レッツ ブリリアント 2022/10 第87号

発行者
精神障碍者社会復帰施設
特定非営利活動法人(NPO法人)ブリリアント 施設長 曽我 洋秀

住所 〒 441-8145 豊橋市駒形町字坂口56番地
TEL 0532-46-0033
FAX 0532-46-0163

URL http://brilliant-gh.sakura.ne.jp/

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令和4年10月15日発行

ブリリアント開設30周年を迎えるにあたって

施設長 曽我洋秀

 1993年に東海有機の職親の施設として開設されて後に、精神障害者自立支援施設としてNPO法人に変わり、来年で30年を迎えます。支援者の方々に感謝申し上げます。多くの卒業生を社会に送り出すことが出来ました。

 久しぶりに北海道、浦河ぺてるの家を訪れました。やはり精神障害者、入院患者0人、全ての障害者を町ぐるみで支援している様子を見て、理想の在り方かと思います。さすがに40周年も迎え様としているなと思います。ブリリアントもその様な在り方を目指して参りたいと思います。

 近年ブリリアント祭り、クリスマス会、慰問活動とコロナ禍の為、行う事が出来ておりません。これからもより一層のご支援をお願い申し上げます。

令和4年10月

ブリリアント畑

白井千雄(寮生77才)

 今年の夏野菜は、ナス、カボチャ、ラッカセイ、ピーマン等、豊作で良かったと思います。

 コロナの流行、夏の暑さ、天候不順等で、体調があまり良くなかったけど、ブリリアント全員で、草取りや、収穫作業等、汗を流したおかげで、料理に役立って有がたく感謝しています。

 畑作業の後にお茶を飲んでゆっくりしています。

 自然農法に近づくように努力しています。

白内障

小柳津昇久(寮生62歳)

 2020年10月から眼科に通院しています。白内障の手術をすることにしました。

 10月4日に採血、尿検査をして、手術は、(左目)今年の10月18日にして19日には眼帯を外します。(右目)25日にして26日には眼帯を外します。

 血圧の薬を飲んでいます。

 これからは健康に気をつけていきたいです。

酔芙蓉

森下 昌洪(支援者)

 毎日、自転車に乗っていると、色々発見があります。線路脇に、真っ白く牡丹のような大きな花を見つけました。沢山切って、パントマイムという行きつけの店で飾ってもらいます。透明な大き目のガラス製の花瓶に映えます。なるべく大胆に投げ込む感じがいいですね。

 この花は世間にありそうで、そんなにありません。たまたま徳川園を散歩している時に、大勢の人がスマホで写真を撮っていました。かなり大きな木で、非常に目立ちました。そこに名前がありました。「酔芙蓉」です。

 本当に不思議な花だと、夕方になって分かりました。朝切り取った時は真っ白でしたが、午後からは薄いピンク色に変わり、夕方にはかなりのショッキングピンクになりました。芙蓉という名前の花は至る所にありますが、酔芙蓉は貴重ですね。ただお洒落だから、お店とか興味のある人にプレゼントしています。

 しかし、この花は切り花にすると、楽しめるのは丸1日のようです。朝は元気で、午後から夕方には、しぼんで元の蕾のようになります。人にプレゼントする時は、よく説明して、花の詳しいいわれはスマホで検索してもらいます。

 この花のように、朝元気一杯で夜しおれるなんて、人の一日は儚く、一日一日を精一杯生きて、目一杯楽しみたいと思いました。

ハタヨガ(陰陽)における食養 ⑶

杉浦 依和夫(支援者・ヨガ講師)

ハタヨガ門(行法)を陰陽ヨガと呼びますが、陰陽食の原理もこの観点から来ている。「生命現象はバランス維持の要求活動であるといわれている。陰の力(弛緩力)と陽の力(収縮力)のバランス維持である。正しい生き方をしてのみ、健康と悟りと、成功、繁栄は与えれると教えられている。道(真理に叶う)とは、バランスが取れているほかならない。」と導師は述べている。

食養食とはどういうことか、なかなか本意は知ってないようだ。食養食と調理食、料理食は違うこと。普通はみんな料理、調理の調は調和のこと、バランスがとれるように組み合わせる。調理というのは酸アルカリのバランス、陰と陽のバランス、虚実(力の強弱~求心・遠心)のバランス、瀉補(シャホ=血液の充貧)のバランス、これだけのバランスをとらなければ調和食にならないのですが、これがまた難しい。

本来なら生理学や医学面でもこういう調和を採っていくべきである。東洋医術の鍼灸での療法で陰陽の経絡をバランスよく、皮膚と神経に刺激による血液の酸アルカリを、そして薬でも特に漢方薬で云う生薬は陰陽の考え方入っていなければならないという。

しかし、生理学とか医学面では、酸アルカリのバランス観が入っているのがせいぜいともいわれていますが、現代医学ではどうでしょうか。

食育が若い人たちへ警鐘として盛んににぎわしている。また、学校給食の無償化が叫ばれていますが、これらはどんな理由からでてきているのか理解に苦しむ。

三食決まった時間に食べ、ビタミン、鉄分を摂取してカロリーをという管理栄養食を云っているのでしょうか。同じ具材を使って彩りを添えて、盛沢山の栄養満点のものを食べることか。早く大きな体に成長を速める、これでは家畜に与える“エサ”である。

生きてる以上は動こうが動かまいが食べて、出すことは皆同じである。それを、義務教育の場だからといって無償にするとはおかしなものである。中には、学校が、市が払うべきものだといって給食費を払わないという。こういう人たちの費用を公費で負担しているのもかなりの額になっている自治体もあるらしい。

食べた分は排泄されるわけだが、便秘したから便秘薬も請求されることにもなりえる。他国では、便秘に苦しんでいる。便秘薬を無償提供をと叫ぶ人たち、浣腸を商売とする腸の掃除屋も出ている。

喰いすぎなのか、食べ合わせがいけないのか、どこの国でもその症状に苦慮している。病気の3~4割は食べ過ぎである。便秘は万病の元になるもの気を付けるべし!食育をこういう事情をふまえたものでなければならない。

 食養とはさらにもう一歩上が加わっている。体のためだけの食事でなく、心のための食事栄養、今度はその人の天分才能というものを仕事や環境に最高に活かす栄養、その三つを併せて考えなければいけない。

 心の栄養、何を食べたら感謝する心が起きるか、何を食べたら下座する心が起きるか、何を食べたら愛情深くなるか、安らいだ心になるか。

 何も高価な、入手の難しい食材を求める必要もない。ありあわせの、旬のものを、また旬以外の温室ハウス物でも調理と工夫、塩と酢で食養も叶うことができる。

秋の行楽

佐藤雅浩(寮生51歳)

 ブリリアントでは、この秋に行楽にでかけることになりました。いくつかの候補地が上がっていますが、まだ行き先が決まっていません。

 その理由は新型コロナにあります。密を避けて行動しなければならず、人が少ない場所を選ばなければいけないので、なかなかすんなりとは決まりません。

 僕がブリリアントに入居したのは、約2年9か月前なのですが、入居したその頃から新型コロナが流行りだしたので、ブリリアントで僕はあまり遠くの方まで旅行に出かけたことはありません。

 早く新型コロナが終息して気兼ねなく旅行ができるようになればいいなと思います。そして、何処の場所に決まるにしても、今度の旅行が楽しいものになればいいなと思います。

五人のおふくろさん

伊藤 剛(元寮生 六十歳)

 僕には五人の母がいる。

 一人目はもちろん産みの母親。名前はユキエと言う。昭和七年の生まれ。どちらかというと口数は少なくおとなしかったが、よく気が付く女性だった。八人兄弟の長男である父の所へ嫁ぎ、小柄な身体で寝る間も惜しまず働いて、僕たち兄弟三人を育て上げてくれた。父も兄たちも親戚一同揃って、性格も顔も母親に一番似たのは僕だと言う。働き者というところは似ていないけれど。

 二人目は、ニュージーランドへ留学し、オークランド市の語学学校へ通っていた時のホストマザーであるジョーさん。彼女は大柄な女性で、無類の話し好き、読書好き、古書店巡りが大好きである。僕が学校から帰ると何時も、「今日は何があったの?」と聞いてくれた。

 何より嬉しかったのは、料理が得意で、受け入れる学生さんの母国の料理を勉強しては作ってくれたことである。すでに何人も日本人学生を世話してきたので、僕は毎朝、レンジで炊いたアツアツの白いご飯の生卵かけと味噌汁を頂いた。夏にはざる蕎麦、冬にはうどんを作ってくれた。語学学校の日本人クラスメートにそれを話すと非常に羨ましがられたり、不公平だと怒られたりした。

 ジョーさんは日曜日になると赤のホンダを運転して市内の古書店を巡って回った。僕も読書が好きだったので、読めもしない英語の本をたくさん買い込んだ。そのほとんどは日本に持って帰り、今も本棚にある。

 三人目は、大学のある静かな町、ハミルトンに住んでいたヘザーさんである。学生課には留学生を受け入れてくれるホストファミリーのリストがあり、ツツツと見ていくと「日本人希望」とのコメントがあった。さっそく出かけて出会ったのが、グレンさんとヘザーさん夫妻だった。二人とも若く、以前福井県で暮らしたことがあるそうで、ヘザーさんはカタコトの日本語が話せた。夫妻はサッカーが得意で、何度か大学の体育館のフットサルに誘ってくれたけれど、当時三十代の終盤だった僕には身体が付いて行かず、コタエた。

 夫妻の家は大学とは離れていたので、たまにヘザーさんが車でバスターミナルまで送ってくれることがあった。ある朝、対向車を見て、「キャハハ! あのおじさん、鼻クソほじりながら運転してるよ!」と笑ったヘザーさんのおきゃんな声を良く覚えている。今ではフェイスブックという便利なものがあるので、ヘザーさんと簡単に近況を連絡し合える。僕がお世話になっていた頃には生まれていなかったヘザーさんのお嬢さんは、ご両親に似てサッカーがとても上手い。ニュージーランド代表にも選ばれ、去年からアメリカの強豪大学でプレーしている。ヘザーさんが、お嬢さんの試合がある度に教えてくれるので、大学のホームページに公開されている動画を見ることができる。まことに嬉しい。

 四人目は、ヘザーさん夫妻の次にお世話になった、ハミルトンのジョーさんである。奇遇にもオークランドの Jo さんと同じ名前だった。彼女は高台にある大きな古いお屋敷にティーンエージャーの子供達三人、そして愛嬌のある顔をした雑種犬と暮らしていた。ジョーさんは日本語がペラペラなので、僕はずいぶん助かった。

 フェイスブックから流れて来る近況では、ジョーさんは現在ニュージーランドの美しい小島で元気に暮らしている。子供達はもうすっかり大人になってお孫さんも大勢いるので、小さな子どもさんを養子に迎えたそうだ。島のあちこちをマウンテンバイクで走り回ったり、海岸で子どもと遊ぶジョーさんは、昔と変わらず本当に楽しそうな笑顔をしている。

 それで。

 五人目が里枝さんである。僕はニュージーランドで病気が再発してしまい、二〇〇二年の暮れに帰国した。しばらく父と二人暮らしをしていたが、二年ほどするとまた病気が出て、豊橋の病院に入院した。退院後、ブクブク太ってしまい、家でぐうたらしていた僕を見かねた叔母が、太田さんの伝手で探してくれたのがブリリアントだった。叔母の車が赤い屋根の建物に着き、出迎えてくれた里枝さんの顔を見たとき、ここなら何とかやれるかな.....と思ったのが第一印象だった。

 里枝さんは本当に勁(つよ)い人である。身体が丈夫なこともちろんだが、心が忍耐強い。そして優しい。いろんな心配事を抱え、悩む僕たちが夜遅くに部屋を訪ねたり、電話をかけるのだが、何時まででも話を聞いてくれた。

 僕がブリリアントに入寮した頃は、もう一人の寮生を連れて毎朝毎夕かなり遠くの作業所まで車で送迎してくれた。朝、昼、晩と六人の寮生や家族の食事を作り、それに加えての送迎なので、相当に体力があったのだろう。

 また、里枝さんは、何事にもひたむきで真剣な人である。とても厳しい先生について長年シャンソンを習い、ブリリアント祭りや慰問活動で見事なシャンソンを披露してきた。寮生も歌やギターを演ずるのだが、練習の時にも妥協をしない。激しい口調で指導するわけではないが、ポイントを押さえてわかりやすくコメントしてくれた。さらに、ボランティアとして慰問を行う時の心構えもきっちり教えてくれた。

 調理師免許を持っている里枝さんの料理は、何時も何でも美味しいのだけれど、僕が大好きだったのはオムレツとちらし寿司、そして恵方巻である。自分自分で作ったから、僕の恵方巻は見てくれは悪かったけど、とびきりの味だった。

 僕は、五月に還暦を迎えて半年が過ぎた。今でも信じられないけれど。二〇〇五年から二〇年までブリリアントにお世話になり、卒業・自立してからこの十一月で丸二年になる。在所で母と過ごしたのは中学卒業までの十五年だから、里枝さんにはそれと同じ歳月、実の母以上にお世話になった。

 あの十五年間、里枝さんはいろんな苦労や困難、試練を重ねたのだけれど、その陰は見えない。見えないように努めているとも思えない。その勁(つよ)さは、里枝さんが心に堅く信じているものから来ているのだろう。

 ブリリアントにいた頃は、口答えもしたし、憎まれ口を叩いたけれど、今になって、初めて、わかったことがある。言葉では表せず、どうやっても返せないほどの愛情と優しさを、里枝さんは僕たちに注いでくれた。

 ところが、植木等さんの歌ではないけれど、人生無責任男で結婚もせず、子どもを育てたことのない僕には、「わかった」なんてとても言えないのだけれど。

 産みの母親ではないけれど、それと同じくらい、それ以上に有り難い、四人のおふくろさんに巡り逢えたのは、若くして、僕のために逝った母が雲の上から見守っていてくれた証拠だと思う。

ブリリアントの新しい家族

理事長 内田里枝

 ブリリアントに新しい家族が出来ました。名前は昌子、通称(マーサ)。皆さんは可愛い女の子の寮生が入寮したと思うでしょう。ところがどっこい、これは人間ではなくて、ブリリアントの愛犬の名前なのです。

 2,3日前に支援者の森下さんから「産まれて3ヶ月になる沖縄犬がいるけど、どう?」と電話をいただきました。1,2年前にもそんなお話しを頂いたのだけれど、なんだかんだと言っているうちに消滅してしまっていました。なので今回はすぐ「ありがとうございます。」と返事をしました。2日後さっそく森下さんがブリリアントに連れてきて来て下さる事になりました。

 飼い主は岐阜県の山の中にお住まいの有名な陶芸家、大泉讃さんで、森下さんのお友達です。陶芸の傍ら、小説を書いたり、子供向けの紙芝居を作ったり多才な方です。以前イノシシの肉を送って頂いた事もあります。

 沖縄犬って珍しいですよね。ご存じの方は少ないです。昨日森下さんがダンボールに入れたワンちゃんを名鉄に乗って運んでくれました。開けてみたら、クリーム色で可愛くて、これはブリリアントのアイドルになると思いました。孫たちも帰ってくるともう夢中です。抱っこしたり、撫でてみたり、宿題どころではありません。夕食になっても御飯どころではありません。もう離れられなくて興奮状態で昨日は大変でした。

 帰りしなに森下さんが
「この記念に、犬の名前を付けてもいい?」と言われました。
「オレが昌洪だから「マサ」にしてくれない?」
「だって、女の子だよ。」
「昌子だったらいいじゃない?」

 それで、沖縄犬の名前が(マーサ)に決まりました。また、時々、マーサのニュースをお知らせしますね。

☆彡 太陽一周旅行 ☆彡      

鋤本 惠美 (支援者・ボランティアグループ”ふれあい”代表)

令和4年1月1日から始まり、日記のようにその日その時、想うままに綴って。。。

☆268日目 9月26日

 新月の日

  枝葉を落として またひとつ 整える 

  時は そろそろかな

  何になったか ではなく  何をしてきたか ではなく

  どう生きたか どう生きてきたか

  つねに お空の流れの中に 身を置いて

  一輪 一輪 ぎゅっ!

  手入れをしていただいた 五葉松さん 金木犀さん 紫陽花さん 

    お庭のみんなに 聴いてみた朝

   そろそろかな  そろそろだね  しょうみきげんは ま ぢ か

     木々 も 花 も 空 も 月 も  “ここ” に

  ひろーい宇宙の中の 地球の中の 小さな地球の中の 小さな宇宙

        個 で あることを覚えていたい 新月 の 朝

             ありがとう おかげさま

☆269日目 9月27日

   今日も お空に ☆ありがとう☆                                   

   お空がね~ と いうと

   "お空は どこに?" といつもかならず 問いかける 友

   胸に手をあてて "お空は ここだよ"

"お空を通してメッセージをくれてるんだね..." と 胸に手をあてて

      アイコンタクトをくれる 友

    ”それが 本質だよ" 

"どこにいても 空を見上げることができなくなっても

いつでも空はここにいるでしょ"

   己を知ることからはじまった旅。ある日 原点にもどりたい~と声がした。

    そして、あらたな旅が始まって年月を経て "本質"に目を向けて

ひとつひとつ感じながら  視る  聴く  観る

    "私"が "私"で あること ただ それのみ

     すべては "ここ" 準備が成され備わっている

     今日もお空と共に たくさんの惠みに感謝   

ありがとう おかげさま

☆273日目 10月 1日

☆彡 月訓カレンダー ☆彡     10月 神無月 ―かんなづき―

            「一声一声に想いを託して」

阿弥陀さまは、私たちの極楽往生の願いを必ず受け取ってくださいます。

   お念仏の声にその想いを託しましょう

          浄土宗月訓カレンダーより

             発行 浄土宗

 陽だまりの お池に この 葉を おとしたら

   どんな 輪っかが うまれるかな

 こちらの 葉を おとしたら

   どこまで 輪っかが ひろがるかな

 こっちの 葉を おとしたら

   どんないろの 輪っかに なるのかな

 陽だまりの お池なら ちいさな ちいさな いしころを おとしても

 にじいろの輪っかが ひろがっていくかな

 言の葉 も おなじね

陽だまり の お池に 一枚 一枚 想いを こめて

  そんな わたしの 言の葉を うかべたい

 ひだまりのおいけは わたしの想いを 手のひらにのせて

 やさしくあたためてくれる

 

だから ひだまりのお池で 

  一声 一声 に 想いを託して ... ... ... ... ...   ... ね

             ... ... ...

        

ありがとう おかげさま 

( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆ 

私の音楽(ダンス)遍歴 その2

理事長 内田里枝

 結婚して5年目に子供をさずかり、子供の幼稚園の送り迎えしているうちに近所のおばあさんと友達になった。彼女はお孫さんの送り迎えをしていた。ある時そのおばあさんがサイフを見せてくれた。手作りの革のさいふだった。私はいっぺんにそれが気に入り彼女が通っている革細工教室に連れて行ってもらうことになったのだ。

 また、私の趣味がはじまった。子供が幼稚園に行っている間のささやかな、愉しみだった。それでも何やかんやで10年続いた。キーホルダーから始まり、サイフ、バッグ、アクセサリー、時計、鏡等、家じゅうが革細工であふれた。主人はそんな私に趣味用のアトリエを作ってくれた。車庫の上に9畳の山小屋みたいな部屋が出来た。毎日近所の友達やママ友達が革細工を作りに来た。いつの間にかアトリエは革細工の工房になっていた。

 毎日朝食の片付けをする前に今日のおやつの仕込みをする。ケーキだったり、ゼリーだったり。そして材料をオーブンに入れてから全部の洗い物をするのが日課だった。9時頃から友達が来ておしゃべりをしながら革細工を作る。昼前に作業は終わりそれからがお茶の時間となる。そして私の手作りのおやつが登場するのだった。

 しかし、そんな楽しい日々も終わりが来た。私が主人の会社で働くことになったのだ。それには理由があった。働いていればPTAの役員を受けなくても良かった。婦人部長のような大役が来たら困るというので、主人は私に会社に来るように命じたのだ。主人は息子が小学1年生の時に副会長、2年生の時に会長をやり、息子が中学生になれば又、会長を引き受け、PTA三昧の生活をしていた。そんな生活を私にはさせたくなかったのかもしれない。

 私の社員生活が始まった。もう手間と時間のかかる趣味は出来ない。でも何か淋しい。そこでこっそり暇を見つけて時間を作り、友達に紹介してもらったフラメンコダンスを習いに行った。

 その頃、グループホームを立ち上げる話が持ち上がり、平成5年にこの「ブリリアント」が設立された。私はというと昼は会社の事務員、それが終わるとブリリアントに帰って世話人の仕事をし、又、朝会社に出掛けるという2足のわらじの生活がはじまったのだ。

 ブリリアント竣工式は盛大に行われた。そしてそのあとのお楽しみは、友人達によるシャンソン、そしてフラメンコダンスが登場した。ショーはブリリアントの地下室で行われた。すごい熱気だった。それから毎年秋にはブリリアント祭りが行われ、いろんなアーティスト達が祭りを盛り上げてくれている。寮生達のコーラスはもちろん、シャンソン、インディアンハープ、オカリナ、そして1番の目玉は、やはりフラメンコダンスだった。私はそのお祭りでソロを踊りたくて毎年1年かけて練習したものだった。その頃踊ってくれたダンサー達は皆フラメンコダンスの先生になっている。

 それから10年くらいはフラメンコに夢中になっていたが、やはりそれも限界が来る。激しいタップはむつかしく、だんだん若い子についていけない自分を感じてきたのだ。それで私はあっさりフラメンコをあきらめシャンソンの世界に入って行った。

 ある日、友人がシャンソンのコンサートに誘ってくれてたのがきっかけだった。まだかけ出しのシャンソン歌手と言っても、もう50代だったと思う。私はその歌声を聞いた時ビックリした。いつか私が夢の中で歌っていた声とまったく同じ声だったのだ。何とも夢見心地で気持ち良く癒される響き、毎日でも聞いていたい歌声、コンサートが終わった時私は「CDありませんか?」「テープありませんか?」とたずねたが、そんなものは作っていないと言う。これはもう弟子になるしかない、という結論だった。「マダム芳江」これが私のシャンソンの先生である。

 彼女のシャンソンはすばらしかった。それから魅力あるトークもステキだった。パリ留学中のいろんな話をよく聞かせてくれた。私は豊橋でマダム芳江先生のパリ祭を2回開いた。能楽堂でも行った。又、県民の森の近くにあるログハウスでも私の還暦祝いを兼ねたコンサートを行った。

 最後のコンサートはフロイデンホールだった。ブリリアントの寮生達もミュージカルで参加した。「サウンドオブミュージック」私がマリア、寮生達が子供達の役だった。私はその時の不思議現象を今でもはっきりと覚えている。会場は満席のお客様、きっと上がってしまうだろうなと思っていたが、それは違っていた。お客様達の暖かい応援の熱気が波のうねりのように押し寄せてきて、私はただただ嬉しく、喜びと幸せの波に浸っていた。こんな経験は初めてだった。

 コンサートの後半は、スペインからタンゴダンサーを招いて、マダム芳江のタンゴの世界に浸った。切れのある本場のアルゼンチンタンゴのダンスは素晴らしかった。マダム芳江先生の完成されたコンサートだった。しかし、これが私が見た最後のコンサートとなった。このあと主人が病気になり、シャンソンどころではなくなったのだ。

 その後のピアノとの出会い、フラダンスとの出会い、ウクレレとの出会いは次号のレッツブリリアントでお話ししましょう。では、また。

行事報告 令和4年 4月~6月

4月
4/2 (土)お花見(向山公園)
4/3 (日)ウクレレ・フラダンス コンサート
4/4 (月)駒形神社掃除
4/7 (木)お話し会
4/10(日)駒形神社掃除、ふれあいコンサート(あいトピア)
4/14(木)お話し会、ウクレレ教室
4/15(金)新聞綴じ
4/16(土)畑の仕事
4/17(日)新聞封筒詰め、畑の仕事
4/21(木)誕生会(酒井さん、進二郎)
4/24(日)曽我先生カウンセリング、畑の仕事
4/28(木)お話し会、ウクレレ教室
4/30(土)ピクニック(桜淵公園、長篠城)

5月
5/3 (火)FMとよはしオレンジじゅうす出演(モエモエさんと)
5/5 (木)お話し会、ウクレレ教室
5/7 (土)東日新聞ウェーブにブリリアントの記事掲載
5/8 (日)畑の仕事
5/12(木)お話し会
5/15(日)畑の仕事
5/19(木)お話し会
5/21(土)ウクレレ教室
5/26(木)お話し会、ブリリアント案内パンフレットのデザインが出来上がる
5/28(土)たけのこカフェ、畑の仕事(そら豆の収穫)
5/29(日)ごみゼロ運動参加、曽我先生カウンセリング

6月
6/2 (木)お話し会
6/4 (土)星野さん体験入寮16:00~(6/6(月)9:00まで)
6/5 (日)畑の仕事
6/9 (木)お話し会、星野さんの会議(ほいっぷ)
6/11(土)酒井さん入院(可知病院)
6/12(日)畑の仕事
6/15(水)星野さん体験入寮15:00~(6/17(金)13:00まで)
6/16(木)お話し会
6/19(日)畑の仕事
行事報告 令和4年 7月~9月

7月
7/3 (日)畑の仕事
7/7 (木)お話し会
7/10(日)畑の仕事
7/11(月)星野さん体験入寮14:00~(7/13(水)9:00まで)
7/14(木)お話し会
7/16(土)ブリリアント総会
7/17(日)畑の仕事
7/21(木)誕生会(佐藤さん)
7/23(土)たけのこカフェ
7/24(日)畑の仕事
7/28(木)お話し会、星野さんの会議(ほいっぷ)
7/31(日)畑の仕事、曽我先生カウンセリング

8月
8/1 (月)小林さん体験入寮(8/7(日)まで)
8/4 (木)星野さん入寮、お話し会
8/7 (日)畑の仕事
8/11(木)お話し会
8/13(土)作業(部屋の片付け)
8/14(日)畑の仕事、花火大会
8/15(月)トランプ大会
8/17(水)家庭訪問(小林さん)
8/18(木)お話し会
8/20(土)花火大会
8/21(日)畑の仕事、曽我先生カウンセリング②

9月
9/1 (木)お話し会
9/4 (日)畑の仕事、防災訓練(夜)
9/8 (木)お話し会
9/10(土)お月見
9/11(日)畑の仕事
9/15(木)お話し会
9/18(日)畑の仕事
9/22(木)誕生会
9/25(日)畑の仕事、曽我先生カウンセリング
9/29(木)お話し会

ブリリアントにご協力いただいた方々

北川藤良様、鋤本恵美様、澤田竜弥様、杉浦依和夫様、森下昌洪様、曽我洋秀様、佐溝力様、山口京子様、井上浩様、豊橋善意銀行様、カリオンビル様、豊橋市社会福祉協議会様

ブリリアントにご寄付下さった方々

金原博昭様、天野裕子様、曽我洋秀様、鈴木静子様、井上浩様、大谷優子様、北川藤良様、大橋様、藤井様、黒木武秀様、伊藤剛様、七森尚子様、山本良美様、杉浦依和夫様、星野様、梁川美根子様、山口京子様、伊東信子様、夏目幸子様、小林よし子様、矢島すみ子様、吉田様、松坂かず代様、山本小夜子様、今泉幸子様、山本孝枝様、金原康純様、佐溝力様、宮本様、白井千里様、大泉讃様、森下麻紀様、国澤真広様、金子様、豊橋善意銀行様

いろいろとご協力、ご支援ありがとうございました。

編集後記

 散歩に行くと今までは、赤、ピンク、白などの彼岸花が目を楽しませてくれましたが、もう今は終わり、代わりに目に飛び込んでくるのが、背高泡立草です。花粉病で皆に嫌われている花ですが、切り花にして飾ると、鮮やかな黄色が結構ステキです

内田 里枝

 三人にまで減った寮生が、一人小林さんが増えて四人になり、子犬のマーサも増え、ブリリアントが少し賑やかになりました。10月から僕は寮長になったので、これからも頑張っていこうと思います。

佐藤 雅浩

 先日、ブリリアントの畑では、サニーレタス、かぶ、春菊、水菜、など冬野菜の種を蒔きました。食べられるようになるのはまだ先なので、今のところは、ししとう、ピーマン、などの夏野菜をまだまだ大事に収穫しています。

内田 一恵
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