レッツ ブリリアント 2001/11 第4号

発行者
精神障碍者社会復帰施設
特定非営利活動法人(NPO法人)ブリリアント 施設長 内田 秀司

住所 〒 441-8145 豊橋市駒形町字坂口56番地
TEL 0532-46-0033
FAX 0532-46-0163

URL http://brilliant-gh.sakura.ne.jp/

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平成13年11月1日発行

ブリリアント祭りが近づきました

内田里枝  ブリリアント運営責任者

 毎年恒例のブリリアント祭りが近づいてまいりました。おかげさまで今年で9回目になります。

 寮生(スターダストのメンバー)は歌の練習に余念がありません。

 また、定番になりましたフラメンコショーもダンサー達が良い舞台を作ろうと燃えています。

 その他シャンソン、手品、カラオケ大会など盛り沢山の楽しいイベントを用意して皆様のお越しをお待ちしております。ぜひお出かけ下さいませ。

最近の日本語の乱れについて

森下昌洪 :一般(岩倉市50代)

「ジャンボを買って旅行に行こう」宝くじ売り場でよく耳にした。こんな宣伝はおかしい。

 ジャンボを買って旅行に行って、帰ってきたら当っているかもしれないから、楽しいことが2つあってすばらしいと解釈した。

 主語も述語も省略して2つの事をいっぺんに伝え様としている。外国人が聞いたら1つ1つ分けて説明しないと絶対理解出来ないと思う。

 最近よく耳にする若者の間のあいさつで「オッハ」は、「おはようございます。」が正式だ。「おはよう。」も相当親しい仲なら通用するが、「オッハ」だけは気持ちが悪くなる。

 コンビニでは買い物をすると店員が一律にいくら「から」お預かりします。と言う。いくら「を」お預かりすると言うならすっきりする。

 「ジャンボを買って旅行に行こう」も「オッハ」も「「いくら「から」お預かりします。」」も日本人の頭までがIT化されてしまったので、日本語がコンピューターのように記号化されてしまったのが原因だと思う。

 これからの日本語は、もっと乱れてファッション化されるだろう。

光ちゃん(みっちゃん)の奇跡

内田里枝

 或る夜突然吐血し救急車で運ばれ、診察の結果、肝臓動脈りゅうの破裂とのことで、緊急手術となってしまった。3日後ついに意識もなくなり、寮生達も覚悟をきめた。面会に行っている私と管理人さんは毎日光ちゃんの手足をさすり、必死に祈った。敬けんなクリスチャンの管理人さんの祈りが届いたのか、数日後、意識のない光ちゃんが首を縦にふった。

 その日を境に光ちゃんは少しづつ確実に回復していった。約1ケ月病院にて治療、リハビリを受け、基本的な生活がほとんど自分で出来る様になったのでブリリアントに戻ってきた。奇跡の生還だった。この間に私は人間の生命力のたくましさと、神への祈りの奇跡を見ることが出来ました。CTの写真では肝臓は全然ダメと言われていたのに、今ではブリリアントの皆と一緒に食事を摂ります。昼は愛ネコの “シロ” をまるで孫をあやすかのように楽しそうに戯れています。

 寮長さんとしてやって欲しい事はまだいっぱい有ります。これまでのブリリアントの伝統を若い寮生に受け継ぐ仕事もその1つです。私と管理人さんとで企画し最後の手術が終わってから、退院祝いをしました。寮生達も驚きを隠せないまま喜んでいました。光ちゃんこれからもガンバッテ!

大航海体験

K・U + H・T

10:00 Tマリーナ出航
10:30 館山寺喫茶店到着
10:50 館山寺喫茶店出航
11:25 浜名バイパス陸橋通過
11:35 今切口にてUターン
11:45 ステアリング握らせて頂く
12:00 マリンジェットゲレンデ到着
12:10 ゲレンデにて昼食
13:00 砂浜にて潮干狩り
13:45 マリンジェット初体験
14:25 ゲレンデを出航
15:00 Tマリーナ無事帰港

 9月16日(日)、ブリリアントの一行は上のスケジュールでマリンスポーツを丸1日楽しみました。始めの頃は船酔いとか、もっと別な1日の過ごし方があるだろうに!とか考えていましたが、クルーザーが速度を上げ、波しぶきが顔や体にかかったころから皆だんだん開放的に成ってきて今回のクルージングが楽しいと思えるようになり、船が高速カーブを切るたびに「おーっ」と興奮しました。

 イラスト担当のH・T君がホンの少しだけですが一級海技免状の特技を生かしてクルーザーの運転もしました。彼にとっては10年ぶりの実技でこれまた感動ひとしおでした。また、みんな2人乗りのマリンジェットに一人づつ乗せてもらい、まるでジェットコースターの湾曲加速度と高速のバイクの後ろに乗ったようなド迫力に圧倒され、また魅了されました。

 砂浜にて持参したおにぎりを食べた後、水着に着替えて皆で「あさり」採りをしました。これは水深約70cm位の所で素手で海底を堀りながら貝の形を探すもので、漁師の道具 “かぐわ” を使ったところ、バケツ2杯分も採れ、また、泳げないはずの管理人さんが素手でワタリガニの親子を捕まえるなど(子供の方はリリースしました)みな大活躍で今回のマリンスポーツはとても感動的でした。

 この日の出来事はブリリアントの皆を日ごろの多忙な、スケールの小さい生活から本来人間が持っていた大きな心を取り戻してくれました。ある文献によれば人間は、太陽・水・風・泥などに直接接すると、脳の状態も(詳しく言うと11,7ヘルツの脳波)良くなるそうです。この状態の人間の脳はとても第6感が働き、自分にとって良いことが良く思いつくそうです。

 ブリリアントではこれからも大いに自然と触れ合うレクを増やしていこうと全員一致で決めました。マリンスポーツがもたらしてくれたものはとても大切なことでした。

お菊さんとそぶみ観音

K・S

1.お菊さん(80歳代女性)との出会い

 お菊さんとは5,6年前に私が(朝起き会)に行った時に出会いました。体の弱そうな人なのでふびんに思ったので話かけたのがきっかけでした。彼女は熱心な般若心経の信者さんで、私も若い頃やったことがあったので、いつしか本宿にある、そぶみ観音へ一緒に行くようになりました。彼女はかなり以前より通っていたらしく、拝観用の衣にはすでに朱印が一杯です。今では、拝観後昼食を一緒に摂るのが楽しいと言ってくれています。

2.般若心経と歌について

 ブリリアントにはスターダストという合唱隊があり、私も参加することになりましたが、はじめはあまり乗り気になれませんでした。しかし以前お寺の高僧に、「仏様はお経も好きだが、音楽や歌も好きだ。」と聞いたことがあったことを思いだしました。よく考えると、読経と発声は腹式呼吸法や一定のリズムがあることなど共通する事が多いことに気づき、だんだんと練習にも積極的になれました。今度のブリリアント祭りでは、精一杯歌わせて頂きます。これからもよろしくおねがいします。

べトコンラーメン

宇野昭男(寮生36歳)

 ブリリアントの世話人さんが雑事で多忙なときは、寮生だけで夕食をとることもまれにあります。今日は辛党の僕達の大好きなラーメンを紹介します。それは、べトコンラーメンといい、ニンニクとニラ、鷹の爪のたくさん入った激辛もの。このラーメンと出会ったのは僕がまだ学生の時、友人のうわさで「とても辛いけどうまいラーメン屋がある。行ってみようか」とのことで食べに行ったのが始まりです。小さな店内にはニンニクとニラ、それからなくてはならない赤唐辛子を炒める、何とも言えない煙が漂っていて寒い冬でも汗をかいていました。どうしても自分の手で作りたいと、味を舌で確かめるように毎月2回は食べに行っていました。貧乏学生だった私達には1杯¥580のぜいたくです。当時1回の銭湯代が¥310だったから、風呂か、コップ酒かという生活のなかで¥580はとても貴重な食事でした。

 さて、作り方を書きます。ニンニクはおろしたりせず、皮をむきフライパンで炒めます。表面に焦げができたら一度ボールに移し、次ぎにニラともやしと豚のバラ肉を炒めます。フライパンにふたをしてもやしの水分で熱を通しておき、柔らかくなったらタカの爪を輪切りにしたものをたくさん入れて、鼻がくすぐったくなるような香りがし始めたら具の出来あがりです。スープや麺は本格的なものはないので生麺タイプのしょうゆ味のものを用意して、まずスープ作りです。既製品で作ったスープにしょうゆを足したりして味を好みにします。

 最後に麺をゆでて、あとは一気に10人分に分けます。

 ブリリアントでは食事を皆一緒にとるので、家庭用コンロでは時間がかかりますが、それでも2時間後、辛いべトコンラーメンが出来ると、「おお!!」と声が上がります。料理長のK・U君と協力して作ったラーメン。「2度と同じ味はできないな。」と味通の社長さんに誉められたほどで、僕達にも、美味しいのです。ブリリアント名物 “べトコンラーメン”。

 食べにこられる方はご予約ください。

レシピ(10人分)

1.ニンニク50~60かけら。
2.ニラ   4束
3.もやし  6袋
4.生麺(醤油味ベース)10人分
5.タカの爪1パック
6.豚肉バラ 400g

 一度お試しあれ!!

ヨットと私

H・T

 昭和51年11月、風が冷たくなってきたころヨットと言う物に初めて触れました。

 静岡県に有る浜名湖のYマリーナにジュニアヨットスクールの第一期生として入学しました。

 始め、今は亡き父に「ヨットの映画を見してやる。」と言われ喜んで付いて行きました。校長先生は、ヨット界では有名な某氏でした。小学校5,6年まで、月に2回通いました。第1回全国大会で、第3位に入賞しました。

 高校2年生で17歳の時、小型船舶4級を取得。大学3年生の時には、中部地区大会スナイプ級総合優勝。しかし、大学4年で発病。精神病で入院しました。大学復帰はあきらめ、掃除夫のバイトをしながら自動車の普通免許を取得。大学は除籍となり、家業のマリンショップの営業をしていました。入退院を4回繰り返し、ついには、勘当させられてしまいました。流れる様に名古屋市のヨット専門店のお世話になりました。1年あまりお世話になり、見習い店長までさせて頂いたのに、私の精神病のもとともいえるエゴと見栄で再発してしまいました…。

 今私の手元に1級小型船舶の免状と、レーダーの免許証が有ります。7年に渡る入院で、紛失していたものを今年再発行しました。今回の記事の「大航海体験」をお読みになった方は分かると思いますが、これから、ブリリアントのメンバーで船でのレクに役立てたいと思います。私の青春時代を賭けた努力はこれからいよいよ本物になろうとしています。

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