レッツ ブリリアント 2011/01 第43号

発行者
精神障碍者社会復帰施設
特定非営利活動法人(NPO法人)ブリリアント 施設長 内田 秀司

住所 〒 441-8145 豊橋市駒形町字坂口56番地
TEL 0532-46-0033
FAX 0532-46-0163

URL http://brilliant-gh.sakura.ne.jp/

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平成23年1月20日発行

あけましておめでとうございます  今年もよろしくお願い致します

施設長 内田秀司

 ブリリアントも今年で18年目に入りました。これもひとえに皆様のご支援のたまものと深く感謝しております。

 今年も、定着して来ました慰問活動、お話し会、また機関誌の発行、ブリリアント祭り等いろいろな行事や活動を行っていきたいと思っております。

 おなじみになりましたコンサート活動も、今年は「人間コンサート」として、マダム芳江先生がシャンソンやタンゴ、そしてすばらしいトークで皆様の心を癒してくださるものと思います。日程は5月21日(土)で、場所は豊川市小坂井のフロイデンホールです。素敵なアルゼンチンタンゴのダンスもあり、また、ブリリアントのメンバーもミュージカルで出演します。どうぞご期待くださいませ。一人でも多くの方のお越しをお待ちしております。

新年に思うこと

曽我洋秀(世話人:鍼灸師、50代)

 明けましておめでとうございます。新年早々、施設長さんから文藝春秋(一月号)の記事を見せられました。近藤誠(慶応大学医学部講師)さんの、抗がん剤は効かない、専門家たちは当然気づいている。気づいていなければ、専門家の資格・能力は無い、という記事です。また、最近本屋さんで、近藤さんの新刊本「あなたの癌は、がんもどき」を買いました。医学界に大論争を巻き起こした「患者よ、がんと闘うな」から15年、沈黙を破っていま語られる、最新臨床データにもとづく「がんもどき理論」の最終見解!! 癌には、治療しても治らない(本物のがん)と、放置しても転移しない(がんもどき)がある。がん検診・がん手術・抗がん剤が寿命を縮める!!

 かなりインパクトのある言葉に聞こえます。わたくし自身も治療者でありますので癌の患者さんの紹介は年に何人かあります。昨年も胃がんとリンパ管腫の二人の患者さんから3年過ぎてお礼を頂戴しました。年末には大腸がんが肺転移を起こして6年経過して、昨年より体の調子が良いと感謝されほっとする半面、脳腫瘍の患者さん、肝臓がんの患者さん、すい臓がんの患者さん、あまり力になれずに悲しいお別れもありました。

 この道に30年以上いますから、いろいろな病気を診てまいりました。最近病気の治療をしていて思うことに、病気の治療はセットのコミュニケーション(サポート=支援する、シンパシー=共感する、トルース=真実を伝える)ことが有効であるなとつくづく思います。病気とはいかなるものか、と勉強会を始めまして5年目を迎えようとしております。今では多い月には4カ所で開かれるようにもなりました。最初のうちは癌になったら先生よろしく、なんていう言葉が多く聞かれたように思います。それと同時にブリリアントの皆さんの自立支援のお手伝い。引きこもりの支援、ずいぶんと勉強させていただきました。最近は、末永くお付き合いお願いします。という言葉が聞こえるようになって、少しはお役に立てたかなという気がします。今年も皆様の支援を頂きつつ自分にできることを、コツコツとしてまいりたいと思います。 ありがとうございました。

ロシアより愛をこめて 「師走のロシアの旅」

理事長 内田里枝

 昨年の暮れ、私達夫婦はロシアへの旅に出た。ウズラの飼育の指導をしてほしいとロシアからお呼びがかかり、主人の介護人として私も同行することになった。せめて7月頃の季候の良い時ならまだしも、よりによってこの真冬の寒い時にロシアへなど.......。しかし経費はすべて向こう持ち、寒いのさえがまんすれば悪い話ではないと思い直し、行くことになったのである。9時間という長い飛行時間を経て降り立ったモスクワの空港は、外気に当たると一瞬顔がこわばってしまうような冷たさだった。冷たいと言うより耳が痛い。

 主人が依頼されたウズラの農場はモスクワより車で北へ4、5時間走ったウグリッチという町にある。この町はボルガ川のほとりにあり、景色も素晴らしく夏ならば豪華客船が停泊し、観光客でにぎわう町だ。

 ボルボフ社長自らの運転で、通訳のスタンケービッチさんと私達夫婦を乗せて、車はドーンとした白一色の銀世界の中をひたすら走る走る。両側は白樺の並木が続き、何か映画の「ドクトル・ジバゴ」の世界に迷い込んだような気がした。

ロシアの森の中の道路

ロシアの森の中の道路

 時速150kmのスピードでも5時間かかり、やっと目的地のウグリッチに着いた。私達が宿泊するホテルは目の前にボルガ川が広がり、窓からの眺めは古いお城のような教会とうまくマッチして、絵葉書のような光景だった。

ホテルの窓からの眺め

ホテルの窓からの眺め

「モスコーの夜はふけてー~」どこからか歌声が流れてくる。見るとそれはロシアの民族衣装をつけた男女三人のコーラスグループだった。シーズンオフというのに宿泊する私達を歓迎してくれたのだ。私も嬉しくなっていっしょにロシア民謡を歌った。

 その日の昼食はボルボフさんの友人がボルガ川で釣ったという魚で作ったオファーと言うスープだった。中にじゃがいも、人参、ハーブ等が入っていてとてもおいしい。黒パンとハム、サラミ、チーズ等、手作りの昼食に歓迎の意が込められていた。

 昼食後、さっそく農場を案内していただいた。どこかの工場のような大きなレンが作りの鶉舎にはつららが下がり、こんな雪の中ではよほどの暖房をしているのにちがいないと思っていた私達はビックリした。ウズラの体温だけで温度を保っているのだそうだ。中は最新設備でとても清潔になっていて、ニオイもなかった。

ロシアの鶉舎の中

ロシアの鶉舎の中

 一通り見学して、いよいよ今回の仕事の本題に入る。どうすれば羽の色がオス・メス別々に生まれてくるか?という理論を説明するのである。通訳が日本人なら主人の思いや説明がうまく伝わったと思うが、ロシア人なので、なかなか農場長のコルニショフさんに伝わらない。これは突然変異を利用したもので、何代も何代もウズラを掛け合わせて作り出してゆく。主人は図を書いて説明するが、通訳が日本の専門用語がわからず、そこでつまずいてしまうのだ。私はとなりにいてこう思った。日本語をまず幼児語に直して通訳に伝えれば良いのではないかと。オスはお父さん、メスはお母さんと言うように。

 悪戦苦闘したあげく、ボルボフ社長は明日私達一行をロシアの家禽研究所に連れて行くことにし、その日の仕事はそこで打ち切りとした。

 3時、冬のロシアではこの時間はもう夕暮れである。ボルボフ社長はこれからおもしろい所に連れて行くと言って車を走らせた。30分ほどすると昔の原住民の小屋があり、馬が数頭つないであった。馬車に乗るのかなと思っていたら、そうではなく馬そりであった。ごっついブーツをはかされ、私と主人はそりの干し草の上に座らされた。その上に、ぶ厚く思い毛皮のコートがドーンと乗っかる。御者台には女性が乗り、「ハイヨー、ハイヨー」とムチで馬の尻を打つ。馬そりがギシギシと動き出す。ポカポカと雪原を走る馬、シャンシャンと鈴が鳴る。馬の吐く息だけがフー、フーと白く生き物のように見える。横なぐりの風、粉雪が冷たく顔に当たり痛い。シャンシャンシャン。マイナス15℃の世界。私達はまるでトナカイに乗ったサンタクロースそのものだった。20分ほど走り、体は完全に凍りついた。

 小屋にもどると、待っていたのはアルコール度40°のウォッカの“カンパイ”だった。ウォッカで体を暖めるのはロシア人の常識らしい。

 翌日私達はロシアで一番の家禽研究所に向かった。大学教授らしい年配の夫婦が快く歓迎してくれた。ロシア人の男性はとても紳士である。背が高くスマートで口ひげがあり、マナーが良く親切。日本人の男性と比べると身のこなしがアカぬけていた。

 感じの良いロシア語の飛び交う男性達に囲まれた私はいつしか映画の「007ロシアより愛をこめて」の世界に入っていた。するとちょっとイジの悪い顔をした女の大学教授がスパイに見えてきた。007では靴のつま先に尖ったナイフがついていて、敵が来るとその足を振り上げておそいかかるのだ。まさしく彼女は女スパイだった.......。

 フッと我に返り、主人をながめると、主人はその先生方に図を書いて必死に説明していた。英語も使ったりしていろいろ試していた。さすが専門職らしく、彼らはうなづき、首をたてに振り始めた。農場長のコルニチョフさんの顔色も少し明るくなり出した。どうやら彼らは主人の理論を理解したらしい。主人は、「これは鶏にも応用できますよ」と説明していた。これで一応任務は果たしたことになる。私達はチョッと胸をなでおろした。

 そのあとボルボフ社長は私達に気を使ってくださって、ロシア正教の教会を案内してくれた。ロシアには塔の上に玉ねぎが乗ったような形の教会がいたる所にある。とても美しい!建物の中は美術館のようになっていて豪華絢爛たる衣装やアクセサリーが展示してあり、昔の権力者の力がすごかったことを感じさせられた。

 赤の広場にも行った。ここで軍隊が行進している映像をよくテレビで見た。ボリショイ劇場で私は、ホントはバレエを見たかったが時間が無かった。

赤の広場にて

赤の広場にて

 次の日、私達はもう一度農場へ戻り、農場長と今後のウズラの飼育の打ち合わせをし、日本へ帰ることとなった。

 ロシアでは連日、曇り空のドーンとした日々が続いていたが、帰る日初めて青空が出て、キラキラ輝く太陽を見た。これからの日本とロシアとの友情を象徴するかのように。

 10日間のロシアの旅で私達が持ち帰ったものはロシア人の暖かい心、親切、マナーだった。まさしく「ロシアより愛をこめて」である。

生姜の功過

杉浦 依和夫(ヨガ講師・60代)

 夏の暑い盛りにNHKテレビ「ためして合点」や「あさいち」で“生姜”の効能を取り上げていた。クーラーでの冷え性対策にこの生姜がよいという話。生姜を調理に使うことによって食する紹介だ。中には朝食に摩り下ろした生姜をトーストにタップリ塗って食べる女性のシーンも出てきたが、これについては功罪のコメントはなかった。

 食養では生姜は土の根のものであるが、味覚は辛いから陰性、そして発散するものだから全体としては陰性の食物。ひね生姜は、乾燥させているから多少なり陽性化しているが、陰性には変わりない。生姜は食するだけでなく、生姜湿布として熱取りなど効用は多い。

 生姜はツマとして使うと食欲をそそる、といって食べすぎはいけない。体をかっと熱くしてくれるのだが、その反動でさらにカラダを冷やす。冷え性の人にはよくないし、高血圧、胃潰瘍などの炎症性疾患の人は一度に多量に食べないこと。ヨガ食では肝臓機能を低下させるものであるから“時として摂取するように”説いている。人は五臓六腑のなかで、はじめに老化しだすのは肝臓・腎臓で40代という。老化とは萎縮すること、縮むと硬化してその神経を減じる。肝腎の機能低下をはじめると免疫が落ちていくことになる。

 生姜に限らず、肝臓に負担するものは少なく食し肝腎機能を高める食事や生活が病症から逃れる術でもある。 ついでに古書には「男が沢山食べると肛門がゆるんで大きくなり、女はその陰器(膣)をゆるく、大きくする」と、記述されております。

デイケアと作業所

安間道貞(寮生25歳)

 デイケアに通うのは毎週月曜日と三週毎一週の木曜日になります。浦野さんが担当だったコーラスとストレッチが無くなった理由は平成22年10月21日(木)から訪問看護に移った為です。

 午前中は月曜日と木曜日は散策かレコード鑑賞。火曜日は小物作り。水曜日はコラージュとリラクゼーション。金曜日か木曜日は健康秘話で毎回フリートークがある場合がありました。午後の週初めはみんなの買い物で行き先はジャスコ豊橋南店です。デイケアから近くなるので人気がありました。火・木・金は屋外レクリエーションです。月1回のボウリングの行き先はXボウルで、月3回まではカラオケの行き先はアヴァンティで、その他、道の駅などもいっぱいあります。水曜日はトレーニングセンターでスポーツと社会支援教室もあります。木曜日は紙芝居と金曜日はゲートボールがあります。

 作業所に通うのは火曜日から金曜日の週4日のうち、木曜日は4週間に1回が通院するので休んで、さざなみ憩いの家に通うのは週3~4回です。金具曲げは金具の重さは数十㎏で1時間に10㎏で箱さら1枚30個位を並んだり、金具を曲げました。野崎さんら4人位で仕事をします。金具曲げが無い場合は鈴木ゴムか箱折りなので、昼食は正午から12時30分までで、帰りのミーティングは12時30分からとなります。お茶と昼食と掃除の当番とトイレの当番の班は僕が3班となりました。1日当たり537円は請求書兼領収書と工賃を貰います。

 さざなみ合唱団らが平成23年の第16回「炎の祭典」の炎の長縄飛び大会KIZUNA2011が参加希望人数は1チームで最低7人以上参加しなければならないので、締め切りは炎の祭典開催の1ヶ月前です。参加すると「炎の100円券」などが貰えるビンゴカードが入賞すると賞金30万円の他には20万円と10万円に貰って、さざなみ憩いの家の出展は平成23年の第16回「炎の祭典」と第57回「豊橋まつり」に参加したいと思います。

麻雀と卓球

清田和彦(寮生36歳)

 僕は今、デイケアに行ってます。いつも麻雀を4人でしてます。負ける時もあれば勝つ時もあります。あと卓球もしています。卓球は中学校の時に三年間してましたので、自分は、うまいと思っています。いつも岩屋のスタッフさんと卓球をしています。それと1月18日は麻雀大会なので負けないように頑張りたいです。まだ相手がわからないので楽しみです。卓球のほうは、こないだ岩屋の卓球大会で3位になりました。お菓子もくれました。楽しかったです。

ブリリアント祭り

鳥居錦也(寮生42歳)

 今までの慰問活動で、歌の練習をしては本番という感じで、みんなの前で緊張しながらも歌いました。けれど、今回の場合は今までと違って親が見に来るのでがんばらないといけないと思い、練習を今まで以上にがんばり、会社での仕事の時も、頭の中で歌詞を覚えているか、確認しながらも気合いを入れがんばりました。当日、やっぱり歌う時になって、初めての衣装で、親・身内の前で歌うことで緊張していました。そして待っている時、次がソロで歌う出番になったら緊張が大きくなり、気持ちがばらばらになって、どうしようどうしようと、ドキドキしていたら、藤田さんの一言で堂々として上手く歌うことが出来たので良かったです。

上手く歌えました

上手く歌えました

シャンソンに挑戦

兵藤なつき

 去る11月13日に、私は寮生として初めてブリリアント祭に出ました。前号の編集後記で楽しみに思っていたかもしれません。そのお陰でシャンソンを唄うことができました。これまでソロでは夏祭りを、元寮生の匿名希望さんとデュエットを組んで歌いました。私がシャンソンを歌おうと思ったきっかけは、慰問の練習で奥さんが練習しているのを私も一緒に唄ったからです。それで今回ジョリシャポーを唄うことにしました。私のシャンソンを見たい人が多かったので、絶対風邪は引かないようにしました。歌詞も見ないで歌うように心がけました。

 そして本番。私の祖父と母が見に来てくれました。オープニングに希望のメンバーと一緒に太鼓ばやしと龍神太鼓を演奏しました。寮生と支援者であの素晴らしい愛をもう一度などを唄いました。

 ソロの発表が始まりました。先にステージに上がった人が上手だったので、それに続こうと気合いを入れました。奥さんに背中を押されステージに上がりました。司会進行の剛さんが「今なっちゃんが着ている衣装はなっちゃん自身がデザインして作ったものです。」と言いました。一気にお客さんの注目が高まりました。みんな楽しみにしていたので、期待に応えようと思いました。慰問で唄う時は笑うことがありましたが、今回は笑うこともなく、歌詞を間違えることなく唄うことができました。シャンソン歌手の田中操さんからも「最高だったよ!」と褒められました。

ジョリシャポーを唄う

ジョリシャポーを唄う

 最後は「まつり」、森下さんと田中さんで「翼をください」や「おお、シャンゼリゼ」を唄って締めくくりました。

「おお、シャンゼリゼ」を唄って締めくくり

「おお、シャンゼリゼ」を唄って締めくくり

最近の心境

藤田一夫(寮生61歳)

 私は心の病にかかってから健常者とまではいかなくても病気にかかっているという意識がありませんでした。名鉄整備株式会社を退職してから長い間入院していてそれでも入院中にも前向きな仕事ぶりをしてました。ここで全部認めた上でだれかに託せる人がいるなら私を託して隠居したいとも思っています。私の回りの人達を見て来て私がいかに弱い人間かどんなに頑張ってもなるようにしかならないことも知りました。気丈に思うことで仕事も頑張れてこれたのですが今までは大きな夢がありました。鼻先に吊る下げられた人参も見えなくなりました。生きている張り合いも見えなくなりました。これからの夢も叶うという望みも見えません。このまま年寄り扱いされて人生終わるのかと思うととても残念に思います。

 ブリリアントの方向性はかっこいい言い方をすると自立を目指して生きてゆけという方向性ですが、これからのアパート住まいは正直言って不安です。アパートしか私の行く所は無いのです。それもすぐにアパート住まいできる条件はそろって無いです。そういうことも認識した上でアパート住まいを目指して行かなければなりません。私は名鉄整備株式会社を定年退職してないので年金は少ないです。それでも会社が25年間年金をかけてくれました。感謝しています。

 私は父親の背中を見て育ってきました。父親の偉大さを今頃感じています。私は両親の子供で来れたことを誇りに思います。

 年を取ると両親の苦労が分かると言いますけど、父親は私にとって偉大な人です。親に恩返しも出来ずに今まで生きてきました。今は私一人生きてゆくのが精一杯です。これから一生働いて生きていかなければ生計を立てて行くことは出来ません。いつ隠居出来ることやらまだまだ私に試練が足りないぞと言われているみたいです。それにしても年月の経つのは早いですね。元気に働ける体力が欲しいです。私は好んで年をとっているわけではないのですが誰でもそうだと思いますけど楽しく生活出来る日々が欲しいです。今年年頭にあたり体を壊さない程度に与えられた仕事をやってゆきたいと思います。

自作曲、二曲

伊藤 剛(寮生48歳)

忘れな草に(forget me not)  作詞・作曲 伊藤 剛

あなたが 旅立つ この朝  手渡す この言葉は
あなたと 重ねた いくつもの  季節が 集めた 輝き
この街 離れて いくつの  見知らぬ 街角 通り過ぎても
あなたの 幸せ祈る  私を 忘れないで

ありがとう ホームの向こうに  ライトが 滲んだなら
あなたの その手を握りしめ  あなたに 捧げよう ありがとう
この国 離れて いくつの  見知らぬ 船出を 繰り返そうと
あなたの 幸せ祈る  私を 忘れないで


遠い国へ  作詞・作曲 伊藤 剛

さあ、白い帆を上げ  遠い国へと 二人  
過ぎた夢も 見果てぬ夢も  心のほとりに 抱いて
生まれた意味さえ 知らずに  消えゆく言葉も 無いけれど
そばにいて そばにいて  瞳の言葉を 交わして
昨日を越えて 明日の海へと  船出をしよう

さあ、錨上げて  遠い国へと 二人
すさぶ風も 寄せ来る波も  つないだ心で 受け止め
生まれた意味とは 何かを  互いの心に 探しつつ
そばにいて そばにいて  瞳の言葉を 交わして
涙を越えて 遠い国へと  船出をしよう

行事報告 平成22年10月~12月

10月

10/3(日)曽我先生カウンセリング
10/9(土)「ブリリアント」慰問(つつじ荘)
10/16-17(土日)豊橋まつり
10/19(火)太鼓の練習(さくらピア)
10/26(火)太鼓の練習(さくらピア)
〃    居住系サービス事業所連絡会(市役所)
10/31(日)シーサイド吉前文化祭

11月

11/6(土)「ブリリアント」慰問(たけのこ)
11/7(日)曽我先生カウンセリング
11/13(土)ブリリアント祭り(駒形公民館)
11/14(日)「ハート・イン・東三河」(田原市文化会館)
11/20(土)誕生日会
11/27(土)収穫祭(豊川の畑にて)
11/28(日)防災訓練(磯辺小学校)

12月

12/5(日)駒形神社下草刈り
 〃   感謝祭、クリスマス会(駒形公民館)
12/12(日)曽我先生勉強会、秋葉山もちなげ(駒形神社)
12/25(土)ブリリアント会議
12/30(木)餅つき大会(豊川の畑にて)
12/31(金)除夜の鐘(リュウネン寺)

ブリリアントにご協力いただいた方々

今泉良美様、万久商店様、井上浩様、大須賀良子様、曽我洋秀様、位己光児様、佐溝力様、北川藤良様、北川伸枝様、マダム芳江様、あいトピア様、清水伸太郎様、森下昌洪様、田中操様、菅谷君男様、和太鼓グループ「希望」様、白井千雄様、小栗節子様、山本小夜子様、野田ひろみ様、安井延子様、森芙佐子、林恭子様、松本孝子様、市川光子様、宇野和男様、山本晴美様、稲地扶美子様、金原康純様、豊橋善意銀行様、豊橋社会福祉協議会様、ゆうきデリバリーサービス様、東海有機(株)

ブリリアントにご寄付下さった方々

今泉良美様、井上浩様、大須賀良子様、曽我洋秀様、佐溝力様、市川様、レスポワール様、鈴木様、金原康純様、金原光明様、中西寿彦様、大橋温様、内田知様、内田佳伸様、清水伸太郎様、黒木武秀様、マダム芳江様、北川藤良様、兵藤昇様、梁川美根子様、金子様、村川二三代様、生田久子様、気の里様、和(なごみ)様、夏目様、山口京子様、中村様、白井千雄様、金原博昭様、万久商店様、鳥居様、佐羽尾様、伊藤洋様、今井様、宇野和男様、野村ひろ子様、山本美和子様、       豊橋善意銀行様、豊橋社会福祉協議会様、ゆうきデリバリーサービス様、東海有機(株)

いろいろとご協力、ご支援ありがとうございました。

編集後記

 3月11日に、東北地方を中心に地震や津波が起きました。被災者の記事の中に、「下ばかり向いてたら暗くなるだけだから、とにかく明るく生きるんだ。まぁ何とかなるってな」という文章を読みました。なんて前向きな人なんだ、って感じました。

兵藤なつき

1月上旬からうつ状態に落ち込んでしまい、最近まで苦しんでいました。春になって陽気がよくなったら自然と治りました。治ってみれば落ち込んでいたのが不思議なくらいです。これから元気に働き、ブリリアントの活動をがんばってしたいと思います。

伊藤 剛
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