レッツ ブリリアント 2002/06 第6号

発行者
精神障碍者社会復帰施設
特定非営利活動法人(NPO法人)ブリリアント 施設長 内田 秀司

住所 〒 441-8145 豊橋市駒形町字坂口56番地
TEL 0532-46-0033
FAX 0532-46-0163

URL http://brilliant-gh.sakura.ne.jp/

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平成14年6月1日発行

「アビニオンで」

森下 昌洪 岩倉市50代

 アビニオンのカフェで、長い間休んでいたら黒人の物売りが入ってきた。ベルトを肩にたくさん掛けて、各々のテーブルを廻って出ていった。隣の席では子供連れの家族が黒い犬と一緒に入って来た。その犬はしつけがよくて床にじっと座っていた。あまりにもいい犬だったので写真を撮った。ホテルの予約を取るために電話したり、案内書を見たりして時間が経過した。その内にさっき出て行ったばかりの黒人が又戻って来て、先程と同じく店内をぐるりと廻って出て行った。今度も誰も見向きしなかった。日本の喫茶店では、考えられない光景だった。店の主人は嫌な顔一つせず、いつもの習慣ぐらいに感じているのだろうか。

 日本の店では必ず入り口に「ペットをお連れのお客様は、入店をおご遠慮願います。」と書いてある。中華レストランでは、食べているテーブルにライター売りの男が入ってきた。鋳物で精巧に細工してあり見た目はすごくよかった。確か40F「600円」位だった。息子のおみやげとして買った。この男は、見本のライターを、テーブルにつている客に一つづつ置いて廻った。一廻りしてから、買いたい人が注文する方法だった。レジで両替して支払いを済ませようとしたら店の主人が、この男は、耳が不自由で話す事が出来ないと言った。その為にテーブルごとにライターを置いていったのだ。お金を渡したときの笑顔は、いまでも想い出す。同時にフランス人特有の親指を立てて喜びを表現した。喫茶店に入ってきた黒人や耳の不自由な男は、こうやって店から店へ毎晩廻っているのだ。そんなに売れないと思う。今回の一人旅で日本人とヨーロッパの人々の弱者に対する違いを感じた。

 息子に買ったライターは、数回点火しただけですぐ壊れたがいい想いでになった。

ブリリアント祭10周年に寄せて

管理人 Y・S

 思えば昨年7月19日私は再度豊橋の土を踏んだ。これが今回10周年を迎えたブリリアントへのいざないだったかも知れない。まず驚いたのは、来て2日目に寮生の鈴木光雄さんが急に吐血し、救急車で市民病院まで運ばれそのまま入院のはめになった事だった。それから40日余り病院へ通うことになる。無事退院出来て3ヶ月目、検査の結果もう一度入院との事、最初の入院で完治していなかった部分への再治療が始まった。この間20日余り、気持ち的には前の入院とすると随分気が楽だった。完全に治るという安心感のせいだ。

 その間にもスターダストのメンバーは5月5日の本番に向けて練習に余念がなかった。フレンドハウスに通う毎日の生活の中で宇野和男君が沢下さん宅に週1回金曜日に手伝いに行く話が決まり、それから間も無くお兄さんの宇野昭男君が杉浦さん宅におせわになる事になって自立の第1歩を踏み出した。クリスマス会、誕生会、豆まき、お雛様と次々に行事をこなしながら、ポスターのこと、チラシのこと、講演依頼のことと、あちこち走りまわる。ポスターとチラシだけは印刷屋さんにお願いして、チケットと冊子は自分達で作ることになった。さあ大変、えらいことになった。童里夢さんが素晴らしいコンサートをされた後だけにプレッシャーがかかった。色々と教えていただきながら、ブリリアントらしい記念になる物をやろうということになった。

 応援してくださる皆様を集めることから始まり、最初は試行錯誤しながらご迷惑もおかけして、最終的には、内田社長の指揮のもと何とか今回の形に落ち着くことが出来た。一番最初に作ったのがチケット800枚、A四の画用紙に8枚ずつそれを百枚コピーした。デザインはみんなで考え、森下さんの黒い絵を入れブリリアントの印を押すとそれらしくなった。次にカラーコピー機を丸栄さんにお借りして、カラーの部分のみの印刷に通うことになる。

 これで冊子の半分は出来たも同じ。普通のコピーはフレンドハウスの輪転機をお借りして。一番たくさん印刷をして下さったのは岡林さん。この方には本当によくしていただきました。応援団の皆さんも、何回も集まって下さって当日の準備を事細かく、なかでも舞台監督の水谷さんには、大変お世話になりました。皆様のお力添えがあればこそここまで来れたのだと唯々感謝の気持ちで一杯です。当日5月5日は朝からとてもよい天気になり、9時の開館と同時に前の日から金原さんの指揮で用意されたいろいろな品物を運ぶことから始まり、コンパネ敷きやバザー用品の準備、各作業所の方達も見えて忙しそうにしていた。

東海起業、東海有機、会社の方達のお手伝いは、私達にとって力強い後押しになり元気付けられた。午前中のリハーサルもなんとか無事に終わり昼食を済ませいよいよ本番となる。この時のためにやってきた今までの出来事が次々と浮かんで来る。式典が始まった。司会の曽田さんは、今まで接して来た人とは別人のように上手に司会をされた。時間が延びるのではないかと心配していたがそれも取り越し苦労だった。式典が終わり、吉川先生の講演が始まる前に、ブリリアントが10年間過ごして来た事のビデオ映写が始まった。このビデオも最初はスライドで写真を映そうということだったけど、ひょんなことから今回音響と照明を担当してくださるスタンバイさんの事務所を内田夫妻が訪ねたことから始まった。社長のこれまた水谷さんがビデオプロジェクターでやりましょうと乗り出してこられ、人懐こい感じでブリリアントの全員がとりこになった。そして出来あがったあのビデオ、うまく編集してありました。それを見た後の講演だったので吉川先生のお話もよく理解されさすがだと思われた。

 10分間の休憩の後、今まで見た事のない剣舞、会場全体にりんとした空気が漂った。詩吟をされた杉浦満子さんの声もよく美人だった。その後にフラメンコ。バックが黒幕だったので色鮮やかな衣装がよく映えてとても綺麗だったし振り付けもよく出来ていた。これでえりちゃんと、ともちゃんがいなかったのが残念だった。このあと我がスターダストのコーラスが始まった。全員6名、白いワイシャツに赤い蝶ネクタイ、黒ズボン、黒い靴皆きまっていた。前の日に悩んだ和男君も何とか無事に出られてほっと胸なでおろす。歌が始まり出だしでもたつくと、観客席から手拍子が誰ともなく一斉に始まり音も大きくなって会場と舞台が一体となった。歌声も素晴らしかった。あちこちで目頭を拭いている人が何人もいた。この寮生達は歌詞を全部暗記して、やれば出来るんだという自信につながったのではないだろうか。一生懸命に唄っている彼等の顔は素敵だった。中でも福ちゃんの声がよく出て安心した。

 3日前に急に出てもらう事になった金原さんの息子さんの仮面ライダーはとてもよく出来ていて上手だったし、福ちゃんの歌が生き返った。啓介君ありがとう。その後宇野兄弟2人で唄ったサライは練習の甲斐あり、名古屋のマダム芳江先生の指導もさる事ながら、とても感動を覚え、市民文化会館に来てくださったお客さまは全員スターダストの歌がよかったと言って下さった。「みんなよくやったね」と誉めてやりたい気持ちでいっぱい。でも本人達はどこ吹く風といつもと変わらぬ顔をしている。

 最後になった内田ボブとその仲間達も自分達が楽しみながら歌えたと言って喜んでいた。お客さんも癒されたに違いない。全てが終わって後かたずけが済んでいつもどおりの文化会館に両手を合わせ深々と頭を下げた。一人スタンバイの水谷さんが舞台のところにいた。お手伝いをして下さった多くの方々、今日は本当に1日お疲れ様でした。     感謝 合掌 

ブリリアント10周年を振り返って

鈴木 光雄 寮生63歳

 私は脳血栓の為半身不随になりました。今から22年も前のことです。それからの私はリハビリに励み、なんとか他人の手を借りる事もなく全てが自分で出来る様になる迄には、少し時間が掛かったように思います。平成元年より、病院から院外作業として勤めた会社が東海有機と言うウズラの飼育をする内田社長の会社でした。勤めて暫くした頃、内田社長よりグループホームを建てるという話があり、出来あがったら一緒に暮らそうと言ってくれました。私は、その言葉が今でも忘れられません。親、兄弟が見捨てるようなこの私に一緒に暮らそうだなんて言ってくれる人が他にいるだろうか。

 そして5年、平成5年10月、遂にグループホーム「ブリリアント」完成、“オメデトウ” 私も可知病院を退院する事になりました。11年間長い長い入院でした。でも私に取っては貴重な体験でした。これからの生き方を教えられた様な気がしました。病室を出る時「死んだらいかんよ、生きてさえいればきっといいことがある。」と言ってくれた婦長さんは、もうこの世にはいない。人生七転び八起き、転んだら起きてこれの繰り返しです。平成9年断酒会に入会、自分を変えることに専念する。人によって生かされていると言う事に気付き、勉強をしてこれからもっと自分を研いていい年寄になりたいと思っています。

 5月5日豊橋市民文化会館にてグループホーム「ブリリアント」10周年記念チャリティーコンサートが開催されました。会場に入ってびっくりしました。たくさんの人が集まってくれていました。吉川先生の講演、剣舞、フラメンコ、スターダスト、内田ボブさんの歌ともう少し見たかったなと思うところがよかったと思います。特にスターダストの出だしの所が少し元気がなく声が聞こえなかった時には、会場から手拍子が沸き起こるなどしてステージと会場が一体となって最高の雰囲気だったと思います。

 これを機会に自信とやればできるんだという気持ちを忘れずにがんばってほしいものです。私は今回は出れなかったけれど立場の違った所から見た反応とか、いろいろ勉強になりました。10周年記念は大成功だったと思います。

10周年記念ブリリアント祭

K・S 寮生57歳

 2002年5月5日に豊橋市民文化会館にてブリリアント祭りを無事行うことが出来ました。今年に入ってから、歌詞を覚えようと思い何度も紙に書いて、なんとかおぼえました。おんちな私はリズムになかなか合わなくて困りました。

 みんなと一緒に練習をくりかえしました。あの素晴らしい愛をもう一度、銀河鉄道スリーナインの2曲をテープに取ってもらい部屋で練習しました。

 5月5日午前中のリハーサルではみんな上手に歌えました。本番で初めのところでうまくいかなかったけど会場から手拍子を取ってくれたのでリズムに乗ることが出来ました。もっと練習しないといけないと思いました。

 多くの人々に支えられて無事に終わることが出来ました。ありがとうございました。

ブリリアント祭りについて

福岡 秀喜 寮生30歳

 ぼくは、会場の前で仮面ライダーをうたった。べつに恥ずかしくはなかった。そしてジュースも飲んだ。お父さんは、歌がうまかったよと言った。

 ぼくは、よかったなあと思った。うれしかった。後で喫茶店でやきにくとカレーをたべた。おいしかった。カレーもおかわりをした。そしてブリリアントにかえった。また、がんばりたいと思った。一ついいわすれた。ブリリアントまつりの、昼の休けいのとき、おべんとうを食べた。とってもおいしかった。ライダージャンプのライダーは、つよくいえなかった。でも浜名湖にいった時、よるカラオケやったときのあのスーパー1やブラックをうたった時のように、うまくうたえないのがざんねんだった。あの時のように仮面ライダーもうたえれば、よかったのに。でもしょうがなかった。でもうれしかった。10周年のブリリアントまつりの仮面ライダーだった。

ブリリアント祭りを通して

宇野和男(寮生37歳)

ブリリアント祭りで寮生が関係するのが “スターダスト” と言う合唱隊です。

 今回のように大ステージで、というのが全く初めてで結局最後まで緊張は取れませんでしたので、記録ビデオを見るのが怖いのですが、僕がこのステージに立ち、わずか4曲歌ったことで一番感じたことと言うと、それは「愛」です。

 まずもって内田里枝さんの魂の叫びともいえるスターダスト成功へのなりふりかまわぬ激励、そしてその心をくんで、全くの素人である僕達を懸命にレッスンして下さった管理人Sさんのお力添え、そして精神的・人間的に見守ってくれていたブリリアント応援団の方たちの暖かい心、そしてあの大会場を埋め尽くしてくださった観客の方々の曲にあわせた手拍子、僕は歌の本番の真っ最中にそれらの暖かい愛を、自分一人で生きているのではないという感情として感じていて実は何度も泣き崩れそうになりました。でも「ここで崩れたらだめなんだーっ!」と自分自身に言い聞かせ何とか最後まで歌う事が出来たのです。

 僕はこれからも今回感じたこの愛を忘れずに今有る環境のなかで精一杯生き、そして必ず社会復帰をして行きたいと、心を新たにしました。

 ちょっと短いですがこれで僕の感想を終わらせていただきます。

 みなさん、本当にありがとうございました。

 他のグループホームからの声が届きました。

拝啓ブリリアント様

榊原 国一

 拝啓、ブリリアント10周年記念祭りおめでとうございました。ブリリアントさんには何時もひいきにしてもらってよろこんでいます。祭りの前売り券は友人が電話をして送って頂きました。

 去年は台町の会館へ行きましたが今回は、名鉄電車で行き慣れてはいるものの、バスターミナルでは戸惑いました。低学年の兄弟と、おばあちゃん、若奥さんの4人でバスに乗るまで案内してくれました。バスの中では娘さんが、ブリリアント祭りの会場へ一緒だったので助かりました。

 ブリリアント祭りには顔見知りが全く無くってポツンと置かれているみたいでしたが、演目が始まったらそんな事忘れました。

 パンフレットにあった順番で感想を書きます。

① 式典の部は省略させてもらいます。
② 吉川先生は評判通りの話し方で知人からも伺っています。もう一度聞きたいです。
③ ビデオプロジェクト10周年の歩み。いろんな事がよく解かりました。ネコのシロ君とワンちゃんが見れてうれしいです。
④ “剣舞のプロフィール” 読みました。成田様75歳との事。今日詳しく武将の心意気を知りました。
⑤ フラメンコ。楽しかった。もう1踊り見たかったです。また見たいと今も思っています。
⑥ スターダスト。この日の為に歌詞を見ないで歌えるように練習したとの事で感心しました。曲目もよかったです。レッツゴーライダーキックのライダーの登場がよかったです。
⑦ 内田ボブフォークソング。この日顔を見た事のあるのは写真で見ているうちだボブさん只一人です。最初の曲でいいなぁと思ったけれど…。

帰りの時間が迫ってきたので席を立ちました.会館前4時7分のバスで帰りました。ブリリアントさんありがとう。

ブリリアント祭りに向けて

K・S 寮生26歳

 ブリリアント祭りに向けて歌の練習をしていました。最初は音程があまりとれなかったけと゛ブリリアント祭りへ近づくにつれて音程も取れるようになりそして、手拍子でリズムを取ったりして唄ったり歌の伴奏を入れたりして歌っていました。伴奏なしでカラオケで練習していました。

 伴奏を入れて唄った時はリズムに乗って唄えたんだけど伴奏がない時には、リズムがわからなくなってしまいうまく唄えなかったけど、ブリリアント祭りが近づくにつれてだんだん唄えるようになり、本番では最初昭男くんの指示に気がつかなくて失敗してしまったけど、コンサート会場からはたくさんの拍手をもらって感激しました。

ブリリアント祭りにて

安藤 晋 寮生21歳

 ブリリアント祭りが2002年5月5日に終わりました!僕はブリリアント祭りの中のスターダストの出し物の歌、あの素晴らしい愛をもう一度と銀河鉄道スリーナインの2曲を歌いました。

 ブリリアント祭りの感想… 僕は昔から自分の考えに自信がないと思って毎日過ごしていました。けど、友人から聞いたことですけどコンサートなどで大ぜいの人前に立ちすごく緊張したり、何か披露したりすると自分の考えに自信がつくと聞いていました。だから、早くみんなの前で披露してみたいと思っていました。その結果はまだ自分では何が変わったか分かっていないですけど自分なりに少し自信がついたかなっと思い満足しています。あと歌を歌っている最中、お客さんの手拍子がすごく心に残っています。あの手拍子の瞬間歌手になった気分をあじわい、お客さんの気持ちと1心同体になれてすごくうれしかったです。しかも今年のブリリアント祭は、10年に1度のお祭りだったのでめったにない機会だとおもい、ブリリアント祭ももりあがり楽しかったです。最後に練習も毎日したし、本番もうまくいったし最高のブリリアント祭で終わりました。

ブリリアント祭りを終えて

宇野 昭男 寮生37歳

 僕達寮生の出し物は、スターダストの合唱です。今回のステージでは、歌詞を見ないで歌うという点に苦労しました。僕は皆で歌う “あの素晴らしい愛をもう一度” や “銀河鉄道999” 以外にも兄弟で歌う “サライ” も歌う事になっていて歌の練習のときに何度も歌詞を間違えた。当日のリハーサル。「うまく歌えるかな」とか、「客席に人が入ったら緊張するだろうな」とか考えながらだったのでここでも歌詞を間違えた。本番まで「今は歌詞を覚えよう」と何度も何度も詩を読んだ。「サライ」の歌詞はストーリー性のある詩なので歌の情景を思い浮かべて見たりして本番は何とか失敗せずに歌えてホッと胸をなでおろした。

 人前でステージに立つことは初めてだったけどブリリアントのいつもの寮生の練習と余り変わらず特別意識しませんでした。きっと、緊張が極限を超えるとそういう状態になるのかもしれません。ステージから客席を見ると何人か知り合いの人が来ていてくれて嬉しかったです。客席からの手拍子に支えられながら無事6人のコーラスが終わった。言葉ではたとえようの無い熱い思いに駆られてステージに幕が降りました。

 とてもいい経験をさせていただきました。皆さんありがとうございました。

ブリリアント旅行記

宇野昭男 寮生37歳

 僕達寮生と世話人さん管理人さん一同は、5月26、27日と、一泊二日のブリリアント旅行に行ってきました。メンバーも半分入れ替わり、またブリリアント祭りの打ち上げでもあります。1日目まず静岡県掛川にある賀茂の菖蒲園へ行きました。とても美しい花がたくさん咲いていて、花の中で写真を撮ったり花のハウスの中につくられたカフェでアイスクリームを食べました。池のまわりの菖蒲の花はほぼ満開で、時期的に少し早いと思ったけどそんな心配は無用でした。一行は次に、まかや寺というお寺に行きました。拝観料を払って寺の中に保存してある三体の仏像と説明のテープを聞いて幻想的な気分を味わいました。また、まかや寺には1000年ほど前に造られた池庭があり、例のごとく記念写真を撮りました。

 暗くならないうちに宿泊地、浜名湖レイクサイドプラザへ着き、寮生は管理人さんとテニスをしました。管理人さんは若い頃テニスをやっていたのでフォームがとても格好よかったです。僕らがいいかげんな打ち合いをしていたら、「ちゃんとしたルールで試合をしましょ」と一声。経験の浅い僕達は動揺したけど、結果的には楽しいテニスになりました。

 一汗かいた後に温泉に浸かりました。時間の関係でゆっくり入れず、すぐに夕食となりました。昨年洋食フルコースをたのんだら大きな皿に小さな盛り付けだった(第1号参照)ので今年は和食にしました。しかしやはり同じ事でした。宵の頃カラオケボックスに行きました。嫌がっていた福岡君も、「仮面ライダーあるよ!」と言われると、ほほほと笑って歌に参加してくれました。やっぱり福チャンは、仮面ライダーとか、ウルトラマンの主題歌がうまいです。カラオケを2時間楽しんで皆大満足でした。歌好きな僕らは、スターダストの歌まで歌いました。2次会は光雄さんが審判になってくれ、歌のしりとりになりました。♪「歌がある・・」、「ハイ、“る”から始まる歌」、「ルビーのリングを探すのさ」と言う具合です。頭をフル回転させてまた2時間遊んでしまいました。ちょうどその26日は満月の日で満丸の月を眺めながら2回目の温泉に入る人もあり、会は閉じました。

 二日目バイキングの朝食をとりました。皆遊び疲れていて元気がなかったです。早めに帰ろうと帰途につきました。しかし館山寺フラワーパークでトロッコに乗って園内1週したり、浜名湖畔で石投げをして肩を競ったりしました。管理人さんと世話人さんは、湖畔でカキを見つけ小さいながらたくさん取ってくれました。ブリリアントに帰って皆がほっとしている間にそのカキは、カキフライになっていました。管理人Sさんほんとうにありがとう。楽しい旅行でした。

施設長の一言

内田 秀司

今回のサッカーのW杯を通して、日本の若者が日の丸を愛し、日本を愛していることが解かった。

編集後記

 今回は、寮生皆でブリリアント祭りの興奮が冷めないうちに感想を書いてもらいました。皆同じようなことに感動したようです。榊原さんファンレターありがとうございました。それにしてもパソコンは使いにくいですね。

編集長

ブリリアントの寮生も社会復帰を目指して動き出したので、なかなか新聞を作っている時間が無く発刊が遅れてしまいました。

内田 里枝
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