レッツ ブリリアント 2019/07 第77号

発行者
精神障碍者社会復帰施設
特定非営利活動法人(NPO法人)ブリリアント 施設長 曽我洋秀

住所 〒 441-8145 豊橋市駒形町字坂口56番地
TEL 0532-46-0033
FAX 0532-46-0163

URL http://brilliant-gh.sakura.ne.jp/

お問い合せはこちらから

引きこもり事件について

施設長 曽我洋秀

 引きこもり110番を設けてなんとか、と思っていた矢先あの事件が起こってしまいました。引きこもりの治療を依頼されたのは、20年ぐらい前の事でしょうか。それからブリリアントに関るようになって12年になりました、引きこもりって何? その頃は、引きこもりの事が書いてある本もなく、まったくの手探り状態で、今分かることは、生きづらさを抱えているから、引きこもるんだ、と言うこと、人それぞれに抱えているものが違うと言うこと。

 その生きづらさを支援しないと、解決しないと言うこと。本人にアプローチできなければ、親子さんにアプローチしなければならない、それらの支援が無ければ解決しないと思っています。やはり環境を急に変えてはいけません、ある程度時間がかかります。皆さんと一緒に考えて行きたいと思います。

 ありがとうございます。

映画の思い出

伊藤 剛(寮生57歳)

 前回のレッツ・ブリリアントで映画の話を書いたところ、支援者のSさんが感想を寄せてくださったので、嬉しくなってまた映画ネタを書きます。

 僕が物心付いて一番最初に見た映画は、ふるさと東栄町で一番の繁華街(笑)にあった公民館かどこかで見た、あるヤクザ映画でした。映画の題名はまったく覚えていませんが、いくつかのシーンは今でも印象に残っています。

 次に記憶があるのは、昔は東栄町にもあった「キネマ」という映画館まで、近所の遊び仲間たちと一緒に見に行った怪獣映画「ガッパ」です。この映画は1967年4月に日本公開と、インターネットの「ウィキペディア」には記述がありますので、僕が5歳の頃だったことになります。記事によれば、この映画は、日活が当時の「怪獣ブーム」に乗って製作した唯一の怪獣映画ということで、当時、ニットーという模型会社から、ゼンマイ仕掛けで歩行するプラモデルキットが発売されていた、とあります。僕もそのプラモデルを作った覚えがあり、ゼンマイでジーコジーコと体を左右に揺らしながら不器用に歩いたものです。映画の中で、ガッパの目が水中で青く光るシーンを良く覚えています。

 次の思い出は、父が豊橋まで連れて行ってくれて見た、「新・猿の惑星」というSF映画と、「バニシング・ポイント」というアメリカン・ニューシネマの2本立てです。豊橋に行ったのは、当時の我が家の自家用車「スバルR2」の車検だったかな? というような気がします。下地にあったスバルの自動車屋さんに車検か修理を依頼して、待ち時間に広小路の映画館まで行ってその2本を見たのでした。「新・猿の惑星」は、あの有名なSFヒット作「猿の惑星」の続々編にあたり、1971年7月日本公開ですので、僕が9歳(小学3年生)のことでした。ストーリーは、猿の惑星(未来の地球)から、3人?の猿たちがかつて地球人の乗ってきた宇宙ロケットで過去の地球(現代)へタイムスリップして舞い戻り、そこでいろいろなドラマが始まる....というものでした。1作目同様、悲しくも衝撃的な結末は、今でもよく覚えています。僕がSF的な映画や小説を好きになったきっかけの映画でした。

 「バニシング・ポイント」の方は、派手なカー・アクションの合間に描写された、アメリカ社会の陰や闇の部分が子供心にも強く印象に残っています。今またもう一度見返してみたい気分です。当時父に、「バニシング・ポイント」ってどういう意味なの?と訊ねると、父は、「さぁなぁ?バニシングクリームという化粧品があることはおとうちゃんも知っているけどなぁ。」と言ってました。高専生になってから辞書で意味を調べると、「絵画・図法における遠近法の消失点」だということがわかりました。それを知って、やはり衝撃的だった結末の意味が分かったような気がしました。

 続いては、映画好きの叔母と広小路の映画館で見た、傑作SFスリラー「エイリアン」です。こちらは1979年7月本公開なので、僕が17歳(高専2年生)の時の映画です。有名な映画なので皆さんもご存じだと思いますので、結末を書いてしまいますが、終盤で主人公が命からがら乗り込んだ非常脱出用小型宇宙艇の通気パイプ?の陰から、パイプそっくりの形をした、エイリアンのヌメヌメした頭部が突如現れた時には2人とも恐怖と驚きでビクッと体が震え、反射的に椅子からのけぞったことをよく覚えています。(笑)

 今ではインターネットで古い映画の情報がすぐにわかるようになったので便利ですね。

ブリリアントの畑

白井千雄(寮生・74歳)

 冬に深堀(天地返し)をしてゴボウの種を撒きました。今は太さが親指より少し太く、長さが約30㎝位に育っています。ジャガイモ、玉ネギの収穫が終わって、ナス、トマト、カボチャ、スイカ等を作っています。自然農法を勉強して少しずつ取り入れて作物を育てたいと思っています。

就職活動

小柳津昇久(寮生・59歳)

 ブリリアントに入居してから、ほっとぴあの就労支援員の山田さんが就職探しをしてくれました。6月に入って造船サービスに職場体験(3日~7日)に行くことが決まり、出荷と洗浄の体験をしました。13日にハローワークに行ってカードを登録して、14日に紹介状をもらって来ました。18日に面接をして話をしたあと、21日に制服を渡します、ということと24日から正社員として働いてもらいますと言われました。

参加しなくちゃわからない

宇野和男(支援者・元寮生54歳:既婚)

 去る6/1(土)に訪問交換グループブリリアントの慰問公演に久しぶりに参加させてもらいました。

 田原市の福寿園さんという施設で、ブリリアントの訪問活動相手先ではホールが一番大きく、観客向けスピーカーの音がほとんど聞こえないので、今回新たにパワードモニタースピーカ1台を購入し、劣化の激しいマイク2本を新型に買い換え、音響係としても初めて体験するやりがいのある参加だった。ところが1週間前からの練習会で兵藤さんのMCの入る曲の途中で伴奏ボリュームを下げるところで練習すべきだったのになぜかふらふらと練習場「カサデ」の中をうろうろしメインスピーカの音の出具合に気を取られ練習でボリュームを下げるタイミングと下げる程度をうまく練習できずに本番に入ってしまった。前日凄く後悔した。本番では下げるボリュームに印を前もってつけて慌てて失敗しないよう注意した。マイクもキャノンケーブルを1本持ってこなかったために2本のうち1本は新型マイクのデビューはなかった。こういうことがあるから練習場カサデでもフル装備で練習すべきだと思います。

 歌のほうはなぜか古い曲でも知っているのばかりだったので、一生懸命歌った。伊藤剛さんが原曲を集めてくださっていてそれを1人の時にこっそり練習したので歌いでがあった。音響係としては観客席用のメイン回路とステージの上で伴奏と声を確認するモニターの2回路のボリュームと音質にずっと注意した。行き当たりばったりの調整だったので2,3回ハウリングになりかけたこともあった。その分ぎりぎりの高音質大音量(うるさくない程度に)を実現できた。内田監督からのホールでの音量の忠告も助かったです。歌うのもなぜかカラオケハウスと違う雰囲気で、気が付けば、会場の皆さんがいっしよに歌ってくださったり、手拍子を打ってくださったりして一体感に満ち溢れた1時間でした。すべてが終わったとき、私はすごく刺激され満足感みたいな達成感みたいな言葉でうまく言えない気持ちになりました。あえて言葉で言うといくらお金を支払ってもこの感じはどこにも売ってないな、やっぱ参加しなくちゃわからない充実感でした。2回路と言っても今までどうり先ずメインスピーカーを十分設定し、モニター回路はステージ上で自分も聞こえるため聴きやすくすればいいんだと後から気づいた。エコーは第一声直後でオンするという昔学んだ知識で気持ちよく聞こえるようにしたし、歌とコメントの時のエコースイッチのオンオフもうまくいった。大成功と言えるんじゃないかと思いました。

 今回は参加させていただき、ありがとうございました。

最後に届けたい

兵藤なつき(寮生・34歳)

 天気がまずまずだった5月19日。私たちは國澤さんのログハウスへ佐溝力友の会の総会へ参加しました。この会の役員の方から石井さんか今年の3月で当会を卒業されると聞いて私は石井さんがこの会を務めてよかったと思わせるように届けることはできるかに気付けました。お茶係に向かえてからハラハラドキドキが始まりました。ミニコンサートで私たちの出番が迫ってくることが分かってから先ほどの気持ちが高くなりました。機材の準備に参加できたところで「みんなが注目している。私の行いで評価がきまってしまう」気持ちを背負いました。

 そして本番。続く正岡しのぶさん、佐溝力さんに託すことはできるか、窓際で聞こうとしている石井さんに向けて私たちが練習した成果を届けられるか合唱で届けることができました。

 総会が締めくくられるまで気持ちを安定させなきゃいけないと思いました。私たちが帰る頃になったときは石井さんも嬉しくなったと私は思います。ブリリアントに戻れるまで緊張感を切ったら、せっかくのログハウスでの気持ちを続けられないと感じました。

梅雨とさんぽと朝大事な事

渡邉茂治(寮生・38歳)

 6月です。新しい年号にまだなじめていません。暑くなったり寒くなったり気温の変化が激しいので体調には十分気をつけて下さい。梅雨ですので外出の時は晴れの日でも傘を持って行くことをオススメします。外出の際には、特に目的地が近場の場合にはさんぽがてら外を歩いてみるのも良いと思います。歩きでないと分からない事や新しい発見とかがあるかもしれません。

 1年を通して朝起きるのはしんどい思いです。それでも朝食はキチンと食べる事を心がける様にしています。朝食は大事です。朝はいそがしくても朝食の時間は作った方が良いと思います。朝食をキチンと食べて体に活力を与えて1日を始めましょう。

原発に疎い人たちよ!

杉浦 依和夫(支援者・ヨガ講師)

 いつだったか街頭で"ピンクのリボン"とチラシを配布している人たちから手渡された。これがなんと"乳がん撲滅運動"の一環であり、ピンクリボンはそのシンボルカラーでした。ちょっと照れくさかったけどいただいた。

 数年前になろうか、近くの喫茶店でモーニングをしていたとき看護師の母娘さんが会話しているのを聞き及んだ。「町内の60代の男性が乳がんでなくなった、そんなに珍しくない」と謂う、衝撃を受けた。男性は定期健診なんてないですから、また自ら受ける人もないであろうことからなすすべもなかった。

 近年はガン発病率が高いが、そのはじまりは、チェルノブイリ原発事故がある。乳がん発症は原発であり、原子炉閉鎖により乳がん、乳幼児の死亡率が激減しているという報告がある。男女生殖器・甲状腺・乳腺などはホルモン分泌腺でその影響を受けやすい器官であるから注意が必要である。

 地震列島日本には原発と再処理工場が50数か所あり、そこからの放射線の影響は、原子炉100マイル圏内説がある。100マイルとは半径160キロの範囲を描いてみれば北海道の洞爺湖付近から東一帯を除いて日本列島はすっぽりと傘下に入ってしまう。

 原子力発電所で使ったウランの放射線、そして燃やしてしまったウラン燃料の中にできたプルトニウム取り出し(再処理工程)、さらにそれをウランとプルトニウムを混ぜて燃やすプルサーマルを履行するは非常に危険であるという。

 こんなことを電力会社は、政府の後押しで裁判所まで巻き込んで再稼働をやろうとしている。一体、この政権はどういう頭を持っているのか理解に苦しむ。

 県下には原発がないからとノホホンとしていいわけではない、浜岡・敦賀・高浜・もんじゅの原発からは放射性降下物が、放射能雨が降っているのである。また、海への垂れ流しも発覚して近海モノのみならず河川・海洋全体が汚染されつつあり魚貝・海藻は手が付けられなくなる恐れがある。

 原発といえども、もとは火力発電で起動させている。太陽エネルギー・クリーンエネルギーの高まりがある今、原子力に頼らずとも火力・水力で賄える筋道があるはずなのにごり押しをしている。これには、政府の威信が見え隠れしている。

 原発が造れる技術があることは、いつでも我が国は原子力爆弾を製造できる技術があることを示しているのだろうか、それでもって他国に売りつけるつもりか、戦争放棄したのにも拘わらずだ。憲法9条改憲も同じような盗っ人稼業を政府はしている。

 さあ~みなさん、どうか原発反対に動いてください、対岸の火事ではないです~東京オリンピック、大阪万博に惑わされなく~子供たちへ未来の子孫のために立ち上がれ!

もっと、もっと盛んになるネットワークビジネスについて

森下昌洪(支援者70歳)

 一日に、二つものネットワークビジネスの誘いがあった。以前から続いている。ある会場は、若者が百名位いた。(まだまだこりずにやっている)

 こういうビジネスは、二年三年が勝負である。永続性は、無い。その場限りで信用出来ない。実績があっても、すでにやっている人間が多くなり過ぎて、一獲千金を狙っている人間には、もう遅い。

 これらの企画は、プロが世界の情勢、経済を専門に勉強しているから、素人は、うのみにする。考え出した一部の人間だけが、もうかる仕組みになっている。この世に楽してもうかる話は無い。現在日本・世界の経済がおかしくなっている。仲間うちでとったりとられたりしている。若者が汗水流さないで、口先だけのビジネスは、どこか狂っている。この部分がわからない日本人がおかしい。

🌻~夏のお訪れ~🌻

☆~鋤本 惠美~☆ (支援者)

 さわやかな風、 風鈴が涼しげに チリン チリン チリン。。。🎵いつの間にか、お庭の無花果が大きくなって、たくさん実をつけました。今年の夏も、小鳥さんと 一緒に仲良くたべたいなぁ~。 "はーやく食べなきゃ なくなるよ~"と いちじくさんが、耳元でささやきます~😊

🎵~夏が くーれば おもいだす~🎵

幼い頃、姉に 浴衣を着せてもらい、うちわを手に 出かけた盆おどり。花火が 大きく 大きく

見えました。太鼓の音が ♬どん どん どん タカタッタ どん どん どん♬ 体も心も踊り出します。そんな、子どもの頃を思い出した夏の訪れ~。

☆~お寺でのお別時会での和尚さんのお話~☆

  法要は「亡くなった人への追慕や感謝の思いをご縁として」集まるものです。それは、「今ここ」にある命に気づくことなのです。。。。。子どもさんが「生まれてきてよかった」と心の底から思えたときに、初めて親御さんの願いをかなえることができた、本当の親孝行ができたということになるのではないでしょうか~「生まれてきてよかった」これほど光に満ちた尊い思いはありません。それは、生命の尊さ、世界の美しさ、人生の意味が分かったということなのですから。「生まれてきてよかった」それは「お念仏」の世界です。それは私たち凡夫には、「お念仏」に触れるご縁を得て、初めて体得できる世界なのです。

今年もお盆の月を迎えました。

「あんたは、居場所がたくさんあっていいじゃない~」「おれがな、死んだらな~お前をずーーーっと 守ってやる」 母と父の、あの頃の言葉が、今、聞こえてきます。

今年5月12日父の三回忌。父はいまごろ どこにいますか~?と、和尚さんにたずねました。

阿弥陀様の足元にたどり着きましたよ~と和尚さん。いろいろな父母の顔、いろいろな出来事、いろいろな感情が、とめどもなくあふれてきた一年が過ぎ、三回忌を迎えた朝。いつもと違う朝。さわやかな朝、よろこびの朝、やさしい朝。

この日からは、ふたりの笑顔だけ うれしい思い出だけがあふれます。「産んでくれてありがとう。生まれてきてよかった」と心の底から思えます。

「人生悔いだらけ・・・」と、つぶやいちゃった母。「人生なんにもいいことなかった・・・」と、つぶやいちゃった父。今では、こちらでの出来事を思い出しながら「産んでくれてありがとう。生まれてきてよかった。生まれてきてくれてありがとう」と、心の底からつぶやいていることでしょう~。 

よかった よかった よかったね~(*^-^*)

あちらとこちらでつながっている母、父、祖母、祖夫、祖祖母、祖祖夫・・・・・みんな、幸せ顔で勢ぞろい。今年はそんな夏の訪れとなりました。         

🍀ありがとう おかげさま🍀

~濱島秀行 2ndアルバムリリース記念 リサイタルのご案内~

スペシャルゲスト 夏目順子さん、清水陽介さんを迎えての 濱島秀行×QRS 

『―Violin Songs Vol 2 濱島秀行2ndアルバムリリース記念リサイタル―』

―Violin Songs Vol 2 濱島秀行2ndアルバムリリース記念リサイタル―

―Violin Songs Vol 2 濱島秀行2ndアルバムリリース記念リサイタル―

 16年前の出会いからご縁をいただいた音楽療法士・濱島秀行さん。年に1回開催の講演会では、「心のケアコンサート」に何度もいらしていただきました。

この度、濱島さんの出身地豊橋にて、ボランティアグループ゛ふれあい゛・はま風音楽事務所の共催で、リサイタルを開催させていただくことになりました。

生きていることの歓び、命あることの歓びあふれるひととき、癒しの時間を、みなさま、この機会にぜひご一緒にいかがでしょうか~。

日 時  10月14日(月・祝)  開場14:00 開演15:00

会 場  穂の国とよはし芸術劇場PLAT主ホール

参加費  全自由席 2000円 未就学児入場可(無料)

★チケット発売日 7月13日(土)【全自由席 2000円】

*車いすご利用の方、ヘルプマーク、お身体の不自由な方は、ボランティアグループ゛ふれあい゛にてチケットをご予約ください。出入り口に近いお席のご準備があります。

*チケットをお忘れや紛失された方は再度購入していただきますので、お忘れのないよう~紛失のないよう~よろしくお願いいたします。

★チケット取扱先

プラットチケットセンター 窓口・電話0532-39-3090 (休祭日を除く 10:00~19:00)

オンライン http://toyohashi-at.jp (24時間受付)

<お問合せ・参加申し込み先>

◇ボランティアグループ “ふれあい” (代表 鋤本)

電話・ファクス 0532-46-3267  携帯 090-6351-6238

メール:sukimoto212@yk2.so-net.ne.jp

◇濱島秀行公式HPお問合せフォームより https://www.hamajima-violin.net/

◇Q.R.S公式HP お問合せフォームより info@qrs-japan.com

みなさまのご参加お申込みをお待ちしています(*^-^*)

インドネシア珍道中(前編)

理事長 内田里枝

1本の電話

 あれは3月の中頃だったか....。友人から1本の電話が入った。

「いっしょに旅行に行かない?」

「えっ? いつ? どこ?」

「5月の連休前、インドネシア。」

 それで結局、4月の中旬に1週間の海外旅行が実現したのだった。主人が亡くなる前は年に一度は海外旅行に行っていた。私の趣味の旅行もあったが、ほとんど主人の仕事がらみの関係だった。だから主人がいなくなってからは旅行にはトンと縁が無くなり、寂しさもあり、私はすぐに友人の旅行話にのった。

 目的地はインドネシアのアルマ美術館。それから有名なボルブドール遺跡も見たい。

 友人は芸術家なのだ。浜松で活躍している彫刻家で、アクトシティーの屋上の公園には彼女の作品が堂々と建っている。そのほか、舞台美術も手がけており、大きな賞をとったこともある。

旅行の準備

 私達はさっそく旅行の打ち合わせに入った。しかし、知れば知るほどインドネシアは恐ろしいところだった。

 ・下痢止めは現地調達(ホテル以外のところで水を飲むと下痢になるが、日本で仕入れた薬では効かない)

 ・虫除けスプレーも現地調達(蚊の威力がすごく、これも日本の製品では役に立たない。)

 ・ボロボロの服でリュックサックは前掛け(きれいな服は金を狙われる。リュックサックは背中にしょわない。)

 ・タクシーは「ブルータクシー」以外は乗るな(日本人はやたらと金をボラれる。)

 不安を感じながらも私達の旅行の計画は進んでいった。

 今までの旅行はほとんど現地の友人が案内してくれていたので英語も単語を少し知っていれば困ることはなかった。友人も日本語で話しかけると英語が文字になって現れる新兵器を持って行けば何とかなると思っていた。しかし添乗員はいない。通訳もいない2人だけの単独旅行はそう甘いものではなかった。致命的なのは2人とも英語が達者でなかったことだ。

2時間の時差

 1週間の海外旅行だったが、心臓が止まりそうな事件が毎日起こった。

 最初の日、中部国際空港からジャカルタ行きの飛行機。ジャカルタに着いたらデンバザール行きに乗り換えなくてはならなかった。ところが、どうも到着時間が2時間遅れているらしい。えらい事になったと私達は急いで乗り換え場所に走った。行けども行けども乗り場は見当たらない。走っても走っても着かない。もう乗り遅れるかもしれないと死にもの狂いで空港の職員らしき人にチップを渡し、やっとたどり着いた時はヘトヘトだった。しかし、何のことはない。2時間の時差があり、時間は十分あったのだ。それに乗り換え場所が遠いので室内タクシーを利用するのがおススめだったらしい。何てこった....。時差を考えていなかったのだ。

 やっとデンバザールの空港に着き、日本語の話せるガイドさんが迎えに来てくれていて、ホテルに着いたのが夜の9時半だった。

飛行機に乗り遅れる

 次の朝、ガイドさんが朝早くホテルに迎えに来た。ボルブドール遺跡行きの飛行機に乗る時間はまだずっとあとなのに、ホテルから空港までが渋滞するので早めに出た方がいいらしかった。飛行場で

「どうやって時間をつぶそう...」

「お茶でも飲んでしゃべっていたらいいよ。」

 のんびり屋の私達。ひとしきりしゃべり、もうそろそろかなと乗り場に行った時は時すでに遅し、飛行機は飛び立ってしまった後だった。なんてこった。メインの観光スポット、ボルブドール遺跡だったのに...。まさか飛行機に乗り遅れるなんて...。

 さぁどうしよう、友人は新兵器を取りだし、飛行場のスタッフをつかまえてあれこれと交渉したが、1日1便しかなく、ボルブドール遺跡はあきらめざるをえなかった。時間はどんどん過ぎてゆく。結局、やっとガイドさんに連絡がつき、デンバザールのいろんなお寺の観光に連れて行ってもらうことになった。余分な出費だった。しかし、チップをはずんだせいなのか、運が良かったのか分からないが、ガイドさんはとても親切で、この日が一番充実していた。タマンアマン寺院、ガルーダウィスマケンカーパーク、ウルワツ寺院、骨董品屋やスーパーマーケットにも連れて行ってくれた。特にウルワツ寺院は海辺にあり、海に夕日が沈んでゆく景色は素晴らしかった。

レッツプリリアントNo76を読んで

S様(支援者、ボランティアグループふれあいメンバー)より寄稿

 老いるということ:「運び屋」を読んで、「運び屋」って何だろうと思い調べたら麻薬を運ぶ仕事なんですね。その役を老境のイーストウッドが演じています。

 私も映画は好きです。でも、ここ10年余り映画館に足を運んでいません。映画のどんなところが好きかというと、それは、一人でじっくり楽しめるところです。テレビではそうはいきません。周りが明るく音や物の動きがあるところでは集中して楽しめないからです。

 クリント・イーストウッドの映画は当時マカロニウェスタンと言われた「荒野の用心棒」「夕日のガンマン」などが思い浮かびます。刑事物の「ダーテイ・ハリー」も観ました。残念ながらイーストウッドが監督・主演した作品は観ていません。思い出す映画はその他に、「ローマの休日」「鳥」「ゴットファーザー」「ジョーズ」「猿の惑星」「007・シリーズ」「ロッキー」「ET」「ジュラシックパーク」等々。邦画では、黒澤明監督の「七人の侍」「椿三十郎」や、山田洋次監督の「男はつらいよ」「幸せの黄色いハンカチ」などを思い出します。高倉健の「仁侠」映画もよく観ました。映画の中のカッコいいヒーローに憧れ、こう生きたい、こうありたいと思うことがあります。そうした感動があると、ああ、今日はいい映画を観たと満足感に浸ります。そうした印象に残る映画に出合うのは10本中1本あればいいほうでしょうか。私は「運び屋」を観ていないのでイーストウッドがどんな老人役を演じたのかわかりませんが、伊藤さんの言われる、自分の人生の中で残せるもの、を創れたら素晴らしいですね。

 最近、「老いるということ」を考えることがあります。残った人生をどう生きるかということをです。恥ずかしくない人生、「老い」でありたいと思っています。17年7月に105歳で亡くなられた日野原重明先生は、「命」はどこにあるのですか?という子どもの質問に、命は、今、自分が自由に使える時間が「いのち」だと答えています。

誰にとっても人生は一回限りで、その人生を生きられるのは本人だけです。その上、自由に使える時間は「いま」しかないのです。いつ何が起きるかわからない、無常の世の中にあって、「いま」をおろそかにするのは、命の無駄遣いだとおっしゃっています。

一日が終わり床に就く、天上を見ながら、今日はどんな一日だったろう、と振り返りったとき「やるべきことをやっただろうか」と、そこに後悔があっては、と思います。

最近、平成最後の○○、平成最後のロロという言葉をよく耳にします。残り少ない平成を味わいましょう、あるいは、急いでください、と言われているようです。

 先日、高齢者の施設を訪問しましたら、利用者さんの書かれた習字が壁に貼ってありました。お題は「令和」。近くにいた○○さんに、どんな気持ちを込めて新しい元号を書かれたのですかと?と訊いてみると、昭和は辛い戦争があった、平成はなかった、令和も戦争がない方がいいと、願いながら書いたそうです。

グループホームを選んでいる方へ

宇野和男(支援者・元寮生54歳:既婚)

 最近グループホームは新しい建築の美しい清潔なところが次々と建てられている状況ですが、ここブリリアントをあえて選んでほしい理由を書きます。

1.農作業を専門の作業とするグループホームもある中で、そこまでいかず面積的に言って重労働でない程度で、寮生みんなで仲良く協力的な雰囲気で作業をしています。女性は重労働はしません。種まき、草取り、収穫などを行い、世話人さんの料理で実際に出てくる野菜を自分たちが栽培しています。個人の能力に応じて作業は考えられます。

2.毎朝30分は歩きます。健康維持と自由なおしゃべりができます。

3.飼い猫が2匹と飼い犬が1匹います。犬の散歩は当番制で行っています。

4.機関紙レッツブリリアントの原稿書きを通じて、その時々の自分を振り返ります。他の人の文章を読めば、その人の状態や考え方がわかります。文章が苦手の人は3行だけでもいいです。自分の命をみんなに知っていただこう。実名投稿ですと有名になります。

5.施設長が怖い人でなく、むしろ生活向上のための指導を提案します。金銭的なこと、悪いことしないように、方向付けを一緒に考えてくれる人です

6.歌好きな方大歓迎です。ブリリアントは周囲が農場なので自由時間にカラオケマイクを使い、オーディオ音響システムで本格的なカラオケが¥0でできます。大きい音で熱唱しても誰にも迷惑かけません。普通考えられないかもしれませんが、ブリリアントではこの音響システムを5人乗りのバン(ブリリアント号)で運んで、最低月1回はお年寄りや、知的・身体の障碍を持つ方々の施設に出かけ、慰問で1時間の慰問公演として歌ってきます。ソロで歌うときが一番緊張しますが、公演が終わると、とてもお金では買えない種類の自信や快美感に包まれます。私が「参加しなくちゃわからない」の記事で書いたとうりに、いいことがいっぱいあります。たいていの慰問では帰りにイオンやアピタのフードコート(スガキヤなど)に寄って、好きなものを自己負担¥0でいただきながら反省会を軽くやっています。

10年間世話になって卒業し、8年後の今でもお付き合いがあるのは、私が音響システムの操作ができ、歌も歌えるからで、責任が大きい分達成感は抜群で、しばらく気分的にハイになり、妻にべらべら話します。妻は本当のところは分からないけど私が熱心に話すので聞いてくれます。あまりに話過ぎると布団のほうへ行ってつぶれて寝てしまいます。良い妻でよかったと思います。

 グループホームブリリアントは築25年ほど経っていますので、ピカピカの新築ではありませんが豊橋で一番昔から運営されていて、困ったときの自己の精神的再生に役立ちますよ。社会復帰プログラムがこんなに充実したとこはないと思います。

 世話人さんは食事を作るだけでなく全人格的に相談に乗ってくれたり、毎日励ましてくれます。シャンソンやフラダンスもこなします。最近ではウクレレも始めました。慰問公演では、ウクレレの伴奏で寮生がコーラスを歌います。こんなに中身のあるグループホームは他には無いと思いますよ。あなたもブリリアントに入居してみませんか?

行事報告平成31年4月~令和元年6月

4月
4/7 (日)ドライブお花見ツアー
4/10(水)花祭り参加(豊橋別院)
4/13(土)呼吸サークル(豊橋文化会館)
4/14(日)お庭草、駒形神社春祭り、餅投げ・甘酒
4/20(土)太鼓の練習(さくらピア)
4/27(土)「ブリリアント」慰問(花桃)
4/28(日)曽我先生カウンセリング

5月
5/1 (水)ウクレレコンサート(喫茶店フレンズ)
5/4 (土)「ブリリアント」慰問(椰子の実)
5/18(土)太鼓の練習(さくらピア)
5/19(日)佐溝コレクション総会(ログハウス)、ピクニック(県民の森)
5/23(木)誕生パーティー(内田進二郎、伊藤、兵藤)
5/25(土)「ブリリアント」慰問(赤岩荘)
5/26(日)ゴミ0運動、竹島宏コンサート(アイプラザ)、
曽我先生カウンセリング

6月
6/1 (土)畑の仕事、「ブリリアント」慰問(福寿園)
6/2 (日)駒形神社掃除
6/8 (土)呼吸サークル(豊橋文化会館)
6/12(水)可知病院より見学会
6/14(金)岩屋病院より見学
6/15(土)畑の仕事、たけのこカフェ(グループホームたけのこ)、
太鼓の練習(さくらピア)
6/19(水)「ブリリアント」慰問(あかね荘)
6/22(土)畑の仕事
6/23(日)ブリリアント総会
6/29(土)畑の仕事
6/30(日)曽我先生カウンセリング

ブリリアントにご協力いただいた方々

北川藤良様、鋤本恵美様、澤田竜弥様、杉浦依和夫様、宇野和男様、森下昌洪様、曽我洋秀様、佐溝力様、山口京子様、井上浩様、菅谷君男様、豊橋善意銀行様、カリオンビル様、豊橋市社会福祉協議会様

ブリリアントにご寄付下さった方々

森下昌洪様、白井様、佐溝力様、天野裕子様、立岩清様、曽我洋秀様、鈴木静子様、北川藤良様、鋤本恵美様、高橋様、井上浩様、杉浦依和夫様、稲村絹代様、珠藻荘様、山口京子様、藤井様、黒木武秀様、内田動物病院様、デイサービスセンター椰子の実様、豊橋ケアセンター様、デイサービスたけのこ様、豊橋善意銀行様

いろいろとご協力、ご支援ありがとうございました。

編集後記

 8月10日(土)でこのブリリアントを卒業すると思います。卒業一直線で臨みたいと思います。これまで私の記事を読んでいただいてありがとうございました。

兵藤なつき

 梅雨時は川の水量が増えるので、渓流に住むアマゴやイワナが活気づき、餌や毛針、ルアーによく喰いつきます。新緑の中で渓流釣りを大いに楽しんでおります。この週末にも出かける予定です。

伊藤 剛

 ブリリアント菜園も土壌がだいぶ良くなり、何を作っても豊作で、楽しみです。ゴボウも初めて作りましたが、良く出来ていろんな料理となって食卓に上っております。

内田里枝
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