん体験発表&音楽交流会参加  
  24日(水)「ブリリアント」慰問(若菜荘)  
  29日(月)ブリリアント会議

*毎週木曜日PM6:30よりお話会を行っています。一般の方の参加も自由ですぜひお越しください。パンダウサギのみーちゃんとちーちゃんがブリリアントのペットの仲間入りをしました。

ブリリアントにご協力いただいた方々

あいトピア様、稲地様、伊藤様、大須賀様、太田様、佐溝様、清水様、白井様、杉浦様、杉本様、鈴木様、豊橋善意銀行様服部様、平井様、森下様、レスポワール様、 有機デリバリーサービス 東海起業(株)東海有機(株)

ブリリアントにご寄付くださった方々

伊藤様、内田様、太田様、小野田様、河合様、北川様、金原様、黒木様、小石様、坂本様、佐溝様、白井様、杉山様、鈴木様、田中様 豊橋善意銀行様、中西様、和(なごみ)様、西山様、珠藻荘様、平松様、マダム芳江様、溝口様、森谷様、柳瀬様、山口様、有機デリバリーサービス、東海起業(株)東海有機(株)

編集後記

 私は短大、大学に当たる17歳から27歳までエアコンなしで生活をしていました。夏は1日3回風呂に入り冬は毛布を体に巻きつけて寒さをしのぎました。精神病院は冷暖房完備だったのでなかなか体調が回復、順応できなかったですが今年は、夜寝る前のタイマーで25℃4時間だけで過ごせました。通っている作業所も扇風機しかなく盆のころはほんと「この暑さ、ちーと考えるなぁ」と思いました。でもだんだん普通の人になれることがうれしかった夏でした。

寮生 宇野和男

 新聞作りも2回目となり、だんだんとコツが飲み込めてきたところです。毎回いろんな人がいろんな原稿を書いているので、それを読むのが楽しみです。みなさんのお手元に届いてからどんな風に読まれているか想像するのももうひとつの楽しみです。これからもどうぞよろしくお願いします。

(編集長)寮生 伊藤 剛
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